ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

ハロー・ワーク 3

 翌週の朝、就業時間の20分前にセツコは出勤した。


 裏手の通用口に備え付けられているセンサーにスマートフォンをかざして個人認証をする。
 入ってすぐの通路の右手に、この施設が建造されてから一度も使われたことのない人間用の休憩所があり、その反対側にELFの格納庫、リプリニッシュルームの扉がある。


 少し早めに来たので、セツコは施設内を見て回ることにした。
 清掃作業は前日のうちに済まされており、ELFの活動を阻害するものが一切置かれていないため、所内の様相は寂しくなるほどに清浄だった。
 かつては所狭しとペーパー類が張られていた壁には、今は薄型ディスプレイが備え付けられている。
 紙製品はトイレ以外には存在しない。


 まるで人が滅んでしまったような感覚に襲われつつ、施設内の隅々まで見て回る。
 4体の行政ELFのみで職業安定所の業務が完遂するという事実を、未だに飲み込めていない自分が情けなく思える。
 玄関の近くの床に残っているガムの黒ずみが、ここが人の活動する場所であることを、辛うじて証明しているようだった。


 休憩所に戻って東側の窓に面したカウンター席に座り、人の背丈ほどの樹木の植えられた小じんまりとした庭を眺める。


 庭の整備とかは、確かまだ人間の方が上手く出来たはず――。


 そんなことを考えていると、庭の向こうに走る私鉄の線路に、ひと繋ぎの車両が通り過ぎていった。
 線路の先にある社を有する森を眺めていると、少しだけだが、昔の職場に戻ってきたという実感を得ることが出来た。


 就業時間の5分前になるとリプリニッシュ・ルームの重々しい扉が開かれ、中から洗いたての白スーツに身を包んだ4名の職員が、一列になって歩み出て来た。


「おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます」


 次々と挨拶をしてくるELF職員達に、セツコは律儀にも挨拶を返していったが、最後の1人を見送る頃には何かしらの改善が必要ではないかと感じるようになっていた。
 みんながみんな同じような動きだし、何より男性型と女性型が一緒くたになって同じ部屋から出てくるなんて……。


 新人職員であるセツコは列の一番後ろからついていき、職業相談ルームの中央に置かれた卓球台を一緒になって取り囲んだ。
 就業前に動作チェックを兼ねた体操をするのだが、今日からは彼女のために音楽が流される。
 手足を曲げ伸ばし、身体をひねり、手の親指から足の小指に至るまであらゆる関節を動かし、視聴覚機能の確認も兼ねた発声練習をして、最後に大きく深呼吸をする。


 体操が終わり次第、各自持ち場に散っていく。
 1人は案内役として玄関に、2人は職業相談用のテーブルに座って待機する。
 玄関前には、既に何名かの来所者が待機しているようだったが、セツコははやる気持ちを努めて抑え、ナナの案内に従って奥の方にあるテーブルに着席した。


「改めましておはようございますセツコさん。本日が初回の出勤となりますが、体調はいかがですか? 緊張などされていませんか?」


 親切にも体調を気遣ってくるELFに、セツコは元気に答える。


「いいえ、まったく順調です」
「それは何よりです。職業安定所に就業される方は例が少なく、お互いに不慣れな点が多いかと思いますが、訓練担当として全力でサポートをさせて頂きます。これから2ヶ月の間よろしくお願いいたします』
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 そして、研修初日のプログラムが開始された。


「では早速、現在の職業安定所についてお話します。以前は、失業給付に関わる仕事が多くの比率を占めていたかと思いますが、BIの導入に伴い雇用保険制度が廃止されたため今は行われていません。また、インターネットサービスの拡充により窓口業務の量も減少しています。現在、当施設の利用者の67%が、卓球及びコミュニケーション活動によるHI(健康所得:Health Income)を得ることを目的として当施設を訪れます」


 職業安定所が、公営のレクリエーション施設になってしまったと言われる所以だった。
 失業者の社会参加意欲を高めると同時に、健康意識の啓発や景気対策などを併せて狙ったものだ。
 これはすでにセツコの知るところだったので、しっかりと頷いて続きを聞く。


「我が国の失業率は、年々悪化の一途を辿っています。自動化の進展により雇用機会が減少すること、いわゆる技術的失業の問題に直面しているのは、セツコさんもご承知のことでしょう。しかしながら一方で、特殊な技能が求められる職種に関しては、今なお人手不足の状況が続いています」


 医療福祉関係職やエンジニアなどがその代表と言えるが、失業者の殆どは、そのような高度な技術を要する仕事には就くことが出来ない。
 農林水産業及び建設業についても、全自動漁業や無人施工といったオートメーション技術の導入が進められているが、人手不足の解消には程遠い状態だ。
 失業者の多くは、和牛の飼育やワイン用葡萄の栽培管理といった、比較的敷居が低く、なおかつ高付加価値な製品を生産する職業を希望するが、まだまだ雇用の受け皿としては狭かった。


「他に有望な失業者の受け皿として、飲食業と清掃業が挙げられます。混雑した場所での作業や、細かい箇所に気を配る作業などは、未だ機械化が困難です。対して金融・事務・販売・保安・輸送・運搬に関連する就業者数は、ここ30年で90%以上減り、現在新規求人は殆ど発生していない状況です」


 話を聞きながらセツコは、2人の子供が無事に就職できて良かったと思わずにはいられなかった。
 会計士や労務士といった、かつては自動化が難しいと考えられていた職種についてもAI代替が進行しているのだ。


 小売店の多くが無人化され、警備業は監視カメラとELFに取って代わられ、今は人手不足に苦しんでいる職場であっても、この先どうなるかは誰にもわからない状況だ。


「このように、雇用情勢は厳しさを増しています。現在、公共施設における人間職員の復職活動等も進められていますが、根本的な解決には至っておらず、焼け石に水という状況にあります。また、最低賃金の撤廃によって、求人の8割が時給400円を切る低賃金労働となっています。低収入でも快適に生活し、家族を養っていくためのプランを提案することも、私達の重要な職務の一つとなっています」


 そこで相談ルームの中央からピンポン玉を打ち合う音が響いてきた。
 ナナとセツコは同時にそちらを振り向く。


「今も昔も、人気の高い職業としてプロスポーツがあげられます。スポーツ振興は人々の精神的身体的健全度を高め、医療と社会保障のコスト低下に寄与するため、公共施設において何らかのスポーツ交流活動を行うことは勤労と同等であると見なされ、その活動内容に応じたHIが支払われます。当施設においても、来所して卓球によるスポーツ交流活動を行うと、一日に500円を上限としたHI給付の対象となります。ここまでで、何か質問はありますか?」
「いいえ……」


 セツコはため息を抑えながらそう言った。
 世の中が今後どのようなことになっていくのかわからず、同じく先の見えない不安に怯える人々に対して、きちんと助言をしてあげられるのかと自信がなくなってきたのだ。


 ナナが一瞬憂うような視線を差し向けてきたが、彼女はそれに気づく余裕もないようだった。







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