暴食の狼
第一話 ウルフになった
気がつけば身体は人間の物じゃなかった。二足歩行ではなかったのだ。
歩き始めて自分が犬のような姿になっているのがわかった。正確には犬ではないかもしれないが、犬が一番近いと感じた。
一度自覚すると、次は空腹が襲ってくる。石造りの建物。長い道を歩いて一つの小部屋にたどり着く。
ここがどこなのか、そんなことはどうでもよかった。
飢えが襲い掛かる。腹に何かを入れたい。何かを食べなければ死んでしまいそうな感覚に陥る。
人間としての精神よりも獣としての本能がクウキを突き動かす。がむしゃらに、食べ物を探す。
細かいことを考えるよりも、うまい何かを食べたかった。
どこだ、どこにいる。
必死に探すが中々見つからない。苛立ちが募り壁を蹴り飛ばしたいが、四足ではそんなこともできない。
それが余計にムカついた。
うめき声をあげながら、謎の空間を徘徊する。
自分と同じような姿をした生き物を見つける。
狼、犬。茶色がかった毛。ウルフとクウキは名づける。
ようやく生き物を見つけられた。自分の糧となれ生き物よ。
襲い掛かると、反抗される。爪が頬を切り裂き、クウキは痛みに顔を歪めるがここで怯めば殺されてしまう。
傍から見れば子どもの喧嘩のような情けない攻撃がしばらく続き、最後に立っていたのはクウキだ。
戦いによりさらに空腹になってしまう。めまいを起こしそうだ。
血を流して倒れたウルフを見て、何も考えられずにかぶりつく。
味も何もわからない。
気づけば死体はなくなっていた。クウキはそこそこ腹も満たされたが、まだまだ食べたい衝動は残っている。
次に見つけたのはまたもやウルフ。今度は正面からは挑まない。
気づかれないようにゆっくりと、背後から近づく。中々気づかない。
一気に背中から飛びかかり、押さえ込みながら首を噛み千切る。ポロリと取れ、死体が残る。こちらに気づく暇さえ与えない。
隙をつかれれば弱いのは人間も獣も変わらないようだ。
生肉。先ほどに比べて空腹がなくなっているからか、一瞬嫌な気持ちになる。
それでもと、この肉はうまいと本能が告げる。口にすると不思議と嫌悪感はなく、むしろよだれが零れ落ち我慢できずに噛み付いた。
肉汁があふれ出し、口の中を侵食する。今までの人生、生肉を食べなかったことを後悔するほどの感動が襲う。
死体から沸きあがる血を飲み干す。滑らかな舌触りの血。血を深く味わうと、甘みのようなものもある。一度その魅力に取り付かれると、飲むことをやめられなかった。
肉は噛み切りやすく、骨まで噛み砕く。この体は牙が鋭く、クウキはあっという間に死体を食べつくした。
空腹は最大の調味料。まだ、クウキの腹は満たされていないが、思考できるほどには落ち着けた。
腹をさすろうとしたが、前足が短い。届かなかった。
(ここはどこだ?)
ようやくそのことを考えられた。
地球ではない。クウキは下校中友人と共に謎の魔法陣に飲み込まれた。
あれが一体なんだったのか、考えてもわからない。さらに思考しようとしたが、目の前をウルフが通過した瞬間何も考えられなくなった。
あの獣を喰いたい。先ほど味わった感動をもう一度。
食欲に支配され、クウキは一気に飛びついた。
ウルフも気づき、対抗するようにタックルしてくる。
だが、さっきよりも軽やかに動く身体はウルフの攻撃を避ける。
脇腹に噛み付き、肉を噛み千切るとウルフが悲鳴のようなものをあげる。
その悲鳴にたまらなく興奮を覚え、クウキは足をすべて噛み千切る。
しばらく悲鳴は止まらなかったが、やがて絶命した。
死体をもう一度食べると、先ほどに比べて味が落ちた気がした。
代わりとばかりに身体の奥底から力が沸きあがる。
さっきよりも強く慣れた気がした。
魔物を喰らえば身体が強化されていく。なんとなくクウキはそれを理解した。
ここがどこなのかはわからない。
だが、この食欲という一つの気持ちを胸に突き進んでいく。
彼には人間としての心はほとんど残っていなかった。
知識こそあるが、クウキは獣へと変化した。
鼻を頼りに魔物を探す。新たな獲物に期待していると、異様な臭いを感じる。
身体が知らぬ間に震えだす。
臭いだけで敵が自分よりもヤバイ相手だと気づき、すかさず敵がやってくる道とは別の場所に入る。
三人組みだ。腰に剣を下げた男が二人、女が一人。
男たちに気づかれないように後を付けていく。足音を極力なくし、三人組の行動に注意を払う。
後ろを振り返るような動作を見せたら、すぐに逃げられるように集中する。
「それにしても、この迷宮は魔物が弱いな」
言葉を発して、それを理解できた。魔物でも人間の話す内容を理解できる。
それよりも距離が離れているにも関わらず、しっかりと聞こえることに驚いた。
「兄さんの言うとおりね。最近出来たばかりの迷宮だけど、ここは恐らくハズレね。経験的に階層は20くらいかしらね?」
「そうだな。ここなら俺たちで制覇してみるってのも可能なんじゃないか!?」
「兄さんあまり冗談を言わないでくださいよ。さすがにそれは難しいんじゃないですか? まだ僕たちだって迷宮に入って一年しか経ってないんですから」
迷宮。いまいちわからずにクウキは首を捻る。
(迷宮、剣、魔物。ここは不思議な世界だな)
思考をしていると、男たちが壁の中に入っていく。
敵がこちらに気づいて隠れたのかもしれない。慎重に近づいていき、消えた原因を探る。
よく見ると壁には壁がなかった。
壁があるのだが、じっと睨み続けていると半透明になり階段が見える。
ここは下の階層に繋がっているのだ。
耳を澄まし、階段の音がないのを確かめてから後を追う。
この体で階段を下りつのは中々難しい。だが、なんとか降りると似たような景色が広がっているが、恐らく違う場所だ。
探索を始める。魔物とは戦い、人間を見かければ逃げる。
ウルフばかりであったが、途中で妖精を見つけた。
ピクシーと名づけ、二匹いたうちの片方に噛み付く。
女のような体つきをしている。
羽はぼりぼりと硬いが、体の部分は柔らかく上手かった。
マシュマロのようだ。僅かな甘みもこぼれだし、さらに食べたい意欲を駆り立てられる。
ぺろりと食べ終えると、もう片方のピクシーの足場に緑の魔法陣が浮かび上がっていた。
嫌な予感がする。すかさず飛びかかろうとするが、すでに遅い。
ピクシーが何かを叫ぶと、風の塊に殴り飛ばされる。
迷宮の壁に叩きつけられ、ギャンッ!? という悲鳴をあげる――やはり俺はウルフの体になっているようだ。
今のは魔法だろうか。迷宮、剣、魔物と来て、どんどんファンタジーらしくなっていくとクウキは体を起こす。
ピクシーはもう一度魔法を唱えようとする。だが、一度見てわかった。
魔法の詠唱中には移動ができないのだ。ばくりと噛み付き、丸呑みにしてやる。
また、体の底から力が沸きあがる感覚。より早く動けるような気がする。この体は素晴らしい。どんどん魅力に飲み込まれる。
もっと強くなるために、もっとうまい生物を喰いたい。
クウキはさらに迷宮を徘徊する。魔法とやらが使ってみたい。
そう思いクウキは先ほどのピクシーを真似てみるが魔法陣は生まれない。魔法を使うには何か特別な力が必要なのかもしれない。出来ないのなら、早々に諦める。
今はよりうまい生物を探す。そして、迷宮の奥底を目指しながら人間を狩る。人間の肉を食べ、さらに力をつける。
なぜだかわからないが、身体は強さを求めている。
そして、強くなる手っ取り早い手段が他の魔物を喰らうこと。ならばと、より強い魔物を探して喰らう。
臭いが近づく、恐らく人間だ。
すぐに身を隠し、耳に意識を集中する。
「スライムとピクシーか。スライムは頼んだぜ」
「ええ、わかったわ」
男と女のパーティーだ。
敵が出現したのだろう。
「なっ!? えっスライム!?」
女がスライムに捕まったようだ。
どうやら魔物が集まってきているようだ。
「助けてっ!」
風が吹き荒れる音。それを助けに向かおうとした男がピクシーの魔法によりやられたようだ。近くにいたウルフが奪い取るように男に噛み付く。暴れるが、二体目がやってきて、無残にも喰われる音が響く。
食べたウルフがどれだけ強くなったのかが気になった。
「そん……な……」
女が何かを呟くが聞こえない。脅威である人間が消えたのでクウキはその場を目撃する。
スライムの体に包まれた女は、目を瞑っている。気絶しているのか、眠っているのかはわからない。服を溶かされ、裸になり、そのまま身体はすべて溶かされる。スライムに捕まればああなるのだろう。
迷宮内ではすべてが敵。どれだけの強者だろうと、一瞬の油断により命を落とす。
人間を喰らったウルフとスライムを見るが、脅威には感じない。人間を喰らっても強化されないのか? そんな疑問が浮かぶ。
ならば俺が感じていたのはなんだったのだ。
わからない。クウキは考え込むがやめた。わからないなら、喰らえばいい。
クウキは一番近くにいたウルフに襲い掛かる。
人間を喰らった個体だろう。タックルを喰らわせ、首を噛み千切ろうとするがもう一体のウルフに飛ばされる。
ピクシーが魔法を放とうとするが、スライムに飲み込まれる。その瞬間に魔法が発動し、スライムの液体部分が飛び散る。
核のようなモノがむき出しになったところへ、クウキが爪で切り裂く。
スライムは液体を残して動かなくなる。
ウルフが飛びかかってくるが、後ろに僅かに飛び、着地したウルフの首へ噛み付く。喉を抉り、肉を口に含む。
うまい。体の疲労を吹き飛ばすようなそれらにクウキは改めて感動する。
結果的に無事だったピクシーが魔法を放とうとしたのを確認して、一気に飛び上がる。
残っていたウルフに辺り、クウキはピクシーにのしかかり頭を食いちぎる。
起き上がったウルフはすでに体力がギリギリなのか、疲れたようにこちらに向かってくる。
体当たり勝負で打ち勝ち、ウルフの足を食いちぎる。
死への悲鳴を聞き、心をうっとりとさせながらクウキは死体を食べ始める。
ピクシーの死体、スライムの死体、ウルフの死体を二つ。
それらを食べると確かに肉体が強化された感覚に陥る。
そして残っていた男の人間の死体をすべて食い尽くす。女のほうはスライムに吸収されてしまい、残念だが残っていない。
人間の死体を食べた瞬間――身体が爆発したような錯覚を覚えた。がむしゃらに死体を食べ始める。
腹の具合は関係ない。文句なしにうまい。血が肉へ味付けをしてくれる。ウルフの肉なんて目ではない。
暴走ともいえるほどに力が沸き上がり、クウキは笑い出す。声こそウルフのままだが、クウキは自分が強くなったことに対して高らかに笑った。
自分こそがこの迷宮の強者になる。
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