時忘れの森

牛乳紅茶

第三十話

その一瞬の間にシャルヴァはリバルトから距離を取った。森にいるときならばともかく、魔力の半減しているこの場所では術を施していないただの短剣といえど致命傷になりかねない。

「二度とここには近づくな。もし来たら次こそ必ず仕留めてやる。そのときは僕だけじゃない。村人全員が相手だと思え」

リバルトが追いかけてくると踏んでいたシャルヴァだったが、リバルトはその予想に反して、一歩も動かず短剣を下ろした。そして、顎をしゃくって周囲を示す。
シャルヴァが周囲に視線を巡らせると、騒ぎを聞きつけた村人が何人か集まってきているのがわかった。

「なるほど……」

先に仕掛けてきたのはリバルトだが、外からやって来たシャルヴァの言い分と昔から村にいるリバルトの言い分とでは、後者の方を村人たちは信じるだろう。

「一度突きつけた刃物は勢いなどつけずにそのままねじ込んだ方がいい。グレティアの方がよほどましだったぞ」
「――なにが言いたい? 助言が出来る余裕があるなら、さっさと逃げたらどうだ?」
「いや、別に……。剣の腕はともかく知恵はまわるんだなと思っただけだ」
「――っ!」
「言われなくても退散させてもらうつもりだ。グレティアに会う前に刺されては困る」

くつくつと喉の奥で笑い、シャルヴァはきびすを返した。
背後を襲われるとは微塵も思わなかった。リバルトがわざわざ不利になるような真似をするとは考えられなかったからだ。

「――……会えればいいけどね」

低い声が耳に届き、シャルヴァはちらりと後ろを振り返った。
しかし、既にリバルトは家の中に戻ったのかその場にはいなかった。
シャルヴァは束の間閉じた扉を見つめたあと、短く舌を打ってその場をあとにした。



「急患かなにか? 大丈夫?」

ネリーゼの病室を出たところで、玄関の方からやってきたリバルトと鉢合わせた。あまりに険しい顔つきをしているリバルトが気になり、グレティアはそう声をかけたのだがリバルトから返事はない。

「リバルト?」

心配になったグレティアはそっとリバルトの顔を覗き込もうとした。

「っ――!」

直後、リバルトが急に手を伸ばしてくる。
そのまま壁へと押さえつけられ、グレティアは痛みにおもわず顔をしかめた。
いったいなにが起きたのか、と視線を泳がせそこで短く息を飲む。霞む視界でとらえたのは鈍い輝きを放つ短剣だったからだ。
顔のすぐ近くに刃先を向けられていることを理解して、グレティアは目だけ動かしてリバルトを見上げた。

「なに、するの……?」

鋭い光を宿した灰紫の瞳を見つめて問いかけると、リバルトはその口元に不敵な笑みを浮かべた。

「君があんな奴を連れてきたからいけないんだ。あの魔物に言われたよ。僕は平気で偽りを口にするって」
「シャルヴァが来たの?」
「安心しなよ。ちゃんと追い払っておいたから」
「…………待って。私、そんなこと頼んでない」
「相手は魔物だよ。あんなのここから追い出すべきだ。君だって本当はそれを望んでるんだ。だから僕に話したんだろ?」
「そ、んなつもりで話したんじゃないわ……」

少しでも動けば刃物に皮膚を突き破られそうで、グレティアは懸命に目で訴えた。
リバルトにシャルヴァとのことを全て話したのは、ただシャルヴァへ向いた疑いの目をなくしたかっただけだ。

利害の一致とはいえ自分を村まで送ってくれたこと。母を助けてくれたこと。それらを知ればリバルトもシャルヴァが害ある魔物ではないとわかってくれると思ってのことだった。しかし、リバルトにグレティアのそういった気持ちは伝わっていなかったようだ。

「ねえ……。君も僕がウソツキだと思ってる?」

リバルトがそう言って行動とは不釣り合いな穏やかな微笑みを浮かべた。
その表情を見た瞬間、グレティアは背筋をぞくりとさせた。
どうして急にリバルトがこんな暴挙に出たのか、グレティアにはさっぱりわからなかった。ただわかるのはリバルトの様子が尋常ではないということだけだ。
無意識に身体が震え出す。
なにか言わなければと思ったグレティアだったが、歯列がうまく噛み合わずかちかちと小さな音を立てるだけだ。

「――……震えてるね。僕が怖いんだ。魔物と一緒にいるくせに、人間の僕が怖いなんておかしいよ」

くすくすと笑ったリバルトが腕を動かす。
グレティアの頬に冷たいものがひたひたと触れた。

「君が森に行くなんて言い出さなければよかったんだ。僕は何度も止めたのに」

今にも首を切り裂かれるのではないかという恐怖からグレティアはなにも答えられなかった。

「君が僕に従ってさえいれば、なにもかもうまくいったんだ……っ」

リバルトは吐き捨てるように言い、短剣を持つ腕を振り上げた。

「っ!!」

咄嗟に目をつぶったグレティアだったが、想像していた痛みはいつまで経ってもやってこなかった。そのかわりに、耳のすぐ傍でドンと大きな音が響く。

「この村の女の子はみんな僕の言うことを聞くのに……。ちょっと優しくすれば僕に好かれてるって勘違いするのに……。君だけは僕に見向きもしなかった」

リバルトの口調が急に静かなものになった。
恐る恐るグレティアが薄目を開けると、顔の真横に短剣が突き立てられていた。
リバルトが壁に向かって短剣を振り下ろしたのだ。

「なにが足りない? 言葉? 好きだ、愛してるって言えば、君も他の子と同じように潤んだ瞳で僕を見るようになる?」
「っ――!」

ごく間近に迫ったリバルトの言葉にグレティアはぐっと奥歯を噛みしめた。

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