夜をまとう魔術師

牛乳紅茶

7 魔術師の再来

壁から張り出した天蓋の上に文字と線で構成された不思議な紋様が浮かび上がっていた。それはまるで自ら発光しているかのように青白く光っている。
しかし、トゥリカが驚いたのはその紋様にではない。

「やあ。これは皆様お揃いで」

玲瓏とした声がこだました。
そこにいるのが当たり前という風に天蓋に腰掛けた黒いローブ姿の青年を見たからだ。
紛れもなく薔薇園で会ったテオだった。
一瞬、自分だけが見ている幻なのかと思った。しかし、周りの者たちも驚愕の表情でテオを見ている。

「また会えたね、お姫様。って言っても、今日もすぐにお別れだけど」

テオが悠然な笑みを浮かべ言った。
父たちの視線がテオからトゥリカへと注がれる。

「やはりあなたの仕業なのね! 早くティルダをもとに戻して!」
「残念ながらそれは出来ないんだ。ごめんね。やあ、国王陛下、王妃殿下。第二王女のご結婚が決まったと聞いたからお祝いに来たんだ」

トゥリカの訴えに対し、テオは心にも思っていないのだろう、そっけなくそう言った。そして、ダグマルとイルゼに向かって軽く手を挙げる。
つられるようにトゥリカも視線を動かすが、視界に入った二人があまりにも青い顔をしていたため、咄嗟に声を発することが出来なかった。二人はそれこそティルダの一件の時よりも動揺しているように見えた。

「お父様? お母様?」

と、そのときだ。すぐ近くにいたオルフが腰に下げていた剣を引き抜いた。

「貴様、何者だ? ティルダになにかしたのは貴様なのか?」
「おー怖い怖い。質問は一つずつにして欲しいな。そういう君はティルダ王女の婚約者だね?」

オルフに剣の切っ先を向けられても、テオは軽く肩をすくめるだけだった。

「僕は塔の魔術師。報酬をいただいてお客様の願いを叶えることを生業にしてるんだ」
「つまり、ティルダを眠らせたのは貴様なんだな」
「さあ? 君はどう思う?」
「ふざけるな! いったい誰の依頼だ。答えろ。ことによっては倍の報酬を出すぞ」
「残念だけど受けかねるな。今回のは仕事じゃない。それに僕は客を選り好みするんだ。結婚を控えた幸せそうな男は嫌いでね。話してるだけで胸くそ悪くなる」

テオはそう言って嘲笑した。
その態度がオルフの怒りに火をつけたのだろう。

「貴様! 今すぐティルダにかけた術を解け!」

ダンッ、と強く床を蹴って、オルフがテオに斬りかかる。
しかし、テオは全くうろたえない様子で、それどころか大仰な仕草で両の手の平を打ち合わせた。
高い破裂音とともにテオの頭上に浮かぶ紋様から白い閃光が放たれる。
次の瞬間、オルフは床の上に投げ出された。

「オルフっ!」

トゥリカは思わずオルフのそばに駆け寄った。きつくテオを睨めば、彼はどこかつまらなそうな顔をしてふいとトゥリカから顔を背けた。ほんの刹那の出来事だ。次にテオが顔を上げたとき、そこには薄い笑みが浮かんでいた。
トゥリカはテオの態度に疑問を抱いたが、オルフに腕を引っ張られたため、思考を止めざるを得ない。

「トゥリカ様、離れてください。あいつは私が……」
「やめなよ、騎士殿。僕にも君程度をいなす力はあるんだ」

テオは鼻を鳴らして笑うと、また両の手を打ち合わせた。
先ほどとは違い、今度は淡いぼんやりとした光がゆっくりと明るさを増していく。

「僕との約束を違えた代償は高くつくよ。覚悟するんだね。でも――僕は心が広いんだ。今からでも約束を守ってくれるなら妹姫を目覚めさせてあげてもいいよ? どうする?」
「そ、それは……」

テオの問いにダグマルが言葉を濁した。
ほんの刹那の沈黙のあと、テオが言葉を続ける。

「ま、ゆっくり考えてくれてかまわない。どちらにしろ眠り続けたままじゃ結婚なんて無理だろうからね。――お姫様、また会いに来るよ」

最後にトゥリカにだけ向かって手を振り、テオがローブの裾を翻した。
直後、室内の光が消え、テオもその場から忽然といなくなっていた。

「約束?」

トゥリカにはテオの言っていたことがさっぱりわからず、ダグマルとイルゼに視線を投げた。二人は一点を見つめ、その額には汗の粒を無数に浮かべ青ざめていた。



それからの三日間は怒濤のごとく過ぎ去っていった。
予定されていた結婚式はティルダの急病という名目で無期限延期となった。ここ連日、式延期の旨を都の人々に報せたり、到着した諸侯たちへの応対だったりで王宮内は騒然としている。コルトヌーク国に送った早馬が無事に王子たち一行に連絡が取れたことだけが唯一の救いであった。
トゥリカはその日、遅い昼食のあと、リタを伴って――リタが強引についてきたのだが――オルフの元を訪れた。

オルフはテオに惨敗したのを気に病んでいるようで、ここのところ朝から晩まで鍛練場に入り浸っている。
リタには鍛練場の入り口で待っていてもらい、トゥリカはオルフに近づいた。

「ちょっといいかしら」
「はい。なにかご用ですか?」

トゥリカが声をかけると、素振りをしていたオルフは手を止めた。そして、すぐに剣を逆手に握り直し切っ先を地面に向ける。空いた片手は剣を握る手の上に重ねた。その姿勢は騎士が王族に対した時の行儀作法だ。
かしこまったオルフに、トゥリカはそっとうつむいて密かに顔をしかめる。
昔はもっと対等な口調で話せた。オルフが騎士としての礼儀を重んじるようになったのは叙任式のあとからだ。当たり前と言われれば確かにそうなのだが、トゥリカとしてはティルダとの違いをあからさまに示されているような気がするのだ。

「トゥリカ様?」

オルフの声に、トゥリカはぱっと顔を上げる。

「あ、ごめんなさい。あの……単刀直入に訊くけれど、ティルダのことでお父様たちからなにか聞いてないかしら? たとえば術を解く方法がわかったとか」
「いえ……」
「本当に? お父様に口止めされているとかじゃなくて?」
「はい。誓って偽りはありません」
「……そう。あなたになら何か話しているかと思ったんだけど。やっぱり本当に進展はないようね」

ここ連日、ダグマルと元老院の者たちは会議を開き解決への道を模索している。しかし、話し合いばかりで一向になんの動きも見せない現状だ。
何度か直接ダグマルに掛け合ってはみたものの、全く相手にされずトゥリカは焦れったさを感じずにはいられなかった。

もしかしたら知らされていないのは自分だけで、秘密裏に騎士団に要請しているのかもしれないと思い、第三隊の副隊長を務めるオルフのところに来たのだが、見当違いだったようだ。

「トゥリカ様。必ず陛下たちが良い案を出してくれると思います。ですから、あまり気を落とさないでください。私もその時がきたら最善を尽くせるようにしておきますので」

トゥリカがあからさまに肩を落とすと、オルフが慰めを口にした。

「その良い案はいつになったら出るの?」

オルフの言葉にむっときて、トゥリカは思わず声を荒げた。

「それは……」
「ティルダはずっと眠ったまま食事もとれずにいるのよ。こうしている間にもどんどん衰弱しているかもしれない。どこかから別の魔術師を呼んで来るなり、何か出来ることがあるでしょう? それなのに毎日話し合いばかり……」

これは八つ当たりだ。ティルダの危機を事前に知りながらも、結果的になにもしなかった自分への怒りを今オルフにぶつけている。
トゥリカは頭で理解しながらも口を閉ざすことが出来なかった。

「それに私、あのときのお父様たちの態度がずっと気になっているのよ」

トゥリカの言葉に、オルフが不思議そうに頭を傾がせる。

「どういうことですか?」
「お父様とお母様はあの魔術師を前から知っていたのではないかしら」
「都の人々にも噂される人物ですからね。ご存じだったとは思いますよ」
「違うわ。そういう意味じゃなくて……」

トゥリカはかぶりを振って、オルフの意見を否定した。
心に引っかかっているのは魔術師が最後に残していった言葉だ。彼は父と母に向かって〝約束を違えた代償は高くつく〟と言っていた。

「魔術師が言っていた約束って? もしかして、お父様たちは魔術師となにか契約をしていたのではないかしら。それを破ろうとしたから魔術師は報復に――」

トゥリカがそこまで呟いたとき、オルフの短く息を呑む音がその場の空気を震わせた。
オルフの反応をいぶかしみ、トゥリカは眉根を寄せた。

「なにか知っているのね?」

そう言ってオルフを見ると、彼は険しい表情を浮かべトゥリカの視線から逃げるようにうつむいた。
オルフの態度は明らかにおかしい。
トゥリカはオルフとの距離を一歩つめ、その顔を覗き込んだ。

「お父様たちと魔術師の間にはなにがあったの?」

そう問いかけると、オルフの瞳が動揺を映し出すように揺れた。
漆黒の双眸をこうしてまっすぐ見つめるのは随分と久しぶりだ。ティルダのことがなければこの先もあり得なかったことだろう。幼なじみではなく妹の夫として接していたはずだ。今日だって、幸せそうな二人の姿を遠巻きに眺めるだけだったはずなのだ。

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