カオルの邂逅旅記

しろたんたんめん

再出発

カオルはしばらく、そこから動くことができなかった。カオルは周りの乗車していた人全員が降りたあとも、そのまま一人座席に座り続けていた。芯から力が抜けて、ただただ呆然と前を見ていた。

しばらくして、 窓の外を見ると、駅員達が合流しているのが見えた。なにやら会話をしている。

 その二人を見つめながら、カオルはやっと腰を上げた。

 カオルは、そこから会社には向かわずに、自宅方面のホームに向かった。カオルは、ついさっきまで、あんなに会社に遅れることを嫌がっていたというのに。

 鞄からイヤホンとiPadを取り出して、音楽を聞きながら目を閉じえ、電車を待ち、電車にのったあとも、ずっとそうしていた。

 カオルはそこから自宅についたあと、イヤホンをつけたままベッドに倒れこみ、そのまま泥のように眠り続けた。

 しばらくして、目が覚めた。天井が見えるが、薄暗く、恐らく夕方ぐらいなのではないか。カオルは泣いていることに気がついた。寝ながら泣いていたのだろうか。

 カオルは天井をみつめたまま、イヤホンもとらずに、頬に流れる冷たい涙を感じ続けていた。しばらく流れるままにしたあと、カオルは自分の今の状態について客観的に考えようとしていた。

 あの電車は一体なんだったのだろう……。

 あの電車に乗るまで、自分はいつもとまったく同じ準備をして、普段とそう変わらない格好をして、派手な頭の色をして、憂鬱な気持ちで会社に向かっていたのだ。それなのに、いつのまにか、自分の記憶を遡っていた。これは一体どういうことなんだろう……。

 あの電車に乗って、カオル自身、一つ発見したことがあった。

 カオルは、ずっと自分自身一度も出会ったことのない人間に対して、愛着なんて持たないものだと思っていた。それが実の両親に対してでも、である。そんなことがあるわけがないと思っていた。でも、どうやらその考えははずれだったらしい。

 カオルは両腕を目の上に被せた。

 ずっと会いたかったと言うことなのだろうか。カオル自身の本当のお母さんに対して。本当の両親に対して。

  いや、寂しいということとはまた違うもののようなきがする……。

 腕を下ろし、まるで全身力が抜けたような虚ろな目のまま、カオルは天井を見つめていた。カオルは、あの電車の最終到着地点であった、美しいあの景色のことを思った。

 まるで水族館のようだった。水槽自体がトンネルになっていて、そこにありとあらゆる金魚が美しく泳いでいた。

 赤と白と黒と……。

 そうか……。自分はもしかしたら単純に疲れていたのかも知れない。

 あの電車の幻想は、自分自身の疲れから、一瞬頭がおかしくなったのかもしれない。

 ……。

 そういう風なことで一応説明はつけることができるのはできる。そう考えたとしたら、とても簡単だと思った。そうすれば、あとはしばらく自分で休暇をとるなりなんなりすればいいことだし、とても単純だ。

 でも、そもそも、あれが実際どういう原理で起きていのかは、そこはある意味どうだっていい部分だと、カオルは思った。

 一番最初にのったあの、赤い柔らかい、どこまでいっても平和なあの景色を思い出される。

『 本質はそこじゃないだろう』

 あの奇妙なお姉さんか、お兄さんだかの言葉が思い出される。

 『まったく……、一体何をそんなに焦っているのかしら』
  
 『答えが聞いて帰ってくるわけないじゃない』

 まさしく本当にその通りだと思った。例え、疲労で頭が一瞬おかしくなったからだとか、白昼夢を見ていたとか、それが原因だと知ったところで、である。

今のこの言い表しようのないこの感情の説明は行き場は、どう表したら良いのか……。

……だとしたら、自分で考えるしかない。

 そこで、 二番目の記憶だ。カオルは出来るだけ思い出したくない記憶だった。思い出したくもないし、考えたくもない。

 桜の景色、土橋くんの小麦色の肌。冷たい空気。当たり前のように、土橋くんに話しかけようとしなかった中学生のカオルの姿。

 『過去を振り替えることは自分を責めるわけじゃない』

 土橋くん……。

 そうなのか……、本当にそうなのか……?

   カオルは土橋くんに対して、きっとひどいことをしたのだ。でも、土橋くんはいっていた。

 『自分も同じようなことを、全く人にもしている』

……。

カオルは黙って、幼い格好をしたかつての同級生の大人びた言葉を、頭の中で繰り返した。

 人って大半の人が過去に縛り付けられているような気がする。皆過去を振り替えって誰かを恨んだり、失敗を悔やんだり、過去の栄光にすがったりしている。

 カオルもそうだ。過去を思い出すこと、それって、いつも何かしら自分自身を責めていることしかしていない気がする。

 土橋くんは言っていた。

 僕も同じことをしているって。誰かに傷つけられた人は、誰かも必ず傷つけている……。

 カオルは頭がガンガンと痛くなるのを感じた。

 そんなこと、ずっと考えたことなかった。

 頭痛がする中、さっきの美しい水族館の映像がカオルの頭をよぎった。

 ……。

 カオルの両親にも、あんなに美しい記憶があったのか……。

 カオルは、そう思い、目を閉じた。

 あの、水族館にいるとき、きっと自分は子宮の中にいたのだ。

 それはカオルと、実の両親との大切な記憶だった。それは立派に誇れるものだ。その柔らかい記憶は、これからカオルを育ててくれた両親の記憶と一緒にカオルのそばに常にいてくれるあずだ。

 カオルは眠りにつくまでの間、あのとき聞いていた母親の子宮の音を思い出しながら、眠りについた。

 

 

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