悪役令嬢を目指します!
第十五話 『なんでもかんでも俺のせいにしないでほしいな』
混乱している私をよそに、扉を蹴飛ばした犯人はずかずかと部屋の中に押し入ってきて、寝台の上にいる私とルシアンを見て顔を険しくさせた。
「あのさぁ」
不機嫌な声に顔が引きつる。混乱している場合じゃない。
「ボク言ったよね? 異性と二人になるなって」
ルシアンがぎゅうっと強く、まるでライアーから私を隠すように私を抱え込んだ。ライアーが舌打ちしわざとらしい靴音を鳴らしながらこちらに近づいてくる。
どうしよう、逃げたい。でも物理的に逃げられない。
「お前か、レティシアに私と二人になるなと言ったのは」
「はあ? だから何?」
言ったのは異性とであって、ルシアンとではない。それに私はなんだかんだ異性と二人になることが多かったような気がする。不可抗力もあったりしたけど。
とっくの昔にリューゲから言われたことは破っている。でもそれを言うといっそう暴れそうなので、私は賢く口を閉ざす道を選んだ。
「素性を偽りレティシアに近づいて、どういうつもりだ」
「素性? ああ、なるほど、彼女から何も聞いてないんだ?」
「……レティシア」
私は口を閉ざしているので話を振らないでほしい。
魔族の存在が明らかになったとはいえ、魔族が従者してましたとか言えるはずがない。だけど、よくよく考えてみたら、リューゲは髪の色と耳の長さ以外はまんまライアーだった。
魔族と交渉するという時点で、こうなる可能性を視野に入れておくべきだった。うっかりでは済まされない失態だ。
「あ、あのね、その、十歳のときに……魔物に襲われて助けてくれたのが彼なのよ。それで、それ以来その縁でなんかこう、従者になったというか、そんな感じで」
リリアについては伏せてものすごく言葉を選んだ結果、なんだそれはと聞きたくなるような杜撰な話になってしまった。嘘は一切吐いていないのに不思議だ。
「それについてはは礼を言うけど、私とレティシアの関係について口を出してほしくないな」
「ボクは彼女のために言ってるんだけど? 放っておいたら悪い男に引っかかりそうだし」
教皇のことか。
「お前のことか」
「なんでそうなるかな。ボクは彼女を害したりしないよ」
教皇のことだ。
いやでも、教皇は百年前の人でもういない。心配しなくてもいいと思う。死者に害されることはない。死者蘇生の魔法はこの世界にはないのだから。
「それで、誰に許可を貰って彼女に触れてんの?」
「レティシアは私の婚約者だよ。それ以上の許可は必要ない」
私の許可は必要としてほしい。
まずいな、色々収集つかなくなりそうだ。ノイジィの魔法にかかっているせいか、ルシアンの頭から交渉の文字が抜け落ちているように思える。
それにライアーもライアーだ。私はリリアではないのだから、自分のもののように言うのはやめてほしい。
「ねえ、ちょっと……あら、ライアー……なんかさっぱりしたわね」
ぴしりとライアーの顔が固まった。
ルシアンの腕からなんとか顔だけ出した私は、やけにさっぱりしているライアーを見て首をかしげた。
無駄に長くてうっとうしかった髪がなくなっている。心機一転するような何かがあったのだろうか。
「切り口が揃っているから整えた方がいいんじゃないかしら」
「……キミが変なことしてなかったらそのつもりだったよ」
「あらそうなの? それは悪いことをしたわね。変なことはしてないから揃えてきていいわよ」
「現在進行形で変なことになってるのに、状況が見えてないの?」
呆れたように言われて、そういえばまだルシアンの腕の中だった。衝撃が強すぎて忘れそうになっていた。現実逃避したかったとも言う。
「とりあえず離れたら?」
「無理ね」
腕の力が強くなり、意地でも離さないという無言の訴えを感じた。
「まあいいわ。あなたにお願いしたいことがあったのよ。明日にでも時間を作ってちょうだい」
「なんでこの状況で話を進めようとするかなキミは」
呆れ声で言われたけど、話を進めないと膠着状態になって収拾がつかなくなるのだから仕方ないと思う。
私のために争わないでと目に涙を浮かべてふるふる震えることができるほど、私の精神は強靭にはできていない。さっさと話を終わらせてこの場から逃げ出したい。
ジールの部屋にでも行ってアンリ殿下と一緒に寝るのが一番安全な気がしてきた。
「レティシア。また変なこと考えてる?」
ぽすんと頭の上に重みが加わる。そのまま何かがすり寄るように動いた。この感触には覚えがある。どうやらルシアンの顔が乗り、そのまま頬ずりされているようだ。
行動と言動が噛み合っていない辺り陰険魔族の魔法の空恐ろしさを感じる。
「何も考えてないわ」
「レティシアは今日はこの部屋にいるんだよ。わかった?」
「扉の壊れた部屋はちょっと……」
無残ながらくたに変わった扉が転がる部屋で落ちついて眠れるはずがない。
しかし、これはどうしたものか。ルシアンはてこでも動こうとしないし、ライアーは苛々しているし、交渉どころではない。
もはやどうしようもない、そう諦めようとした瞬間。
「女性の部屋に押し入るなんてどういうつもりですか!」
高く可愛らしい声が聞こえた。
ライアーは乱入者である勇者を見下ろし、不機嫌そうに眉をひそめる。
「なんで拘束とけてるの?」
「お土産にナイフを貰いました」
ナイフがお土産とは、物騒すぎる。一体誰があげたのか知らないが、お土産には小さくて邪魔にならないで実用的なものをお勧めしよう。食べ物なら尚よしだ。
勇者は無残なことになった扉を一瞥し、寝台にいる私とルシアンを見て、それからライアーを見上げた。
「お邪魔するのはよくないですよ」
「邪魔じゃないよ」
「邪魔なのでどこかに行ってくれないかな」
しれっと言うライアーと間髪入れず否定するルシアン。私はどうすればいいのだろう。ライアーが残るとルシアンが危ないし、ライアーがいなくなると私が危ない。
やはりここはジールの部屋に行ってアンリ殿下と過ごすのが一番安全そうだ。
「とりあえずノイジィを呼んでくれるかしら」
色々悩んだ結果、ルシアンにかかっている魔法をとけばいいという結論に達した。
「まったく、なんでもかんでも俺のせいにする精神をどうにかするべきではないか。そもそも、俺は愛を伝えることを使命としているのに、どうしてすでに愛を得ている者に魔法をかけると思うのか。俺の愛の使者としての役目を愚弄しているのではないか」
ライアーに引き摺られてきたノイジィは開口一番、そう反論してきた。
「あなたじゃなかったら誰が魔法をかけるのよ」
「愛する者が目の前にいて何かしようと思うのは、正常なことだろう」
「でも、何もしないって」
ルシアンを見上げると、そっと視線を外された。
「もちろん、何もしない……つもりだったけど……抱きしめるぐらいのことはしてもいいのではと、そう思っただけで……すまない」
思いっきりそれ以上のことをしようとしていたのは私の気のせいだろうか。
想ってくれるのは嬉しい、嬉しいけど、そういうことは順序を守ってほしい。手をつないで出かけ――るのは何度もしたな、そういえば。
婚約期間は十年を超え、ここ最近は一緒に過ごすことも増えている。それを考えると思い合っていて手を繋いだことしかないというのは遅いぐらい、なのかもしれない。
前の私の記憶にある少女漫画とかではキスぐらいなら早い段階で済ませているものも多い。リリアの記憶は参考にならないので思い出さないことにしよう。
「……す、少しだけなら、別にいいわよ。だから気にしないで」
落ち込んでうなだれているルシアンを励ます意味もこめてそう語りかけると、勢いよく顔が上がった。そして期待に満ちた目を向けられ、硬直してしまう。
いやまさか、今すぐとは言い出さないだろうな。さすがに衆目の中でキスする度胸は私にはない。
「話がまとまったのなら俺は戻るぞ」
呆れた顔のノイジィが去り、頬をわずかに染めている勇者がライアーの手を引っ張った。
「ほら、行きますよ。恋人同士の邪魔をしてはいけません」
「行くわけないよね、馬鹿なのかなキミは」
逆に勇者を引っ張り宙に浮かせると、ライアーはいまだに私を抱きこんでいるルシアンと抱き込まれている私を見下ろした。
「……聞いたけど、ボクたちと和平を結びたいんだって?」
「だからどうした」
「その子をボクにくれるなら頷いてあげてもいいよ」
――まったく、本当にこの魔族はどうしようもない。
「ライアー」
「何?」
「思ってもいないことを口にするものではないわ」
どうしてもリリアを手放したくないのなら、教皇との結婚だってライアーは認めなかったはずだ。
どうしても私が欲しいなら、さっさとルシアンを殺せばいい。それをできるだけの力があるのだから。
そのどちらもしなかったのは、する気がないからだ。
「あなたは、いつまでたっても素直じゃないわね」
「本気で言ってるんだけど?」
「あら、本気だったらそんな条件を出す前にルシアンを殺すでしょう」
「魔王に殺すなって言われてるとは考えないんだ?」
「魔王に言われたからって我慢するような性格じゃないわよね」
「自分の意思で手放す方が面白そうだからね」
「そんな簡単に手放せるのなら、私は今頃ここにはいないわ」
自分で言っておいて恥ずかしくなる。自意識過剰かもしれないが、ルシアンは私を手放しはしないだろう。
兄にも魔王にも渡さないと、はっきり言われている。
「それに、私がルシアンを手放さないわ」
――その後、拘束を解いた勇者を探しに魔王が来て、ついでにアンリ殿下も連れてきて、無残なことになっている部屋を変えて、朝を迎えた。
そしてルシアンが私にべたべたしてくるようになったのは、言うまでもないだろう。
「あの、僕、別の部屋に行きましょうか?」
アンリ殿下が思わずそう言ってしまうほどだった。
「それでジール、和平に同意してくれるってことでいいのよね」
「こんな可愛い子にお願いされたのですもの。同意しない理由はないです」
朝になりアンリ殿下を見に来たジールは上機嫌に頷いた。
どうやら可愛がられている間に頑張って説得してくれたらしい。ルシアンに褒められて、アンリ殿下は嬉しそうに笑っていた。
「問題は昨日の男だけど……どうしたものかな」
「それについては、私に任せてくれるかしら。お願いしたいこともあるのよね」
「私も同席していいよね?」
長椅子の上で私に寄り添い、指で髪を梳きながら微笑むルシアンに私は全力で首を横に振った。
「仇敵についてだから、ルシアンは魔王と和平を結んだ後の条件について話し合っていてちょうだい」
「あの男と君を二人にさせられないよ」
「アンリ殿下も一緒だから大丈夫よ」
ルシアンがいたら売り言葉に買い言葉でライアーは頷いてくれないかもしれない。
昨日は大人しく引きさがってくれたが、今日はどうなるかわからない。
頑張って説得して、ライアーの部屋をアンリ殿下と一緒に訪ねた。
「キミから来たってことは、ボクのところに来る気になったの?」
「違うわよ。災厄をなんとかしてもらいに来ただけよ」
長椅子の上でだらしなく寝そべる姿は、昔と変わらない。髪がないのを除けば。
「……ボクにどうしろって?」
「アンリ殿下の魔力を抜いてちょうだい」
災厄は魔力の意思だ。
なら魔力をなくせば、災厄ではなくなるのではないか――保証はどこにもない。だけど、私にはそれしか思いつかなかった。
「それをしてボクになんの得があるのさ」
「あら、私が望むのなら厭うものを滅ぼしてくれるのでしょう?」
あの恐怖体験は忘れたくても忘れられない。
「悪い魔女になるのなら協力する――あのときそう言ってくれたのは嘘だったのかしら」
「キミは悪い魔女になるつもりはないでしょ」
「あら、髪の色が大切な王族から色を失わせるのよ。それに、貴族の証である魔力を奪うなんて、十分悪役でしょう」
ライアーが私の横にいるアンリ殿下を見下ろすと、首をかしげた。
「キミはそれでいいの?」
「はい」
「災厄から魔力を奪うとどうなるかわからないし、最悪体を保てなくなるけど、それでも?」
「このままでいるよりは、幾分もマシです。それに、僕が災厄のままだとレティシア様も勇者のままなので」
勇者の体は加護を受けた状態で止まる。さすがに老いない体では人の世界で生きていけない。
私のことや、世界のこと、それから二人の兄のことを考えて、アンリ殿下はここにいる。その程度のこと、アンリ殿下は了承済みだ。
「僕は兄さまたちから父親と母親を奪いました。これ以上何かを奪いたくはありません」
「ならいいけど……でも、一つだけ条件があるよ」
ライアーの提示した条件は、半日だけ私を借りるというものだった。
――それがどんなものだったのか、私は知らない。
ただ、ルシアンが私を離すものかと抱きしめてくるようなものだったらしいことは確かだ。
陰険魔族によって失われた半日で何があったのか、私は知らないし、聞く気もないけど、ライアーの手首に巻かれた紐と、嬉しそうな顔からすると、そう悪いものではなかったのだろう。
「レティシア、二度と誰かに自分を貸すとか言わないで」
ルシアンを除いて。
「あのさぁ」
不機嫌な声に顔が引きつる。混乱している場合じゃない。
「ボク言ったよね? 異性と二人になるなって」
ルシアンがぎゅうっと強く、まるでライアーから私を隠すように私を抱え込んだ。ライアーが舌打ちしわざとらしい靴音を鳴らしながらこちらに近づいてくる。
どうしよう、逃げたい。でも物理的に逃げられない。
「お前か、レティシアに私と二人になるなと言ったのは」
「はあ? だから何?」
言ったのは異性とであって、ルシアンとではない。それに私はなんだかんだ異性と二人になることが多かったような気がする。不可抗力もあったりしたけど。
とっくの昔にリューゲから言われたことは破っている。でもそれを言うといっそう暴れそうなので、私は賢く口を閉ざす道を選んだ。
「素性を偽りレティシアに近づいて、どういうつもりだ」
「素性? ああ、なるほど、彼女から何も聞いてないんだ?」
「……レティシア」
私は口を閉ざしているので話を振らないでほしい。
魔族の存在が明らかになったとはいえ、魔族が従者してましたとか言えるはずがない。だけど、よくよく考えてみたら、リューゲは髪の色と耳の長さ以外はまんまライアーだった。
魔族と交渉するという時点で、こうなる可能性を視野に入れておくべきだった。うっかりでは済まされない失態だ。
「あ、あのね、その、十歳のときに……魔物に襲われて助けてくれたのが彼なのよ。それで、それ以来その縁でなんかこう、従者になったというか、そんな感じで」
リリアについては伏せてものすごく言葉を選んだ結果、なんだそれはと聞きたくなるような杜撰な話になってしまった。嘘は一切吐いていないのに不思議だ。
「それについてはは礼を言うけど、私とレティシアの関係について口を出してほしくないな」
「ボクは彼女のために言ってるんだけど? 放っておいたら悪い男に引っかかりそうだし」
教皇のことか。
「お前のことか」
「なんでそうなるかな。ボクは彼女を害したりしないよ」
教皇のことだ。
いやでも、教皇は百年前の人でもういない。心配しなくてもいいと思う。死者に害されることはない。死者蘇生の魔法はこの世界にはないのだから。
「それで、誰に許可を貰って彼女に触れてんの?」
「レティシアは私の婚約者だよ。それ以上の許可は必要ない」
私の許可は必要としてほしい。
まずいな、色々収集つかなくなりそうだ。ノイジィの魔法にかかっているせいか、ルシアンの頭から交渉の文字が抜け落ちているように思える。
それにライアーもライアーだ。私はリリアではないのだから、自分のもののように言うのはやめてほしい。
「ねえ、ちょっと……あら、ライアー……なんかさっぱりしたわね」
ぴしりとライアーの顔が固まった。
ルシアンの腕からなんとか顔だけ出した私は、やけにさっぱりしているライアーを見て首をかしげた。
無駄に長くてうっとうしかった髪がなくなっている。心機一転するような何かがあったのだろうか。
「切り口が揃っているから整えた方がいいんじゃないかしら」
「……キミが変なことしてなかったらそのつもりだったよ」
「あらそうなの? それは悪いことをしたわね。変なことはしてないから揃えてきていいわよ」
「現在進行形で変なことになってるのに、状況が見えてないの?」
呆れたように言われて、そういえばまだルシアンの腕の中だった。衝撃が強すぎて忘れそうになっていた。現実逃避したかったとも言う。
「とりあえず離れたら?」
「無理ね」
腕の力が強くなり、意地でも離さないという無言の訴えを感じた。
「まあいいわ。あなたにお願いしたいことがあったのよ。明日にでも時間を作ってちょうだい」
「なんでこの状況で話を進めようとするかなキミは」
呆れ声で言われたけど、話を進めないと膠着状態になって収拾がつかなくなるのだから仕方ないと思う。
私のために争わないでと目に涙を浮かべてふるふる震えることができるほど、私の精神は強靭にはできていない。さっさと話を終わらせてこの場から逃げ出したい。
ジールの部屋にでも行ってアンリ殿下と一緒に寝るのが一番安全な気がしてきた。
「レティシア。また変なこと考えてる?」
ぽすんと頭の上に重みが加わる。そのまま何かがすり寄るように動いた。この感触には覚えがある。どうやらルシアンの顔が乗り、そのまま頬ずりされているようだ。
行動と言動が噛み合っていない辺り陰険魔族の魔法の空恐ろしさを感じる。
「何も考えてないわ」
「レティシアは今日はこの部屋にいるんだよ。わかった?」
「扉の壊れた部屋はちょっと……」
無残ながらくたに変わった扉が転がる部屋で落ちついて眠れるはずがない。
しかし、これはどうしたものか。ルシアンはてこでも動こうとしないし、ライアーは苛々しているし、交渉どころではない。
もはやどうしようもない、そう諦めようとした瞬間。
「女性の部屋に押し入るなんてどういうつもりですか!」
高く可愛らしい声が聞こえた。
ライアーは乱入者である勇者を見下ろし、不機嫌そうに眉をひそめる。
「なんで拘束とけてるの?」
「お土産にナイフを貰いました」
ナイフがお土産とは、物騒すぎる。一体誰があげたのか知らないが、お土産には小さくて邪魔にならないで実用的なものをお勧めしよう。食べ物なら尚よしだ。
勇者は無残なことになった扉を一瞥し、寝台にいる私とルシアンを見て、それからライアーを見上げた。
「お邪魔するのはよくないですよ」
「邪魔じゃないよ」
「邪魔なのでどこかに行ってくれないかな」
しれっと言うライアーと間髪入れず否定するルシアン。私はどうすればいいのだろう。ライアーが残るとルシアンが危ないし、ライアーがいなくなると私が危ない。
やはりここはジールの部屋に行ってアンリ殿下と過ごすのが一番安全そうだ。
「とりあえずノイジィを呼んでくれるかしら」
色々悩んだ結果、ルシアンにかかっている魔法をとけばいいという結論に達した。
「まったく、なんでもかんでも俺のせいにする精神をどうにかするべきではないか。そもそも、俺は愛を伝えることを使命としているのに、どうしてすでに愛を得ている者に魔法をかけると思うのか。俺の愛の使者としての役目を愚弄しているのではないか」
ライアーに引き摺られてきたノイジィは開口一番、そう反論してきた。
「あなたじゃなかったら誰が魔法をかけるのよ」
「愛する者が目の前にいて何かしようと思うのは、正常なことだろう」
「でも、何もしないって」
ルシアンを見上げると、そっと視線を外された。
「もちろん、何もしない……つもりだったけど……抱きしめるぐらいのことはしてもいいのではと、そう思っただけで……すまない」
思いっきりそれ以上のことをしようとしていたのは私の気のせいだろうか。
想ってくれるのは嬉しい、嬉しいけど、そういうことは順序を守ってほしい。手をつないで出かけ――るのは何度もしたな、そういえば。
婚約期間は十年を超え、ここ最近は一緒に過ごすことも増えている。それを考えると思い合っていて手を繋いだことしかないというのは遅いぐらい、なのかもしれない。
前の私の記憶にある少女漫画とかではキスぐらいなら早い段階で済ませているものも多い。リリアの記憶は参考にならないので思い出さないことにしよう。
「……す、少しだけなら、別にいいわよ。だから気にしないで」
落ち込んでうなだれているルシアンを励ます意味もこめてそう語りかけると、勢いよく顔が上がった。そして期待に満ちた目を向けられ、硬直してしまう。
いやまさか、今すぐとは言い出さないだろうな。さすがに衆目の中でキスする度胸は私にはない。
「話がまとまったのなら俺は戻るぞ」
呆れた顔のノイジィが去り、頬をわずかに染めている勇者がライアーの手を引っ張った。
「ほら、行きますよ。恋人同士の邪魔をしてはいけません」
「行くわけないよね、馬鹿なのかなキミは」
逆に勇者を引っ張り宙に浮かせると、ライアーはいまだに私を抱きこんでいるルシアンと抱き込まれている私を見下ろした。
「……聞いたけど、ボクたちと和平を結びたいんだって?」
「だからどうした」
「その子をボクにくれるなら頷いてあげてもいいよ」
――まったく、本当にこの魔族はどうしようもない。
「ライアー」
「何?」
「思ってもいないことを口にするものではないわ」
どうしてもリリアを手放したくないのなら、教皇との結婚だってライアーは認めなかったはずだ。
どうしても私が欲しいなら、さっさとルシアンを殺せばいい。それをできるだけの力があるのだから。
そのどちらもしなかったのは、する気がないからだ。
「あなたは、いつまでたっても素直じゃないわね」
「本気で言ってるんだけど?」
「あら、本気だったらそんな条件を出す前にルシアンを殺すでしょう」
「魔王に殺すなって言われてるとは考えないんだ?」
「魔王に言われたからって我慢するような性格じゃないわよね」
「自分の意思で手放す方が面白そうだからね」
「そんな簡単に手放せるのなら、私は今頃ここにはいないわ」
自分で言っておいて恥ずかしくなる。自意識過剰かもしれないが、ルシアンは私を手放しはしないだろう。
兄にも魔王にも渡さないと、はっきり言われている。
「それに、私がルシアンを手放さないわ」
――その後、拘束を解いた勇者を探しに魔王が来て、ついでにアンリ殿下も連れてきて、無残なことになっている部屋を変えて、朝を迎えた。
そしてルシアンが私にべたべたしてくるようになったのは、言うまでもないだろう。
「あの、僕、別の部屋に行きましょうか?」
アンリ殿下が思わずそう言ってしまうほどだった。
「それでジール、和平に同意してくれるってことでいいのよね」
「こんな可愛い子にお願いされたのですもの。同意しない理由はないです」
朝になりアンリ殿下を見に来たジールは上機嫌に頷いた。
どうやら可愛がられている間に頑張って説得してくれたらしい。ルシアンに褒められて、アンリ殿下は嬉しそうに笑っていた。
「問題は昨日の男だけど……どうしたものかな」
「それについては、私に任せてくれるかしら。お願いしたいこともあるのよね」
「私も同席していいよね?」
長椅子の上で私に寄り添い、指で髪を梳きながら微笑むルシアンに私は全力で首を横に振った。
「仇敵についてだから、ルシアンは魔王と和平を結んだ後の条件について話し合っていてちょうだい」
「あの男と君を二人にさせられないよ」
「アンリ殿下も一緒だから大丈夫よ」
ルシアンがいたら売り言葉に買い言葉でライアーは頷いてくれないかもしれない。
昨日は大人しく引きさがってくれたが、今日はどうなるかわからない。
頑張って説得して、ライアーの部屋をアンリ殿下と一緒に訪ねた。
「キミから来たってことは、ボクのところに来る気になったの?」
「違うわよ。災厄をなんとかしてもらいに来ただけよ」
長椅子の上でだらしなく寝そべる姿は、昔と変わらない。髪がないのを除けば。
「……ボクにどうしろって?」
「アンリ殿下の魔力を抜いてちょうだい」
災厄は魔力の意思だ。
なら魔力をなくせば、災厄ではなくなるのではないか――保証はどこにもない。だけど、私にはそれしか思いつかなかった。
「それをしてボクになんの得があるのさ」
「あら、私が望むのなら厭うものを滅ぼしてくれるのでしょう?」
あの恐怖体験は忘れたくても忘れられない。
「悪い魔女になるのなら協力する――あのときそう言ってくれたのは嘘だったのかしら」
「キミは悪い魔女になるつもりはないでしょ」
「あら、髪の色が大切な王族から色を失わせるのよ。それに、貴族の証である魔力を奪うなんて、十分悪役でしょう」
ライアーが私の横にいるアンリ殿下を見下ろすと、首をかしげた。
「キミはそれでいいの?」
「はい」
「災厄から魔力を奪うとどうなるかわからないし、最悪体を保てなくなるけど、それでも?」
「このままでいるよりは、幾分もマシです。それに、僕が災厄のままだとレティシア様も勇者のままなので」
勇者の体は加護を受けた状態で止まる。さすがに老いない体では人の世界で生きていけない。
私のことや、世界のこと、それから二人の兄のことを考えて、アンリ殿下はここにいる。その程度のこと、アンリ殿下は了承済みだ。
「僕は兄さまたちから父親と母親を奪いました。これ以上何かを奪いたくはありません」
「ならいいけど……でも、一つだけ条件があるよ」
ライアーの提示した条件は、半日だけ私を借りるというものだった。
――それがどんなものだったのか、私は知らない。
ただ、ルシアンが私を離すものかと抱きしめてくるようなものだったらしいことは確かだ。
陰険魔族によって失われた半日で何があったのか、私は知らないし、聞く気もないけど、ライアーの手首に巻かれた紐と、嬉しそうな顔からすると、そう悪いものではなかったのだろう。
「レティシア、二度と誰かに自分を貸すとか言わないで」
ルシアンを除いて。
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