時忘れの森

牛乳紅茶

第二十五話

「そんなくだらない話をするために呼び止めたならば、俺には話すことはない」
「グレティアに貴様の正体を話すぞ」
「好きにしろ。あいつも知っていることだ」
「な、に……?」
「グレティアは自ら俺の森に来たんだ。俺たちの関係にお前が口を出す権利はない」
「森……? まさか、グレティアは時忘れの森に薬草を――!?」

ロレンツの中でなにかがつながったのか、彼は大きく目を見開いた。

「あの子には手を出すな!」

杖を支えに立ち上がり、ロレンツはそう怒鳴った。

「俺にとってグレティアは娘同然なんだ。あの子に手出しさせやしない。貴様などこの場で殺してやる」

ロレンツが杖を剣のように構えるのを見て、シャルヴァは嘲笑を投げかける。

「お前、剣士かなにかだったのか? 底辺に属する魔物に深手を負わされた老いぼれになにが出来る?」
「黙れ。もう二度と、娘を失うものか……」

歯を噛みしめる音が今にも聞こえてきそうなほど、ロレンツの表情から本気が伝わってくる。
シャルヴァは短いため息を吐くと、深紅の外套の裾を翻しロレンツに背中を向けた。
ロレンツを跡形もなく始末することは簡単だが、相手はグレティアの知り合いだ。自分が手を下せばグレティアは悲しむに決まっている。

「悪いが俺には殺される気も殺す気もない」
「待て! 話はまだ終わっていない!!」
「安心しろ。俺が欲しいのはあいつの命じゃない。お前が思っているようなことはしない」
「魔物の言葉など信じられるか! 命を奪うのが目的でないのならば、なぜ貴様はグレティアのそばにいる!?」

ロレンツの怒声が響き渡り、その声に反応してカディガーロが高くいななく。

「本当に……。人間とは面倒なものだな」

シャルヴァはゆっくりと振り返り、ロレンツと対峙した。
その瞳はまるで血を流し込んだように真っ赤に染まっており、目を合わせたロレンツもほんの一瞬ぎくりと肩を震わせる。

「お前の言うとおり、この目は魔物の目だ。だがグレティアの瞳は違う。他のどの人間よりもまっすぐで澄んだ輝きを宿している。俺はそれに惹かれた。だから傍にいる」
「たったそれだけのためにか?」
「そうだ。俺が見てきた人間は皆欲にまみれた目をしていたからな。それに魔物である俺には持ち得ない輝きだ。あの輝きを守るためならばなんだってやってやる。それでもお前が俺を殺したいというなら好きにしろ。俺にはお前を殺すことは出来ない」

シャルヴァはそう言って両の手を挙げ肩をすくめた。
ロレンツはシャルヴァの言葉に明らかに戸惑ったようだ。彼は構えていた杖を下ろし、動向を窺うようにじっと目を細めてシャルヴァを見つめた。

「――なぜ、俺を殺せないんだ?」
「お前を傷つけることはグレティアが望まない」

シャルヴァがそう答えると、ロレンツは目を丸くして手にしていた杖を落とした。それを気遣うようにカディガーロが落ちた杖に顔を近づけてぶるると鼻を鳴らす。

「――貴様は俺の知っている魔物とは少し違うようだな」
「一緒にするなと言ったはずだ」
「……まだ全てを信じたわけじゃない。俺は、妻と娘を奪った魔物にとどめを刺した時に剣を捨てた。俺が剣士として魔物退治をしていたから家族が標的になったんだ。しかし、お前がグレティアやネリーゼさんに少しでもなにかしようとするなら、もう一度、剣を握る。この意味がわかるな?」

ロレンツが足下から杖を拾い上げながらそう言った。
シャルヴァはそれをしばし見つめたあと、ふいと顔を背ける。

「お前の思い出話などに興味はない」

ロレンツの言葉に含まれた強い意志は理解していた。
一度、剣を捨てた者が再びその道に戻るには相当な覚悟が必要だ。それほどまでにロレンツはグレティアとネリーゼを大切に思っているのだ。
もしかしたら二人に過去の妻子の面影を重ねているのかもしれない。

「話は終わりか? グレティアが待っている。もう行くぞ」

ロレンツから返事はなかったが、シャルヴァはきびすを返してその場を離れることにした。



遠くに、深紅の外套を風にはためかせながら歩いてくる長身の男の姿を見つけ、グレティアは自分の居場所を報せるべく手を挙げた。

「遅いから心配したわ」

やってきたシャルヴァにそう言って、様子を窺うように顔を覗き込んだ。
いったいロレンツとなんの話をしていたのか、と気にはなったが、それ以上にシャルヴァの顔色の悪さが目に留まった。

「ねえ……。大丈夫?」

グレティアはそう言ってシャルヴァへと手を伸ばした。しかし、その手をシャルヴァに掴まれてしまう。

「ちょっ、シャル――!!」

有無を言わせぬ勢いで腰を引き寄せられる。

「やめっ――!」

瞬間、口づけされるのかと思ったグレティアはとっさに手をばたつかせ、シャルヴァの身体を押しのけた。
活力を分け与える行為は夕べ済んだはずだし、この次は今夜のはずだ。
今は口づけされる所以はない。

「きゅ、急になにするの?」
「さっきの男のところで少し魔力を失ってしまってな」
「……ブラフィーさんのところで術を使ったの!? そんなことしたらあなたが普通の人間じゃないって――」
「術は使っていない。だが、あの男は俺の正体に気づいていた」
「そんな……。それで、大丈夫なの? もし誰かに話されたりしたら……」

シャルヴァの言葉にグレティアは愕然とした。
さすが元剣士と言うべきか。まさかロレンツが一目でシャルヴァの正体を見破るとは思ってもいなかった。

「お前やお前の母親に危害を加えたら殺すとは言われたが、誰かに話すとは言っていなかったから平気だろう。それより――。悪いが活力を分けてもらってもいいか?」

シャルヴァの問いに、グレティアはびくりと肩を震わせた。
ここは人々の往来がある広場だ。
こんな場所で若い男女が口づけを交わしていれば、いやでも目立つことになる。

「それ、本気で言ってるの?」
「当たり前だ」

即答され、グレティアは唖然とした。
それから周囲をぐるりと見回す。幸い、広場に人通りは少なかったため、意を決してシャルヴァを見上げた。

「ど、どうすればいいの?」
「昨日と同じだ」

答えと同時、シャルヴァの指先がグレティアの頬に触れる。
グレティアはとっさに身を固くし、きつく目を閉じた。すぐに顔の近くにシャルヴァの気配を感じる。
しかし、それは一瞬だった。
ふいにシャルヴァの気配が離れ、グレティアは恐る恐る薄目を開けた。

「シャルヴァ……?」

グレティアの目の前にシャルヴァは変わらず立っていた。その顔色はやはりあまり健康そうには見えず、グレティアは不思議に思う。

「活力を取るんじゃなかったの?」

グレティアが素直に疑問を口にすると、シャルヴァはすっと視線をそらした。

「そんなに嫌ならやめてもかまわないぞ」
「やめるって……。だってそんなことしたらあなた生きていられないんでしょ」
「まあ、そうだが……。お前にそんな顔をさせるなら消滅する方がましな気がする」

シャルヴァはあっさりとそう言い、再びグレティアと目を合わせた。
赤褐色の瞳は真剣で、冗談を言っている風には見えない。
グレティアは胸の奥を羽でくすぐられたような、なんとも不可思議な感覚を味わいながら、きゅっと唇を引き結んだ。

「そんな顔って、私いったいどんな顔してたの?」
「怯えているような、そんな顔だ。お前はまだ俺が怖いのか?」

そう答えたシャルヴァの表情はどこか寂しそうだ。
グレティアは一度大きく深呼吸したあと、シャルヴァへと手を伸ばした。

「あなたのことが怖いわけじゃないの。ただ、その……。こっ、恋人でもない人とすることじゃないでしょ。それに、私も生まれて初めてのことだからどんな顔すればいいかわからないし……」

つっかえつつも、グレティアはまっすぐシャルヴァを見て話した。すると、シャルヴァが眉間にしわを刻んで首をひねる。

「つまり俺がお前の恋人になればいいということだな」
「……は?」

どういう思考回路をしていればそういう発想になるのか、グレティアは甚だ疑問を抱いた。

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