時忘れの森

牛乳紅茶

第十話

「私がここに来るように仕向けたの?」
「いいや。俺はなにもしてない。この森がやったんだ」
「ふざけないで!」
「ふざけてなんていない。この森には漠然とした意思があるんだ。獲物を俺の元に連れて行こうとするんだ。実際、お前は手に入れたかった薬草を探しているうちにこの屋敷にたどり着いたはずだ」

口角をつり上げた男の顔を見てグレティアは短く息を呑んだ。
道に迷ったことまでは男の仕業だと仮定したが、まさか連甘草まで男の力が関わっているとは思わなかった。

「この森は俺の望まないことはしない。お前がどうしてもここを出て行くと言うなら仕方ないが、森の中で迷うのがおちだろうな」

男はそう言ったあと、長椅子の上から連甘草の入った篭をとり、グレティアに差し出してきた。
グレティアは惰性的に篭を受け取り、ちらりと男を見上げる。

「永遠に彷徨いたいなら好きにしろ」

目が合った男は短く言い置き、グレティアから視線をそらした。そして、なにかの呪文なのか聞き取れない言葉を小さく呟き片手を振った。

瞬間、その場に闇が落ちる。
突然のことにグレティアは息を呑み、辺りをきょろきょろと見回した。
――と、そのときだ。
ぼっ、という音とともに唐突に視界に明るさが戻る。
眩しさに目を細めながらも視線を向ければ、男の手の平に煌々とした赤い炎が揺らめいていた。
両手で包めるほどの大きさの炎を頼りに、グレティアが再び部屋の中に視線を巡らせると、そこが先ほどと一変していることに気がついた。
埃だらけの調度品に薄汚れた室内、最初に屋敷に入ったときと同じような様相に戻っていたのだ。

「簡単な幻影術だ」

わけがわからず辺りを見回していたグレティアに男が言った。
グレティアはその言葉に男を一瞥し再び部屋の中を見渡す。
最初に屋敷に入ったときと同じ有様に表情が強ばった。
はっきり言ってとてもじゃないが人が生活していける環境ではない。この男は、こんな状態の屋敷で暮らせと本気で言っていたのだろうか?

グレティアは篭と鞄を持つ手に力を込め、改めて男を見た。

このまま出て行っても男の言うとおり村まで帰ることはできないのだ。今この場で、どうにか男を説得しなければならない。

「森でずっと迷うのはいや。でも、あなたの希望に添うこともできない」
「随分と勝手な言い分だな」
「魔力にものを言わせて自分の思い通りにしようとしてるあなたに言われたくない」

グレティアがきつく睨むと、男はどこか楽しげにも見える笑みをその口元に浮かべた。その微笑をグレティアは嘲笑と受け取りむっと眉を寄せる。

「なに笑ってるの?」
「いや、別に。輝きが少しずつ戻ってきているな、と思っただけだ。ようやく俺を恐れなくなったか。――で? どうするんだ? 解決策は思いついたのか?」

馬鹿にされてる。
そう思ったグレティアだったが、平静を装い大きく頷いた。

「ええ、もちろんよ。私はここに残れないんだからあなたが一緒に来ればいいのよ。村に薬草を届けて母の快復を見届けたあとならなんだってあなたの言うとおりにする。なんならこの屋敷に戻ってきてもいい。とにかくあなたの望みを叶えるのはこっちの用が済んだあとよ」

緊張のせいで息も継げないほど早口になってしまった。
グレティアは強気で言い切ったあと、男から決して目をそらさずにじっと返事を待った。

「ほう……」

グレティアの緊張を知ってか知らずか、男は感心したように呟いたあと、思案気な表情でさらりと髪をかきあげた。そして、なにを考えたのかグレティアの手から不意に鞄と篭を奪い取った。

「なにするの!? 返して!」

グレティアは慌てて鞄と篭を取り返そうと試みるが、あっさりと男に手で遮られてしまう。

「帰るんだろう? それならこれは俺が持つ」
「帰ってもいいのっ!?」

唐突な男の言葉にグレティアは驚きを隠せなかった。

「女の荷物は男が持つものだそうだな」

しかし、そんなグレティアの声など耳に届いていないのか、男は話の流れとはまったく無関係なことを言い出した。

「そんなことはどうでもいいの! 今、村に帰るってって言ったわよね!」
「――? ああ。そうしなければお前は俺のものにはならないんだろう?」
「はあ? あなたのものってなに? あなたが欲しいのは――」
「瞳の輝きだ。なにか間違ったことを言ったか?」
「ああ、もう。わかったわ! なんだっていい。とにかく私は村に帰れるのね!」
「そうしたいんだろう」

男はそう素っ気なく言って、くるりときびすを返した。

「来い。すぐに村に帰してやる」

顔だけこちらに向けた男がそう言って右手を軽く上げた。

「きゃっ」

次の瞬間、室内は再び闇に包まれた。
男が手のひらの中に灯していた炎を消したのだ。

「こっちだ」

暗闇の中、男の声が聞こえた。
グレティアは声だけを頼りに恐る恐る歩を進めた。

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