夜をまとう魔術師

牛乳紅茶

5 よぎる不安

「ティルダ! ティルダ!」

ティルダの居室の前まで来ると、トゥリカは息を整える間も惜しんで、扉を強くノックした。声が回廊に響き渡るのもおかまいなしだ。

「トゥリカ様でいらっしゃいますか?」

二拍ほどおいて中から返事があった。

「ええ。ティルダはいる?」
「はい」
「開けてちょうだい」
「かしこまりました。少々お待ちください」

侍女が扉を開けるまでの間ももどかしい。トゥリカはその場で二、三度足を踏みならす。

「トゥリカ様。いかがされました?」

アルマが扉を開けて顔を出すと同時、トゥリカはアルマの横をすり抜けて部屋の中に踏み込んだ。

「お姉様、そんなに慌ててどうしたの?」

花嫁衣装の調整は終わったのだろう、ティルダは淡い紅色のドレスで部屋の中に立っていた。きょとんと目を丸くしてトゥリカを見ている。

「ティルダ……」

トゥリカはティルダに異変がないことを確認したあと、部屋の中をぐるりと見回した。
いつもと変わらない風景が広がっている。
ちょうど朝食のあとだったのか、洋卓の上には空いた皿が並んでいた。
ティルダの風貌によく似合うレースの窓掛けが時折風で揺れること以外、部屋の中は整然としていた。
トゥリカは部屋の中におかしなところがないかくまなく見たあと、ようやく安堵し、長い息を吐き出した。それでも、走ってきたせいでしばらくは肩を上下しなければならなかったのだが。

「お姉様?」

トゥリカの様子が尋常ではないと思ったのだろう、ティルダは胸の前で両手を組み、オロオロとしている。

「ティルダ。驚かせてしまってごめんなさいね」

トゥリカはティルダと目を合わせ、荒い呼吸に乗せてそう言った。
予想外にかすれた声が出て、自分がそれだけ焦っていたのだと理解する。

「なにかあったの?」

ティルダが不安そうに眉を寄せるのを見て、トゥリカもまた瞳を細める。
魔術師らしき男のことを言うべきか迷った。

「お姉様? 本当に大丈夫? よかったらお水を持ってきましょうか? アルマ。お願い」
「はい」

トゥリカが言いよどんでいると、ティルダがそうアルマに促した。
しかし、トゥリカは息を整えながらゆっくりと首を横に振る。

「いえ、大丈夫よ」
「でも」
「ありがとう、ティルダ。アルマも。早く伝えたくて、つい走ってきてしまっただけだから」

トゥリカはそう言ってほんの少し微笑んだ。
息が切れているせいで、ぎこちない笑みになっているだろうが、気にとめずに言葉を続ける。

「さっきおかしな別れ方をしてしまったでしょう?」
「え……。あ……」

トゥリカの言葉に、ティルダは見るからに困った様子で眉尻を下げた。

「なんだか変な誤解をさせてしまったようだから」

トゥリカがそう告げると、ティルダは心底驚いた様子を見せてきた。

「誤解?」
「ほら。あなたがさっき言いかけたでしょう? 私がオルフを、って……」

トゥリカはにっこりと微笑んでティルダを見た。笑顔が引きつらないように、声が上擦らないように、と細心の注意を払う。

「あなたの花嫁姿を見て感傷的な気分になっていただけなの。気にさせてしまってごめんなさい」
「――本当に?」

どこかまだ納得のいかない様子で、ティルダが小首をかしげたので、トゥリカは大げさに声を上げて笑ってみせた。

「当たり前でしょう。私がオルフを好きだとしたら、こんなことわざわざ言いに来たりしないわ。きっとオルフを奪うために色々画策してるでしょうね」

そう告げて軽く肩をすくめてみせると、ようやくティルダがくすりと笑みをこぼす。
ティルダの様子に、トゥリカはほっと胸をなで下ろした。

これでいい。
オルフのことにしても、魔術師のことにしても、正直にすべてを話したところで、満足するのは自分だけなのだ。
オルフへの自分の気持ちを――たとえ過去のこととはいえ――気にするなという方が無理な話だし、結婚式が間近に迫っている今、魔術師のことで不安がらせる必要などない。
自分の判断は間違っていないはずだ。

トゥリカはそう考えて小さく頷いた。

「急に押しかけてごめんなさいね」

笑顔で告げると、トゥリカは扉へと近づく。
アルマがそつのない動作で扉を開けた。

「あ。ティルダ。式の前で王宮内が騒がしいから、必ず誰かと一緒に行動なさいね」

部屋から出る直前、トゥリカは後ろを振り返って注意を促した。
一人でいるよりも危険は少なくなるだろう。

「わかったわ。でも、それはお姉様もだわ。一人でここまで走ってくるなんて危ないもの」
「……確かにそうね。次からは気をつけるわ」

茶目っ気を帯びたティルダの言葉にそう返して、トゥリカはその場をあとにした。

(大丈夫。ティルダにはアルマもいるし、式の前には護衛の兵もつくんだから。あの魔術師にはなにもできないわ)

何度か頷きながら回廊を進む。

(けれど、お父様には言っておいた方がいいかしら? そうね。もしものことがあるかもしれない。あとは――オルフ……)

そこまで考えたところで、トゥリカはぴたりと立ち止まった。

(まだ顔を見て普通に話す自信はないけれど……。いいえ、ティルダの無事にはかえられないわ)

一度、かぶりを振り、よみがえりそうになった気持ちを振り払う。

(絶対にあの魔術師をティルダに近づけさせないようにしなくては)

魔術師が本当に現れるのか、どこから現れるのかも定かではなかったが、トゥリカは妹を守ると心に決め、きびすを返すとまずは騎士たちが暮らす寮に向かおうと歩き出した。
と、そこである疑問が浮かぶ。

(……――あの男はどうして私のオルフへの気持ちを知っていたのかしら?)

力のある魔術師ならば人の心の内を読み取ることなど簡単なことなのだろうか? いや、そんな話しは聞いたことがない。
それとも自分がほんのわずかに抱いた邪な感情で魔術師をここに呼び寄せてしまったのだろうか?
トゥリカはゆるゆると歩きながら、自分の口元を両手で覆った。

(私のせい……?)

テオと名乗った魔術師の姿が脳裏をよぎる。
青みがかった黒髪に若草色の瞳。柔らかな物腰とは対照的な暗い輝きを宿したまなざし。貴族のような出で立ちをした美貌の青年。

「なんてこと……」

もしも本当にこの事態を招いたのが自分だとしたら、オルフはきっと軽蔑のまなざしを向けてくるだろう。
途端、胸の奥に鋭い痛みを感じ、歩む足が重くなった気がした。

「だめよ。今逃げたらきっと一生後悔してしまう」

トゥリカは努めて顔を上げると、一歩一歩を踏みしめながら目的の場所へ向かった。

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