夜をまとう魔術師

牛乳紅茶

2 アールブルクの塔

(覚悟はしていたのに)

トゥリカは鏡から顔を背けた。
妹の金の髪とは違う、冷たい輝きを放った銀色の髪が視界の端で揺れる。

「ティルダ。どうか幸せにね」

トゥリカは最愛の妹の手を取ると、そう言った。
それは本心から出た言葉だった。
おめでとう、と素直には言えないが、妹の幸せを願う気持ちに偽りはない。

「……お姉様?」

ティルダはトゥリカの声音から何かを感じ取ったのだろう。それまで明るかった表情に影を落とした。
ティルダの美しい顔がわずかに歪んだのを見て、トゥリカは慌てて笑顔を作った。

「お姉様、なんだか変だわ。なにかあったの?」
「なにもないわ」
「本当に?」
「ええ。さあ、そろそろ戻らないとお針子さんたちが心配するわよ」

トゥリカはそう言って、ティルダの背中を優しく押した。

「お姉様」

扉を開ける直前、ティルダがこちらを振り返った。
トゥリカは平静を装って、小首をかしげて見せる。

「どうしたの? まだ心配なことがある? 大丈夫よ。オルフの良さはあなたが一番知っているでしょう? 自信を持ちなさい」
「違うわ。私のことじゃない」

ティルダが大きくかぶりを振る。
トゥリカは、妹の真剣な表情を見て、すぐさま扉の取っ手に手をかけた。
この先の言葉を聞いてはならない。
そう直感したのだ。

「お姉様が私の幸せを願ってくれるように、私もお姉様の幸せを願っているの」
「ありがとう。嬉しいわ」

ティルダの言葉を聞き流しながら、トゥリカはすいと顔をそらした。

「ずっと気になっていたの。もしかして、お姉様はオルフのこと――」
「さあ、早くお戻りなさい。まだ支度がたくさんあるんでしょう」

ティルダの言葉を最後まで聞かずに、トゥリカは扉を開ける。

「アルマ。ティルダのことよろしく頼むわね」

トゥリカはティルダ付きの侍女に口早に告げると、静かに扉を閉めた。

「お姉様……――私、幸せになるわ。ありがとう」

扉越しに聞こえたティルダの声に、トゥリカは扉に背中を預け、そっとまぶたを閉じる。
だんだんと小さくなるティルダの靴音を耳にしながら、トゥリカは己の不甲斐なさに唇を噛んだ。
束の間そうしたのち、まぶたを上げる。

部屋の中がひどく眩しく感じられた。
扉の向こうにティルダの気配はないようだ。
ぐるりと周りを見回す。贅を尽くした調度品も今はくすんで見えた。

(馬鹿なことをしたわ……)

一つ息をついて、トゥリカは扉から離れると露台へ続く大窓へと歩み寄った。

(本当に愚かね。これでは気にして欲しいと言っているようなものじゃない)

十数棟の建物で構成されるここロワナ宮殿は程よい高台に建っているため、居館の二階部分に位置するトゥリカの部屋からでも王都アーゼンの街並みが一望できる。
円形の広場を中心にレンガ造りの家屋が規則正しく環形に並んでいる。この時間帯ならば中央広場は朝市で賑わっていることだろう。
トゥリカは、青空の下、朝の白い光に照らされる街並みに目を細めた。

そうしてしばらく眺めたのち、トゥリカはため息をつき窓から離れようとした。そこで、街の左側にある広大な森が目に入る。
森の中心には、天に向かって長く伸びる円筒形の塔が建っている。朝日に包まれるまばゆい風景の中で、その場所だけは異質な色を放っていた。

「アールブルクの塔」

トゥリカは塔を見つめ小さく呟いた。

塔には古くから伝えられている話しが二つある。

遙か昔、ロワナ国が建国されたばかりの頃だ。森には絶大な力を誇る魔人がいた。王都に暮らす人々はもちろん、近隣の住民たちも魔人の存在を恐れ、森の近くを通ることも出来ずにいた。しかし、そんな生活もあるとき終わりを告げることとなる。遠方よりやってきた剣士が激しい戦いの末魔人を打ち倒したからだ。剣士は魔人の魂を封印するためにそこに塔を建てた。――以来、魔人は目覚めの時を待って地下深くで眠っているという。
その剣士の名がアールブルクだったため、塔はいつしかアールブルクの塔と呼ばれるようになり、剣士の活躍は歌劇や舞曲になった。
国中でも知らぬ者はほとんどいないと言われている伝説である。

もう一つの話しは、塔に住む魔術師の噂だ。報酬さえ払えばどんなことでも請け負う悪名高い人物で、歌劇にも舞曲にもなってはいないが、人々への浸透性剣士の伝説よりも強い。
トゥリカも昔、父から聞いたことがあった。
ただし、その話を聞いたのは一度きりで、そのとき父は魔術師のことを人前で話してはならない、と言っていた。

「どんなことでも……」

そう口にして、トゥリカは忌々しく首を横に振った。

「私ったらなにを考えているの? 恐ろしい……」

トゥリカは窓から逃げるようにきびすを返すと、自分の身体を抱きしめその腕をさすった。
魔術師に頼めば、オルフの心を手に入れることが出来るかもしれない。
塔の魔術師の話しを思い出したとき、トゥリカはそう考えたのだ。
一瞬とはいえ、脳裏をよぎった考えに寒気がした。直結はせずとも、結果的にティルダを不幸にしてしまう願望だ。

(違うわ。そんなこと本気で願ったりしない。――でも、せめて、これを消すことが出来たら……)

ちらり、と自分の身体に視線を落とし、両の手で胸元を押さえた。
左胸の上。緩やかな線を描く丘陵には大きな痣がある。まるで人為的に染めたかのように鮮やかな青色をした、円形の痣だ。

この痣があるため、トゥリカは襟ぐりの開いたドレスを決して身に纏わない。定期的に仕立ててもらうものも、首元まできっちりと閉じられる形のものだけだ。

(痣がなければ……)

そこまで思って、心の内を渦巻く暗い感情をため息と共に吐き出した。
考えても仕方ないことだ。
確かに、一月前父から二人の結婚が決まったという話しを初めて聞いたとき、どうして自分ではないのだろうと嘆いた。そして、〝オルフが美しいティルダを選ぶのは当たり前のこと。自分が選ばれなかったのは胸にある醜い痣のせいだ〟と何度も自分に言い聞かせた。
そう思い込むことで、傷ついた心を癒やそうとしたのだ。
けれど事実は、ティルダがオルフを想う気持ちと、オルフのティルダへの熱意が父に伝わったからだ。意に沿わぬ結婚では決してない。

(このままではいけない。この想いは断ち切らなければ)

トゥリカはそう決意すると、扉につかつかと歩み寄り勢いよく押し開けた。

「リタ」

なにかを察してなのか、いまだ部屋の外に控えていた侍女の名を呼ぶ。

「はい、姫様」
「気を遣わせてしまったわね。ありがとう」
「いえ。もったいのうございます」
「少し外の空気を吸ってくるわ。いいかしら?」
「はい。それでは朝食はのちほどお持ちいたしますね」
「ええ。そうしてちょうだい」
「かしこまりました」
「薔薇園に行ってくるわ」
「えっ? 姫様っ!」

深く頭を下げるリタに口早に告げ、トゥリカはリタの横をすり抜け部屋を出た。

「姫様っ! わたくしもご一緒いたします」
「都に遊びに行くわけではないのだから大丈夫よ。すぐ戻るわ」
「いけません! お待ちくださいっ! 姫様っ!」

リタの制止の声を無視して、トゥリカはドレスの裾を両手でたくし上げると、走り出した。

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