オール1から始まる勇者
第二話
「兄貴、兄貴! なんかドアみたいなのができてるんだって! なにかなあれは!」
こいつ、ニュースは見ていないのか? だとしたら、今日はまだなんとかなりそうだ。
「とりあえずなんか履けよ」
パンツ一丁だなんて、兄としては情けない。こんな自堕落な妹になってしまったことに、お兄ちゃん泣きそうだ。
「え? うわ! あたしパンツとシャツしか履いてない! 兄貴見ないで、変態!」
隠すように手をやり、足を組む。
そのせいで、何も履いていないように見える。ある意味エッチだ。
「いいから、さっさと履いてこい」
「ならとにかくあたしの部屋まで来て!」
「なんでおまえの着替えを眺めないといけないんだ」
「ドアを開けたらまたドアなんだよ! どうしようかって話だよっ!」
彼女に無理やり腕を引かれる。それにしても、彼女の体は小さい。まるで小学生だ。
これで中学二年生なんだから、俺とは違う遺伝子を持っているんじゃないかと思うほどだ。
沙耶に引っ張られるまま二階の彼女の部屋に到着する。
部屋に入ると、相変わらず女らしくないというか簡素な部屋であった。
申し訳程度に置かれているぬいぐるみは、全然可愛くない。
口元に血のようなものが垂れているワニのぬいぐるみは、死んだような顔をしている。なぜにこれをチョイスしたのか。
さて、現実逃避はやめようか。
まるで昔からそこにあったように、その扉はぽつーんと部屋を占領している。
いや、あり得るわけがない。
こんな部屋の中央にある使い道のないドアを一体誰が使うというのか。
「なんだよこりゃ」
わかってる。たぶん、迷宮の入り口だ。
俺はさも知らぬふりをする。変に疑ったり、したり顔をして彼女にばれたくないからね。
「こ、こいつが悪いんだよ! いきなり部屋に出てきたからあたしびっくりしちゃって! おかげで明日提出する宿題やってないもん!」
「それは忘れてただけだろ。怪我なかったか?」
「大丈夫だったよ。あたしくらいになると、このくらい余裕だったよ!」
パンツ一丁で慌てて駆け下りてくるってそれ余裕なの?
「ていうか、あれなにかな? なんか未知の香りがぷんぷんするんだよ!」
「……そうだな。とりあえず、危険なものかもしれないからお兄ちゃんが調査するまで、沙耶は触れないようにな」
……けど、彼女はスマホを持っている。
ニュース速報として、すぐに知ることになるだろう。
とりあえず、今夜だけはさっさと眠ってくれたら、その間にこの迷宮の調査をしてしまうのだが。
「うん、わかったよ! ……兄貴、これを調べる前に、英語の宿題手伝ってくれないかな?」
つんつんと人差し指を合わせるように上目遣いで見てくる。
俺の妹はきっと世界で一番可愛い妹だ。
目に入れても痛くはない。妹ランキングがあったら一位だ。
ぎゅっとしたいが、今したらきっと白い眼を向けられる。昔はもっと可愛くて、ぎゅっとするくらい大丈夫だったのに――成長って罪だ。
「……今日だけは手伝ってやる。ただし、次からは自分でやるんだぞ?」
「うん、わかったよ! ありがと兄貴!」
彼女がカバンからプリントを取り出して、机に座る。
……え、この部屋で普通に勉強する気になるか?
背後に無骨なドアがどんとあるんだけど、彼女の肝っ玉だけは据わっている。
「兄貴、どうしたの?」
「いや、なんでもねぇ。……それで、英語か」
なら、余裕だな。
俺は異世界召喚されたときに与えられた力の一つに翻訳の力がある。
力を持ち帰った俺は、英語くらいぺらぺらと理解できるのだ。
……ただし、問題も一つある。
外国人と話すときに日本語でも相手に通用するように聞こえてしまうというくらいか。
だから俺は外国人に道を聞かれたら逃げ出す。ある意味不便。
彼女のプリントをざっとみたが……ていうか、そんなに難しくない文法問題だった。穴埋めをする形式で、こんなの十分もあれば終わるようなものだ。
妹にヒントを出し、なるべく彼女が自分で考えられるようにしていく。
そうしていると、三十分くらいかかってしまった。
「……ふわぁ、頭使ったら眠くなっちゃったよ」
「いや、この部屋で普通に寝ようとするなって」
「……え? ああ、そういえばなんかあったんだよね。……それじゃあ、兄貴の部屋で寝てきてもいい?」
なんかって、迷宮の扱いが雑だ。
「え、お兄ちゃんどこで寝ればいいの?」
「あたし、布団しくの面倒くさい! それじゃあ、お休みね!」
「うん、お休み……」
お兄ちゃんはこき使われる生き物か。
俺は彼女を送り出し、静かになった部屋でドアをじっと観察する。
さっきのニュースが本当なら、これが迷宮の入り口か。
迷宮からモンスターが出てこないとは言っていたが、不安なものは不安だ。
俺はひとまず玄関までいって運動靴を取ってくる。
……異世界のモンスターよりも圧倒的に強い、という可能性もあるがまあ調べてみるしかないだろ。
このまま放置して、沙耶がドアを開けていったら最悪だ。
最悪いつでも逃げる準備と覚悟はしている。
俺は自分の力が使える状態であるのを確認してから、迷宮へと一歩を踏み込んだ。
ドアをあけると、真っ先にあったのは階段だった。
かつかつと一歩ずつ降りていく。階段の先は日本とは時間が違うように明るかった。
……まあ迷宮の構造なんてのは調べたところで、どうしようもならない。
日本でどのような研究がされていたのかはしらないが、科学者なんてこの意味不明な空間に頭を抱えたのではないだろうか。
そう、迷宮なんて人間には理解できないようなものだろう。
俺は軽く肩を回して地面を踏みしめる。
夜寝るためのジャージに、上着はただのシャツ。
とてもではないがダンジョン攻略に来た者の服装ではない。
モンスターは……見たところいない。
広大な草原に、すぐ近くに木々がいくつもあった。
……お、桃がなっている。あれを食べたら、レベルアップとやらをするのだろうか。
俺は近づいて一口食べてみる。桃のみずみずしさが口の中ではじける。
……そこらへんの安い桃よりも何倍もうまいな。
体が、わずかに成長したように感じる。
……俺が異世界でもらった力は、直接的にこの肉体には関係のないものだ。
だから、この成長の恩恵もあるんだろう。
俺、というかクラスメート全員が異世界に召喚され、全員にステータスという力が精霊から渡された。
俺の場合は現地の人――アーフィという女性からプラスでもう一個力をもらっている。
アーフィの眷属になり、肉体の強化をしてもらっているが、それもまた別物として扱われているようだ。
そして、俺たち全員に共通する精霊から与えられた力は、俺たちの肉体自体を強化するというものではない。
しいて言うなら、ゲームの体を身にまとう、という感じか。
HPや筋力といった数値化された体を身にまとい、その間だけステータスと同じ力を得ることができる。
試しに俺はその力――霊体をまとう。
霊体をまとうと薄い光が体を包む。霊体にはHPがあり、ダメージをくらうと弾け飛んでしまう。
まあ、つまり。生身の状態になるんだ。
霊体と生身の体は別物だ。霊体を発動しているだけ、ステータスの力を発揮することができる。
「ガアゥ!」
叫び声とともに迫ってきたのはゴブリンだ。突然空間が歪み、魔物が出現する。
別段、おかしくはない魔物の登場だ。
潰れたような醜い顔に、緑色の肌。
背丈は子どものようであるが、力は人間の大人ほどはあるモンスターだ。
右手にはボロボロの剣を持っている。
それをこちらへと振り下ろす。
急に目の前に現れてなんて挨拶だ。
迷宮のモンスターは人間の近くに現れやすい。
もちろん、別の場所に出現して徘徊するタイプもいるが。
剣がかすると、俺の霊体が砕けちる。あーあ、やっちまった。
クラスメートとともに異世界へ召喚されたのだが、俺の霊体はその中でももっとも弱いステータスだ。
HPは一しかないため、敵の攻撃を受ければすぐに破損してしまう。
霊体のHPは数秒で一だけ、回復する。
一度ゼロまで削られてしまうと、再使用には全快する必要がある。
数秒して、再度展開する。HPが一ということは、数秒で霊体を再使用できるというわけだ。
そして霊体は破壊されたときに衝撃が生まれる。そのおかげで、すぐに生身へと攻撃されることがない。
俺のステータスは筋力と技術という項目以外はすべて一だ。
レベルアップ時に入るステータスをその二つに分配したせいだ。
おかげで、すぐに壊れる霊体のままだが、突破力だけは異常にあるというアンバランスなものに仕上がった。
クラスメートの中でもずば抜けて高い筋力を腕に込め、ゴブリンの顔面を殴り飛ばす。
めきめきとゴブリンの骨が折れ、派手に吹き飛んだ。
すぐに迷宮に吸い込まれるように死体が消滅する。
あとにはゴブリンの素材だけが残った。
異世界ならギルドにでも持っていけは金になったが、日本で素材って意味があるのだろうか。
体の調子は悪くない。霊体の様子は異世界にいたときと遜色ない。
これなら、しばらく探索を続けられるだろう。
とりあえずは、第二階層に繋がる階段でも探してみようか。
まさか、この階層で終わりというわけもあるまい。通常、ダンジョンというのは最低でも十階層程度はあるんだ。
しばらく探していたが、なかなか次の階段が見つからない。
……うん? 壁際に見慣れない道を発見した。階段があるのだろうか? 広大な草原エリアに、こういうのは珍しい。ていうか、初めてみた。
中に入ってみると、足元は先ほどの草原となんら変わりないものだ。
だが、道はどんどん狭くなっていく。……宝でも隠されているのだろうか。
つーか、だめだ。
俺の体だとこれ以上先には進めない。
諦めて少しだけ道を戻る。……怪しげなこの道の先に何かあると思ったが、何かあっても調べられないな。
「ああ、くそっ。いきなりなんだってんだよ……っ」
そんな怒ったような声が聞こえて、俺は道の先を見る。
……誰かが、こっちに来ているのか? 急いで逃げないと、まずいな。
誰かはわからないが、迷宮内で鉢合わせしていいことなんてない。
声は確実に迫ってきている。狭い道を無理やりに通ろうとしているのだろう。気合いのこもった声が届く。
「ったく、せっかくこの前買った同人誌が、読む時間がないっての……。ああ、早く終わらせて……っと!」
ぶつぶつと独り言が激しい。まずいまずい。
一人になってぶつぶつ呟きたくなる気持ちはわからないでもない。俺もたまにあるからな。
だが、それはつまり誰もいないのが前提で、独り言を誰かに聞かれたら顔を真っ赤にしてしまうもんだ。
俺が逃げようとしたが、来た道だって結構狭い。焦りで体がうまく動かない。
「あっ、え!?」
驚いたような声が響き、顔を向けると可愛らしい女性がいた。
狭い道でも通りやすそうな体をしている。彼女の顔が赤く染まっているのがわかった。
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