オール1から始まる勇者

木嶋隆太

第八十九話



 両手足をみっともなく動かしてみるが、それで落下が緩やかになるわけがなかった。
 魔物がいれば、襲われる危険はあるが、落下による死亡はなかったはずだ。
 くそっ。落下をどうにか抑えようとして、そして視界の端でアーフィと空竜が近づいてきているのが見えた。
 ほっと全身から力が抜け、真下を陣取ったアーフィのもとへと落下した。


 アーフィに抱きついて、どうにか空竜の背中へと着地する。
 心臓が一瞬縮んだように感じた勇人であったが、今はもうだいぶ落ち着いていた。
 今あるこの命に感謝さえもしていると、ぽかりと頬に軽い痛みが走った。
 痛みの原因はアーフィの手だ。


「なんでいきなり俺は殴られたんだ? ……もしかして体に触れたからか?」


 半分冗談、半分本気。
 そんな気持ちでの問いで、アーフィは頬を赤らめた。
 アーフィがいまだに眉間に皺を寄せている姿から、もう一つの可能性にあたりをつけた。


「いきなり一人で突っ込んで、あんな無茶な真似をして、私が怒っていないと思っていたの?」
「いや……まさか魔物が消えるとは思っていなくてだな」
「そこではないわ!」
「悪かった。ごめんな」


 誤魔化されてはくれなかった。
 緩やかに空竜が空の散歩を楽しんでいる中、アーフィはぎゅっと俺の手を掴んだ。


「……無茶は、これからもダメよ。例え、元の世界に戻っても……私とあなたの契約は続くのよ」


 これは少し意外だったが、眷属の契約に距離などは関係ないのか。


「終わったんだな」


 空の闇が、またたくまになくなっていく。
 やがて、遠くに見えていた青い空と同じ色が一面を覆っていく。
 眼下にある街では、人々の歓喜の声が重なり、耳にまで届いていた。
 あまりの盛り上がりにしばらくアーフィと顔を見合わせ、その声に耳を傾ける。
 やがて、空竜はゆっくりと城へと向かう。


「よくやってくれた、イマナミ様!」


 騎士たちがわらわらと寄ってきては、そんな賛美の言葉を並べていく。
 彼らをかき分けるようにして、真っ直ぐに落ち着ける場所へと向かう。
 城の内部に到着すると、城内にいたと思われるメイドたちも一斉に現れてはお礼の言葉をぶつけてくる。


 数え切れないほどの言葉に、俺たちは耐え切れず、自分に与えられた部屋へと逃げ込んだ。
 着々と街にいたクラスメートたちも城へと集まっている。
 窓の外から城へと続く道を見ていると、背後から温かな感触に包まれた。


「……これで、終わりね」
「……ああ」
「不謹慎かもしれないけど、まだ続いていれば……よかったとも思っているわ」
「……俺も、もっと一緒にいたかったよ」


 アーフィの震えている声を理解した勇人は、背後に手をやり、頭を撫でる。
 アーフィが目を細め、その表情に心を癒されながら髪の柔らかさをしばらく楽しむ。


『やほー、皆聞こえるかな?』


 そんな声が心中に響き、目を瞬かせる。
 直接このように干渉されたのは初めての経験で、驚くなというほうが難しいだろう。
 突然のその声には聞き覚えがあり、同時に嫌な記憶も甦ってきた。
 大精霊と呼ばれている、この世界の人間たちからすれば慕っている相手だ。


「どうしたの、ハヤト。顔が怖いわよ……?」


 不安げなアーフィの視線に気づき、そこでようやく自分の顔が強張っていることに気づいた。
 たくましく成長した腕をあげ、アーフィに静かにするよう手で示す。
 相手は大精霊で、嫌いな相手である。だが、大精霊が今後を伝えるために干渉してきているのは容易に想像できた。


『無事に私の目的を達成してくれてありがとねー。それじゃあ、明日の朝に送り返してあげるから。それまでの時間に、そっちで出来ることをしておいてね! ばいばーい!』
「……その前に一回あわせろっての」


 ぼそりと呟いたが、返事が来ることもなく干渉は終わった。
 一息をついてから、アーフィに視線を向ける。
 きょとんとした彼女にゆっくりと俺は言葉を続ける。


「明日の朝、俺は自分の故郷に戻るみたいだ」
「……そう。なら……今日が最後ね」
「まだ時間はあるんだ。これから遊びにいくって言うのも悪くはないかもしれないな」
「そうねっ!」


 冗談まじりであったが、アーフィはもう一秒も無駄にはしたくないと手を掴んできた。
 廊下に出たところで、俺たちの部屋へ向かってきていたのだろうリルナと桃とであった。


「やっぱり、ここにいたんだね! 空での戦いちょろっと見たよ!」


 リルナが明るく手をあげ、桃が頷いた。


「凄かったですね。……それで、これからデートですか?」


 からかうように桃が口元に手をあてて笑う。
 リルナも同じような反応をして、アーフィはあわあわと困った様子を見せる。


「リルナ、後で話したいことがあるんだ」
「え? もしかして愛の告白とか?」


 むっと、つかまれている腕に強い力がこもる。
 余計なことを言わないでくれよ。
 頬をひきつらせ、圧迫される腕を解放するために、はっきりと伝える。


「外で戦っていた人たちに、霊体をもっていない奴もいる。それに、宰相のいた町には多くのホムンクルスがいたんだよ。それについて……俺が去る前にリルナに任せたいって話」
「えぇ……私疲れるの嫌だよー」
「頼むよ。任せられるのがリルナくらいしかいないんだ。アーフィも手伝ってくれるだろ?」
「も、もちろんよ。私が何を出来るかはわからないけど……精一杯頑張るわ。……ホムンクルス、といってもあいつらもみんな星族だからねっ」


 ……現状、星族の中でのリーダー的な立ち位置であるのは彼女だ。
 どんっと胸を張ったアーフィに、リルナが頷いた。


「……うーん、まあアーフィも手伝ってくれるなら仕方ないかな。たぶん、今夜には簡単にお別れ会みたいなこともすると思うから、夜までには二人も帰ってきてくれると嬉しいな」
「こんな状況で、そんなことしてくれなくてもいいんだけどな」
「街を元の状態に戻すことも大切だけど、みんなのことお祝いできるのは今だけだからね」


 にこっと微笑んだリルナの笑顔に頷いた。
 俺たちは感謝される立場にあるんだな。
 それを今まで考えてはいなかった。


「……わかったよ。それじゃあ、夜までには戻るよ」


 残っている金も、使うことはないだろう。
 王には残っている金を返し、必要のないものもすべて渡しておいたほうがいいだろう。
 いくつかは、記念に持っておきたいし……そういったアイテムの選別もついでに行っておこうか。


「それじゃあ、ちょっと街のほうに行ってくるか」


 途中レーベリアにあって、事情を説明しておく。
 彼女の理解も得られ、一度レーベリアたちはレベッカに預けたホムンクルスたちを連れに移動した。
 俺とアーフィはそれから街を歩いていった。


「さすがに……結構酷いな」


 もっと早く戻ってくれば……と嘆く気持ちもあったが、口にはしなかった。
 泣いている子どももいれば、自分の子どもを捜す親と思われる人々。
 幸福な人間などこの街に恐らくはいないだろう。


 大なり小なり、この街に住んでいた人には被害があったはずだ。
 そんな不幸の中で、楽しむような気分は薄れてもしまう。
 アーフィも同じだったようだ。けれど、貴重な今だけの時間――俺は彼女の手を引っ張っていく。
 それから俺はアーフィとであったギルドや、アーフィと訪れた店を見ていく。


「懐かしいな。……色々あったよ」
「……あのときは、本当に嬉しかったわ。迷っていた私にわざわざ声をかけてくれて……助かったわ」


 意固地になっていた部分もあるし、桃を大切に思う気持ちもあった。


「あのとき、声をかけてたのは……やっぱりあのときからおまえのことを気になっていたのかもしれない」


 恥ずかしかったが、その気持ちを素直にぶつける。
 きっかけは本当にそれだったかもしれない。自分の感情であるが、はっきりと出来ない部分も多い。
 ……出会いで心をひかれ、触れ合っていくうちに彼女の素直さを感じていった。
 俺の言葉を聞いていたアーフィがぱっと顔を輝かせたあとに、大きく笑った。


「ふ……あははっ」
「笑わないでほしいね。……素直な気持ちを結構頑張って伝えたんだ」
「ごめんなさい。別に馬鹿にしたつもりではないの。……凄い嬉しかったから」


 俺たちは比較的被害の少なかった広場へとついた。
 道は確かに壊されている場所もあったが、他の場所に比べて景色も悪くはない。
 人の通りはなく、落ち着いた空気がそこにはあった。


 まだ、避難所などに多くの人がいるのだろう。街に人々の声は少なく、まるで夜のような不気味さと静けさを混同させていた。
 だが……落ち着くことはできた。無事なベンチに二人で並んで座る。
 俺の右手を、アーフィが強く握り返してくる。


「……こうしていると、凄い落ち着くことができるわね」
「そうだな」


 お互いに視線をあわせ、はにかんだ。



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