ニートの俺と落ちこぼれ勇者

木嶋隆太

第十話 契約

「少し、良いか?」
「あ? どうしたんだ?」


 時間も遅くなり、明日のためにそろそろ寝ようかと思っていた俺は、扉の隙間から顔を覗かせているジェンシーに気づいた。
 俺の言葉を聞いて、ジェンシーはゆっくりとした足取りで、俺の隣に座った。
 風呂上りだからか、ジェンシーの頬は赤い。


「少し、契約について話しておこうと思ってな」


 ジェンシーが前髪をいじると、ジェンシーの子どもっぽいパジャマに意識が向いた。
 妙にマッチしていて、しばらく彼女を眺めていると小首を傾げられる。慌てて現実に戻って問う。


「契約?」


 俺は保健室でのジーニを思い出して、さっと左手を隠した。
 ……何事もなく、契約できれば問題ないだろう。


「そうだ。……契約をしておこうと、思ってな」
「へぇ」


 ジェンシーは頬をかいて、そっぽをむく。


「本当は、パートナーとして任命したときに契約するのだが……」


 もしかして、俺を見極めていたのだろうか。
 ……だったらまずくねぇか。
 昼間の俺はジェンシー観察日記のメモをしていただけだ。おまけに、ジーニに先に契約をされている。
 ……これでは解雇まったなしだ。
 俺は青ざめながら、探りを入れる。


「そ、そうだったのか? 契約かぁ……それを終えれば正式におまえのパートナーになれるのか?」


 意外そうに、ジェンシーは目を見開いた。


「う、うむ……だ、だがいいのか?」


 いいのか……? 何に対しての疑問だろうか。
 逆にその質問をしたい、俺なんかでいいのか。


「パートナーになるってことに対して、今の疑問は向けられたのか?」
「ああ。私の昼間の体たらくをみただろう? ……力がないのだ」


 満足に魔法が使えない。ジェンシーにとって、それは大きなマイナスとなっているようだ。


「そうでもねぇだろ。魔法を作ることには成功しているじゃねぇか」
「……あの学園のレベルではないのだ」
「周りを見る必要はねぇんじゃないか?」


 周りと比べてもいいことなどない。
 学校でよく、周りの子は魔法が使えるのにとか俺は言われていた。周りと同じことができなくてもいいじゃないか。
 家に帰っても兄弟に比べられていたため、逃げの考えが先行する俺だ。
 魔法の発動とか、うまれもっての才能なのだからどうしようもないのに。
 それなのに、親父の奴、無理やり訓練しやがって。だったら魔法使えるように生んでくれっての。


「そう、なのかもしれないが……」


 全員目標が違う。
 同じ相手と競う必要はあるかもしれないが、それだって、焦ることはないはずた。
 六時間目のように無理な戦いを挑む必要は、少なくとも今の段階ではないと思う。


「それじゃあ、契約をしてくれるのか?」
「断る理由なんてねぇよ」


 俺が頷くと、ジェンシーは嬉しそうに頬を染めた。


「それじゃあ、その契約を始めようと思う」


 ごほんと大げさに咳払いをしたジェンシーはぴっと指を立てる。


「け、契約にはだな。そのあれが、必要なんだ」
「何か道具がいるのか?」
「そういうのではなく……そのキスが必要だ」


 勇者との契約では忠誠を示すようにキスをする必要がある。
 キスといっても恋人同士が行う、唇同士がくっつくものではない。体の一部、どこでもよいのだ。
 ……だから、ジーニの契約は少し違う。本来なら俺がジーニにキスをするのが正しいのだ。
 それでも契約できるのだから、どちらかが相手にキスをすれば良いのかもしれない。


「なら、俺がすればいいのか?」
「そ、そうだ。どこでも良いからな」


 そういって、ジェンシーは体を硬直させた。
 どこでもと言われて、もしも唇にしたとしよう。彼女の全権力をもって、俺の存在が抹消されるはずだ。
 一時の快楽に任せて命を失うほど俺は馬鹿じゃない。第一、ジェンシーはそういう対象としてみる相手じゃねぇ。
 命の恩人にあだを返すような真似などしない。
 ……色々と思い出してしまったが、これからはもうジェンシーのために全力を注ぐ。
 俺は無難に、ジェンシーの手を掴んで彼女の甲にキスをする。
 ジェンシーは一瞬体をびくつかせたが、それから朗々と呪文のようなものを告げる。
 ……しかし、何も変化はなかった。


「失敗だ……。一応これで成功するのだが……」


 結局成功したのはそれから、三回やってからだ。そのたびにジェンシーにキスをするのだが、俺の頭の中にはジェンシーの香りで一杯だ。
 ……失敗の原因は、俺がやはりジーニと契約をしてしまったからだろうか。
 俺が彼女に真実を告げようとしたところで、俺の体に強い痛みが走る。
 ジーニと契約を結んだときとは比べ物にならない痛み。
 まるで、体内で何かがぶつかりあっているような痛みがしばらく続き、俺の左手に光が走る。
 ジーニとの契約では簡単な魔法陣だったが、それはより複雑なものになっている。


「これで契約完了か?」


 ようやく現れた左手の甲の魔法陣を見せびらかす。
 ジェンシーもほっと一息をつき、俺の手を見て笑う。


「何か、体に変化はないか?」
「いや、問題ない」
「……力はどうだ?」


 これからドラゴンの巣にでも挑むかのような様子で聞かれる。
 パートナーが弱いままでは不安だろう。安心させてやりたいが、まったく力を感じない。
 嘘を重ねたくはないし、正直に伝えよう。


「いや、全然感じないけど、まあ、これから何か見つかるかもしれないよな?」


 そんな希望的な言葉も添えて。俺だって、この世界の化け物共相手に何の恩恵もない状態では、ジェンシーを守りきれる自信がない。


「そ、そうだな。私のせいで……すまぬ」
「てい」


 俺は多少無礼ではあると思ったが、ジェンシーにデコピンする。
 加減はしたが、急な衝撃だったからか、ジェンシーはおでこをさすっている。


「いきなり何をするっ」
「あんま、マイナスなこと言うのはやめようぜ?」


 最初に会った頃のジェンシーはどこか元気で俺を誘ったときだって、堂々としていた。
 あのくらいの自信を持っていてくれればいい。
 俺の言葉にジェンシーはしゅんと顔をうつむかせる。


「だ、だって……私の力がないから……コールに大変な思いをさせているのだろう?」
「俺はジェンシーに拾ってもらって……その、凄く嬉しかったんだよ。だから、大変な思いとかは全然してないっての」
「本当か……?」
「本当だ」


 ジェンシーとしばらく見詰め合っていると、ジェンシーが慌てたように顔をそらした。
 ……俺の息が臭かったとか? 
 ちょっぴり傷ついていると、ジェンシーはいそいそと部屋から立ち去っていく。


「そ、それでは、私はもう寝るからな!」


 最後にそう残して、ジェンシーは部屋の扉を閉めた。
 俺はジェンシーへの隠し事のいくつかを思い出し、ため息をついた。
 最低だ。
 ジェンシーを騙しているのだ、俺は。
 けれど……ジェンシーに真実を告げたあとのことを思うと、どうにも口に出せない。
 先延ばしにしていい問題ではない、それは理解しているが……どうにも一歩を踏み出せない。
 俺が悩んでいると、再び扉がノックされる。
 俺が許可をすると、入ってきたのはジイだった。


「学園はどうでしたか?」
「少し、お聞きしたいことがありまして……今時間は大丈夫でしょうか?」
「ああ、大丈夫っす」


 俺はベッドから立ち上がり、ジイと向き合う。


「あなたのことを調べさせてもらいましたが……あなたには一つどうしても聞きたいことがあります」
「なんですか?」
「あなたの目的は、なんでしょうか?」
「え?」
「それによっては、ジイの命を賭けてでもあなたをジェンシー様から遠ざけなければなりません」
「……俺の目的、っすか?」
「はい。何を思って、ジェンシー様のパートナーになろうとしたのか、です」


 ジイに対して、俺は初めて出会ったときの気持ちを伝えた。


「俺は……その、帰る場所がありません。だから……少しでもここで長く生活していたいです」


 パートナーになろうとした動機については、今言ったことしか思っていない。
 それ以外では色々と後ろめたいこともある。ジイはそんな俺の感情に気づいている様子を見せる。


「つまり、今の地位を利用して家に帰ることや、ジェンシー様の地位を利用して何かを企んでいる、というわけはありませんね?」
「それは絶対にない。もうあの家に戻るつもりはねぇ……っす」
「そうですか……その言葉を信じさせてもらいますよ」


 ジイの表情から棘のようなものがなくなる。


「ここからは、私的な質問になりますが……貴族であることを嫌っておられるのですか?」
「いや、それは……」
「ジェンシー様のパートナーになったと伝えれば、貴族に戻ることも可能でしょう。それに、随分と自堕落な生活を送っていたようですし、再びそれに近い生活も送れるのではありませんか?」


 どこからそんな情報を引き出したのだろうか。
 ジェンシーの家の権力を利用して調べたのか、ジイの個人的な情報網だろうか。どちらにせよ恐ろしい。


「……ジェンシーを利用するようなやり方はしたくねぇっす。もともとは俺の怠慢が生んだ結果だから、俺の力で取り戻すならまだしも……ジェンシーを使って戻るつもりはねぇっす」
「そうですか……。よくわかりました」


 ジイはニコリと微笑む。


「……一つ聞いてもいいっすか?」
「なんでしょうか?」
「俺が、何かを隠しているって思っていますか?」
「どうしてそのようなことを聞くのですか?」
「……いや……その」


 ここでジイにジェンシーのことを伝えてどうなるのだろうか。
 ……相談したい思いもあるが、ジイにいえばジェンシーに伝わる可能性もある。
 ……嫌われたくない。そんな思いがあるために口が動いてくれない。
 ばれたときに嫌われるのも、ここで嫌われるのも……同じようなものじゃないだろうか。
 そう思うと、このまま隠しておきたい、という気持ちになってしまう。
 ジイはふうと息を吐き出して、それから遠くを見るように語りだす。


「私も昔はやんちゃしていました。ですから、一つだけアドバイスをするなら、後悔しないやり方を選んでください」
「え……?」


 俺の悩みを理解して、そう言っているように感じた。


「私には好きな人がいました。けれど告白することは出来ませんでした」
「……つらいっすか?」
「はい。それが……今でも心残りですね」
「ジイ……」
「だから、後悔しない道を選んでください。その道に、お嬢様がいれば手助けしてほしいし、あなたが後悔しないのなら、あなたの道を進んでほしいですね」


 ……今の俺は、ジェンシーの盾として少しでも長く活躍することだ。
 ジェンシーにとって、俺はつなぎかもしれない。別の裏表のない優秀なパートナーが見つかれば、俺は捨てられるかもしれない。


「自分の意志なのか、仕方なくでやっているのか。意識の持ち方は大事ですよ」
「ああ、知ってるっす。ありがとう、ジイ」


 正直に言うと、忘れていた。今の俺は、ジェンシーの顔色を窺うために行動を選択している部分が多い。
 生きるために仕方なくジェンシーのパートナーをやるのではなく、ジェンシーのパートナーになりたいと思う必要があるだろう。


「それでは、明日から頑張ってください」


 ジイはそういって、部屋を出て行った。
 俺は仰向けでベッドへ横になり、ゆっくりと目を閉じる。
 今日一日色々あった。
 ジェンシーのこと、ジーニのこと。話せていない後ろめたいこと。
 明日から、いよいよ本格的にパートナーについて学んでいくことになる。
 どれだけ厳しい訓練が待っているのだろうか、どれだけの力が求められるのだろうか。
 歩く道は真っ暗だ。こっちの世界に来てからは、危険が潜んでいる選択は避けていた。
 けれど、これからは必要に応じて選んで行かなければならない。
 ……今日以上に頑張らねばなるまい。
 今は、やりたいこともある。ジェンシーの可愛らしい笑顔に傷を作らないように、俺は全力を尽くすしかない。
 そして、機会があったら、ジェンシーにも真実を伝えなければならない。

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