夜をまとう魔術師
32 再会
生い茂る木々の隙間から見える塔を頼りに、トゥリカは森の中を進み続けた。
腰の高さほどの灌木の枝がドレスの裾や足下に引っかかる。時にそれは、トゥリカの白い肌に赤い筋をいくつも刻んだ。
トゥリカがだんだんと塔に近づくのに呼応するように、どこかから聞こえてくる獣の咆吼を思わせる男たちの雄叫びも次第に大きくなっていった。
軍勢がもうそこまで来ているのだ。
テオに迫る危機を感じ取って、トゥリカはいっそう足を速めた。
ようやく鬱蒼とした木立を抜けひらけた場所に出る。
トゥリカはそこに見覚えがあった。
数日前、都からテオに連れてこられた場所だ。
顔を上げると、空へと伸びる塔がそびえその近くに屋敷がある。
ほんの少し離れていただけだというのにひどく懐かしさを感じた。
トゥリカは屋敷の玄関へと走り寄った。そして、間をおかず両の拳で玄関扉を力一杯叩く。
「テオっ! いるのでしょう? お願い、開けてっ!」
どんどん、と繰り返し叩くたびに、扉がガタガタと振動する。
「あなたに伝えることがあるの。王宮から兵士達が攻めてきているわ。お父様はあなたを罰するつもりなのよ! もうすぐそこまで来ているの。だから、早く逃げ――」
トゥリカがそう叫んだところで、扉がゆっくりと開いた。
扉の影から微苦笑を浮かべたテオが顔を出したので、トゥリカはその腕に飛びついた。
「早く逃げて。ここにいては危ないわ」
トゥリカはまくし立てたが、テオは対照的に落ち着いた様子を返すだけだった。
「まったくなんのために帰したんだか。無茶ばかりするお姫様だね」
テオはまるで独り言のように呟き、トゥリカの頭にぽんと手を置いた。
全く動じていないテオに腹を立て、トゥリカは頭の手をそっと払いのけ睨んだ。
「初めて名前で呼んでくれたのは嬉しいけど、出来れば笑顔で呼んで欲しかったな」
「のんびりしている場合じゃないんだったら! お父様たちに捕まってしまったらなにをされるかわからないのよ」
「君に会いに行ったときから、罪を問われる覚悟はしてたんだ。僕のことはいいから、そこまで来ている兵たちに保護してもらいなよ」
「いやよ。あなたを逃がすまで絶対に帰らない!」
「――君は僕がどんな暗示をかけようとしたのか思い出したんだよね? そんな男がどうなろうとどうでもいいだろ」
「どうでもよかったら苦労してここまで来たりしないわ!」
話の通じないテオに憤り、トゥリカは思わず声を荒げて叫んだ。
恩を着せにきたわけではない。ただ、テオに生きていて欲しいから来たのだ。
生まれてからずっと王宮の中で守られて育ってきたトゥリカにとって、地下通路を抜けてくる道のりは決して楽なものではなかった。それなのに、テオはこちらのそんな気持ちを無下にするように自分を拒む。
それが悔しくてたまらなかった。
「どうしてわかってくれないの……?」
呟いた拍子に涙がこぼれた。
目の前のテオが表情をこわばらせたのがトゥリカにもわかった。
「まいったな……」
テオがぽつりと言って、トゥリカの髪に再び触れた。
トゥリカは口元を押さえ必死に泣くのを堪えようとした。けれど、一度緩んでしまった涙腺はなかなか止められない。
「ごめんね。こんなにボロボロになってまで来てくれたのにひどいこと言って」
ひとしきりトゥリカの髪をいじっていたテオの手がすっと離れる。
どうやら髪についていた埃や蜘蛛の糸を取ってくれたようだ。
「……汚れてるから触らない方がいいわ」
この状況で言うのも間抜けだとは思ったが、涙を見られた手前、恥ずかしさからトゥリカはそう告げて頬を手の平でこすった。
そのあと、ちらりとテオを見上げると、彼は微かに頬笑んでいた。慈しむようなまなざしをたたえたその表情を目の当たりにして、トゥリカは再び自分の頬を両手で覆った。
ただし、今度は涙を拭うためではなく、熱くなった頬を誤魔化すためだ。
「とにかく、早くここを離れた方がいいわ」
髪の汚れをあらかた取ったあともなお、頭を撫でてくるテオの手を避けて、トゥリカはふいと顔をそらした。
「君はそのあとどうするの? 僕を逃がしたってことが知れたらまずいんじゃない?」
「私は大丈夫。お父様だって私にまで危害が及ぶようなことはしないはずだわ。だって、私にはまだ役目があるもの」
「役目?」
テオが小首をかしげたのを見て、トゥリカはあっと口をつぐんだ。
自分の心を欲しいと言っていた男に、この戦いが終わったら他国に嫁ぐなどと言うのは憚られる。それに知られたくはないとも思った。しかし、同時に言ってしまおうかという誘惑にも駆られる。本当のことを告げれば、彼は自分を連れて逃げてくれるだろう。
(でも……)
トゥリカはそこまで思ってかぶりを振った。
テオの気持ちを利用した卑怯な逃げ方はしたくない。
「ええ。全て終わればティルダの結婚も控えてるし、私は世継ぎですもの。することはたくさんあるの」
トゥリカがそう偽ると、テオはこちらの感情を知ってか知らずか、どこか困ったように眉を寄せて笑った。
その直後、
「えっ?」
唐突にテオの腕が伸びてきたかと思うと、手を掴まれそのまま引き寄せられる。
「君は嘘をつくのが下手だね」
囁きがごく間近で聞こえた。
トゥリカは一瞬、抱きしめられるのかと思って身を硬くしたが、自分の身体はテオの横を通り、前のめりで屋敷の中に足を一歩踏み入れるだけだった。
腰の高さほどの灌木の枝がドレスの裾や足下に引っかかる。時にそれは、トゥリカの白い肌に赤い筋をいくつも刻んだ。
トゥリカがだんだんと塔に近づくのに呼応するように、どこかから聞こえてくる獣の咆吼を思わせる男たちの雄叫びも次第に大きくなっていった。
軍勢がもうそこまで来ているのだ。
テオに迫る危機を感じ取って、トゥリカはいっそう足を速めた。
ようやく鬱蒼とした木立を抜けひらけた場所に出る。
トゥリカはそこに見覚えがあった。
数日前、都からテオに連れてこられた場所だ。
顔を上げると、空へと伸びる塔がそびえその近くに屋敷がある。
ほんの少し離れていただけだというのにひどく懐かしさを感じた。
トゥリカは屋敷の玄関へと走り寄った。そして、間をおかず両の拳で玄関扉を力一杯叩く。
「テオっ! いるのでしょう? お願い、開けてっ!」
どんどん、と繰り返し叩くたびに、扉がガタガタと振動する。
「あなたに伝えることがあるの。王宮から兵士達が攻めてきているわ。お父様はあなたを罰するつもりなのよ! もうすぐそこまで来ているの。だから、早く逃げ――」
トゥリカがそう叫んだところで、扉がゆっくりと開いた。
扉の影から微苦笑を浮かべたテオが顔を出したので、トゥリカはその腕に飛びついた。
「早く逃げて。ここにいては危ないわ」
トゥリカはまくし立てたが、テオは対照的に落ち着いた様子を返すだけだった。
「まったくなんのために帰したんだか。無茶ばかりするお姫様だね」
テオはまるで独り言のように呟き、トゥリカの頭にぽんと手を置いた。
全く動じていないテオに腹を立て、トゥリカは頭の手をそっと払いのけ睨んだ。
「初めて名前で呼んでくれたのは嬉しいけど、出来れば笑顔で呼んで欲しかったな」
「のんびりしている場合じゃないんだったら! お父様たちに捕まってしまったらなにをされるかわからないのよ」
「君に会いに行ったときから、罪を問われる覚悟はしてたんだ。僕のことはいいから、そこまで来ている兵たちに保護してもらいなよ」
「いやよ。あなたを逃がすまで絶対に帰らない!」
「――君は僕がどんな暗示をかけようとしたのか思い出したんだよね? そんな男がどうなろうとどうでもいいだろ」
「どうでもよかったら苦労してここまで来たりしないわ!」
話の通じないテオに憤り、トゥリカは思わず声を荒げて叫んだ。
恩を着せにきたわけではない。ただ、テオに生きていて欲しいから来たのだ。
生まれてからずっと王宮の中で守られて育ってきたトゥリカにとって、地下通路を抜けてくる道のりは決して楽なものではなかった。それなのに、テオはこちらのそんな気持ちを無下にするように自分を拒む。
それが悔しくてたまらなかった。
「どうしてわかってくれないの……?」
呟いた拍子に涙がこぼれた。
目の前のテオが表情をこわばらせたのがトゥリカにもわかった。
「まいったな……」
テオがぽつりと言って、トゥリカの髪に再び触れた。
トゥリカは口元を押さえ必死に泣くのを堪えようとした。けれど、一度緩んでしまった涙腺はなかなか止められない。
「ごめんね。こんなにボロボロになってまで来てくれたのにひどいこと言って」
ひとしきりトゥリカの髪をいじっていたテオの手がすっと離れる。
どうやら髪についていた埃や蜘蛛の糸を取ってくれたようだ。
「……汚れてるから触らない方がいいわ」
この状況で言うのも間抜けだとは思ったが、涙を見られた手前、恥ずかしさからトゥリカはそう告げて頬を手の平でこすった。
そのあと、ちらりとテオを見上げると、彼は微かに頬笑んでいた。慈しむようなまなざしをたたえたその表情を目の当たりにして、トゥリカは再び自分の頬を両手で覆った。
ただし、今度は涙を拭うためではなく、熱くなった頬を誤魔化すためだ。
「とにかく、早くここを離れた方がいいわ」
髪の汚れをあらかた取ったあともなお、頭を撫でてくるテオの手を避けて、トゥリカはふいと顔をそらした。
「君はそのあとどうするの? 僕を逃がしたってことが知れたらまずいんじゃない?」
「私は大丈夫。お父様だって私にまで危害が及ぶようなことはしないはずだわ。だって、私にはまだ役目があるもの」
「役目?」
テオが小首をかしげたのを見て、トゥリカはあっと口をつぐんだ。
自分の心を欲しいと言っていた男に、この戦いが終わったら他国に嫁ぐなどと言うのは憚られる。それに知られたくはないとも思った。しかし、同時に言ってしまおうかという誘惑にも駆られる。本当のことを告げれば、彼は自分を連れて逃げてくれるだろう。
(でも……)
トゥリカはそこまで思ってかぶりを振った。
テオの気持ちを利用した卑怯な逃げ方はしたくない。
「ええ。全て終わればティルダの結婚も控えてるし、私は世継ぎですもの。することはたくさんあるの」
トゥリカがそう偽ると、テオはこちらの感情を知ってか知らずか、どこか困ったように眉を寄せて笑った。
その直後、
「えっ?」
唐突にテオの腕が伸びてきたかと思うと、手を掴まれそのまま引き寄せられる。
「君は嘘をつくのが下手だね」
囁きがごく間近で聞こえた。
トゥリカは一瞬、抱きしめられるのかと思って身を硬くしたが、自分の身体はテオの横を通り、前のめりで屋敷の中に足を一歩踏み入れるだけだった。
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