オール1から始まる勇者

木嶋隆太

第四話



「兄貴……これどういうこと!?」


 ずいっとスマホを向けてくる沙耶の顔は、むくれた様子であった。
 ソファで寝ていた俺は、布団を一枚だけかけて寝ていた。
 部屋に戻ったら、沙耶が熟睡していたのだ。
 よだれまで垂らしやがって、あとで干さないと使えないっての。


「どういうこと、ってなにがだ?」
「兄貴、知ってたよね!? 昨日のドアのことー!」


 沙耶がぶんぶん腕を振り回して、顔を近づけてくる。
 近づいた彼女の可愛らしい顔に、とりあえずは癒されていたが、すぐに眠っていた脳が動きだす。
 沙耶の部屋に迷宮の入り口が出たんだったか。
 それで、沙耶は何も言わなかったことを今怒っていると。
 ぷりぷりしている沙耶も可愛らしいけど、今言っても火に油を注ぐだけだ。


「ドア……迷宮の奴か?」
「そうだよ! ダンジョン、迷宮……なんでもいいけど! そんなものがあたしの部屋にできたなんて、まるで夢みたいだよ! 夢かな!?」
「夢だな」
「夢じゃないよ! 現実に起きていることじゃんっ。昨日なんで教えてくれなかったの?」
「そりゃーあれだ。可愛い沙耶が危険なことに首を突っ込もうとするだろ?」
「危険なんてないよ! ほら、ホームページみてみてよ!」


 彼女がこちらにスマホを向けてくる。冷歌が言っていたように、更新されたようだ。
 人間のレベルアップや、宝箱の存在。
 これからできる限り早く、ダンジョンに人が入れる環境を整えることなどが書かれている。


「それで? 危険だらけじゃねぇか。すぐに入れないって時点でもうダメだろ?」
「そんなの関係ないよっ! レベルアップしたらいいんだよ!? 兄貴だって、こういうの憧れていたでしょ!?」


 ……それはもう二週間以上前のお兄ちゃんの話な。
 お兄ちゃん、とっくにそんなものへの憧れはなくなったんだ。現実は非常なんだよ、沙耶。
 ただ、沙耶には俺が異世界に召喚されていたことは伝えていない。


 ばれていないのは、召喚された時間に戻してもらえたからだ。
 異世界で一ヵ月近く過ごしていたが、戻ってきたのは一ヵ月前……まあ俺たちが召喚された日なのだから、この世界で異世界に召喚されたことを知っている人間は当事者たち以外はいない。


「兄貴ー、ダンジョン行こうよー。きっと楽しい場所だよ!」
「沙耶。あのな……魔物とかがいるかもしれない場所なんだ。何も考えないで入るなんてそんなのは馬鹿のやることだ」
「馬鹿って何! あたしは楽しそうだから行きたいの!」
「それが馬鹿だって言うんだよ」


 浅慮すぎるのだ、沙耶は。
 むーと提灯のように頬を膨らませている。
 はっきりいって愛玩動物のような愛くるしさであり、俺は許可をしたくなったが、ひらひらと手を振る。


「沙耶。迷宮はな、遊園地のお化け屋敷とは違うんだよ」
「お、お化け屋敷より怖かったら嫌だもんね!」


 いやお化け屋敷より怖いんだよ。


「沙耶、ほら見てみろ。勝手に入ったらダメだって、書いてあるだろ?」
「うー、けどこんな自宅のダンジョンなんて誰も気づいてないよ、へーきへーき」
「でも、ばれたときのことを考えたら大変じゃないか?」
「大丈夫、なんとかなるよ!」


 こういう能天気な奴がいるから、ニュースが騒がしいんだな。
 スマホのニュースでは、速報が何度も流れている。
 迷宮に入った人が行方不明になったとか、入ろうとしたものを補導したとか……なんとか。
 テレビをつけたら、それこそもっと騒がしいことになるのだろう。
 ピンポーンとドアチャイムが鳴る。朝早くからくるのは、決まって隣の幼馴染だ。


「桃にも聞いてみなさい。きっと同じことを言われるから」
「……うー、桃お姉ちゃん!」


 沙耶は玄関へと駆けだしていく。
 つーか……時間はまだ六時三十分かよ。
 あと一時間は眠っていたかった。昨日は色々と調べすぎて寝不足だ。


 俺には下村桃という幼馴染がいる。こいつも妹のように可愛いやつで、まあ大切な奴ではあるんだが……。
 俺と沙耶には両親がいない。二人とも俺たちが小学校の頃に事故で死んでしまった。
 沙耶がそこそこ料理はできるのだが、桃はそんな俺たちのためにわざわざ料理を作りに来てくれるのだ。
 理由は他にもあるのだが、俺はそれを気にしないでおいた。


「勇人くん、おはようございます。あなたの奥様、下村桃参上しましたよ」
「……だから、俺には彼女がいるんだから」
「正妻? なんですかそれは。奪えばいいんですよ、奪えば。それでは、朝食の用意をしますね」


 ……理由のもう一つはこれ、だそうだ。
 俺は異世界に召喚されたときに、彼女ができた。相手は異世界の女性でアーフィという。
 そして桃は、そんな俺に対して正妻を奪うチャンスがあると思っているそうだ。
 ……まあ、昔から俺のことが好きだった、らしい。


 遠距離恋愛なんて長く続きません、というのが桃の持論だ。
 俺とアーフィは異世界という普通なら遠すぎるが、大精霊に頼んで週に一度は会えるようにしているから決してそこまでありえない関係ではない。
 まだ二度ほどしかこちらの世界にアーフィは来ていないが、そのたびに桃と喧嘩をしている。


 二人に囲まれている俺としては気分は悪くないけどな。ていうか、むしろ最高に幸せな立場ではあるだろう。
 けど、俺はアーフィが好きだ。だから桃が正妻になるなんてことはない。もちろん、二番目にするという意味でもない。俺は一人の女性を愛するので精一杯だ。
 桃がキッチンに立ち、すぐに料理を作っていく。


「桃お姉ちゃん! あのバカ兄貴を説得してよ! 兄貴、ダンジョンに入っちゃいけないっていうんだよ!」
「部屋に迷宮ができたのでしたか。勇人くんの言う通りですよ。迷宮というのはとても危険なところだとテレビでも語られていたではありませんか」
「……そんなー」
「そうなんですよ。……迷宮で人知れずいつの間にかカップルが出来上がったりしてしまうんです。ええ、そうなんですよ。本当迷宮って危険な場所ですよね。ね、勇人くん」


 ……俺とアーフィが迷宮で恋人同士になったからってそこまで言わなくてもいいじゃないか。
 それに、それでは恐ろしさは伝わらないっての。


「つるはし効果、ってやつだね!」


 吊り橋だアホ。採掘してどうする。
 ていうか、俺たちは別にそういうのじゃない。


「とにかくです。迷宮というのは危険な場所なんです。ですから……国の言う通りやはり中に入らないほうがいいと思いますよ」
「……もう、あたしはせっかく立派なレディーになれると思っていたのに!」
「立派なレディーですか。迷宮に入っても、それは難しいといいますか……」
「じゃあどうしたらいいかな!?」
「それはまず、恋愛をすることですね」
「恋愛……好きな人かぁ」
「いるのか!? お兄ちゃん許さないぞ、そいつを殴り飛ばしてやる」
「落ち着いてください勇人くん。殺人者になるつもりですか」
「まだいないよ!」
「未来にも許さないぞっ」
「……勇人くんは、そういえば酷いシスコンでしたね。しばらく、忘れていました。……アーフィさんに見せれば、もしかしたら幻滅して、そこから破局。傷ついたところで私が慰めてハッピーエンド……」
「なんだか桃お姉ちゃんが楽しそうなこと考えてるねっ」
「いや、恐ろしいことを企てているんだよ。……とにかくだ、何の話だったか。彼氏はまだ早いんだ、わかったな?」
「違うよっ、あたしはダンジョンに入りたいの!」


 ……そういえばそんな話だったか。
 ここまで熱意のある彼女を止める方法は、一度どうにかして迷宮の恐ろしさを体験してもらうしかないのかもしれない。
 けど、それは難しいんだよな。


 沙耶が迷宮を攻略できるように、俺が全力でバックアップしてやるのもいいのだが、それだと俺の能力も伝えることになる。
 能天気なようで、沙耶は俺のことになると結構心配してくれることもある。
 だから、俺が異世界から戻ってきましたなんて言ったら、たぶん素直に信じて、そして凄い心配する。
 心配しすぎて、しばらく食欲が落ちる可能性もある。


 それが嫌だから、俺は沙耶に一ヵ月を伝えていない。
 アーフィを沙耶に紹介したときは、外国人の女性としておいたんだしな。


「ダンジョン入りたい入りたい入りたいー!」


 駄々っ子モードになって、はっきりいって少しうざい。どのくらいかでいうと踏んづけたくなるくらい。
 桃はニコリと微笑み、じゃ、料理作りますからとキッチンに集中してしまった。
 沙耶はこれで中学二年生、なんだよな。もうほんと、甘やかしすぎたのかもしれない。
 俺の祖父母はまったく。
 俺のように厳しさをもって接してもらいたい。


「とにかく、ダメなものはダメだ。わかったな?」
「ぶー、兄貴のいじわる! 大嫌い!」


 き、嫌われた。……や、やっぱり前言撤回しようか。
 一緒に迷宮に入ってあげるからどうか嫌わないで。


「用意できましたよ。手を洗って各自食事をもっていってくださいね」


 桃が料理をキッチンのカウンターに並べていく。
 はーい、と桃には無邪気な笑みを向ける沙耶に、俺はすーっと心に冷たい風が吹くのを感じた。
 さっきの言葉を否定するのも、兄としての威厳が。
 むすっとしたままの沙耶の横顔を眺めて食事をとるしかなかった。





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