夜をまとう魔術師

牛乳紅茶

19 読めない思惑

テオはトゥリカの手を取ると、木箱から飴色の小さな硝子瓶と白い布を取り出した。

「少し我慢、ね」

白い布をトゥリカの傷ついた指の下に添え、きゅ、と瓶のコルクを片手で器用に外し、中の液体をはがれかけた爪の上からかける。

「っ!」

中指の先からじわりと鈍い痛みが響く。
トゥリカは痛みと、鼻につく液体の臭いとに顔をしかめた。

「魔法を使えばもっと早く治せるんだけど」

テオは呟きながら、木箱から今度は包帯を一巻き出した。そして、微かに浮いている爪の上から丁寧に巻いていく。

「本来持っている治癒力に頼った方が、人の身体には良いからさ」

包帯を巻き終え、テオはそっとトゥリカの手を離した。
トゥリカは中指の先に巻かれた白い布を見つめ、次いでテオを見た。

「痛みが続くようなら言ってね?」

木箱の蓋を閉め、テオは立ち上がるとそのまま部屋を出て行こうとする。

「待って!」

トゥリカはテオを振り仰いで声をかけた。

「なに?」
「あの、あなたはどうして私に親切にするの?」

本来ならば、ティルダの件をまず話すべきなのだろうが、トゥリカはテオの行動の真意が気になりそう訊ねた。
目が合ったテオは、束の間逡巡するように視線を泳がせたあと、にっこりと頬笑んだ。

「さあ、どうしてだと思う?」

小首をかしげて問い返してきたテオに、トゥリカはかちんときて立ち上がる。そのまま、つかつかとテオのそばまで歩み寄る。

「私はティルダにかけた術を解いてもらいたくてここまで来たの。あなたと馴れ合うためにきたわけじゃないわ!」
「んー。そうだね。場合によっては考えてもいいよ」

トゥリカの剣幕とは対照的に、テオはにこやかな表情を崩さぬまま頷いた。

「それじゃあ、ティルダを元に戻してくれるのね? あの子はもう何日も飲まず食わずなのよ。早く術を解いて」

トゥリカがそう訴えると、テオは思案するように束の間小首をかしげたあと口を開く。

「僕は場合によっては考える、と言ったんだよ。それに、体調に関しては大丈夫なはずだ。眠り続けているのは強い暗示の副作用だろうから衰弱はしないよ」
「そう。ティルダは大丈夫なのね」

トゥリカはほっと息を吐き出したあと、改めてテオを見据えた。

「つまり、ティルダの術を解いてもらうには私次第ということ?」
「話しが早いね」
「私はなにをすればいいの?」
「簡単なことだよ。ここにいる間は僕の言うことをきいてもらう」

そう言ってにっこりと頬笑んだテオの態度にトゥリカは歯がみした。
しかし、これまでのやりとりで、自分が怒ってもテオは全く動じないことがわかっている。これ以上、下手に怒りをぶつけても相手の思惑にはまるのがオチだ。トゥリカは出来る限り心を落ち着けて質問を続ける。

「わかったわ。あなたに従えばいいのね。あと、他にも訊きたいことがあるのだけれど……。お父様たちに言っていた約束を違えたってどういう意味?」
「――ああ、それは……。いや、まだ君は到着したばかりだし追々話してあげるよ」
「では違う質問をするわ。薔薇園で会ったあの日、あなたはどうして私の前に現れたの? あなたは私の邪な気持ちを感じ取って、宮殿に来たの?」

トゥリカは食い下がり、そう問いかけた。
せめて、自分の邪心が彼を呼び込んでしまったのかという疑問だけは解消しておきたかったのだ。
対するテオは一瞬だけ片目を細めたあと、口を開く。

「違うよ。薔薇園に行ったのは僕の意志だ。君は関係ない」
「そう……」

テオの答えを聞いて、胸の奥が随分と軽くなる。
話を続けようとしたトゥリカだったが、見ると、テオは既に扉の前へと移動していた。

「この部屋を自由に使うといい。一応教えておくけど、僕の部屋は二階の奥。フランツの部屋は二階への階段をのぼってすぐのところだよ。食事は僕の方でちゃんと用意するから。時間になったら呼びに来るね。あとは――」

テオはどこか上機嫌にも見える様子でそこまで言うと、途中で言葉を切って扉に手をかけた。

がちゃ、と扉を引いた瞬間に外からなにかが倒れ込んでくる。
トゥリカは驚いて飛び退いたが、テオの方はゆったりと扉にもたれかかり、床に突っ伏した亜麻色の髪をした青年を見下ろしていた。

「フランツ。彼女に屋敷の中を案内してあげてくれるかな?」
「…………はーい」

フランツは体勢を整えもせず、軽く片手を挙げてそう返事をした。

* * *

「ここが食堂。で、こっちが調理場」

フランツの後ろについて屋敷の中をトゥリカは黙々と歩き続けていた。
何か話した方がいいのかもしれないが、いまいち話題が見つからなかった。それに、トゥリカが黙っていても、フランツの方が一方的に色々と話してくれた。

「あのさ」

調理場へ進む途中で、フランツが急に身体ごとトゥリカへと向いた。

「さっきはごめんっ! 言い訳にはならないけど、話しはなんにも聞こえなかったから」

そう言って、フランツが深く頭を下げる。
どうやら扉に張り付いていたことを詫びているらしい。
自分よりも明らかに年上に見えるフランツが首をすくめ、小さくなって謝る姿はなんだかおかしくて、トゥリカは思わず小さく笑ってしまった。

「少し驚いたけれど、怒ってはいないわ」

そう告げると、フランツは餌を見つけた子犬のようにぱっと顔を上げた。

「ほんとに?」
「ええ」
「よかったぁ……。ずっと口きいてくれないからてっきりさ。初対面から失礼しっぱなしだったし」

よほど緊張していたのか、フランツは身体の力を抜くように、だらりと腕を下げて大きく息を吐いた。
その姿に、トゥリカは再び笑みをこぼす。
悪い人ではないのかもしれない。

「フランツさん」
「んー? フランツでいいよ」
「えっと、フランツ。私も色々と失礼な態度を取ってしまってごめんなさい」

トゥリカは顔を隠していたベールを外し、頭を下げた。
王女だと気づかれるおそれはあったが、フランツに追い返されることは不思議とないと思えたし、たとえ帰れと言われたとしても戻る気はない。

「えっ? 顔見られるの嫌だったんじゃないの?」
「隠したままではちゃんと話しも出来ないでしょ」

色々な事態を想定しトゥリカはかまえていたのだが、フランツの方は全く気づいていないようだ。この様子なら大丈夫そうだと、トゥリカは言葉を続ける。

「私、トゥリカ。名前も言わずにごめんなさい。改めてよろしくね」

トゥリカは、フランツの透き通った碧眼を真っ直ぐに見つめ、手を差し出した。
フランツからテオの情報を引き出すにしても、こちらが偽りを口にしていたら相手も気を許してはくれないはずだ。
テオにしても、フランツにしても、きっと真剣に向き合えば話を聞いてくれるだろう。
トゥリカはそう考えていた。

「うん。こちらこそよろしく。トゥリカ」

フランツはズボンの脇で手の平をごしごし拭く仕草を見せたあと、トゥリカと握手をして笑った。

「あっ! そうだ。とっておきの場所を教えてあげるよ」
「え?」

唐突にフランツが、握手したままの手を引いた。
促されるまま、トゥリカはフランツのあとについていく。

「こっちに井戸があるんだ」

そう言って、フランツが調理場にある裏口の木戸を開けた。
鮮やかな緑の風景の中に、八角形の石造りの井戸がある。
フランツはトゥリカの手を離すと、軽快な足取りで井戸のそばに行った。

「ここに来た最初の頃さ。生まれて初めて自分で水を汲んだのが衝撃的だったんだ。トゥリカはやったことある?」
「いえ、ないわ」

トゥリカは首を横に振りながら、疑問を抱いた。

(もしかして、フランツって……)

水汲みの仕事をしたことがない人間は限られている。
トゥリカのようにある程度の地位に身を置く者か、もしくは水源が近くになかったり、井戸設備が発達していない街などで暮らしている場合だ。
しかし、トゥリカはアーレという家名に聞き覚えはなかった。それに、フランツが貴族だとしたら王女である自分の名を知らないはずはない。
また、王都アーゼンはもちろん、近隣の村や町で井戸や川のないところはないはずだ。ほとんどがロワナ国の南にそびえるアバルク山脈からの水源を引いている。

(嘘をついているようには見えないけれど……)

あくまでもフランツが欺いていないという前提での話である。
トゥリカはじっとフランツを観察して考えた。けれど、旅装束のような格好からは、フランツの身分や出身地までは判断できなかった。

「フランツはどうして彼のそばにいるの?」

トゥリカはフランツの横に並んで、その顔を軽く覗き込んだ。
自分と同じように、なにか理由があってここに来ざるを得なかったのかもしれないと思ったのだ。
カラカラ、と音を立てながらつるべを上げていたフランツがこちらを見る。

「ああ。それは、テオが俺の命の恩人だからだよ」

フランツの言葉に、トゥリカが驚きに目を丸くした。

「ま、色々あってさ。テオに助けてもらったんだけど、そのあと行く場所がなくて。勝手に居座っちゃったんだ」
「そう……」

トゥリカは人々に恐れられる塔の魔術師が人助けなんてするのだろうか? と疑問を感じたが、すぐにここに来るまでの経緯を思い出し、少しだけ納得する。
悪漢から救ってもらい、怪我の手当をしてもらい、と自分にとってもテオは恩人に値する。ティルダの一件さえなければ、素直に礼の言葉も出ていただろう。

「さっきはちゃんと答えを聞けなかったけど、トゥリカはテオの恋人なんでしょ?」

トゥリカが悶々としていると、フランツに問いかけられた。

「ち、違うわっ! 誰があんな人っ!」

フランツの言葉に、トゥリカは自分の頬がかっと熱くなるのを感じた。

「なんだ、違うんだ。テオが朝から機嫌良かったから、てっきりそうなんだと思ってたのに」
「そ、うなの?」
「うん。さっき怪我の治療で案内した部屋も今朝いきなり整えだしてさ。俺なんてここに来て三日間は屋敷の中にも入れてもらえなかったんだよね……。あっ! だからってトゥリカを責めてるわけじゃないよ」
「ええ。大丈夫。大変だったのね……」

フランツにそう答えながらも、トゥリカは表情をこわばらせた。
テオの考えていることがさっぱり理解できなかったからだ。
フランツの言っていることから推測すると、テオは自分が宮殿を出てここに向かっていることを知っていたようだ。つまり、都で会ったのはやはり偶然ではなかった。

「恋人じゃないんなら、なんのためにここに来たの?」

トゥリカが考えていると、フランツがそう言って小首をかしげた。

「それは――」

トゥリカは一瞬言葉に詰まり、フランツから視線をはずす。

「――妹を救うために来たの」

呟いた声が井戸の底に吸い込まれていくように響いた。
自分で発した言葉にトゥリカは心が重くなった気がした。

(そうよ。私はティルダを助けるために来たのよ)

ぐ、と身体に力を入れる。

「ねえ。彼はどこにいるの?」

トゥリカはフランツにそう詰め寄った。
その拍子に、フランツの手からつるべの縄が離れる。
少しの間をおいて、井戸の底から水音が聞こえた。

「たぶん、蔵書室か部屋にいるんじゃないかな」
「そう。ありがとう」

答えを聞き、トゥリカはすぐにきびすを返そうとするが、途中で止まる。
行こうにも場所がわからない。

「――案内してもらってもいいかしら?」
「もちろんだよ」

にっこりと笑顔で頷いたフランツが手を差し出してくる。
トゥリカは勢いをそがれたことで小さく肩を落としながらも、その手を取った。
しかし、トゥリカの決意とは裏腹に、その日テオに会うことは夕食の時まで叶わなかった。

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