夜をまとう魔術師
21 朝食の時間
着替えを済ませたトゥリカは言われたとおりに食堂に向かった。
今更意固地になって食事を拒否したところで、また言いくるめられてしまうことが予想できたからだ。
(ティルダを助けるためよ。従順なふりくらい出来るわ)
トゥリカはそんな風に自分に言い聞かせながら、食堂の中へと顔を出す。
焼きたてのパンだろうか、芳ばしい薫りが漂ってきた。
「トゥリカ。おはよう」
そう声が聞こえて、トゥリカが顔を向けると、フランツは既に席についていた。朝から爽やかな笑顔をたたえて手を振っている。
「おはよう……」
トゥリカは挨拶を返しながら、食堂の中央に置かれた広い洋卓へと歩を進めた。
洋卓の上には籐篭に入ったパンと湯気が立ちのぼるスープがそれぞれ三人分並んでいた。
とりあえず、トゥリカはフランツの斜向かいの席に腰を下ろした。
「じゃ、食べよっか」
フランツが銀製のスプーンを手に取ったのを見て、トゥリカはあっと呟いた。
「どうしたの?」
「え、と……。あの人は来ないの?」
きょとんと小首をかしげたフランツに、トゥリカは訊ねた。
周りを見ても、テオの姿が見えなかったからだ。てっきり先に食卓についていると思っていた。礼儀として皆が揃う前に食べ始めるのは気が引ける。
「テオなら君を呼びに行ったあと、そのまま上に行っちゃったんだよね。たぶん蔵書室だと思うけど。とにかく、そのうち来ると思うから、気にしないで食べ始めちゃった方が良いよ。俺も最初の頃は待ってたんだけどさ、来ないときは本当にずっと来ないから」
トゥリカのためらいに気づいたのか、フランツがそう言った。
トゥリカは食堂の出入り口の方を見ながら逡巡する。
しばらくそうしていたのだが一向にテオは現れなかった。
仕方なしに、トゥリカはおずおずとスプーンに手を伸ばした。
スープをすくって口に運ぶと、トマトの甘酸っぱい風味が口の中に広がった。
一緒に入っていた豆や他の野菜も柔らかく味がしっかり染みこんでいて、お世辞抜きにおいしいものであった。
「フランツ。この料理って誰が作ってるの?」
昨晩の夕食の時にも疑問に思ったことをトゥリカは素直に口にした。
「テオだよ。魔法で大抵のことは出来るはずなのに、わざわざ自分で作るんだよ。笑っちゃうだろ。治療のこともそうだけど、変なところ神経質なんだよね」
フランツは笑ってそう言ったが、トゥリカは真面目な心持ちでパンに手を伸ばした。
ふんわりと焼かれたパンには胡桃を砕いたものが練り込まれていて、手で割るととても芳ばしい薫りが漂ってくる。
トゥリカはパンを見つめ、そのあと皿の中でたゆたうスープの表面もじっと見つめた。
料理をしたことのないトゥリカにも手間がかかっていることがわかる。
ふと視界に入ったのは、右中指に巻かれた包帯。すっかり痛みは引いていたが、じんわりと熱を持っているように感じるのはきっと気のせいではない。
「――ねえ。私、やっぱり呼びに行ってくるわ」
洋卓の上に出してある自分とフランツ以外のもう一人分の料理を示して、トゥリカは呟いた。
すると、フランツがパンを一口大に切っていた手を止め、あんぐりと口を開きトゥリカを凝視してきた。
「な、なに?」
フランツの態度に、トゥリカは戸惑い身構える。
「いや、君がテオのことをそんなに気にするとは思ってなかったからさ」
「そういうわけじゃないけど……。だって、ほら、せっかく作ったスープが冷めてしまうし……。そ、それに、会わなければ妹のことで話しができないもの」
トゥリカは右手を軽く握り、下を向いてぼそぼそと言った。
直後、フランツがぷっと吹き出す。
「あははははっ……。君ってば案外、意地っ張りなんだね。ぶっ……ふふ……」
フランツがばんばんと洋卓を叩きながら、身体を震わせて笑った。
気持ちを見透かされたことがわかり、トゥリカはいたたまれなくなった。礼法を無視してパンを口に放り込みスープで流し込むと立ち上がる。
「わ、私、部屋に戻るわ。あの人が来たら料理おいしかったって伝えておいてもらえるかしら?」
「ちょ、待ってよ。笑ったりしてごめんって。――そういうのは自分で言った方がいいよ。トゥリカが行けばきっと蔵書室から出てくると思うし。あの人ね、隠してるけど嫌なことがあったり、落ち込んだりすると読書に没頭する癖があるんだよ。長く生きてるくせにわかりやすい人だよね」
笑いすぎたせいなのか、フランツが涙目でそう言い立ち上がった。
トゥリカはフランツの言葉におや? と小首をかしげる。前々から気になっていたことを彼が口にしたからだ。
「長く生きてるって、あの人いくつなの? 昔から噂されてた魔術師だし、相当な歳だとは思ってたけど」
「テオは――って、そっか。知らないのか」
トゥリカのそばまでやってきたフランツがぽんと手を打った。
「え?」
「まあ、これは口止めされてるわけじゃないからいっか。見た目はああだけど、たぶん二百歳近いよ」
あっさりと答えたフランツを、トゥリカは愕然として見つめた。
(そんな人を説得しようとしてたなんて……)
決意が急速にしぼんでいく。
「彼は、その……普通の人間じゃないの?」
「んーと。ここの塔にまつわる話しは知ってる?」
「ええ。剣士が魔人を倒した話しよね」
「そう。その伝説では語られていないんだけど、魔人は一人の少女に恋をしてたんだ。少女もその想いに応えた。そして、少女は魔人との子供を授かった」
「もしかして……その子が?」
「うん。その子がテオなんだって。魔人の血を引いているからか、ある一定の歳まで育つと急速に成長が遅くなる。テオにとっての一年は、普通の人間にとって大体十年くらいらしいよ」
トゥリカの頭の中をフランツの言葉がぐるぐると回った。
すでに年齢の話しで折れかかっていた心に、生い立ちの話しでとどめを刺された。
「魔人の子とかって聞くと大層な人物に感じるけどさー。実際は普通の人よりよっぽど流されやすいし、結構単純だよ、あの人」
トゥリカの心情を知ってか知らずか、フランツはそう言って笑った。
「――フランツは彼のことをよく知ってるのね」
「テオが特にわかりやすいんだよ。きっと、トゥリカもそのうち俺と同じことを言うよ」
「そうかしら?」
「そうそう。はいっ。とりあえず、本人と話してきなよ」
「えっ、ちょっ……」
フランツがトゥリカの肩に手を置いて強引に方向転換させてきた。
とん、と背中を押される。
トゥリカは惰性的にその一歩を踏み出した。
今更意固地になって食事を拒否したところで、また言いくるめられてしまうことが予想できたからだ。
(ティルダを助けるためよ。従順なふりくらい出来るわ)
トゥリカはそんな風に自分に言い聞かせながら、食堂の中へと顔を出す。
焼きたてのパンだろうか、芳ばしい薫りが漂ってきた。
「トゥリカ。おはよう」
そう声が聞こえて、トゥリカが顔を向けると、フランツは既に席についていた。朝から爽やかな笑顔をたたえて手を振っている。
「おはよう……」
トゥリカは挨拶を返しながら、食堂の中央に置かれた広い洋卓へと歩を進めた。
洋卓の上には籐篭に入ったパンと湯気が立ちのぼるスープがそれぞれ三人分並んでいた。
とりあえず、トゥリカはフランツの斜向かいの席に腰を下ろした。
「じゃ、食べよっか」
フランツが銀製のスプーンを手に取ったのを見て、トゥリカはあっと呟いた。
「どうしたの?」
「え、と……。あの人は来ないの?」
きょとんと小首をかしげたフランツに、トゥリカは訊ねた。
周りを見ても、テオの姿が見えなかったからだ。てっきり先に食卓についていると思っていた。礼儀として皆が揃う前に食べ始めるのは気が引ける。
「テオなら君を呼びに行ったあと、そのまま上に行っちゃったんだよね。たぶん蔵書室だと思うけど。とにかく、そのうち来ると思うから、気にしないで食べ始めちゃった方が良いよ。俺も最初の頃は待ってたんだけどさ、来ないときは本当にずっと来ないから」
トゥリカのためらいに気づいたのか、フランツがそう言った。
トゥリカは食堂の出入り口の方を見ながら逡巡する。
しばらくそうしていたのだが一向にテオは現れなかった。
仕方なしに、トゥリカはおずおずとスプーンに手を伸ばした。
スープをすくって口に運ぶと、トマトの甘酸っぱい風味が口の中に広がった。
一緒に入っていた豆や他の野菜も柔らかく味がしっかり染みこんでいて、お世辞抜きにおいしいものであった。
「フランツ。この料理って誰が作ってるの?」
昨晩の夕食の時にも疑問に思ったことをトゥリカは素直に口にした。
「テオだよ。魔法で大抵のことは出来るはずなのに、わざわざ自分で作るんだよ。笑っちゃうだろ。治療のこともそうだけど、変なところ神経質なんだよね」
フランツは笑ってそう言ったが、トゥリカは真面目な心持ちでパンに手を伸ばした。
ふんわりと焼かれたパンには胡桃を砕いたものが練り込まれていて、手で割るととても芳ばしい薫りが漂ってくる。
トゥリカはパンを見つめ、そのあと皿の中でたゆたうスープの表面もじっと見つめた。
料理をしたことのないトゥリカにも手間がかかっていることがわかる。
ふと視界に入ったのは、右中指に巻かれた包帯。すっかり痛みは引いていたが、じんわりと熱を持っているように感じるのはきっと気のせいではない。
「――ねえ。私、やっぱり呼びに行ってくるわ」
洋卓の上に出してある自分とフランツ以外のもう一人分の料理を示して、トゥリカは呟いた。
すると、フランツがパンを一口大に切っていた手を止め、あんぐりと口を開きトゥリカを凝視してきた。
「な、なに?」
フランツの態度に、トゥリカは戸惑い身構える。
「いや、君がテオのことをそんなに気にするとは思ってなかったからさ」
「そういうわけじゃないけど……。だって、ほら、せっかく作ったスープが冷めてしまうし……。そ、それに、会わなければ妹のことで話しができないもの」
トゥリカは右手を軽く握り、下を向いてぼそぼそと言った。
直後、フランツがぷっと吹き出す。
「あははははっ……。君ってば案外、意地っ張りなんだね。ぶっ……ふふ……」
フランツがばんばんと洋卓を叩きながら、身体を震わせて笑った。
気持ちを見透かされたことがわかり、トゥリカはいたたまれなくなった。礼法を無視してパンを口に放り込みスープで流し込むと立ち上がる。
「わ、私、部屋に戻るわ。あの人が来たら料理おいしかったって伝えておいてもらえるかしら?」
「ちょ、待ってよ。笑ったりしてごめんって。――そういうのは自分で言った方がいいよ。トゥリカが行けばきっと蔵書室から出てくると思うし。あの人ね、隠してるけど嫌なことがあったり、落ち込んだりすると読書に没頭する癖があるんだよ。長く生きてるくせにわかりやすい人だよね」
笑いすぎたせいなのか、フランツが涙目でそう言い立ち上がった。
トゥリカはフランツの言葉におや? と小首をかしげる。前々から気になっていたことを彼が口にしたからだ。
「長く生きてるって、あの人いくつなの? 昔から噂されてた魔術師だし、相当な歳だとは思ってたけど」
「テオは――って、そっか。知らないのか」
トゥリカのそばまでやってきたフランツがぽんと手を打った。
「え?」
「まあ、これは口止めされてるわけじゃないからいっか。見た目はああだけど、たぶん二百歳近いよ」
あっさりと答えたフランツを、トゥリカは愕然として見つめた。
(そんな人を説得しようとしてたなんて……)
決意が急速にしぼんでいく。
「彼は、その……普通の人間じゃないの?」
「んーと。ここの塔にまつわる話しは知ってる?」
「ええ。剣士が魔人を倒した話しよね」
「そう。その伝説では語られていないんだけど、魔人は一人の少女に恋をしてたんだ。少女もその想いに応えた。そして、少女は魔人との子供を授かった」
「もしかして……その子が?」
「うん。その子がテオなんだって。魔人の血を引いているからか、ある一定の歳まで育つと急速に成長が遅くなる。テオにとっての一年は、普通の人間にとって大体十年くらいらしいよ」
トゥリカの頭の中をフランツの言葉がぐるぐると回った。
すでに年齢の話しで折れかかっていた心に、生い立ちの話しでとどめを刺された。
「魔人の子とかって聞くと大層な人物に感じるけどさー。実際は普通の人よりよっぽど流されやすいし、結構単純だよ、あの人」
トゥリカの心情を知ってか知らずか、フランツはそう言って笑った。
「――フランツは彼のことをよく知ってるのね」
「テオが特にわかりやすいんだよ。きっと、トゥリカもそのうち俺と同じことを言うよ」
「そうかしら?」
「そうそう。はいっ。とりあえず、本人と話してきなよ」
「えっ、ちょっ……」
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