痴漢されている美少女を助けたら一緒に登下校するようになりました

木嶋隆太

第一話 痴漢

(……綺麗だな)


 入学式の日のことだった。
 戸高とだか浩明ひろあきはたまたま道に迷っていた女性に声をかけられていた。


「その制服、同じ高校だよね?」
「あ、ああ」
「よかった……。ちょっと一人だと不安で……一緒に行かない?」


 そう言ってきた彼女に、浩明は小さく頷いた。
 その女性は、早水はやみず華恋かれん


 瞬く間に学校内で話題になるほどの美少女で、入学式の日以降。浩明が彼女と関わることは一度もなかった。


 立場が違った。華恋は校内でもっとも目立つグループにいた。
 浩明はその真逆だった。


 二度と関わることはない。
 そう思っていた浩明は、電車の中でそれを目撃してしまった。




 〇




 浩明ひろあきは顔を顰めるしかなかった。


(……最悪だ)


 いつも乗っている電車は、今日も満員。電車は一度遅延したこともあり、いつも以上の人であふれていた。
 読書するようなスペースはなく、何なら多少のボディタッチがあっても問題にはできないほどの人の多さだった。


 だからといって、痴漢はダメだろう、と浩明は視線を落とした。
 浩明の視線の先には、早水はやみず華恋かれんがいた。


 栗色のロングヘア―は、今日も輝いていて、艶のある美しさを保っていた。
 そんな誰もが見とれるような彼女の表情は青ざめていた。
 口に出したい、けどできない、そんな表情だ。


(……早水が自分でいいだすのが一番だけど――言い出せそうにないんだよな)


 彼女と同じ駅から乗っていたこと、同じ車両に乗り込んでいたことなど、驚くことはいくつもあったが、この非現実的な状況がそれらすべてを脇に置いた。
 夢はラノベ作家、と本気で思う程度のオタクであり、朝の通学に使う電車内での日課は読書。
 そんな世の中探せばそれなりにいそうな男の一人でしかない浩明は、一度息を吐いた。


(助けないと……けど、面倒なことに巻き込まれるのは嫌だ……警察沙汰とか、そういうのは……)


 華恋とはただのクラスメートなだけで、それ以上の関係はない。
 浩明はちらと周囲を見た。誰か、他に気づいている人がいないかどうか。
 そんな探るような動きを繰り返す。


 警察沙汰にでもしたほうが、問題をすっぱりと解決できるのだが、警察に関わるような行動は精神的に嫌だった。


 浩明は、華恋の尻を触っている男の顔を見る。
 一度小さくため息をついた浩明はその両目に力を込めた。
 電車の揺れにあわせ、持っていたカバンを揺らす。


「ぐあ……っ!」


 男の唸るような声が聞こえた。
 一撃は、痴漢をしていた三十代半ば程度の男の額に直撃したのだ。


 男は一度浩明を睨んだ。
 しかし、浩明がちらと視線を彼の手に向けた瞬間、男の顔が青ざめた。


(これでビビる程度なら、やめとけよ最初から)


 生まれつき、目つきが悪い浩明の顔もあってだろうか。
 男は満員電車の中で逃げるように移動を行う。


(……別の被害者が出るかもしれないから、正しい対処、ではないんだろうけど)


 わずかながらの彼の良心を信じて、浩明は彼を追うような真似はしなかった。
 生まれたスペースでようやく本を取り出すことができた浩明は、読書を始めた。


 次の駅についたところで、何名かが下りた。
 さらに余裕の生まれた電車の中、華恋がほっとしたような息をつく。
 そして、華恋は浩明の隣に並び、そっと口を動かした。


「……あ、ありがと」
(別に感謝されたくてやったわけじゃない)
「別に……」


 あまり人と話すのは得意じゃなかった浩明はぶっきらぼうに答え、視線を本に戻した。


 やがて電車は目的の駅につき、そこで二人は別れる。
 ここからはいつも通りの日常――浩明はそう思っていた。




 〇




 次の日の朝だった。
 駅へと向かった浩明は、一つしかない駅の入り口できょろきょろと周囲を見ていた女子生徒を見つけた。
 華恋だ。彼女は何かを、あるいは誰かを探すように左右を見つづけていた。
 その視線は浩明を見たところで、止まった。
 ふわりと、花が開くように笑う。女性の笑顔を見慣れていない浩明にとっては、効果抜群だった。


「……おはよう」
「……おはよう」


 声をかけられた浩明は思わず周囲を見る。それは本当に自分に声をかけてきたのか? という疑問からくる行動だった。
 それだけ、浩明には出会いがなかった。


「電車、一緒に乗ってもらっていい?」
「……」
(もしも、学校の人に見られたら……変な誤解を受けそうだな。それに、他に誰かいないのか?)


 いくつもの思考の中で華恋が震えていることに気づいた浩明は、ぽりぽりと頬をかくしかなかった。
 スクールカースト最上位に位置する彼女が、そんな仕草を見せていることにあまり現実感がなかった。
 都合の良い夢を見ている、と言われたほうが納得できるほどだ。


「他に、誰か知り合いいないのか?」


 慣れていない女子との会話。
 浩明の独り言のような言葉に、華恋はそっと頷いた。


「……こっちに住んでる人はいないみたいなんだ。だから、お願いできないかなと思って」
「そう、か」


 明確な許可を出してはいないが、華恋は浩明の後ろに並んだ。
 昨日の今日。電車に対して不安を覚えるのは当然だ。


 浩明は華恋をちらと見る。彼女の不安を少しでも和らげられるなら、一緒に行動すること自体に文句はない。
 痴漢撃退の中では、あまり褒められるやり方ではなかったのも、浩明が一緒に登校するのを許した理由だった。


(学校の人に誤解されることは……まあないか)


 どうみても釣り合わない。たまたまクラスメート同士で電車に乗った、その程度にしか映らない。


 浩明は定期の入った電子カードをかざす。まもなく、背後で同じように華恋も改札を抜けた。
 朝七時半の駅構内は、非常に混んでいた。
 長くなった待ち列の最後尾につき、そこで浩明はちらと華恋を見た。


(……めっちゃ、緊張する)


 浩明は女性が苦手だった。
 本にはまったのは中学の頃。それから、様々なジャンルの本を読み、ライトノベルというジャンルに強い興味を抱いた。
 昔から人と話すのが苦手で、それをからかわれるのが嫌で自分の世界に塞ぎこんだのがきっかけだった。


(……何か、話したほうがいいのか? いや、でも……向こうだってただ、怖くて仕方なく俺を頼ってきただけだろ? それで声をかけるって……なんか、変だよな)


 結局浩明は黙っていた。


(そもそも、俺が振れる話題もないし、な。変なこといって、気持ち悪がられても嫌だし、黙っておこうか)


 声をかけられることも嫌だった浩明は、いつものように本を取り出して、それに視線を落とした。
 ちらと、華恋が時々見てくるのを分かっていた浩明だったが、それに気づかないふりをした。


 そうして、お互いに電車に乗り込んだ。
 華恋をドア近くに配置し、浩明はその前に立っていた。痴漢から守るための位置取りだ。


 電車で揺られること二十分。高校最寄りの駅で降りた。
 人の流れに乗って駅を歩き、そしてようやく解放された。


「……ありがとう」
(……可愛いな、さすが、校内一の美少女って言われているだけある)


 彼女の嬉しそうな、少し照れたような笑顔に、浩明はすっかり見とれてしまった。


「……ああ」


 なんとかそれだけの返事をして、浩明は片手をあげる。
 ぺこり、と華恋は軽く頭を下げてから高校に向かって歩きだす。
 別れたことに、わずかな寂しさを感じながらも、浩明の心には安堵もあった。


(一緒に登校していること、ばれたら嫌ってことだよな……けど、まあ、一緒に登校なんてしたら、誰かに目をつけられるだろう。からかわるかもしれないし……早水に迷惑だよな)


 浩明もいつものように学校へと向かう。
 それでも、時々華恋の笑顔を思いだして、頭をかいていた。

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