夜をまとう魔術師

牛乳紅茶

22 先入観

見るからに重厚そうな扉の前で、トゥリカは口内の唾液を嚥下した。
来てしまったものの、どんな顔をして会えばいいのかわからなかった。
本当の歳を聞いてしまった以上、これまでと同じように接することが出来るか自信がなかったのだ。

(大丈夫よ。相手がおじいちゃんなんだと思えば平気なんだから)

トゥリカは大きく頷くと、手を伸ばして扉を叩いた。

「フランツ? 開いてるから勝手に入りなよ」

中から返ってきた声に、ゆっくりと扉を引いた。
扉の影からそっと顔を出すと、テオの背中が見えた。
部屋の中は扉と窓のある壁以外が全て書棚になっていて、入りきらなかったと思われる分厚い本が床にも何冊も積み上がっている。
こんな状態で目当ての本が探せるのだろうか? と思いつつ、トゥリカは部屋の中に入る。
近くにあった本の表紙を見ても、トゥリカには読めない文字でなんと書いてあるかすらわからなかった。

テオは積み上げた本を椅子代わりに、背中を丸めて読書に集中しているようだ。
黒いローブの裾は床に垂れ下がり、後ろ姿だけ見る分には、先刻自分に言い聞かせた【おじいちゃん】というのもあながち間違ってはいないと思った。
ほんの少しだけ恐怖感が薄まる。

「フランツ。彼女はちゃんと――うわっ!」

トゥリカが口を開こうとするより早く、テオがこちらを振り返った。
目が合った瞬間、テオは体勢を崩し座っていた場所から落ちる。その振動で上から本が続けざまに落ちてきた。
あっという間に本に埋もれてしまったテオに、トゥリカは申し訳ないと思いながら近づいた。

「あの、驚かせるつもりはなかったのだけど……。ごめんなさい」

もうもうと埃が立ちこめる中、トゥリカは恐る恐るテオを覗き込んだ。
テオが本を一冊ずつ丁寧にどかしながら上体を起こそうとしていたので、トゥリカは慌てて、本を避ける手伝いをしようと手を伸ばす。
本の山をどうにか片付けて――とは言っても、空いている場所に積み上げただけなのだが――テオがようやく立ち上がった。

「朝食は済んだ?」

ローブについた埃を払ったあとテオがそう言った。

「おいしかったわ。ありがとう」

トゥリカが素直にそう答えると、テオはほんの一瞬だけ口元をぴくりと動かした。どことなくその頬も上気しているように見えて、トゥリカはフランツの言葉を少しだけ理解する。

(意外と顔に出やすい人なのね。今までどうして気づかなかったのかしら?)

トゥリカはそう疑問を抱いたけれど、すぐにその答えは導き出せた。
ティルダのことで気持ちが先走り、テオをきちんと見ていなかったのだ。
説得する、と息巻くばかりで、テオの行動の動機や解決のための話しをしていなかった。相手を知ろうともしていなかったのだ。

「お姫様の口に合ったようでなによりだよ」

テオがそう言ってふいと顔を背けてしまったので、トゥリカは彼の視線の先を追って、その顔を覗き込む。

「フランツからあなたの歳のことを聞いたわ」

表情の変化を一つも見逃さぬように、テオの目をじっと見つめて告げた。
若草色の双眸が微かに見開かれるのをトゥリカははっきりと確認した。

「……なるほどね。急に来たから変だと思ったんだけど、そういうことか。僕の本当の歳を聞いたら怖くなった? 帰るのなら送ってくよ」

テオが近くにあった本を一冊手に取り、その場で読み始めた。
言外に部屋を出て行けと告げられている気はしたが、トゥリカはかぶりを振って、言葉を続ける。

「ティルダを元に戻してもらうまで帰らないわ。確かに最初は驚いたし、さっきまでは怖いとも思ってた。だけど、今は少し知りたいとも思ってる。だから、これからはあなたのことも話してくれる?」

トゥリカの言葉に反応したのか、テオが本から顔を上げた。
数瞬の沈黙。
なにか言いたげに口を開きかけたテオだったけれど、結局なにも言わず、再び本へと視線を戻してしまった。
トゥリカは頃合いだと思って、仕方なく扉の方へと向いた。

「――じゃあ、読書の邪魔をしてごめんなさい。失礼するわ」

最後にそれだけ告げて、トゥリカはその場をあとにした。

* * *

テオはトゥリカが出て行ったあとの扉をじっと見つめていた。
再び開く気配がないことを認識した途端、思わず頬の筋肉が緩む。

「どうして、ああこっちの想定外の行動を取るのかな」

意図的にため息をついて呟くが、顔はにやけたままだった。

「まいったな……」

テオは自分の口元を片手で覆う。そして、ふと自分の手元の本に視線を落とす。

「我ながら情けないな。これじゃフランツに色々言われるわけだ」

呟いて、ぱたんと本を閉じる。
最初、トゥリカが帰るのかと思ったので動揺を隠すために開いた本であった。けれど、どこまで読んだかすらわからない。それどころか、本自体が逆さまだ。

気づかれなくてよかった、とつくづく思う。
テオは近くに落ちていた本を拾い上げ、持っていた本と一緒に書棚にしまった。
乱雑に並んだ本の背表紙を見つめ、テオは一つ息を吐き出した。
浮ついた気持ちが落ち着いてくるにつれ、後悔の念が生まれる。

「永遠に引き留めることなんて出来ない。正直に話すべきなんだ……」

テオは自嘲を込めて、そう小さく呟いた。

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