物語の効能

ナガハシ

物語の効能

 小説、漫画、映画、アニメ……。
 どのようなメディアでも構わない。
 物語というものが世の中において、実際どのようにして役立っているのかと、考えたことはないだろうか。


 物語とは結局、ただ単純に、一時の楽しみを供給しているに過ぎないのだろうか。
 我々は実に様々な物語を、あらゆる媒体を通して摂取しているが、それが実際、どのようにして役立っているかを、不思議と意識することがない。


 例えば、なろうを代表する作品である「無職転生」。
 筆者も夢中になって読んだ記憶がある。
 しかし後々考えてみて「面白かった、感動した」それ以上の効能は無かったように思える。
 感想欄を読んで、大体予想したようなことが書かれていることを確認し、そっと胸の底にしまっただけであった。


 それでより仕事が出来るようになった訳ではなく、ましてや恋人が出来た訳でもなかった。
 自覚していないだけで実はあったのかもしれないが、やはり感動以上の何かを自覚的に得るには至っていない。


 もう少し大きな作品を取り上げてみる。


「シン・ゴジラ」


 この作品は社会現象となり、時の官僚や政治家、はたまた総理大臣の目にも止まった作品である。
 ならば随分と、具体的な効能を世にもたらしたのではなかろうか。
 しかしながら、改めてそう問いかけてみれば、いやはやパッとした回答が出てこないのが実状である。
 消費税は上げられてしまったし、政界は不祥事が絶えない。


 物語というのは、人々の創造性を刺激し、情緒を育み、一時の興奮と癒やしを与えてくれる。
 しかしそれは、具体的な意味合いにおいては、まったく何も成し得ないのではないか。


 人々の間で一時的な話題にはなるかもしれないが、それで国政の決定に何かしらの影響を与えたわけではない。
 精々が、少し錆びてガタついている機械に、油を差した程度だろう。
 それで歯車の配置が変わるわけではないのだ。


 物語とはこのように、実に儚いものだ。
 しかし人は物語を求めてやまない。
 書き手もまた、人々を感動させるような物語を書きたいという衝動を抑えることが出来ない。
 小説なんか書いている暇があったら、普通に仕事をしていたほうがよっぽど豊かになれるし、生産的であるにも関わらず。


 物語を書き、嗜むという行為は、病気みたいなものなのだろうか。
 いや、そう言い切るのはあまりに虚しい気もする。


 物語は人を優しくするのだろうか?
 いやならば、物語で氾濫した日本の人々は、さぞかし心優しい民であるはずだ。
 ブラック企業などは、一瞬にしてかめはめ波で吹き飛ばされるだろう。


 ならば何故、我々は物語を紡ぎ、そして消費するのか。


 考えねばならぬ。


 考えねばならぬ……。







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