オール1から始まる勇者

木嶋隆太

第五十六話 二十三日



 昼食の後、一通り迷宮を回っていったのだが……ベルナリアの言葉がアジダへと届くことはなかった。
 ……それでも、段々とアジダもベルナリアに慣れたようだ。
 会話も少しは増えたか?
 ベルナリアはアジダの視線がないところで、花が開いたような笑顔を浮かべているほどだ。


 もう俺は褒めて伸ばす方向に切り替えた。
 彼女の成功を拍手で褒めれば、段々とベルナリアの表情も柔らかくなっていった。
 そろそろ夕方だ。ホテルへと向かわなければならない。
 遊園地の中のベンチで休んでいたベルナリアを見守る。


「結局、カレッタたちとは出会えなかったな」


 アーフィに聞くと、アーフィは少しだけ寂しそうにした。
 どうしたのだろうか? 次の瞬間には頬が膨らんでいた。


「あなたはやっぱり私とだけではつまらなかったかしら?」
「……そうじゃないよ。単純に……友達同士でもっと楽しみたかったなって話だ」


 大切な、友達だから。
 少しばかり寂しい気持ちが胸に生まれ、それを振り払うように遠くを見やる。
 アジダとベルナリアは黙ったままであり、俺はベルナリアに近づく。
 アジダは少し離れたところで周囲を見やっている。まだやはり、どこか体は強張っている様子だ。


「……ベルナリア。これが最後だ。……もういい加減逃げるのはやめて、きちんと話をしろ」
「わ、わかっているわよ。……けど……あいつの顔を見て話すのって……つらいのよ」


 ベルナリアの耳の先がぐっとおり、それから拳を固めてかたかたと震える。


「……ダメなのよ。人間っていうのは……どうしてもあの時から怖くて。あんたとも、一度も顔をあわせられていないでしょう?」
「俺は別にいいっての。アジダとだけは、きちんと出来るようにしろよ」


 ……ベルナリアはただの恥ずかしがりの奴だと思っていたが、そうか。
 誰かと話すのが苦手なのではなく、怖い、のだ。
 人間に恐怖を植え付けられたベルナリアは、たぶん人間を心の底から信じることはできない。


 アジダは仕方ないとはいえ、ベルナリアを見捨てるような真似をした。それがまた、彼女の心に深い傷を作っている。
 俺だって、ステータスがオール1になったときは頭の中が湧き上がるような怒りに襲われた。
 それでも、あそこで暴れていてはダメだと思った。
 それに……アーフィと出会えたことで俺はそこまで歪むことなく生活できた。


 ……そう。
 言ったら失礼だが、俺よりも騙されやすく、傷つきやすく、悩んでいる彼女がいて……俺は今こうしてここでたっている。
 ……そうだ。
 俺はたぶん……あのときアーフィに声をかけたときにもう――。


「アジダはきっとおまえを守ってくれる。もう昔とは違うんだ……アジダを信じて、そして自分を信じろ」


 落ち着かせるように彼女に声をかける。
 背後にアジダの視線はあったため、彼に言葉を聞かれないようにしながら。
 ベルナリアが顔をあげる。それから、両目に決意を宿らせて深く頷いた。
 彼女はもう大丈夫だろう。アーフィに視線をやると、理解したように立ち上がる。


「何か……あったのか?」


 アジダが近づいてくる。
 ベルナリアにも一応視線を向けられている。


「ちょっと、二人で出かけてくる。アジダ、ベルナリアをよろしく頼む」
「なっ? お、おい!」
「アジダっ」


 アジダが慌てたように俺を止めようとしてきたが、そこでベルナリアが声をあげる。
 彼女は穏やかな笑顔とともに、アジダを見ている。
 アジダは困惑気味だ。
 ……怯える必要はない。何も、自嘲する必要もない。


 素直になれなくても、つっけんどんな態度をとることも、アジダはそれでベルナリアを嫌っていることはなかった。
 アジダは自分の無力さを恨むだけだ……だから、ベルナリアはあのときの気持ち、これまでの行動を謝罪すればいい。


 俺の口から伝えたのでは、アジダも信じてくれることはないだろう。
 けれど、ベルナリア本人ならば別だ。
 ちらと後ろを僅かに見てから、歩いていく。


「……今日は楽しかったわね。久しぶりに、こんなに遊んだわ」
「アーフィ。ちょっといいか?」
「なんだ?」
「いや、な。俺、アーフィのこと全然知らなかったなって思ってさ」
「……それは、どういうことかしら?」
「どうしてアーフィはあそこであんな格好をしていたのか、とかさ。俺は知ろうとはしなかったんだ。アーフィのことを知ったとしてもいつかは地球に戻る。だから、必要のないことだって聞かなかった」


 聞いたところで、何かが出来るわけでもない。
 聞いてしまったら、彼女を置いて一人地球に戻るという選択はできないかもしれないとも考えていたかもしれない。
 だから俺は、深く関わらなかった。


 けれど、アーフィは俺に気持ちを伝えてきた。その気持ちに答えるためにも、俺は彼女をもっと知らなければならないだろう。
 しばらくアーフィは空を見上げるようにして、あーでもない、こーでもないといった風な迷いを見せる。
 それから、困ったように頬をかいた。夕陽を浴びながらの彼女の笑顔は、何にも負けない可愛らしさがある。


「私のことを聞きたい、ということね?」
「ああ」
「どこから話せばいいのかしら……難しいわね」


 頬をかいた彼女は、それから近くのベンチを見つけて指差す。
 並んで座ると、アーフィが思っている以上に緊張しているのが伝わってくる。


「その、少し長くなってもいいかしら?」
「ああ。空に星が浮かんでも、聞き続ける」
「そこまで長くはならないわ。けど……あんまり聞いていて楽しい話でもないかもしれないわよ?」
「そんなこといったら、俺の人生だって人に聞かせて楽しませられるようなものじゃないよ。人生なんて、そんなもんだ」
「そう……なら、話すわよ」


 咳払いのあとに、アーフィはゆっくりと柔らかそうな唇を震わせる。


「私は生まれてからずっと、ある施設にいたの。そこで捉えられていた両親から、私は生まれたの」


 アーフィは外の世界をまるで知らなかったのか。


「毎日毎日、研究が行われていたわ。私たちの細胞をとって、何かをするつもりだったらしくてね。……父と母は五年くらい前には死んでしまってずっと私は実験を受けていたわ。ある日、……あれはハヤトと出会う少し前ね。凄い地揺れが起きたのよ」


 地震か。


「なんだったか……研究所に生き残っている人はどこかの国で精霊の使いの召喚の準備がどうたらって言っていたわ。たぶん、ハヤトたちのことね」


 俺たちの召喚のために、そんなことが起こっていたんだ。
 そこまでして召喚なんてしなくていいのに。


「研究所の施設は崩壊して、私を拘束していた結界も完全に使用不可能になっていたのよ。……あのままあそこにいるのは嫌だったから、逃げたの。両親が外の世界について色々教えてくれたからね。右も左もわからないままに、毎日ひたすらに走った。街につくと、冒険者ギルドに行くと良いと教えてもらって、そこでも結局わからなかった。言葉は通じるけど、私には星族としての証があったから、おいそれと会話するのも怖かったのよ」


 ……確かに、あのときのアーフィは本当に無知だった。


「……そんな困りきっていた中で、ハヤトが声をかけてくれた。不安だったし、怖かったけど……母が、私に声をかけてくれる男の顔を見て、いやらしい顔をしていたら逃げろ、それ以外だったら甘えてみると良いと教えてくれて……ハヤトはいらしくなかったから、こうして今も一緒にいるの」


 母親の教え方は正しいような気もしないでもなかったが、極端だなと感じた。
 彼女の話は丁寧だった。
 いつ聞かれても良いようにと準備をしていたのかも。


 彼女は最後を笑顔で締めた。
 アーフィの今までの人生について考えてしまう。まるで実験動物のように管理されていた生活に、彼女は一体どれほどの喜び、楽しみを見出せただろうか。


 家族さえもいなく、人と関わることもできない。毎日恐らくは決まった内容を繰り返し、そして日々をすぎていく。
 あまりにも無機質で変わらない日々。つまらない毎日に、どれだけの時間が奪われていったのだろうか。


「施設での研究……は大丈夫だったのか?」


 返答が思い浮かばなかったが、この発言はないだろう。
 言ってから否定するように手を動かすが、アーフィは苦笑だけを浮かべた。


「苦しかったけど……それでも、死ぬようなものではなかったわ」
「……それは大丈夫じゃないんだ、アーフィ」
「星族なら、大丈夫って言っていたわよ」


 アーフィの考え方がおかしいのは、そんな環境で生きてきたからだろう。
 よく、ここまで最低限の生活ができていると感動するほどだ。


「おまえは星族だけど、人間と同じだ。苦しいこと、嫌なことを黙る必要はないんだ」
「……そういってくれるのは、ハヤトだけよ」
「俺だけじゃないよ。桃も、リルナもカレッタも……みんなきっと言ってくれる」
「そうだったら……嬉しいな」


 アーフィの話に一区切りつき、しばらく周囲に視線をやる。
 ……夕陽から夜空へと切り替わっていく。迷宮内の時間は、ほとんどの場合外と同じだ。
 まあ、迷宮によっては例外もあるんだけど。
 隣に並ぶアーフィは周りに影響されたのか、ぐっと手をつかんでくる。
 不意の一撃にくらっときそうになる。


「……嫌?」
「別に。戻ろうか」


 別に悪い気はしない。アーフィと手を繋ぎ、彼女とともにベルナリアたちのほうへと向かった。
 ……そこでは、アジダとベルナリアが並んで座っていた。
 話に一段落がついたようで、アジダもベルナリアも穏やかな顔をしている。


 近くまで行くと、アーフィが手を離す。見られるのは恥ずかしかったし、よかったよ。
 ベルナリアは気持ちを伝えられたようだ。アジダもまた、彼女の言葉を聞き心のつっかえが少しは取れたはずだ。
 彼らとともにホテルへと向かう。
 途中、アジダから離れたベルナリアが髪の先をいじりながら頭を下げてきた。


「……ありがとう。あんたたちのおかげで、あたしようやく少し気持ちを伝えられたわ」
「具体的にどのくらいだ?」
「昔から今までにしてきた態度の謝罪、それと……昔のように接してほしいってことを伝えたわ。アジダは何度も謝ってきたけど……謝るのはあたしのほうだっていうのにね」


 アジダはずっとそのことを気にかけていたのだろう。
 自分を責め続け、自分が悪いと考えていた彼は、その言葉を伝えることで一つの終わりとしたかったはずだ。
 アジダの顔は晴れやかなものへと変わっている。
 ベルナリアに怯えることもなく、堂々とした足取りでホテルまでの道を歩いていた。



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