夜をまとう魔術師

牛乳紅茶

35 半分の力

「魔力の核が半分だと、使える力も半減するというのは本当だったようだな」

アヒムはそのまま歩を進め、地面に落ちていたフェリクスの剣を拾う。
突然の出来事にトゥリカは状況が飲み込めず、テオとアヒムとを交互に見た。余裕ありげに笑うアヒムに対し、テオが心なしか険しい面持ちをしているように見えた。

「フェリクス殿、やはりあなたには無理だ。お引きください」

アヒムがあごをしゃくり、随分と慇懃な態度を示した。フェリクスはきつく眉を寄せたままよろよろと立ち上がり、剣をアヒムの手に残したまま後ろに下がろうとした。
しかし、

「殿下。そちらではなくあちらですよ」
「貴様……なにを考えている?」

ゆらり、と銀色の刀身が宙を漂うように動いた。切っ先が向けられた先はテオやトゥリカたちが立っている側だ。

「アヒムっ! 私になにかあればこの国がどうなるかわかっているのか?」
「そんなことわかってますよ。ですがね殿下。我々の目的はトゥリカ様にこの国を出て行っていただくことですから、あなたの三人の弟君のどなたかに娶っていただければなんの支障もありません。つまりあなたの替わりはまだ三人もいるということですよ」

アヒムの言葉にトゥリカは自分の耳を疑った。そのまま呆然としていると、アヒムが言葉を続けていく。

「まったく、散々ですよ。塔の魔術師に会えるよう取り計らう替わりに、時期が来たら和平を条件にトゥリカ様を求めて欲しいとお願いしただけだというのに、勝手に魔術師討伐を申し出るなど正気の沙汰とは思えません。――殿下に過度な期待をしてしまった我々の落ち度は認めますが、王位だけならともかく、まさか恋にまで盲目的な方だとは思いませんでしたからね」

アヒムがにやりと笑ってフェリクスを見た。
その光景を目の当たりにしたトゥリカは嫌悪に肌を泡立てる。長年父を支え、仕えるアヒムを見てきたが、今の彼はトゥリカが知っているアヒムではない。まるで別人だ。

「アヒム!」

その時だった。
アヒムたちの背後の茂みの中から長身の男が姿を現した。
風にそよぐ漆黒の髪を確認して、トゥリカはほっと息をつく。なぜなら現れた青年がオルフだったからだ。
とうとう騎士団が到着したのだ。この現状を見ればテオの容疑も晴れるはずだ。
トゥリカはそう思いオルフに駆け寄ろうとした。しかし、

「ダメだ」

テオの制止を促す声がトゥリカの身体を止めた。
わけがわからずテオに視線を向けようとしたトゥリカだったが、瞬間、妙な感覚に襲われた。
身体が――指一本すら動かないのだ。かろうじて動かせるのは顔の筋肉だけ。
ゲルトが動きを封じる術をかけたのだろうと言うことはすぐに理解できた。

トゥリカは何とか視線を巡らせて周りを確認する。テオやフランツ、フェリクスまでもが同じ状態のようだ。皆、苦しげに顔を歪めてアヒムとゲルト、そしてオルフを睨んでいる。

「オルフ……?」
「オルフ殿。こちらには来ないはずでは?」
「お前たちだけに任せるには不安だ。ティルダの件で失敗してるからな。案の定、余計なことをべらべらとしゃべりやがって……。それを渡せ」

トゥリカの視界の中で、まるでそれが当たり前のことだとでも言うようにオルフがアヒムから剣を受け取っていた。
トゥリカは信じられない光景に愕然とし、オルフを凝視する。

「トゥリカ様、ご機嫌はいかがですか? まさか、あなた様がこちらにいらっしゃるとは思いませんでした」

オルフがトゥリカもよく知る笑顔を浮かべ近づいてくる。正面まで来たところで、オルフの剣が動いた。
咄嗟に目をつむったトゥリカだったが、剣の刃に身体を引き裂かれることはなかった。かわりに、頬に冷たいものが頬に触れる。薄く目を開けると刀身がひたひたと当たっている。

「ど、うして……?」
「愚問だな。見たままだ。わかるだろ?」

トゥリカのか細い問いに対して、オルフが笑みを深くし口調を変えた。
遠い過去を彷彿とさせるオルフの話し方。一時期は望んだこともあったはずなのに、今は耳を塞ぎたくなる。

「わからないわ。なんのためにこんな……」
「なんのためにだって? 決まってるだろ。揺るぎない実権だ。まあ、世継ぎの立場が生まれながらに確立されていたあんたにわからなくても仕方ない」
「あ、あなた、いったい誰?」

思わず口をついてそんな言葉が出た。
漆黒の髪に黒曜石の瞳。笑うと目尻に皺が寄って、途端に凛々しさよりも幼さが際だつ面立ち。そのどれもが子供の頃から知っているオルフのものだったけれど――。

「あなたなんて知らない。オルフじゃないっ!」

トゥリカがそう叫んだ瞬間、オルフの目が不愉快そうに細められた。

「じゃあ誰だと言うんだ? 俺は間違いなくあんたが惚れてる男、オルフだよ」

くつくつと喉の奥から笑い声をこぼすオルフの言葉に、トゥリカは瞳を大きく見開いた。
そんなトゥリカの反応になにか思うところがあったのか、オルフは今度は高らかに声を上げて笑い出す。

「なんだ? 気づかれていないとでも思っていたのか? あんなにあからさまに見つめられてりゃあ誰だってわかるだろ。ティルダだって気づいていたくらいだ」

オルフの声がトゥリカの脳内にガンガンと響く。空気を求める魚のように唇を動かして、言葉を探したが、あまりに衝撃を受けすぎたせいでうまく声が発せない。

「それ以上彼女を侮辱するならその腸を全て引きずり出してやる」
「黙れ、魔術師。お前とは話してない」
「あ……ティル、ダが……」

ようやく出せた言葉はそれだけだったが、オルフの方はその意を察したのだろう。これでもかと口角を持ち上げ、身体を折って笑い始めた。

「ああ、気づいてた。式の三日前になって急に結婚をやめると言い出したんだ。あんたに気を遣ってな。おかげで計画に余計な手間が増えた。あの場に塔の魔術師が現れてくれたのは嬉しい誤算だったがな」

オルフの言葉でトゥリカは確信した。オルフがティルダに術をかけるよう指示をしたのだ。アヒムたちとのやりとりを見ていてうすうすは感じていたが、こうして耳で聞くと改めて怒りが沸々とわき起こる。

「あんたをコルトヌークに追いやったあとティルダと結婚さえすれば実権は俺のものだ。罪は全て魔術師が負ってくれる」
「……ティルダはあなたを本気で想っているのに、なにも感じないの?」
「心外だな。俺だって愛してるさ。国のことも政治のこともわかっていない愚かで可愛い女だ。あんたもティルダくらい女王の器に欠けていたら可愛がってやれたんだがな。まあ、今からでも遅くない。俺に従うなら思い出の一つくらい身体に刻みつけてやってもいい」

言葉とは裏腹な優しげな笑みを浮かべ、オルフが剣を持たぬ方の手をトゥリカの腰に回した。
その態度にトゥリカの頭の中は燃えたぎるように真っ赤になる。

「触らないで! あなたへの想いなんてとっくになくなってるわ! 蛙と寝た方がよっぽどましよ! ティルダのことだって不幸にさせやしない!」

そう言い放った瞬間、左頬に熱い痛みが走る。頬にあてがわれていた剣の刃を立てられたのだ。
至近距離、オルフが怒りの形相を浮かべている。それでもトゥリカは負けじと睨み続けた。
束の間の沈黙のあと、先に目をそらしたのはオルフの方だった。彼は剣を下げ、顔の向きを変える。

「ゲルト! さっさとこの女にティルダと同じ術をかけろ! コルトヌークに売るにしてもこれでは使い物にならない。姉妹そろって邪魔ばかりしやがって……」
「いや、それが……」

離れた場所に立っていたゲルトが困った様子で長い白髭をさすった。

「なんだ?」
「その……トゥリカ様には術がかかりにくいようでして。先ほども捕縛の術を同時にかけたにもかかわらず、トゥリカ様だけかかるまでの時間に差が出ました」

ゲルトの言葉を聞いたトゥリカは、先刻、テオがなぜ自分を引き留めたのか納得した。あの時点でテオたちの身体の自由は奪われていたのだ。そこに理由なく術のかからない者がいれば敵と見なして当然だろう。また、トゥリカは自分に術がかかりにくい理由も大体わかっていた。

以前、テオに言われていたからだ。核の加護は有効だ、と。きっとそれがなんらかの関与をしたのだ。
状況を分析するトゥリカとは対照的に、ゲルトの返答を受けたオルフはみるみる顔を引きつらせていった。

「ならば、全員この場で始末しろ! 継承権がティルダに移りさえすればいいんだ!」

そう言い捨てて、オルフが苛ついた様子できびすを返す。
トゥリカはその姿を見つめ、遠ざかる背中に仲の良かった子供の頃の面影が微塵もないことを改めて思い知らされている気分だった。
トゥリカは一度まぶたを閉じ、過去との決別をすると口を開く。

「テオ。あなたならこんな術すぐに跳ね返せるのでしょう?」

トゥリカは今の自分に出せる精一杯の声でテオに訊ねた。
しかし、テオからの返答はトゥリカの希望を打ち砕く内容であった。

「残念だけど難しいよ。さすが宮廷魔術師だ。加護があるはずの君にまで時間差があるとはいえ術がかかってる。腕は随分いいようだね」
「感心してる場合じゃないだろっ! どうにかしてよ!」
「今考えてる。君たちはともかく、彼女を死なせるつもりはない」
「フランツ殿下。彼には無理ですよ」

声を張り上げたフランツに、ゲルトがしゃがれた声で笑った。
昔から、トゥリカはゲルトのこの笑い声を聞くとどうしようもなく悪寒が走ったが、今は特にそれをひどく感じる。

「現在の魔術師殿には昔ほどの力はないですよ」

ゲルトの言葉にトゥリカはあっと声を上げ、視線をテオに向ける。

「私に核を与えたから、ね……?」
「塔の魔術師ともあろう者が核を他人に与えるなどとアヒム殿に聞いたときは信じられなかったのですが、まったく愚かなことだ」

トゥリカの言葉を引き継いで、ゲルトが嘲笑を浮かべた。

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