夜をまとう魔術師

牛乳紅茶

25 本当のこと

後片付けが終わった後、トゥリカは逃げ出したくなる衝動を堪え、緊張に高鳴る胸の鼓動を意識しながら二階へと続く階段を昇っていた。テオに言われたとおり部屋に行くためだ。
蔵書室の隣、テオの部屋の前にたどり着くと、大きく息を吸い込んで扉を叩こうとするのと同時、扉が勝手に開く。

「入っておいで、お姫様」

中からテオの声が聞こえてきた。
最初からトゥリカの存在に気づいていたような口ぶりに、トゥリカはゆっくりと足を踏み出した。
部屋の中は仄暗い。
昨日と同様窓掛けはぴっちりと閉まっている。違うところは均等の間隔で壁に掛けられている燭台の蝋燭に数本だけ火が灯っていた。炎の揺らめきに合わせて、部屋の中に浮かんだ影も不規則な動きを繰り返していた。

トゥリカは怖じ気づきながらも、部屋の中程で椅子に腰掛けているテオのそばまで歩み寄った。

「もう一度、確認してもいいかしら?」

トゥリカがそう訊ねると、テオはふっと笑んだ。
それを肯定の意と取り、トゥリカは言葉を続ける。

「これが終わったらティルダを――」

トゥリカが口を開いたのと同時、テオが椅子から立ち上がる。そのままトゥリカの前を通り過ぎ、部屋の片隅に置いてある水盤の前へと移動した。
トゥリカはテオの行動に戸惑いながらも、その後ろについて水盤のそばまで行った。

「先に話をしてもいいかな?」

テオが水盤を見つめたままそう呟いたので、トゥリカは黙って頷いた。
その横顔があまりに真剣で、さらにどことなく寂しげに見えたためだ。

「僕は今日まで君を欺いていた」
「え……?」
「端的に言うよ。僕には君の妹姫を救うことは出来ないんだ」

テオはトゥリカと視線を合わせ、きっぱりとした口調でそう言った。
トゥリカは一瞬なにを言われたのかわからず、呆然としてテオを見つめる。
テオの顔にいつもの笑みは浮かんでいない。彼のその表情から冗談ではないのだと理解した。途端、絶望の波が押し寄せる。

「……どういうこと?」

訊ねる声が思わず震えた。
じっと返答を待つこと数瞬。
テオは困った様子で肩をすくめ、再び水盤の方を向いてしまった。

「意地悪で言ったわけじゃない。出来るものなら、君のために妹姫にかけられた術を解いてあげたいんだ。――だけど、今の僕には他人のかけた術を破るほどの力はない」
「他人がって……。だって、あなたがティルダを眠らせたのでしょう?」

トゥリカはそう問いかけたあと、嫌な予感に駆られて息を詰まらせた。
目の前でテオが静かにかぶりを振るのを見て、予感は確信へと変わる。

「違うの……?」

トゥリカの呟きに対するテオからの返事はなかった。しかし、その無言が肯定を物語っている。

「だ、だって、あなたは薔薇園で私に訊いたわ。ティルダを憎んでいるか? って。それに、お父様たちに言っていたじゃない。約束を違えたって……。だから私は、お父様があなたとの契約を破ったから、その報復でティルダを眠らせたのだと――」
「そうだよ。国王たちが僕との契約を反故にしようとしていたのは事実だ。だけど、妹姫に術はかけていない。そもそも今の僕にはそんな力はないんだ。国王との契約がもとでね」
「力はない? お父様たちとの契約っていったいなんだったの?」
「ちゃんと順を追って話してあげるよ」

テオがいやに穏やかな表情でそう言った。
トゥリカは汗ばんだ手を握りしめ、その場にどうにか立っていることがやっとだった。

「君は赤ん坊の頃とても身体が弱かった。それこそ、風邪一つで命に関わるほどにね」

テオの話しに、トゥリカは心当たりがあった。
幼い頃、母から何度も聞かされたことだ。けれど、そのときのトゥリカは身体に不調があるどころか、元気すぎるくらいだったため気にもとめていなかった。

「そこで王と王妃は国内外問わず医者を次々に呼び寄せては君を診せたそうだよ。でも、問題の解決には至らなかった」

テオの言葉を一つ一つ理解しながら、トゥリカは気を引き締める。これから聞くことは、自分にとっても大切なことのような気がした。

「悲しみに暮れた王と王妃は、人々がまことしやかに語る噂を耳にした。それが僕、塔の魔術師のことだ。二人は僕に君を助けて欲しいと訴えてきたよ。僕はその願いを受け、赤ん坊の君に魔力の核を半分与えたんだ」

テオはそう言って、トゥリカの胸元辺りを指さした。
トゥリカは呆然とその場に立ちすくんでいた。
自分がテオに命を救われたということもにわかには信じられないことだったが、それ以上に、願われたからといって魔力の核をただの人間に与えたテオの行動に衝撃を受けていた。

魔力の有無は生まれつき決まっていて、与えられたからといってあとから備わるものではない。そもそも本来は受け渡しが出来ないものなのだ。
魔術を扱う者にとって魔力の核はいわば器だ。核の大きさに比例して魔力の量や質も変化する。その核を半分も失うということは、普通の人間が命を削ることと等しいのだ。
魔術を学んでいないトゥリカですら知っていることだ。

「魔力の核に相当する代償はなに?」

無意識に声が震えた。
核に命を引き延ばす効果があるのなら、核の代わりになるものは一つしかない。
ここまでの話を聞いて、父たちがテオになにを差し出そうとしていたのかなんとなく想像できた。

「僕は王と契約したときこう言ったんだ。もし次の子が生まれたら、その子の生命力を半分もらうってね。もちろん寿命をまっとうする時まで待つ約束だ」

一瞬の沈黙ののち、テオは静かな口調でそう言った。

「ティルダの命が契約の代償だったのね」

宮殿で、テオを見たときの父と母の反応に納得した。
きっと二人は、テオがティルダの命を脅かしに来たと思ったのだろう。

「――そうだよ。そもそも普通の魔術師には核を扱うことなんて出来ないんだ。だけど僕の場合生まれが特殊なせいもあって、核を与えた人間よりもあとに生まれた近親者、もしくは核を与えた人間の子孫からなら生命力を核に代えて取り込むことが出来るんだ。ただし、相手が純潔でなければならないっていう条件付きだけどね」

テオはそう言ったあと、眉を寄せて笑った。
そして、

「だから、君の妹姫の結婚が決まったと耳にして力を取り戻すことは無理かもしれないと覚悟した。宮殿に行ったのは妹姫に危害を加えるためじゃない。別の目的があったから行ったんだ」

そう付け加えたあと、テオはトゥリカから視線を外し水盤の方を向いた。

「別の目的とはなに?」
「君だよ、お姫様。疑いの目を自分に向ければ、君はもう一度僕に会いたいと思ってくれるだろ? 案の定、君は妹姫を救うために宮殿を抜け出してくれた」
「なんのためにそんなこと……?」

トゥリカはテオの横顔をじっと見つめて訊ねた。
すると、テオは小さく笑って水面に指を滑らせた。

「僕の魔力の核が普通の人間である君の身体にうまく定着して生命力に変わってくれるか正直なところ不安でね。しばらくはこの水盤越しに君を見ていた。最初は単に術の経過が気になっただけだった。だけど、気がついたらそんなの関係なく、君から目が離せなくなってたんだ。僕はただの人よりも長く生きる。気の遠くなるような年月を独りで過ごしてきた。君に出逢う前まではいつ死んでもいいと思ってたんだ。だけどね、君の成長を見ているうちに、長く生きるのも悪くないと思えたんだ」

再びテオがこちらを向いたとき、彼の言葉がトゥリカの心に音を立てて響いた。
どれだけ慈しみをもって見ていてくれたか、その瞳を見れば、トゥリカにもなんとなく伝わってくる。状況さえ違えば、もっと優しく心に染み渡る言葉だったはずだ。

「私……あなたにそんな風に言ってもらえる人間じゃないわ。好きな人に想いを告げる勇気もないくせに、血の繋がった妹を羨んだりする人間なのよ。ちっぽけで、醜い、どこにでもいるようなただの人間よ」

「知ってるよ。君は自分が傷つかないようにするのと同じくらい誰も傷つけないように、いつだって周りに気を遣ってた。世継ぎの責任を背負って、親にろくに甘えることもなく一人で頑張ってた。あの騎士殿のことだって、誰にも気づかれないように見つめてた。僕はそれを見る度に何度も騎士殿に嫉妬したよ。とはいえ、自分の感情がなんなのか気づいたのはつい最近なんだけどね。君が騎士殿と妹姫との結婚を初めて聞いた日。薔薇園の東屋で独り泣いている姿を見たとき、どうにか涙をとめてあげたくなった。でも、直接会う勇気がなかなか出なくてね」

ほんのりと輝きだした水盤の光りに照らされるテオの顔はどこか自信なさげで、いつもの彼からは想像もつかない表情をしていた。
相手は人々に恐れられる魔術師で、さらに途方もなく年上なのだ。一時は憎んでいたことだってあった。それなのに、今はその肩をそっと抱きしめたい衝動に駆られる。

「あの日、君はまたあの薔薇園で泣きそうになっていた。だから、僕は今度こそと思って君に会いに行ったんだ。君の憂いをなくしてあげるつもりでね。君がもし妹姫を憎んでいると答えたら、契約を強引に遂行して願いを叶えてあげようと思ってた。だけど、君の答えは違った。それで力を取り戻すことに諦めがついたよ」

テオはそう言い微苦笑を浮かべたのち、水盤の方へ視線を投げた。
そして、

「さあ、僕の話は終わりだ。君はもう帰った方がいい。妹姫にかけられた術は永遠に眠り続けるものじゃない。じきに目覚めるはずだよ」

そう言って、水盤をトゥリカに示した。
突然のテオの言葉に、トゥリカは狼狽えながらも促されるまま水盤の中を覗き込んだ。

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