時忘れの森
第二十一話
グレティアが部屋の中に戻ると、母の傍らにシャルヴァが立っていた。
グレティアの存在に気づいて振り返ったシャルヴァを見た瞬間、グレティアはぎくりと身体をこわばらせた。
シャルヴァの赤褐色のはずの瞳が燃えるように赤く染まっていたからだ。
それはまさしく魔物をあらわすにふさわしい色だった。鮮やかな紅玉の輝きを宿した瞳は見る者を魅了する力を持っており、しかし同時に、畏怖の念を抱かせるものだ。
「シャル……ヴァ……?」
名を呼ぶ声が震えた。
瞬間、シャルヴァの瞳から朱の色素が急激に失われる。彼は静かにまぶたを閉じ、次にゆっくりと目を開けたとき、その瞳はいつもの赤褐色に戻っていた。
「今の、なに……?」
「なにがだ?」
疑問をそのまま投げかけるが、シャルヴァは素知らぬ顔で視線を逸らした。
「誤魔化さないで!」
とっさに声が大きくなり、グレティアははっとして口元を押さえる。
もしも外にリバルトがいたら騒ぎを聞いて駆けつけるに違いない。今のこの状況を見られるのはなんとなくまずい気がした。
「今、あなたの目が赤くなってた。そういえば、昨日、リバルトと一緒に帰ったときも一瞬赤く見えたわ。どういうこと?」
グレティアは声をひそめてシャルヴァに詰め寄った。
「別に大した理由じゃない。お前が知っても意味のないことだ」
「意味があるのかないのかは自分で決められる。どうしてなの? 教えて」
グレティアが食い下がると、シャルヴァは思案気な顔を一瞬見せ、そのあと小さく息を吐き出した。
「魔力を使ったり、使おうとするとこうなるんだ」
「まさか、昨日、魔力を使ってリバルトになにかしようとしてたってこと?」
「向こうが食ってかかってくる勢いだったからな」
「じゃあ、今は? なんのために魔力を使おうとしたの?」
「使おうとしたんじゃない。使ったんだ」
簡潔に答えたシャルヴァの言葉にグレティアは眉を寄せた。
いったいなんのために魔力を使ったのか? とグレティアはじっとシャルヴァを見つめた。すると、彼はちらりと母親の眠る寝台へと視線を投げ、それから再びグレティアと目を合わせた。
その様子からシャルヴァの魔力の使い道を推測したグレティアはさらに眉間の皺を深くした。
「――……母になにをしたの?」
問いかける口調が刺刺しくなってしまったのは、赤い瞳を見てしまったせいだ。グレティアにとってその瞳の色は彼がやはり魔物なのだと認識せざるえないものだった。
「お前が怒るようなことはしていない」
先刻グレティアが座っていた椅子に腰を下ろしながらシャルヴァは答え、ぐったりとした様子で額に張り付いた髪を掻き上げた。
それを見て、グレティアは小首を傾げる。
「どうしたの? 朝見たときよりも顔色が悪いけど」
「心配ない。慣れない術を使って疲れただけだ」
「慣れないって……。だから、いったいなに、を――!」
寝台へと視線を移したグレティアはそこで短く息を呑んだ。
寝台に横になっている母の姿に違和感を覚えたからだ。
よく見ると、腫れ上がっていた皮膚からほんの少しではあったが発疹が減っていることに気がついた。
「これ……。まさかあなたが?」
「もしもこのまま母親が死んだらお前の瞳は憎しみだけで満たされる。俺が欲しいのはそんな輝きじゃない。しかし、そうなるきっかけを与えたのは俺だからな。後始末はつける」
シャルヴァはそう言うと、余程疲れているのか額を両手で覆い項垂れた。
「――お母さんを助けてくれるの?」
「術が完全に効くまでまだ時間はかかるが、俺が死なせはしない」
目線だけ上げたシャルヴァのまなざしからは絶対的な自信があるともとれる強い意志が感じ取れた。
「ありがとうっ……」
目元がじわじわと熱くなるのを感じながら、グレティアはシャルヴァにすがりついた。
「――っ! おい、なぜ泣くんだ!?」
視界が涙で滲んだためシャルヴァの表情をはっきりと確認できなかったが、グレティアの行動に驚いた様子だということだけはその声音からわかった。
「お前は母親が助かった方がいいのだろう!?」
「そうよ」
「ではなぜ泣く?」
「悲しいからじゃない。嬉しいからよ」
そっと手を伸ばし、グレティアはシャルヴァの手に触れた。
思っていたよりもずっと冷たいその手をぎゅっと握りしめ、にっこりと頬笑む。
「本当になんてお礼を言ったらいいかわからないくらい感謝してる。ありがとう……」
グレティアが心からそう告げると、シャルヴァが驚いたように目を丸くした。しかし、次の瞬間にはいつもと変わらぬ冷静な面持ちに戻り、グレティアから視線を外した。
「俺はただ輝きが曇っては困るからしただけだ。本当ならお前の母親が死のうと生きようとどうだっていいんだからな。勘違いするな。礼なんて必要ない。さっさと立て」
シャルヴァはつっけんどんな物言いで椅子から立ち上がると、グレティアに手を差し出してきた。
グレティアは素直にその手を取って腰を上げると、母へと視線を向けた。
心なしか不規則だった呼吸も落ち着いて来ているように見える。
これまで母親の未来に絶望的なものしか見いだせなかったのに、今はなにもかもがうまくいくような気さえしていた。
グレティアの存在に気づいて振り返ったシャルヴァを見た瞬間、グレティアはぎくりと身体をこわばらせた。
シャルヴァの赤褐色のはずの瞳が燃えるように赤く染まっていたからだ。
それはまさしく魔物をあらわすにふさわしい色だった。鮮やかな紅玉の輝きを宿した瞳は見る者を魅了する力を持っており、しかし同時に、畏怖の念を抱かせるものだ。
「シャル……ヴァ……?」
名を呼ぶ声が震えた。
瞬間、シャルヴァの瞳から朱の色素が急激に失われる。彼は静かにまぶたを閉じ、次にゆっくりと目を開けたとき、その瞳はいつもの赤褐色に戻っていた。
「今の、なに……?」
「なにがだ?」
疑問をそのまま投げかけるが、シャルヴァは素知らぬ顔で視線を逸らした。
「誤魔化さないで!」
とっさに声が大きくなり、グレティアははっとして口元を押さえる。
もしも外にリバルトがいたら騒ぎを聞いて駆けつけるに違いない。今のこの状況を見られるのはなんとなくまずい気がした。
「今、あなたの目が赤くなってた。そういえば、昨日、リバルトと一緒に帰ったときも一瞬赤く見えたわ。どういうこと?」
グレティアは声をひそめてシャルヴァに詰め寄った。
「別に大した理由じゃない。お前が知っても意味のないことだ」
「意味があるのかないのかは自分で決められる。どうしてなの? 教えて」
グレティアが食い下がると、シャルヴァは思案気な顔を一瞬見せ、そのあと小さく息を吐き出した。
「魔力を使ったり、使おうとするとこうなるんだ」
「まさか、昨日、魔力を使ってリバルトになにかしようとしてたってこと?」
「向こうが食ってかかってくる勢いだったからな」
「じゃあ、今は? なんのために魔力を使おうとしたの?」
「使おうとしたんじゃない。使ったんだ」
簡潔に答えたシャルヴァの言葉にグレティアは眉を寄せた。
いったいなんのために魔力を使ったのか? とグレティアはじっとシャルヴァを見つめた。すると、彼はちらりと母親の眠る寝台へと視線を投げ、それから再びグレティアと目を合わせた。
その様子からシャルヴァの魔力の使い道を推測したグレティアはさらに眉間の皺を深くした。
「――……母になにをしたの?」
問いかける口調が刺刺しくなってしまったのは、赤い瞳を見てしまったせいだ。グレティアにとってその瞳の色は彼がやはり魔物なのだと認識せざるえないものだった。
「お前が怒るようなことはしていない」
先刻グレティアが座っていた椅子に腰を下ろしながらシャルヴァは答え、ぐったりとした様子で額に張り付いた髪を掻き上げた。
それを見て、グレティアは小首を傾げる。
「どうしたの? 朝見たときよりも顔色が悪いけど」
「心配ない。慣れない術を使って疲れただけだ」
「慣れないって……。だから、いったいなに、を――!」
寝台へと視線を移したグレティアはそこで短く息を呑んだ。
寝台に横になっている母の姿に違和感を覚えたからだ。
よく見ると、腫れ上がっていた皮膚からほんの少しではあったが発疹が減っていることに気がついた。
「これ……。まさかあなたが?」
「もしもこのまま母親が死んだらお前の瞳は憎しみだけで満たされる。俺が欲しいのはそんな輝きじゃない。しかし、そうなるきっかけを与えたのは俺だからな。後始末はつける」
シャルヴァはそう言うと、余程疲れているのか額を両手で覆い項垂れた。
「――お母さんを助けてくれるの?」
「術が完全に効くまでまだ時間はかかるが、俺が死なせはしない」
目線だけ上げたシャルヴァのまなざしからは絶対的な自信があるともとれる強い意志が感じ取れた。
「ありがとうっ……」
目元がじわじわと熱くなるのを感じながら、グレティアはシャルヴァにすがりついた。
「――っ! おい、なぜ泣くんだ!?」
視界が涙で滲んだためシャルヴァの表情をはっきりと確認できなかったが、グレティアの行動に驚いた様子だということだけはその声音からわかった。
「お前は母親が助かった方がいいのだろう!?」
「そうよ」
「ではなぜ泣く?」
「悲しいからじゃない。嬉しいからよ」
そっと手を伸ばし、グレティアはシャルヴァの手に触れた。
思っていたよりもずっと冷たいその手をぎゅっと握りしめ、にっこりと頬笑む。
「本当になんてお礼を言ったらいいかわからないくらい感謝してる。ありがとう……」
グレティアが心からそう告げると、シャルヴァが驚いたように目を丸くした。しかし、次の瞬間にはいつもと変わらぬ冷静な面持ちに戻り、グレティアから視線を外した。
「俺はただ輝きが曇っては困るからしただけだ。本当ならお前の母親が死のうと生きようとどうだっていいんだからな。勘違いするな。礼なんて必要ない。さっさと立て」
シャルヴァはつっけんどんな物言いで椅子から立ち上がると、グレティアに手を差し出してきた。
グレティアは素直にその手を取って腰を上げると、母へと視線を向けた。
心なしか不規則だった呼吸も落ち着いて来ているように見える。
これまで母親の未来に絶望的なものしか見いだせなかったのに、今はなにもかもがうまくいくような気さえしていた。
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