悪役令嬢を目指します!
第六話 求婚
何度目かの寝返りを打つ。どうにも寝付けない。
理由はわかっている。色々なことが重なりすぎたせいだ。弟たちと寝ていれば余計なことを考えずに済んだのだが、残念なことに俺の提案はあっさりと却下されてしまった。アンリには「レティシア様とがいいです」と断られ、ルシアンには「冗談もほどほどに」と窘められた。
冗談のつもりは露ほどもなかったのだが、そう言われては笑って流すしかない。
今頃はレティシア嬢も用意した部屋に戻っているだろう。子どもとはいえ、寝所を共にするのは憚られる。ルシアンのことも考えると、アンリが寝付くまで側にいて、それから別室で寝るのが妥当だ。
レティシア嬢の寝所を守る騎士も用意したので、不埒な輩が侵入することもないだろう。ルシアンが何かの気の迷いで訪れても通さないようにきつく言ってある。
「ままならぬものだ」
弟たちと親睦を深めるというのは中々難しく、上手くいかないばかりだ。俺としてはもう少し親しく接してほしいのだが、どうにも兄であることと、王となったことが二人の意識を固いものにしてしまうらしい。
俺は王であると同時に人である。愛すべき弟たちと密にやり取りをしたいのに立場が邪魔をする。
絵姿は増えているが、やはり当人と語らう時間も設けたいものだ。
「どうせくだらないことで悩んでいるんでしょう」
俺しかいないはずの部屋に別の者の声が響く。
呆れたような声は聞き覚えがあるものだ。最近は転移魔法を用いて文でしかやり取りをしていなかったが、弟の絵姿を送ってくれる者の声を俺が忘れるはずもない。
「ふむ、クロエか。夜半に部屋に来るとは大胆なことだな」
部屋の中央を陣取るかのように立つクロエと、その横に控える銀髪の娘――身体的特徴からすると去年留学生としてやって来たアドロフ国の留学生か。
クロエと親しいと報告を受けていたが、なるほどこのような場所に同伴するような仲か。弟との親交が進まない身としては嫉妬するしかないな。
「お話があって来たのです……が、冗談を言うのでしたら帰ります」
「そう邪険にするな。俺は今傷心の身でな。どのような相手だろうと戯れたくもなる」
「ならモイラはいかがですか。快く話し相手になってくれると思いますよ」
「アドロフ国の者が他国の王の寝所に侵入するとは……裏を読まれても文句は言えんぞ」
二代に渡って王をたぶらかすつもりかなどなど、口うるさい者は事実があろうとなかろうと関係なく不満をぶつけてくる。
なんとも厭わしいことだが、聞き流せるような立場に俺はいない。いかにしてその不満を逸らし、誤魔化すかを考えねばならない。
「私はアドロフ国の民ではございません」
銀髪の娘の口元が蠱惑的に歪む。
ドレスの裾を摘まんで一礼し、視線だけを俺に向けてきた。
「名はモイラ、姓はございません。かつて御使いを殺め、魔女と呼ばれるに至った者でございます」
「まったく、今年はどうなっている」
どうして俺が王になった途端厄介事ばかりが飛びこんでくる。そういうことは父上が存命のうちに済ませてほしいものだ。
そうすれば心置きなく弟たちと戯れながら執務をこなせたというものを。
「驚かないのですね」
「すでに魔族と呼ばれる者と対峙したからな。今更魔女の一人や二人増えたところで変わらない」
「魔女と呼ばれるのは私しかいませんが」
「増えるかもしれないだろう。御使いを殺めれば、もれなく魔女になれる」
さて、魔女を連れて俺に会いに来たということは、魔王に関することなのだろうな。まさか魔女と共に夜這いに来たということはないだろう。
妻となる相手を慎重に見極めねばならぬ身としては、寝所に人を招くことは避けたい。しかし、来てしまったものは仕方ない。他の者に見つかる前にお引き取りを願うとしよう。
「さて、用があるのなら手短に頼む」
「お時間は取らせませんのでご安心ください。今回現れた御使いについて……公表するのをやめていただきたいのです」
「なるほど、それが要求か。しかしな、御使いが誰であるかを知る者はすでに数名いる。その者全員の口を閉ざすことは俺には難しい。無理を通せば、どこかで不満が生まれる……そして、その不満を受けるのは俺だ。それ相応の見返りがなくては頷くことはできないな」
弟の絵姿千枚と言われようと、この件については頷けない。
何しろレティシア嬢が御使いであると知るのはローデンヴァルトの王子と教皇の息子だ。所属が違う相手を黙らせるのに、生半可な方法は使えない。
しかも明日には教皇との面会が控えている。
「魔族の対処方法は見返りになりませんか」
「……確証もない案を採用すると思うか」
どうしてそんなことを知っているのか――と聞いてもクロエは答えないだろう。付き合いこそ浅く短いが、彼女の人となりは知っているつもりだ。
何かしらの確信があるからこそ、こんな真夜中に俺のもとを訪れたのだろうということはわかっている。
だがそれでも、安易に頷くことはできない。
「他に妙案があるのでしたら私は何も言いません。ですが、何もないのでしたら一世一代の大博打とでも思って乗ってみませんか」
「国を賭けた博打などする気も起きないな」
「では、何もせず蹂躙されるままにしますか? それとも、魔王の要求通り御使いを差し出しますか?」
挑発するような笑みを浮かべるクロエに同じような笑みを返す。
御使いを差し出せば弟に嫌われる――それをクロエは知っているのだろう。弟を大切にしている俺がそんなことをできるはずがないと、高を括っているに違いない。
ずいぶんと、なめられたものだ。
「戦の準備ぐらいはするだろうな。何もせず言われるがまま差し出したとなれば、批判を受けることになる。太刀打ちできない相手に攫われた――と思わせることができればそれでいい」
弟が大切だからという理由だけで国を危機に陥らせるつもりはない。それが必要なことならば、俺は涙を呑んで遂行するだけだ。
「敵わないとわかっている相手に兵をぶつけるということですか?」
「ああ、そのつもりだ。黙って御使いを差し出すよりはいい」
「それを決めるのは私の案を聞いてからでも遅くはないのでは?」
「君の案を聞いたとして、採用することはできない。平民出身の小娘の案とわかれば、誰も従わなくなるだろう」
忠誠を誓う王家が編み出した作戦ならともかく、学友未満の娘が考えた作戦だとわかれば自信に溢れる騎士たちは反発するだろう。良くも悪くも騎士たちは貴族出身の者で構成されている。
柔軟な思考の者もいるが、家柄や血筋を尊ぶ者の方が多い。
「頭の固い連中を納得させられるのなら話は別だが」
クロエと魔女の視線が少しの間交差し、やがてゆっくりとクロエが頷いた。真剣な顔つきに、ふむと小さく漏らす。
どうやらそれほどの妙案を持ってきているようだ。それならば聞くこともやぶさかではない。
「御使いの出した案なら、誰も異議を唱えないでしょう」
「レティシア嬢を矢面に立たせると? それは君の出した要求と反しているように思えるが」
「反してなどおりませんよ。矢面に立つのは……別の御使いです」
クロエと魔女の首を一瞥するが、そこに加護を受けた痕はない。
いや、そもそもとして――
「同時に二人の御使いがいたことはないはずだが」
「今回は例外だということです」
「偽物であれば君の首一つでは許されんぞ」
「ご安心ください。正真正銘、女神から授かった加護です」
もしも本当に御使いが別にいるのなら、ここに連れてこない理由がない。当人を見せた方が説得力は増す。
矢面に立つことが前提なら人前に顔を出せないということはないだろう。そしてクロエはよほどのことがなければ第三者を巻き込みはしない。
「その御使いの身の安全は保障できんぞ」
「その点はご心配いりません。私が誠心誠意お守りいたしますので」
「魔女が魔王に敵うのか?」
「逃がすことはできますもの」
逃げられたら困るのは俺なのだが、魔女はどこにも属していない。留まれと強制することはできないだろう。
――なんにしても、魔女の口振りから誰が御使いになるのかの確信は得た。
「いいだろう。話ぐらいなら聞いてやる」
クロエの長い話が終わり、思わず手を額に当てる。
「……その案を採用した場合、誹りを受けるのは俺ではないのか」
「御使いの案だからと言い逃れることはできますよ」
「最終的な判断を下すのは俺だ。御使いを批判の的にするつもりはない」
「それについては私からは何も言えませんが……少なくとも、この方法なら人的被害は免れます」
「負けもしなければ勝てもしない……それどころか、長引けばジリ貧になるぞ」
「そこまで長くはならないでしょう。それに、教会からの支援も受けれます」
「……聖女、か。なるほど、そことも繋がっているのなら、俺に聞かなくても強行できただろう」
「教会に今回のことに関しての実権はないと聞きましたので。騎士は王家に忠誠を誓っております、彼らを動かすにはあなたが必要でした」
「ふむ。求められるのも悪い気はしないな。……クロエ、今回の件に干渉して君にどんな利点がある」
「私が求めるものは以前から変わりません。国を荒れさせるわけにはいかない――それだけですよ」
クロエの境遇については調べさせた。母と娘で暮らし、母を支えるためにせっせと働く娘と、娘を支えるために働く母。
その内金の鎖と櫛でも買うのではと思えるほど仲睦まじい家族だと聞いている。だが美しい髪が失われるのは惜しい。
――そう思うぐらいの情はある。
「なるほど、わかった。話はこれで終わりか?」
「はい」
「では、せっかく来たのだから添い寝でもしていくか?」
寝台の上に起こしていた体を動かし、空いた空間を叩くとクロエの顔が露骨に歪んだ。魔女も警戒するような視線をこちらに向けている。
夜中に男性のもとを訪れたのだから、そういう意図があっても不思議ではないと思われても仕方ないのだとこれでわかるだろう。
クロエの身分を思えば昼間に謁見を申し込むことはできないだろう。だからこのような方法に出たのは理解している。理解しているが――やはり寝所に忍び込むのは感心しない。
「モイラ、フレデリク陛下は添い寝をご所望だそうですよ」
「何が悲しくて祖母と褥を共にしなければならない」
来年には成人する身だ。共に寝るのならば若い娘か弟が望ましい。
何百歳と超えていそうな祖母と同衾するような趣味は持ち合わせていない。
「……あら、あら? 知っていますの?」
「母上から聞いている。自分のお母さんは魔女なのよ、すごいでしょと自慢していたからな」
さすがにルシアンにはしていないと思うが、母上はたまに子どものようなことを言い出す人だった。
母上と共に城内部を探検する日もあったぐらいだ。
母上は父上以上に城に詳しかった。隠し通路にも精通していて、父上も知らないような道を教えてもらったこともある。
ルシアンが城から抜け出せたのも、母上から隠し通路の一つを聞いていたからかもしれない。
「……あの子ったら、内緒にするように言っておいたのに」
「家族であれば問題ないとでも思ったのだろう」
「……ルシアン殿下は知っているのですか?」
「さてな。母上はルシアンと過ごす時間が多かったので、聞いているかもしれないが。……そう険しい顔をするな。もしも知っていた荒れていただろうから、知らないだろう」
魔女は御使いを殺めた者だ。そのような者の孫をレティシア嬢の婚約者に添えるとなれば、間違いなく教会が黙っていない。
自分の出生が暴かれるだけで、これまで必死に守ってきた立場が失われる――という可能性に気づいていたら、より短慮に動いてレティシア嬢を繋ぎとめようとしていただろう。
「家族の団らんはまた後日にでもするとして……最後に一つ聞くが、クロエ、俺の妻となる気はあるか?」
「――は?」
「そう嫌そうな顔をするな。俺とて君をどうしても妻に迎えたいというわけではない。だがな、御使いを妻にせよとうるさく言う者が出ればそうもいかなくなる」
クロエの持つ金の髪は妻の資格としては十分なほどだ。
身分に関しては問題ないだろう。御使いというのは何にも勝る身分だ。
王に妻を選ぶ権利はない。だが、俺は王である前に人だ。多少なりとも情のある相手を迎えたいと思うこともある。
「君が御使いであると広まればそうなるということだ。そしてこの件に関して君の拒否権は認められない。御使いだろうとこの国に住む民なのだからな」
「他の国に私が逃がしたらどうなりますの?」
「どこに逃げようと見つかるだろうな。クロエの容姿は目立つ。それに御使いともなれば絵姿が各地に配られることになるだろう」
「あなたを殺してうやむやにするというのは?」
「それこそ国が荒れるぞ」
好かぬ相手に嫁ぐか、今までの話をなかったことにするか。クロエに選べるのはそのどちらかだ。
クロエの出した案は御使いがいなくても、無理を通せば実行できる。
その結果、非難の声は増すだろうがそんなものは今更だ。最悪の場合はレティシア嬢とルシアンが犠牲になり、俺が弟に嫌われて枕を濡らすことになるが、それはクロエには関係のないことだ。
俺は愛した者を娶りたいと思ったことはないが、クロエがどちらを選ぼうと非難するつもりはない。
「俺の妻となった場合は、君の母の待遇は約束しよう。城に招くもよし、貴族街に別館を立てて普段はそちらで母と過ごしても構わん。子を作るために寝所に来てもらうことにはなるが、連日というわけでもないからな。それに一人設ければ十分だろう……後は、他国に赴く場合も母を連れてきて構わんぞ」
だが、喜んで弟に嫌われたいわけではない。
思いつく限りの求婚の言葉を並べて説得することぐらいは許してもらおう。
――それから聖女だと紹介された娘と会い、クロエと魔女と共に騎士を選別し、準備を整えていたところに騎士が駆け込んできた。
「ご報告が」
慌てた様子の騎士に話の先を促すと、苦渋に満ちた顔を浮かべた。
「魔族と思わしき者が僻地に現れました」
「そうか。被害は出ているのか」
「いえ、大人しくしているようですが――その、何故か奴らの側に触るな危険と書かれた看板が置かれているそうで……」
魔女は魔王の目的は遊戯だろうと言っていた。
ふざけた真似も遊びならではなのだろう。
「どこにいるのかわかっているのなら、都合がよい。近隣住民には近づかないように指示を出しておけ」
「かしこまりました」
魔王が対戦相手に選んだのは俺か御使いか。
どちらにせよ、俺がすることは変わらない。国を荒れさせず、よりよき未来に突き進むまで。
理由はわかっている。色々なことが重なりすぎたせいだ。弟たちと寝ていれば余計なことを考えずに済んだのだが、残念なことに俺の提案はあっさりと却下されてしまった。アンリには「レティシア様とがいいです」と断られ、ルシアンには「冗談もほどほどに」と窘められた。
冗談のつもりは露ほどもなかったのだが、そう言われては笑って流すしかない。
今頃はレティシア嬢も用意した部屋に戻っているだろう。子どもとはいえ、寝所を共にするのは憚られる。ルシアンのことも考えると、アンリが寝付くまで側にいて、それから別室で寝るのが妥当だ。
レティシア嬢の寝所を守る騎士も用意したので、不埒な輩が侵入することもないだろう。ルシアンが何かの気の迷いで訪れても通さないようにきつく言ってある。
「ままならぬものだ」
弟たちと親睦を深めるというのは中々難しく、上手くいかないばかりだ。俺としてはもう少し親しく接してほしいのだが、どうにも兄であることと、王となったことが二人の意識を固いものにしてしまうらしい。
俺は王であると同時に人である。愛すべき弟たちと密にやり取りをしたいのに立場が邪魔をする。
絵姿は増えているが、やはり当人と語らう時間も設けたいものだ。
「どうせくだらないことで悩んでいるんでしょう」
俺しかいないはずの部屋に別の者の声が響く。
呆れたような声は聞き覚えがあるものだ。最近は転移魔法を用いて文でしかやり取りをしていなかったが、弟の絵姿を送ってくれる者の声を俺が忘れるはずもない。
「ふむ、クロエか。夜半に部屋に来るとは大胆なことだな」
部屋の中央を陣取るかのように立つクロエと、その横に控える銀髪の娘――身体的特徴からすると去年留学生としてやって来たアドロフ国の留学生か。
クロエと親しいと報告を受けていたが、なるほどこのような場所に同伴するような仲か。弟との親交が進まない身としては嫉妬するしかないな。
「お話があって来たのです……が、冗談を言うのでしたら帰ります」
「そう邪険にするな。俺は今傷心の身でな。どのような相手だろうと戯れたくもなる」
「ならモイラはいかがですか。快く話し相手になってくれると思いますよ」
「アドロフ国の者が他国の王の寝所に侵入するとは……裏を読まれても文句は言えんぞ」
二代に渡って王をたぶらかすつもりかなどなど、口うるさい者は事実があろうとなかろうと関係なく不満をぶつけてくる。
なんとも厭わしいことだが、聞き流せるような立場に俺はいない。いかにしてその不満を逸らし、誤魔化すかを考えねばならない。
「私はアドロフ国の民ではございません」
銀髪の娘の口元が蠱惑的に歪む。
ドレスの裾を摘まんで一礼し、視線だけを俺に向けてきた。
「名はモイラ、姓はございません。かつて御使いを殺め、魔女と呼ばれるに至った者でございます」
「まったく、今年はどうなっている」
どうして俺が王になった途端厄介事ばかりが飛びこんでくる。そういうことは父上が存命のうちに済ませてほしいものだ。
そうすれば心置きなく弟たちと戯れながら執務をこなせたというものを。
「驚かないのですね」
「すでに魔族と呼ばれる者と対峙したからな。今更魔女の一人や二人増えたところで変わらない」
「魔女と呼ばれるのは私しかいませんが」
「増えるかもしれないだろう。御使いを殺めれば、もれなく魔女になれる」
さて、魔女を連れて俺に会いに来たということは、魔王に関することなのだろうな。まさか魔女と共に夜這いに来たということはないだろう。
妻となる相手を慎重に見極めねばならぬ身としては、寝所に人を招くことは避けたい。しかし、来てしまったものは仕方ない。他の者に見つかる前にお引き取りを願うとしよう。
「さて、用があるのなら手短に頼む」
「お時間は取らせませんのでご安心ください。今回現れた御使いについて……公表するのをやめていただきたいのです」
「なるほど、それが要求か。しかしな、御使いが誰であるかを知る者はすでに数名いる。その者全員の口を閉ざすことは俺には難しい。無理を通せば、どこかで不満が生まれる……そして、その不満を受けるのは俺だ。それ相応の見返りがなくては頷くことはできないな」
弟の絵姿千枚と言われようと、この件については頷けない。
何しろレティシア嬢が御使いであると知るのはローデンヴァルトの王子と教皇の息子だ。所属が違う相手を黙らせるのに、生半可な方法は使えない。
しかも明日には教皇との面会が控えている。
「魔族の対処方法は見返りになりませんか」
「……確証もない案を採用すると思うか」
どうしてそんなことを知っているのか――と聞いてもクロエは答えないだろう。付き合いこそ浅く短いが、彼女の人となりは知っているつもりだ。
何かしらの確信があるからこそ、こんな真夜中に俺のもとを訪れたのだろうということはわかっている。
だがそれでも、安易に頷くことはできない。
「他に妙案があるのでしたら私は何も言いません。ですが、何もないのでしたら一世一代の大博打とでも思って乗ってみませんか」
「国を賭けた博打などする気も起きないな」
「では、何もせず蹂躙されるままにしますか? それとも、魔王の要求通り御使いを差し出しますか?」
挑発するような笑みを浮かべるクロエに同じような笑みを返す。
御使いを差し出せば弟に嫌われる――それをクロエは知っているのだろう。弟を大切にしている俺がそんなことをできるはずがないと、高を括っているに違いない。
ずいぶんと、なめられたものだ。
「戦の準備ぐらいはするだろうな。何もせず言われるがまま差し出したとなれば、批判を受けることになる。太刀打ちできない相手に攫われた――と思わせることができればそれでいい」
弟が大切だからという理由だけで国を危機に陥らせるつもりはない。それが必要なことならば、俺は涙を呑んで遂行するだけだ。
「敵わないとわかっている相手に兵をぶつけるということですか?」
「ああ、そのつもりだ。黙って御使いを差し出すよりはいい」
「それを決めるのは私の案を聞いてからでも遅くはないのでは?」
「君の案を聞いたとして、採用することはできない。平民出身の小娘の案とわかれば、誰も従わなくなるだろう」
忠誠を誓う王家が編み出した作戦ならともかく、学友未満の娘が考えた作戦だとわかれば自信に溢れる騎士たちは反発するだろう。良くも悪くも騎士たちは貴族出身の者で構成されている。
柔軟な思考の者もいるが、家柄や血筋を尊ぶ者の方が多い。
「頭の固い連中を納得させられるのなら話は別だが」
クロエと魔女の視線が少しの間交差し、やがてゆっくりとクロエが頷いた。真剣な顔つきに、ふむと小さく漏らす。
どうやらそれほどの妙案を持ってきているようだ。それならば聞くこともやぶさかではない。
「御使いの出した案なら、誰も異議を唱えないでしょう」
「レティシア嬢を矢面に立たせると? それは君の出した要求と反しているように思えるが」
「反してなどおりませんよ。矢面に立つのは……別の御使いです」
クロエと魔女の首を一瞥するが、そこに加護を受けた痕はない。
いや、そもそもとして――
「同時に二人の御使いがいたことはないはずだが」
「今回は例外だということです」
「偽物であれば君の首一つでは許されんぞ」
「ご安心ください。正真正銘、女神から授かった加護です」
もしも本当に御使いが別にいるのなら、ここに連れてこない理由がない。当人を見せた方が説得力は増す。
矢面に立つことが前提なら人前に顔を出せないということはないだろう。そしてクロエはよほどのことがなければ第三者を巻き込みはしない。
「その御使いの身の安全は保障できんぞ」
「その点はご心配いりません。私が誠心誠意お守りいたしますので」
「魔女が魔王に敵うのか?」
「逃がすことはできますもの」
逃げられたら困るのは俺なのだが、魔女はどこにも属していない。留まれと強制することはできないだろう。
――なんにしても、魔女の口振りから誰が御使いになるのかの確信は得た。
「いいだろう。話ぐらいなら聞いてやる」
クロエの長い話が終わり、思わず手を額に当てる。
「……その案を採用した場合、誹りを受けるのは俺ではないのか」
「御使いの案だからと言い逃れることはできますよ」
「最終的な判断を下すのは俺だ。御使いを批判の的にするつもりはない」
「それについては私からは何も言えませんが……少なくとも、この方法なら人的被害は免れます」
「負けもしなければ勝てもしない……それどころか、長引けばジリ貧になるぞ」
「そこまで長くはならないでしょう。それに、教会からの支援も受けれます」
「……聖女、か。なるほど、そことも繋がっているのなら、俺に聞かなくても強行できただろう」
「教会に今回のことに関しての実権はないと聞きましたので。騎士は王家に忠誠を誓っております、彼らを動かすにはあなたが必要でした」
「ふむ。求められるのも悪い気はしないな。……クロエ、今回の件に干渉して君にどんな利点がある」
「私が求めるものは以前から変わりません。国を荒れさせるわけにはいかない――それだけですよ」
クロエの境遇については調べさせた。母と娘で暮らし、母を支えるためにせっせと働く娘と、娘を支えるために働く母。
その内金の鎖と櫛でも買うのではと思えるほど仲睦まじい家族だと聞いている。だが美しい髪が失われるのは惜しい。
――そう思うぐらいの情はある。
「なるほど、わかった。話はこれで終わりか?」
「はい」
「では、せっかく来たのだから添い寝でもしていくか?」
寝台の上に起こしていた体を動かし、空いた空間を叩くとクロエの顔が露骨に歪んだ。魔女も警戒するような視線をこちらに向けている。
夜中に男性のもとを訪れたのだから、そういう意図があっても不思議ではないと思われても仕方ないのだとこれでわかるだろう。
クロエの身分を思えば昼間に謁見を申し込むことはできないだろう。だからこのような方法に出たのは理解している。理解しているが――やはり寝所に忍び込むのは感心しない。
「モイラ、フレデリク陛下は添い寝をご所望だそうですよ」
「何が悲しくて祖母と褥を共にしなければならない」
来年には成人する身だ。共に寝るのならば若い娘か弟が望ましい。
何百歳と超えていそうな祖母と同衾するような趣味は持ち合わせていない。
「……あら、あら? 知っていますの?」
「母上から聞いている。自分のお母さんは魔女なのよ、すごいでしょと自慢していたからな」
さすがにルシアンにはしていないと思うが、母上はたまに子どものようなことを言い出す人だった。
母上と共に城内部を探検する日もあったぐらいだ。
母上は父上以上に城に詳しかった。隠し通路にも精通していて、父上も知らないような道を教えてもらったこともある。
ルシアンが城から抜け出せたのも、母上から隠し通路の一つを聞いていたからかもしれない。
「……あの子ったら、内緒にするように言っておいたのに」
「家族であれば問題ないとでも思ったのだろう」
「……ルシアン殿下は知っているのですか?」
「さてな。母上はルシアンと過ごす時間が多かったので、聞いているかもしれないが。……そう険しい顔をするな。もしも知っていた荒れていただろうから、知らないだろう」
魔女は御使いを殺めた者だ。そのような者の孫をレティシア嬢の婚約者に添えるとなれば、間違いなく教会が黙っていない。
自分の出生が暴かれるだけで、これまで必死に守ってきた立場が失われる――という可能性に気づいていたら、より短慮に動いてレティシア嬢を繋ぎとめようとしていただろう。
「家族の団らんはまた後日にでもするとして……最後に一つ聞くが、クロエ、俺の妻となる気はあるか?」
「――は?」
「そう嫌そうな顔をするな。俺とて君をどうしても妻に迎えたいというわけではない。だがな、御使いを妻にせよとうるさく言う者が出ればそうもいかなくなる」
クロエの持つ金の髪は妻の資格としては十分なほどだ。
身分に関しては問題ないだろう。御使いというのは何にも勝る身分だ。
王に妻を選ぶ権利はない。だが、俺は王である前に人だ。多少なりとも情のある相手を迎えたいと思うこともある。
「君が御使いであると広まればそうなるということだ。そしてこの件に関して君の拒否権は認められない。御使いだろうとこの国に住む民なのだからな」
「他の国に私が逃がしたらどうなりますの?」
「どこに逃げようと見つかるだろうな。クロエの容姿は目立つ。それに御使いともなれば絵姿が各地に配られることになるだろう」
「あなたを殺してうやむやにするというのは?」
「それこそ国が荒れるぞ」
好かぬ相手に嫁ぐか、今までの話をなかったことにするか。クロエに選べるのはそのどちらかだ。
クロエの出した案は御使いがいなくても、無理を通せば実行できる。
その結果、非難の声は増すだろうがそんなものは今更だ。最悪の場合はレティシア嬢とルシアンが犠牲になり、俺が弟に嫌われて枕を濡らすことになるが、それはクロエには関係のないことだ。
俺は愛した者を娶りたいと思ったことはないが、クロエがどちらを選ぼうと非難するつもりはない。
「俺の妻となった場合は、君の母の待遇は約束しよう。城に招くもよし、貴族街に別館を立てて普段はそちらで母と過ごしても構わん。子を作るために寝所に来てもらうことにはなるが、連日というわけでもないからな。それに一人設ければ十分だろう……後は、他国に赴く場合も母を連れてきて構わんぞ」
だが、喜んで弟に嫌われたいわけではない。
思いつく限りの求婚の言葉を並べて説得することぐらいは許してもらおう。
――それから聖女だと紹介された娘と会い、クロエと魔女と共に騎士を選別し、準備を整えていたところに騎士が駆け込んできた。
「ご報告が」
慌てた様子の騎士に話の先を促すと、苦渋に満ちた顔を浮かべた。
「魔族と思わしき者が僻地に現れました」
「そうか。被害は出ているのか」
「いえ、大人しくしているようですが――その、何故か奴らの側に触るな危険と書かれた看板が置かれているそうで……」
魔女は魔王の目的は遊戯だろうと言っていた。
ふざけた真似も遊びならではなのだろう。
「どこにいるのかわかっているのなら、都合がよい。近隣住民には近づかないように指示を出しておけ」
「かしこまりました」
魔王が対戦相手に選んだのは俺か御使いか。
どちらにせよ、俺がすることは変わらない。国を荒れさせず、よりよき未来に突き進むまで。
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2,915
-
-
86
-
288
-
-
2,951
-
4,405
-
-
23
-
3
-
-
218
-
165
-
-
3,224
-
1.5万
-
-
2,629
-
7,284
-
-
4
-
1
-
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33
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48
-
-
4
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4
-
-
62
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89
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47
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515
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104
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158
-
-
6
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45
-
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164
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253
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29
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52
-
-
1,658
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2,771
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1,301
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8,782
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7,474
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1.5万
-
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4,922
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1.7万
-
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408
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439
-
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2,799
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1万
-
-
2,430
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9,370
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614
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221
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34
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83
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220
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516
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213
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937
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614
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1,144
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9,173
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2.3万
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14
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150
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