悪役令嬢を目指します!

木崎優

第十四話 本音

 魔王城滞在二日目。私は柔らかな寝台の上で目を覚ました。見慣れない光景に一瞬理解が追い付かなくて首をかしげたが、すぐにここが魔王城だということを思い出す。


 ちなみに、魔王城と表現しているが城ではない。普通の屋敷だ。でも魔王館よりも魔王城の方が雰囲気が出るので、心の中でだけそう呼ぶことにした。
 あの後、夕食を食べながら詳しい立地などを聞いてみたところ、ここは海原に浮かぶ孤島だということを教えてもらった。屋敷の周りには魔物しかないので、抜け出したとしても食われるだけだという忠告もついでにもらった。


 この世界に大きな陸地は一つしかない。小さな島ならいくつがあるが、どこも魔物の巣窟と化していて人間や普通の動物は生息していない。
 そもそも、海自体魔物の巣窟だ。巨大な魔物がうじゃうじゃいるので、遠くまで行ってはいけないと言われているほどだ。たまに血気盛んな若者が海の先を見てくると船に乗り――そのまま帰ってこないなんて話もざらにある。


 そうなると、たしかに救出も脱走も望めない場所に連れてこられたことになるのだが、元々その予定だったので慌ててはいなかった。ルシアンも兄の期待に応えるべく、魔族をどう説得するかを考えていた。


「おはよう、レティシア」


 さて、そんなルシアンだが、何故か今は私の横にいる。間にアンリ殿下がいるので正確には横ではないけど。


「おはよう」


 挨拶を返して、丸くなっているアンリ殿下を揺り動かす。


 どうしてこうなったのかと言うと、話は単純だ。魔王城は一人で寝泊まりするには危険すぎる場所だからだ。
 真夜中にふらっと帰ってきたラストが私に気づいて潜り込んでくるかもしれないし、そうでなくても魔物がそこらへんにいるので新鮮な肉だと勘違いして突撃してくるかもしれない。


 貞操とか命のこととかを考えて、安全だと確信できるまでは一つの部屋で寝泊まりすることに決まった。






「まさか本当に寝所を共にするとはな」


 朝食を用意したから来いと言われて向かった食堂では、呆れた顔をした魔王が待ち受けていた。


「いや、提案したのあなたよね」


 そう、ここは危険だと言ったのは他でもない魔王だった。自省の利かない魔物も多いと悪い顔をしながら笑っていたのを私は覚えている。


「慌てふためく様が見たくて提案したというのにあっさりと通って、こちらが驚いたぞ」
「おや、それはご期待に添えられなくて申し訳ございません。ですが私とレティシアは婚約者同士です。今更寝所を共にすることぐらいで慌てふためくような関係ではございません」


 慌てふためくような関係だ。婚約者だからってそこまで私はおおらかにはなれない。
 平素を装ったが、心の中では嘘でしょ本気、とわめいていた。魔族が危険極まりないのはわかっているので押しとどめたけど、何も知らなかったら冗談じゃないと言っていたはずだ。


「……最近の若者というものは、ずいぶんと進んでいるんですね」


 一番最年少に見える勇者が頬を染めている。違うので、勘違いしないでほしい。私とルシアンはもっと健全な関係だ。なんなら手しか繋いだことがないぐらいだ。
 陰険魔族の魔法の最中に起きたことは記憶から抹消することにした。


 勇者は今日も縄でぐるぐる巻きにされ、魔王の膝の上で魔王にパンを食べさせられている。異議を唱えることなく頬張っているあたり、これもよくある光景なのだろう。勇者の扱いに涙が出てきそうだ。


「奴らには昼には戻るように言ってある。脅すなり口説くなり好きにしろ」
「ちなみに期日はありますか? 生活様式すら違う相手を説得するのですから一年……いえ、数か月はほしいところですが」
「我は気が長くないのでな。無論期日は設けるが……そうだな、二週間やろう」
「……短すぎます」
「それでやり遂げられぬような輩と和平を結ぶ気はない」


 ルシアンの目がちらりと私を見る。
 できるかどうか問いかけているのだろう。私は頷いて返すことにした。
 できるかどうかはわからないが、魔王は一度こうと決めたら気が変わらない限り覆さない。もしも駄目だったらそのときは面白そうな話を餌に引き延ばせばいい。


「わかりました。それで受けます」


 私はこのとき、完全に忘れていた。


 リューゲのことを。








 一番最初に帰ってきたのは、桃色の髪をした魔族ジールだった。うきうきとした様子で転移してきたジールは、アンリ殿下を見るなりそこに縫い付けられたかのように動かなくなった。無遠慮な眼差しに晒されているアンリ殿下が不安そうに私を見上げてくる。
 ジールに対してそんな仕草をするのはよくないと教えてあげたいが、もう手遅れだろう。


「可愛いですね。そこのあなた、お兄さんと一緒に遊びませんか?」


 完全に発言が変質者だ。


「え、おにい、え?」
「可愛がってあげますから、一緒に来ませんか?」
「この子は災厄よ」


 アンリ殿下しか見ていなかった目が私とルシアンに注がれる。頭の天辺から爪先まで見て、小馬鹿にするように鼻で笑われた。


「災厄だなんてそんな些細なこと、どうでもいいですもの」


 さすが、六歳の魔王が可愛かったからって即座に配下に降った者は言うことが違う。


「災厄は殺すべきと言うかと思ったわ」
「まあ、こんな可愛い子を殺すだなんて物騒な人」
「あなたに言われたくないわ」


 単身乗り込んで宣戦布告してきた人の方が物騒だ。これからは戴冠式に可愛い子を置いておくようにした方がいいのかもしれない。
 とりあえず、このままでは話が進まないので不安そうにしているアンリ殿下を背中に隠して、代わりに困惑しているルシアンを前に押し出した。


「……ルシアン・ミストラルです。あなたの名前をお聞きしても?」
「ジールです。人間が私の名を呼べることを光栄に思いなさい」
「お兄さん、ということは男性ですよね。どうしてそのような格好を?」
「可愛い人が可愛い恰好をするのに理由が必要ですか?」


 魔族にまともな論理を求めてはいけない。価値基準が飛び抜けているので、まともに会話しようとすると疲弊するのはこちらだ。ある程度のことは受け流すことをお勧めする。


 ルシアンは私が何も言わなくても、そういう生き物として認識したようで、すぐに持ち直してジールと向き合った。


「魔王からあなた方が頷けば和平に応じると言われました」
「ええ、そうらしいですね。私もそう聞きました」
「すでに私の兄――ミストラル王からも打診があったとは思いますが、和平に承諾してくださいますか?」


 ジールの持って帰ってきた大袋を見ると、即座に却下したとは考えにくい。問題は、魔王が早期決着を望んでいないからと先延ばしにしてじらされるかもしれないということだ。


「そうですね。パルテレミーの者は生意気ですが、愛らしい魔道具を作れる腕は認めてあげなくもないので、和平を結ぶこともなし、というわけではありません。でも、それだけでは……ねえ?」


 何をしたんだパルテレミー様。
 いや、それよりもジールの目がアンリ殿下を見つめていることの方が問題だ。可愛いものを傷つけないとわかってはいるが、変質者にしか見えない相手に引き渡すのは良心が痛む。


「魔力を食われてもいいの?」
「可愛いものを愛でれるのなら、その程度のこと気にするまでもありません」


 駄目だこの人。ジールに限らず魔族は駄目人間の集団だ。








 悲壮な表情でアンリ殿下はジールのもとに向かうことを選んだ。取って食われることはないので安心して、と言ったが気休めにしかならないだろう。
 アンリ殿下はこれから美味しいおやつを食べながら本を読ませられたり玩具を押し付けられたりすることになる。しかも子守歌付きでお昼寝まで強要されることだろう。最終的には手作りの夕食を食べる。
 夜には返してくれるといいけど、難しいかもしれない。夜は夜でぬいぐるみに囲まれながら絵本を読み聞かせられるという苦行が待ち受けている。


「……アンリ」


 決心して贄となった弟を案じるルシアンに、私はかけられる言葉が見つからなかった。


 次に帰ってきたのはノイジィだった。大人しく帰ってくるとは意外だったが、魔王の命令にこの陰険魔族が逆らえるはずがない。


「こんな所にいるとは、暇なのか」
「暇じゃないわよ。魔王に聞いているでしょう?」


 ルシアンが挨拶しようとするのをノイジィは制し、自分の名前だけを名乗った。


「お前らのことは知っている。自己紹介などという無駄なことに時間を費やすつもりはない」


 それもそうだろう。何しろ二年間も教師をしていたのだから。
 だがルシアンは取り付く島もないと受け取ったのか、困ったように眉を下げた。


「さて、和平だったか。そうだな、俺の歌を聴くのであれば頷いてやろう。何、ほんの一曲、数分程度のことだ。歌を聴きこそしたが俺自身は歌っていないのでな、歌いたくて仕方ないのだよ」


 そう言い終わるが先か、こちらの返事も私の制止も待たずノイジィは歌い始めた。甘ったるい愛の歌に頭が痛くなりそうだ。
 一曲歌い終えて満足して去るノイジィの背を見送りながら、催眠魔法の効くルシアンは大丈夫だったろうかと心配して見上げたが、いつも通りに優しく微笑まれるだけで終わった。
 どうやら魔法は使わずに歌っていたようだ。よかった。




 そして次に帰ってきたのは、眠そうな顔をしたレイジーだ。面倒くさがりな彼は長い時間沈黙した後、緩慢な動きで頷いてくれた。喋ることすら面倒がるが、魔族の中では一番穏便だ。それでも頷いてくれるかは半々だった。何しろ和平なんて面倒だと断られる可能性があった。
 だけど腕に抱えている抱き枕を見る限り、クロエに会えたことが嬉しかったらしい。




 待てど暮らせどこの三人以外は帰ってこないまま、夕食になった。さすがにこれは、とルシアンも思ったのだろう。勇者に食事を与えている魔王に異議を唱えた。帰ってこない者をどう説得しろと言うのかと。


「運が悪かったと思って諦めるんだな」


 あっさりばっさりと切って捨てる魔王にルシアンが歯噛みする。
 帰ってきていないのは、ラストとライアーとルースレス、それから自分で帰る手段を持たない水の魔族だ。


 ラストが帰ってこない理由は見当がつく。不眠不休で一ヶ月以上し続けられる体力馬鹿なので、まだ楽しんでいるのだろう。何を、とまでは言わないが。
 ルースレスはフィーネの側から離れないだろうし、ライアーは死んでいるかもしれない。さすがに死なれたら困るとフィーネに言ってあるが、ルースレスが聞く耳もつかは別の話だ。
 水の魔族は誰かが迎えに行かないと帰ってこれない。


「死んでいる場合は承諾してくれたと考えてもいいのかしら」
「ふむ……まあいいだろう」


 果物で濡れた手を拭きながら、魔王は頷いてくれた。これなら最悪誰か死んでいても安心だ。




 アンリ殿下は夜になっても帰ってこなかった。夕食もジールの部屋で食べているのだろう。見た目は子どもだが、災厄の意思やある程度の知識があるのでその精神は成熟している。悶死していないといいが。


 心はともかく体に傷を負うことはないので、安否については問題ないだろう。問題なのは、私とルシアンが二人っきりになってしまっていることだ。
 昨日は何もなかったのだから大丈夫、だと安心していいのだろうか。ラストの帰宅とルシアンと一緒に寝るのと、どちらの方が貞操の危機があるのかわからなくなってきそうだ。まだ話せば通じそうなルシアンの方がマシか。わからない。


 いや、そもそも貞操云々と考えるのはルシアンに対して失礼かもしれない。何しろ今は魔族の説得中だ。そんなことに現を抜かすような暇も頭もないだろう。


「アンリ殿下はいないから、私は長椅子で寝ようかしら」
「駄目だよレティシア。女性を寝台から追いやれないよ」


 枕を一つ取って長椅子に向かおうとする私をルシアンが呼び止めた。
 ルシアンは変なところで紳士だ。紳士なら長椅子で寝てくれと言いたいところだが、王子を差し置いて一人のうのうと眠れるとは思えない。私は小心者だ。


 じゃあどうするのが正解なのだろう。朝まで語り明かすのが一番か。


「そんなに警戒しなくても……何もしないよ」
「え、ええ、そうよね」


 苦笑を浮かべて困ったように肩をすくめるルシアンに、変に警戒していたのが恥ずかしくなる。寝台に座り、同じように座っているルシアンを見上げると優しく微笑まれた。
 昨日も一緒に過ごしたのにどこか気まずく思うのは、アンリ殿下がいないせいか。存在一つで私の気持ちを揺り動かすとは、アンリ殿下も恐ろしい人だ。


「レティシア」


 そっと私の背に腕が回される。おかしいな、何もしないと言われたはずなのに、どうして私は抱きしめられているのだろう。何もしないというのは幻聴だったのか。
 一体全体これはどういうことだと見上げると、どこまでも優しい慈しむような紫色の瞳と目が合った。


「ずっとこうして、二人だけで過ごしたかった」


 降ってくる声も優しい。


 これは、どう考えても、ノイジィの魔法にかかっている。まずい、正気に戻れという思いをこめて胸を叩くがより強く抱きこまれるだけに終わった。


 胸に顔を当てながら、どうすればいいのか必死に頭を動かす。腕力では敵わない、勇者は魔法が使えない。駄目だ八方塞りだ。
 加護は腕力を強めてくれるが、初期状態ではそこまで強くはなれない。私の元の腕力を考えると、精々成人男性並になるぐらいが関の山だ。試しにルシアンの体を押してみるがびくともしない。鍛えている男性の力とは中々侮れない。


「レティシア」


 甘く囁くように呼ばれ、顎に手が添えられる。少し力が緩んだことによって開いた隙間を埋めるように、ルシアンの顔が間近に迫る。
 まずい、それは駄目だ。せめて魔法のかかっていないときじゃないと、色々微妙な気持ちになる。


 やばい、まずい、どうしようと混乱する私の耳にけたたましい音が届いた。


 勢いよく、という言葉では表現できないほどの勢いで飛んだ扉の残骸が部屋の端にぶつかり大きな音を立てて床に落ちる。


「……またか」


 漏れ出たような低い声に何がまたなんだ、と私はよりいっそう混乱に陥った。

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