時忘れの森
第三話
「そこに行けば連甘草を手に入れることができるんですね?」
「確実ではないが可能性は高い。森には季節に関係なく様々な植物が生きているという噂もあるくらいだ。連甘草もきっとあるはずだ」
「――その森に行きます。行き方を教えてください」
グレティアは自分の意思を固めるためにも一度大きく頷き、そうはっきりと言った。
「無事に帰って来られる保証はない。それでも行くんだね?」
「行きます」
グレティアがもう一度頷いてみせると、ルステンは小さくため息をつき額に両の手を置いた。骨張った大きな手に隠されてその表情は見えなかったけれど、グレティアにはなんとなくルステンが今どんな顔をしているのかわかった。だからこそありがたく、そして申し訳なく思った。
「ここから王都へと続く街道をまっすぐ行くと都の手前に森がある。馬を使えば二日ほどの距離だ。連甘草が効くのは患部が腫れている間だけ。発疹が出始めたら手遅れになってしまう」
「すぐに支度して向かいます。私がいない間、申し訳ありませんが母のことよろしくお願いします。――ありがとうございます」
心からの感謝を込めて、グレティアは深く頭を下げた。と、そこへどこか力のなくなったルステンの呟きが降ってくる。
「連甘草は白い花を咲かせる。暗がりの湿った場所に自生する植物だ。あとで詳しく記したものをリバルトに持っていかせよう」
「ありがとうございます。失礼します」
グレティアは再び礼の言葉を告げると顔を上げた。そして、一礼してきびすを返す。
すぐにでも家に帰って旅の支度をしなければならない。
「とにかく気をつけていくんだ。無理だと思ったらすぐに帰ってくること。君の心意気は認めているが、死んでしまっては意味がないんだからね」
扉に向かったグレティアの背にルステンの声がかかった。
「はい……」
グレティアは短く答えたあと、ほんの少しだけ後ろを振り返って寝台で眠る母の顔を瞳に焼き付けた。
◆ ◆ ◆
「これをグレティアに届けてきてくれ」
薬品置き場兼調合室で浸煎薬の下準備をしていたリバルトにルステンはそう声をかけ、丸めた羊皮紙を差し出した。
「なんだい? これ」
リバルトはぐつぐつと煮立つ鍋の湯をかき回す手を止め、羊皮紙を受け取るとあからさまに眉を寄せる。
「連甘草について詳しく記したものだ」
「どうして今更? 連甘草について教えたところでネリーゼさんが助かるわけじゃないんだろ?」
リバルトの問いにルステンは沈黙した。
その態度からリバルトは自分の父親が何をしようとしているのか察したのか、その灰紫の瞳に怒りの色を浮かび上がらせた。
「まさかとは思うけど、グレティアに連甘草の場所を教えた? 無許可採取は禁じられてるんだよ。もし見つかったら彼女は――!!」
「採取しても罪に問われない場所を教えただけだ。心配ない」
「それって……。っ! 父さん、なに考えてるんだ! あの森のことを教えるなんて正気じゃないよ!」
リバルトがそう声を荒げた瞬間、二人の足下でガチャンッと硝子が砕ける音がした。調合用の器具が憤慨したリバルトの腕に当たって落ちたのだ。しかしリバルトは視線を下げることはせず、じっとルステンを睨み続けていた。
「あの子は母親を救うために躍起になっていた。あのまま母親を失えばなにをするかわからない状態だった。少しでも希望を持たせてやりたかったんだ。一人になって考えれば落ち着くだろう」
ルステンはリバルトの視線から逃げるようにその場にしゃがみ込むと足下に散らばった硝子片を拾い始めた。
「それは希望なんかじゃない。その場しのぎの気休めだ」
リバルトの呟きが室内に静かに響き渡った。それでもルステンは黙々と硝子片を拾い続け、そうしてあらかたの破片を拾い終えたあとゆっくりと顔を上げる。
「お前が危惧するような結果にはならないさ。時忘れの言葉の意味も、森の奥に魔物が棲んでいるかもしれないことも教えておいた。この村を離れたことのないあの子が森まで辿り着けるわけがない。きっと途中で怖じ気づいて帰って来るのがオチだ」
「父さんはわかってないよ。ああいう子は怖さを知らないからこそ無茶をするんだ」
「――とにかくそれを早く届けろ。グレティアにはあとで持っていくと伝えてあるんだ」
「――……っ! わかったよ。持っていけばいいんだろ!」
再び床に視線を落としたルステンの態度からなにを言っても無駄に終わることを悟ったのだろう、リバルトは手にしていた羊皮紙をきつく握りしめ、やけくそになったように言い捨てた。そして、そのまま調合室を飛び出していく。
一人残ったルステンはリバルトがそのままにしていった鍋の火を落とそうと手を伸ばしかけ、途中でぴたりと指を止めた。
見れば右手の人差し指には鮮やかな赤い筋が一つできている。硝子片を拾う際に傷つけたようだ。ぷっくりと浮き上がった鮮血を唇で押さえ、ルステンはきつく眉根を寄せた。
「確実ではないが可能性は高い。森には季節に関係なく様々な植物が生きているという噂もあるくらいだ。連甘草もきっとあるはずだ」
「――その森に行きます。行き方を教えてください」
グレティアは自分の意思を固めるためにも一度大きく頷き、そうはっきりと言った。
「無事に帰って来られる保証はない。それでも行くんだね?」
「行きます」
グレティアがもう一度頷いてみせると、ルステンは小さくため息をつき額に両の手を置いた。骨張った大きな手に隠されてその表情は見えなかったけれど、グレティアにはなんとなくルステンが今どんな顔をしているのかわかった。だからこそありがたく、そして申し訳なく思った。
「ここから王都へと続く街道をまっすぐ行くと都の手前に森がある。馬を使えば二日ほどの距離だ。連甘草が効くのは患部が腫れている間だけ。発疹が出始めたら手遅れになってしまう」
「すぐに支度して向かいます。私がいない間、申し訳ありませんが母のことよろしくお願いします。――ありがとうございます」
心からの感謝を込めて、グレティアは深く頭を下げた。と、そこへどこか力のなくなったルステンの呟きが降ってくる。
「連甘草は白い花を咲かせる。暗がりの湿った場所に自生する植物だ。あとで詳しく記したものをリバルトに持っていかせよう」
「ありがとうございます。失礼します」
グレティアは再び礼の言葉を告げると顔を上げた。そして、一礼してきびすを返す。
すぐにでも家に帰って旅の支度をしなければならない。
「とにかく気をつけていくんだ。無理だと思ったらすぐに帰ってくること。君の心意気は認めているが、死んでしまっては意味がないんだからね」
扉に向かったグレティアの背にルステンの声がかかった。
「はい……」
グレティアは短く答えたあと、ほんの少しだけ後ろを振り返って寝台で眠る母の顔を瞳に焼き付けた。
◆ ◆ ◆
「これをグレティアに届けてきてくれ」
薬品置き場兼調合室で浸煎薬の下準備をしていたリバルトにルステンはそう声をかけ、丸めた羊皮紙を差し出した。
「なんだい? これ」
リバルトはぐつぐつと煮立つ鍋の湯をかき回す手を止め、羊皮紙を受け取るとあからさまに眉を寄せる。
「連甘草について詳しく記したものだ」
「どうして今更? 連甘草について教えたところでネリーゼさんが助かるわけじゃないんだろ?」
リバルトの問いにルステンは沈黙した。
その態度からリバルトは自分の父親が何をしようとしているのか察したのか、その灰紫の瞳に怒りの色を浮かび上がらせた。
「まさかとは思うけど、グレティアに連甘草の場所を教えた? 無許可採取は禁じられてるんだよ。もし見つかったら彼女は――!!」
「採取しても罪に問われない場所を教えただけだ。心配ない」
「それって……。っ! 父さん、なに考えてるんだ! あの森のことを教えるなんて正気じゃないよ!」
リバルトがそう声を荒げた瞬間、二人の足下でガチャンッと硝子が砕ける音がした。調合用の器具が憤慨したリバルトの腕に当たって落ちたのだ。しかしリバルトは視線を下げることはせず、じっとルステンを睨み続けていた。
「あの子は母親を救うために躍起になっていた。あのまま母親を失えばなにをするかわからない状態だった。少しでも希望を持たせてやりたかったんだ。一人になって考えれば落ち着くだろう」
ルステンはリバルトの視線から逃げるようにその場にしゃがみ込むと足下に散らばった硝子片を拾い始めた。
「それは希望なんかじゃない。その場しのぎの気休めだ」
リバルトの呟きが室内に静かに響き渡った。それでもルステンは黙々と硝子片を拾い続け、そうしてあらかたの破片を拾い終えたあとゆっくりと顔を上げる。
「お前が危惧するような結果にはならないさ。時忘れの言葉の意味も、森の奥に魔物が棲んでいるかもしれないことも教えておいた。この村を離れたことのないあの子が森まで辿り着けるわけがない。きっと途中で怖じ気づいて帰って来るのがオチだ」
「父さんはわかってないよ。ああいう子は怖さを知らないからこそ無茶をするんだ」
「――とにかくそれを早く届けろ。グレティアにはあとで持っていくと伝えてあるんだ」
「――……っ! わかったよ。持っていけばいいんだろ!」
再び床に視線を落としたルステンの態度からなにを言っても無駄に終わることを悟ったのだろう、リバルトは手にしていた羊皮紙をきつく握りしめ、やけくそになったように言い捨てた。そして、そのまま調合室を飛び出していく。
一人残ったルステンはリバルトがそのままにしていった鍋の火を落とそうと手を伸ばしかけ、途中でぴたりと指を止めた。
見れば右手の人差し指には鮮やかな赤い筋が一つできている。硝子片を拾う際に傷つけたようだ。ぷっくりと浮き上がった鮮血を唇で押さえ、ルステンはきつく眉根を寄せた。
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