時忘れの森

牛乳紅茶

第二十八話

「それじゃあ、また明日来るから」
「そんなに心配しなくてももう大丈夫よ。ヒケル先生もほとんど完治しているっておっしゃってくれたしね」

診療所の前でネリーゼに別れを告げると、グレティアはシャルヴァと共に家路についた。
明るい時間に帰るのはこれまでで初めてのことだ。
そのせいか道すがら何人かの村人とすれ違い、そのたびにグレティアは緊張することとなった。

年長者の数人はよそ者を快く思っていないのだろう、冷ややかな目を向けてきたが、グレティアの友人でもある少女たちはまったく違う反応だった。
彼女たちはグレティアにつかず離れずで佇むシャルヴァを遠巻きに見てはきゃっきゃっとはしゃいでいた。

貴族のような服装をした長身の青年。その上、顔かたちも整ってるとくれば、年頃の少女たちの反応としては当たり前だろう。きっとグレティアもシャルヴァの正体を知らなければ、似たような反応をしたはずだ。

(明日は村中、この話題で持ちきりね)

グレティアは一度ちらりとシャルヴァを盗み見たあと、盛大にため息をついた。

「やっぱり夕刻まで診療所にいるべきだったわね……」

自宅である花追い亭の前まで来ると、グレティアは扉を開けシャルヴァを中へと促した。

「あなたをどこかの王子様じゃないかって言ってる子までいたわよ」

シャルヴァのあとから家の中に入ると、グレティアは皮肉を込めてそう言った。しかし、シャルヴァはなんの反応も示さない。

「あれだけ女の子に騒がれたら悪い気はしないでしょ?」
「興味ないな」
「あなたの言う輝きを持った女の子がいたかもしれないわよ」
「そんなもの探す必要はない。俺はお前の輝きがなによりも綺麗だと思ってるんだ。騒がれても鬱陶しいだけだ」

あっさりとそう言ったシャルヴァに対し、グレティアはどうしてだか腹立たしい気持ちになった。

「――でも、たまたま森に行ってあなたの目に留まったのが私だったってだけでしょ。もし他の女の子が似たような理由で森に行ってたら、あなたはその子の輝きを欲しいって言ってたに決まってる」

刺刺しく言い捨て食堂の奥へと進んだ。
と、そこで気づく。
自分が怒っているわけではないということに。
グレティアは立ち止まり、ゆっくりとシャルヴァを振り返った。

(私――)

無意識に口元を両手で覆う。

瞳の輝きが欲しいと最初に言われたときは怖かった。あんな荒れ果てた屋敷で魔物であるシャルヴァとこの先の人生を過ごすなど考えられなかった。
しかし今はそれほど抵抗を感じていない。
それどころか、たくさんの少女たちが騒いでいるのを見たとき、もしもシャルヴァが自分以外の瞳の輝きが欲しいと言い出したらどうしようか、と思った。

(不安なんだ……)

自分の思わぬ感情に戸惑い、指先が小さく震える。

「俺が欲しいのはお前だけだ。そんな仮定の話をされても困る」

シャルヴァが眉を寄せ、その整った顔に微苦笑を浮かべた。

窓から差し込む、傾き始めた太陽の光がシャルヴァの顔にくっきりとした陰影を映し出し、それが余計に彼の表情を悲しげに見せていた。
グレティアは唐突に苦しくなった胸元を押さえ、シャルヴァから視線をはずす。

「そ、そうね……。あなたが欲しいのは、私の瞳の輝きだものね……」

自分に言い聞かせるように呟き、グレティアはきつく唇を噛みしめた。
瞳が綺麗だ。欲しい。と言われても、口づけを交わしても、そこにシャルヴァの想いがないから心が満たされない。
しかし、シャルヴァのことが好きなのか? と自分に問うてみても、よくわからなかった。

誰かを好きになったら暖かで穏やかな気持ちになるのだと思っていたグレティアにとって、心臓が引き絞られるような胸の苦しみは〝恋〟とはずっと遠いところに位置づけられたものであった。

「なにか気に入らないことでもあるのか?」

グレティアがうつむいていると、シャルヴァが近くまで来てそう言った。

「いいえ。最初からそういう約束だったんだもの。元気になったお母さんの姿を見たら、急に怖じ気づいてきちゃったのかも」

グレティアは大きく息を吸い込んだあとそう言って顔を上げた。

「でも、それだってあなたが助けてくれたのよね。ありがとう。他の人に本当のことを教えられなくて申し訳ないけど」
「気にするな。俺は他人の称賛など求めていない。お前が知っていれば充分だ」
「そう? ならいいけど……。さて、と。私はそろそろ夕食の支度を始めるけど、あなたはどうする?」

グレティアは大げさに明るい口調で続け、シャルヴァにくるりと背中を向けた。

「そばで見ていてもいいか?」

厨房に向かおうとしたグレティアの背に、ふいにシャルヴァの声がかかった。
グレティアは肩越しに後ろへ振り返り、小首を傾げる。

「見るってなにを?」
「お前を」
「――かまわないけど、これといって面白いことはないと思うわよ」
「それでもいい」

どこか楽しげにも見える笑みを浮かべてシャルヴァが頷き、グレティアは重い気分のまま厨房へと歩き出した。

◆ ◆ ◆

その夜の献立は野菜のスープと鶏肉のパイ包みにした。
グレティアは食卓にいつもは用意しない二人分の食事の準備を整えシャルヴァに声をかける。

「このあともそこにいるなら一緒に食べない?」

最初の宣言通りシャルヴァはグレティアのそばにずっといた。
ただ黙って立っていただけだから邪魔とは感じなかったが、行動一つ一つを見つめられ続けているというのは、正直居心地の良いものではなかった。
食事中もその状態が続くのは避けたい事態だと思い、グレティアは提案したのだが、シャルヴァの方はグレティアの意図がまったくわかっていない様子で小首を傾げた。

「俺はそういうものは必要ないと言ったはずだが」
「それは知ってるけど、食べているところをじっと見られてるだけってのは落ち着かないの」

仕方なくグレティアがはっきりと告げると、シャルヴァは束の間逡巡するように視線を漂わせたあと、わかったと頷いた。

「俺は活力の味はわかっても、こういった料理の味はわからないんだ。普通は作った人間を褒めるものなのだろうが俺には出来ない。悪いな」

席に着いたシャルヴァが並んだささやかな料理を目の前にしてそう言った。
その顔は本当に戸惑っているように見え、また心からグレティアに対して申し訳ないと思っているだろうことが窺えた。
黄金色に透き通ったスープから立ちのぼる白い湯気に目を細めながら、じっと食卓を見つめるシャルヴァを見ているうちに、グレティアは思わずくすりと笑みをこぼした。

「そんなに真面目に考えないで嘘でもいいからおいしいって言えばいいと思うんだけど。味がわからないなんて、言わなきゃバレないんだから」
「お前が手間をかけて作った物に対し嘘で応えたくはない」

グレティアをまっすぐ見つめてシャルヴァはそう言った。
真摯なまなざしを受けグレティアは言葉を詰まらせる。
ほんの一瞬、高鳴った胸とは対照的に心が底冷えしていく。

「そう言ってもらえるだけで充分よ。さ、冷めないうちに食べましょう」

グレティアは己の感情を振り払うように大きく声を張り、自分も席に着いた。
シャルヴァは思ったことをそのまま口にしているだけなのだ。そこに他意は決してない。

(――愛情なんてあるわけがない。勘違いしちゃダメ……)

誠実な言葉をもらう度にきしんだ音を立てて痛みを訴える心を無視して、グレティアは温かいスープを口に運んだ。

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