喜怒哀楽の学び方

七瀬はやと

プロローグ

  






これは懐かしい記憶……。俺が高校一年の時に大切な人に出会う事が出来た思い出……。

同じ状況下の中、伝わらない気持ちが俺達の関係を崩す事もあったが、それもまた思い出の一つ。

そして、共に学んだ。喜怒哀楽と言う名の────『ロストエモーション』を。











ロストエモーション……それは、感情の一部が失われる症状だ。よくLEと呼ばれている。

LEの症状は、主感情である喜怒哀楽の一部が無くなってしまう。これは過度なストレスなどが主に原因としてあるが、ストレス以外にも原因があるらしい。



喜怒哀楽の中の感情が無くなるとどうなるのか?それは答えるまでもなく、前とは別の人間になる。外見が一緒でも、主感情が一つ消えただけでその人の中身は以前とは違う雰囲気になってしまう。




そう、そんな嫌な症状に俺はかかってしまったんだ。

でもそれは自業自得。自分が悪いんだ。あの時の罰が当たった。そう思うことしか出来ない。




それは………中学の頃の話だ。


あの時の天気は良く覚えている。雲がどんよりと風の流れによって流れ、雪が降り、辺りは真っ白な白銀の世界だった。


そんな天気の中、俺は一人の男に心配をされていた。降る雪が綺麗に見える静かな教室の廊下で。


「何かあるなら言えよ!!俺達友達だろ?
お前が悩んでるの位見りゃ分かるんだよ!辛いなら辛いって、苦しいことがあるなら苦しいって、言ってくれなきゃ分かんねぇだろ!!」

静まり返った廊下に響く大声、それは彼が俺を助けてくれる助け船だったのかも知れない。ただしそれは今では無かった。そう言って欲しいのは決して今では無い。



この時の俺は、ただただそっとして欲しいだけだった。誰にも声をかけられず、自分の気持ちを落ち着かせたいのに彼はしつこく俺に絡んできた。



それは彼の優しさだと薄々気付いていたのに、それを『心配かけてごめんね』と言う気力が今の俺には毛頭無かった。


気力が無いのは、俺の精神的な面がストレスでおかしくなっていたからだ。

それは父親が勤務する会社での過度な嫌がらせなどが原因の父親の自殺や、父親が亡くなった事で、毎日しつこく来るマスコミとその野次。



大好きで憧れていた父親の急な死を、家で首を吊っているところを目撃してしまった絶望。



親は俺がストレスを貯めて殺したという、性懲りも無いデマによる仲の良い友達の裏切り。



そう、俺はこんな事があったんだ。そんな状況下の中で誰も信じられないこの状況で話す事なんて何も無い。


どうせ俺はまた裏切られる、そして犯罪者のレッテルを貼られ、さらに絶望するんだ。もう苦しいのは嫌だよ……。辛いよ……。




「…………」



「何で黙りするんだよ!それじゃあ伝わらないだろ!」



両肩を両手で揺さぶられ、また大声で叫ばれる。それに苛立ちを覚えた俺は、揺さぶられていた手を振り解き、言いたくも無い発言が口から溢れ出した。



「……さっきからうるさいんだよ!!じゃあ、何だ?お前に話せば全部楽になるのか?違うだろ!!楽になんてならない!どうせお前もあいつらみたいに裏切るんだ!どうせお前もマスコミみたいに他人事のように貶すんだろ!」

それは怒鳴り声だった。心の中の不安の山が噴火するかのように爆発した。


「……俺はそんな事───── 」




「しないって言うのか!?笑わせるなよ。それで信じて裏切られたんだ!お前に俺の苦しさの何が分かる!お前に俺の思いの何が分かる!何も知らない癖に、しつこいんだよ!」



「俺はお前のためをおもっ─────」



「それは俺が頼んだのか?」 


「………ッッ!?」


あまりにも予想外であろう発言に彼は絶句した。



「もうほっといてよ!もう……構わないでよ……」



「……もう良いよね?じゃあ」


そういって彼に背中を向けて、歩いて去ろうとした時だった。

「ふざけるなよ!!」

彼の声が聞こえた刹那、彼の拳が俺の頬に直撃した。予想外な行動に対応出来なかった俺は床に尻もちをついた。



「痛ッッ」

頬に手をやると、ピリピリと痛みが走り、今の状況に混乱する。


「俺がそんな事するなんて決め付けてんじゃねぇよ!お前がどうでも良いならしつこく聞いたりしないんだよ!!大切な友達だから……助けたいと、力になりたいと思ってるから言ってんだろ!!」


しかし廊下に響く彼の声に響いたのは廊下だけだった。



俺の心には、その優しい光は届かなかった。俺の心の中の不安と絶望で染まった闇は自分が想像出来ない程深い物になっていた。


「………そんな事どうでも良いけど今殴ったよね?」



「……うッ」



「また俺は裏切られたんだ。構わないでって言ったよね?」

冷酷な低い声で言い放ち、またしても言いたくない発言が口に出てしまう。



「もういいよ、お前なんて友達じゃない。もう二度と俺に関わらないで」


そう言って彼から去る時に後ろで泣き声が聞こえた。


「……ごめん、……ごめん、助けられなくてごめん。……支えになれなくてごめん。力になれなくてごめん……駄目な友達でごめん………」



「…………………」




俺はその泣き声を聞こえなかったふりをした。





まさかこれが彼との『最後』の会話になると知らずに。









それからしばらく経ち、俺の心も落ち着き始めた頃だった。

喧嘩した彼が学校に来なくなった。



早く謝らないとな。いくら状況が状況でもあまりに酷いことを言い過ぎた。彼が自分を助けてくれようとしたのにそれを自分で拒んだんだ。


喧嘩は良くあった。けど、ここまで激しい喧嘩は初めてなので、どう謝れば良いか分からない。でも、自分の思っていることを彼に正直に言ってみようと思う。例え許されなくても、この胸の違和感は少し収まるからだ。







「先生に聞いてみるか」


彼が何で学校に来てないのか気になり、職員室に向かった。


ただ学校を来ていない理由を聞くだけの筈だった……。けれど、自分の全く想像のしていない出来事が職員室で待っていた。



それは職員室のドアを開けようとした時だった。予想もしなかった会話が中で行われていた。



「うちの生徒が自宅で自殺をしたなんて、生徒に聞かせたら逆効果ですよ!!」


…………じ、自殺!?




そう、この瞬間にピースははまってしまった。無限の通りからある選択肢から彼が亡くなったのではないのかという疑問が脳裏に過ぎった。

流石に無いだろうと思いつつも、ドアに耳を向けた。


「この事を生徒には打ち明けないように!そうで無くては、生徒が混乱してしまう」

「「分かりました」」




「それにしても死因は本当に自殺何ですか?」

そう言ったのは、俺の担任の三日月椎名(みかずきしいな)先生の声だった。



「自殺で間違いは無い。ただ、原因があまりにも刻なものだった。」


「刻……とは?」


そう椎名先生が聞くと一瞬の沈黙が起きる。


「亡くなった川村樹(かわむらいつき)は、死体が発見された時に大量のアザがあり、警察の調べから親の虐待が判明した。他にも生徒による虐めから精神的にも悲鳴をあげていたんだ」



「嘘…だろ…?」


川村樹………それは喧嘩した彼の名前だ。そう、また一人俺から大事な人が居なくなった。きっとそれは俺のせいだ。彼が辛い状況なのなんて知りもしなかった。



なのに彼は俺を心配していた。自分が助けを呼ばないといけない筈なのに……。


俺は職員室のドアの横に自分の体重を寄せるように、倒れ込んだ。




「えッ!そんな…。何で彼が……」


「椎名先生にはあんまりこの話はしたくなかったんだ。椎名先生はきっと自分を責めてしまう、このことをすぐに言わなかったことを謝罪する。すまなかった。」




「…いえ、話して下さりありがとう御座います。」




「では先に失礼致します。」



ドアの開く方へ視線をやると、椎名先生が出てきた。



「……え?桜月君?まさかさっきの話聞いてたの!?」




俺はその質問を聞かれていた時には、もう泣いていた。涙が一滴一滴廊下に溢れ落ち、俺は自分を憎んだ。








もしあの時に、俺が怒ってなかったら彼はどうなっていたのだろう。俺こそ彼の救いになれたんだ。俺は自分の辛さの現実を受け止めすぎて回りが見えなくなっていたんだ。


本来気付く筈の疑問すら、まるで何にも無いと思ってしまう程に。




俺が怒ったせいで彼は死んだんだ。守れた命を俺が救わなかったんだ。怒らなければこんな事にならなかったのに。



俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺が樹を殺したんだ。怒ったせいで。俺の中の怒りの感情なんて消えてしまえ、誰かを傷付けてしまう感情なんて要らない。





……そんな感情は消えてしまえ!

自分を責めていると心の中にある何かが割れる音がした。






そんな俺を見て先生は、しゃがんで優しく質問してくれた。




「どうして泣いてるの?私で良ければ話を聞くから話してごらん」


きっと泣いている事情はそれなりに把握しているだろう。けれど先生は、優しく声を掛けてくれた。





「………ぅ、俺は………彼を、樹を殺したんだ。俺が怒ったから、……自分が辛い思いをしているのに更に俺が……追い打ち……を…」



涙が目から大量にこぼれ落ちる、自分が本当に許せない。また一人亡くなってしまった。



「……辛かったね、話してくれてありがと…」




「でもきっと君が殺した訳じゃない、もし川村が亡くなった理由に君が関係しているなら、こんな物をわざわざ君宛に書くと思う?」



そういって先生が指し出してきたのは一つの手紙だった。




「………これは…?」


「川村の家で見つかった君宛の手紙だよ。警察から預かっててね、きっと言いたい事があったんじゃないのかな」



その手紙を受け取り、中身を見た。




『  桜月未春へ
これが未春に渡っているときには俺はもうここには居ないと思う。どうせ未春の事だ。俺のせいだなんて考えてるんだろ?お前は優しすぎだアホ。お前は何一つ悪くない、悪いのは耐える事を諦めて、自殺を考えた弱い俺だ。正直に言うと未春の親父さんが自殺した事はニュースで見てたんだ。けど、そんな状況でも俺はお前に友達として信頼して欲しかったんだ。だけどしつこく聞いたのが逆効果でお前を悲しませたな、ごめん。俺も自分の事を素直に話せば良かったって後悔してるんだ。やっぱり一人で抱え込むのは良くねぇな。あ、それはお互いブーメランか!とりあえず、お前は自分を責めるな!そんなことしたら呪うかんな?最後に、俺の友達で居てくれてありがと、俺に本気で怒ってくれてありがと。苦しくて辛い状況の俺から楽しさという名の幸せを与えてくれてありがとう。


          川村樹より 』


大粒の涙が手紙にぽとぽとと落ちていき、胸が苦しくなる。




「ぅぅ………あぁぁぁ、あぁぁぁ」


「………ありがとうって何だよ……何なんだよ………」



「謝るのは俺の方なのに……何で………」







そう、これが俺がLEになった時の記憶。心の中で何かが割れた音がしたのはきっと怒りの感情だ。この日を境に俺は怒りの感情が無くなった。





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