悪役令嬢を目指します!

木崎優

第三十一話 狂信国の王子

 さて、困った。


 カーテンが引かれ、外の様子がわからない閉め切られた寝室を灯すのは机に置かれた燭台の頼りない明かりだけ。豪勢な家具で整えられた部屋に不釣り合いな険しい顔を照らしている。


 私は今、絶賛初夜の最中だ。――いや、最中というのは語弊があるか。致してはいないので、初夜直前、あるいは初夜になるかどうかの瀬戸際にいる。
 結婚したので、何もなくても初夜は初夜なので深夜真っただ中の今は、初夜の最中で間違っていないはずだ。


 これから致すのかどうかは、私を寝台に押し付けて怖い顔をしている夫にかかっている。結婚初夜にしては甘い空気は微塵もないが、そもそも恋愛結婚というわけではないのだから甘い何かを期待していたわけではない。
 だけどさすがに睨まれながらはちょっと――


「怯えないか」


 目を細めて、嫌悪するような声で囁く夫に怯えるようなことがあったのだろうかと首をかしげる。初夜なのだからそういったあれこれをするのは当然のことだ。
 ただちょっと手荒に扱われた程度で怯えるほど、私は軟弱にはできていない。


 ――物のように運ばれたり、床に叩きつけられたりに比べたら、柔らかな寝台に放り投げられたのなんて些細なことだ。


「どうせあれらと仲良くやっていたのだろう。魔族に魂を売った魔女めが」


 魔女の称号は他に相応しい人がいる。私程度で魔女と名乗るのもおごかましいほどの人だ。
 それに魂を売った覚えはない。魂でいくらで売れるのかは知らないけど、高値で売れたとしても売るつもりはない。


 反論しようと開いた口が乱暴に塞がれた。ずいぶんと手慣れた様子だが、そういった経験があるのだろうか。教皇の地位はもてるのかもしれない。顔も整っているので、言い寄る女性も多そうだ。


 吐息が唇にかかり、少しだけ顔を離した夫を見つめる。


「あれらと何度体を重ねた。そのような身で女神の代弁者などと――笑わせてくれる」


 おっと、それは勘違いにもほどがある。彼らは基本的にそういった欲はない。例外が一人いるが、あれはただ気持ちよいことが好きなだけだ。


 否定の言葉を口にすると鼻で笑われた。肯定しても否定しても結果が同じやつだったか。むしろ否定した分機嫌を損ねたようだ。
 魔族に対する恨み言を口にしたかと思えば、人間の敵である魔族と仲良くしている私を罵ったりと忙しい。仲良くしているのは何も私だけではないが、かけ橋となったのが私なので恨みも倍増なのかもしれない。
 後は女神の名を使ったことも逆鱗に触れたのだろう。そういうことはもっと早く教えてほしかった。


 夫婦の寝室ということで、ここには防音の結界を張ってある。音が外に漏れることも、外の音が聞こえてくることもない空間だ。
 ただ、魔法を使えば罵詈雑言を浴びせている夫をぐちゃっとすることはできる。


 多分、夫はそれを望んでいるのだろう。恨みを抱きながら生きるのは辛い。
 怒りの炎を燃やして、だけど敵わぬ相手だから他にぶつける。


 私はそんな人を知っている。大切なはずの家族を犠牲にしようとして、自身をも焼き尽くした人――まあ、私のことなのだけど。


 この婚姻は恋とか愛とかの甘いものではない。ただ互いに都合がよかった。それだけのものだ。
 だけど不思議なことに、これから私にひどいことをしようとしている夫のことが、ほんの少しだけ愛しく思えた。








 ――という夢を見た。


 いや、夢ではない。実際にあったことだ。どうして今そんなものを思い出したのかはわからないけど、あれは間違いなくリリアの記憶だ。
 うっすらと目を開けると、緑の瞳が目が合って思わずのけぞってしまった。


「ああ、起きた?」


 へらと笑うのはディートリヒだった。視線をディートリヒから外して周囲に巡らせると、薄暗い道と、道を挟むようにして建つ壁が見えた。どこかの路地なのだろう。目線を上げると空と屋根がある。
 私は壁に寄りかかるような形で座っていた。


「ここは?」
「学園都市の中だよ」


 それはそうだろう。私が聞いているのはそういうことではない。
 道の先はどこまでも通じていそうだ。大通りからはずいぶんと離れた場所なのかもしれない。
 もう少しよく見ようと首を動かしたら頭がずきりと痛んだ。


「まだ安静にしていた方がいいよ」


 思わず頭を手で押さえる。
 たしか買い物を終えて、雨が降って――それから何があったのか覚えていない。


「雨は?」
「通り雨だったんじゃないかな」
「私の鞄は?」
「ここにあるよ」


 ディートリヒが掲げたのはたしかに私の鞄だ。よかった、濡れた様子はない。魔道具の防水性についてはよくわからないけど、濡れないに越したことはないだろう。


「倒れてた君を見つけたからここまで運んだんだ」
「あら、そうなの。ありがとう」


 運ぶなら学園では、と思ったが運んでくれたのは事実なようなのでお礼を言っておくことにした。
 しかし、どうして倒れたのだろう。睡眠も栄養も足りているし、魔力もちゃんとある。気を失ったのはこれで五回目だ。
 魔王のせいが二回と、走り疲れたのと、内臓が潰される恐怖で意識を飛ばしたのとで合計四回。そして今回だ。体は弱くないと思っていたのだが、この二年の間に気を失いすぎな気がする。


「今は何時ぐらいかしら。あまり遅くなると罰則が――」


 何をされるのかわからない罰則を受けたくはない。頭はまだ痛いが、動けないほどではないので立ち上がろうとすると、ディートリヒの腕が私を挟むようにして壁に伸びた。


「駄目だよ」


 両腕で閉じ込めた私を見下ろすディートリヒの目は――夢の中で見たリリアの夫とよく似ていた。


「何が駄目なのかしら」
「まだ帰らせるつもりはないってこと」


 さすがにまずい展開だということはわかった。
 怒りを抱いている人間というものは厄介なものだ。その怒りの対象はライアーか、ルシアンか、私か。どれもありえそうなのが困る。


 だけど窮地を抜け出すことは簡単だ。魔法を使えばいい。
 荒れ狂う風を想像し、ディートリヒを吹き飛ばすように指示を出す。轟と鳴く風はディートリヒの体をわずかに押して、霧散した。


「……ああ、君もできるんだ」


 歪な笑みを浮かべるディートリヒの横に浮く、三つほどの水球。


 これは、本格的にまずい状況だ。まさかディートリヒまで無詠唱で魔法を使えるとは思わなかった。
 想像するだけで魔法は使える――そう信じて理解していなければできない芸当だ。平民が魔法を使えないのと同じ理由で、根底に「魔法は詠唱が必要」「魔法は貴族にしか使えない」そういう意識があると発動しなくなる。


 ディートリヒが前世の記憶持ちで魔族と交流のある誰か――ということはないはずだ。もしもそうだったらライアーの情報を得ようとはしないだろう。
 ならば誰に教わった。


「あなたはどうして使えるの? 誰にそれを教わったの?」
「俺が答えたら君も教えてくれるの?」
「……ええ、いいわよ」


 前々世の記憶のせいですと言っても信じないだろう。魔法の師匠から教わりましたとでも言っておくことにしよう。
 嘘を吐くのには慣れている。


「顔は忘れたけど……綺麗な金の髪を持った人だったよ。たしか、小さな女の子を連れていたかな」


 ――何をやってるんだ、あの魔王。


「それで、君は?」
「魔法を教えてくれた人が知ってたのよ」
「それって君の従者?」
「違うわ」


 水球の一つが壁にぶつかって弾けた。わずかに抉られた壁の破片が地に落ちる。
 嘘は許さないということか。出だしから嘘なのだが、そこは気づかれていないらしい。もしかしたら納得のできる話でないと嘘とみなすということなのかもしれない。横暴だ。


「……ねえ、あなたは何がしたいの?」
「なんだろうね」
「ルシアンに嫌がらせでもしたいの?」


 ディートリヒがルシアンを嫌っているのは知っている。だけど私に何かしたとして、ルシアン以上に彼が所属するローデンヴァルト国が許しはしないだろう。
 何がそこまであの国を突き立てるのかは知らないが、聖女そっくりな私に好感を抱いているのはお姫様と話したのでわかっている。
 聖女の血を引き、聖女そっくりな者を害したとなれば、たとえ自国の王子でも批判は免れないはずだ。


「どうしてそこまでルシアンを嫌うのよ。彼があなたに何をしたの?」
「何も。ただあいつはローデンヴァルト国に来ただけだよ。君との婚約を認めてもらうためにね」


 なんだ、その話。
 私との婚約を、どうしてローデンヴァルト国に認めてもらわないといけないんだ。銀の髪を持つからよく思われていないのはクロエに教えてもらったが、それは私と婚約することによってなあなあになったのではないのか。


 それとも婚約に異を唱えていて、それを黙らせようとしていたのか。いやでも、聖女の血を引く私との婚約によって王家の一員として認めてもらうとか、そんな話だったのでは。


「その話、詳しく聞かせてちょうだい」
「今の状況わかってる?」
「わかってるわよ。冥途の土産として教えてくれてもいいでしょ」
「……いや、殺すつもりはないんだけど」


 こんな状況であっても恐怖も何も抱かないのは、リリアが手荒く扱われることに慣れているせいだろう。殺されないのならばそれでよし、としか思えない。


「細かいことはいいじゃない。ねえ、ルシアンは私と婚約することで王族として認めてもらえたのではないの? どうして婚約に反対されてたの? そこまでしてローデンヴァルトの人はルシアンを王族と認めたくなかったの?」
「それに俺が答えて、どんな得があるのかな」
「ないわよ。だけど、質問責めだと情緒もへったくれもないでしょう?」


 まあ、何かしようとするのなら全力で抵抗するつもりではある。
 そもそも情緒の観点からいくと、薄暗い路地というのもどうかと思う。だけど寝台の上で――というのは、リリアの記憶が蘇りそうだ。
 首を絞められたり焼き印を押し付けられたりな記憶が蘇る時点で、情緒も何もなさそうだ。今から将来が不安になってくる。


「まあいいけど。どうせそんなに長い話でもないし」


 ディートリヒが語ったのは、私を危険な目に合わせたルシアンを批判する声が増えたことと、私の婚約者に相応しくないのではと目されたこと。
 そして批判してくる国を回っていたこと。


 ――ルシアンが他国を回っていたことは知っていたが、どうしてなのかまでは知らなかった。日記にもそんなことは書いてなかった。
 赴いた国の特産や、国民の生活。そんな当たり障りのないことだけが綴られていた。


「……ローデンヴァルト国に来たのは一番最後だった。認めてもらおうと愛想を振りまくあいつを見て、思ったんだよ。気に食わないって」
「無茶苦茶ね」
「俺はあいつに対抗するために王子にされた。あいつがさっさと王位継承権を放棄していれば、そんなことにはならなかった」


 逆恨みもいいところだ。


「あなたを養子にしたのはローデンヴァルト王でしょ」
「ああ、そうだな。……だから、王とあいつに嫌がらせをするなら何がいいかって考えたんだよ」


 おっと、これはまずい展開になりそうだ。
 風は駄目だったから、次は土魔法でも使おうか。リリアは土魔法が得意だったから、ある程度ののうはうは私にもある。


「王とあいつはお前にご執心だ」


 さすがに土の棘で串刺しにするのはためらわれる。ならばどうするか――


 思考を巡らせていた私の髪が引っ張られ、上を向かせられる。怒りの炎を宿す目と、皮肉げに歪んだ口元に瞬く。


「――だから、あんたを俺にくれよ」


 リリアなら、どうしただろう。自分と似ているからと受け入れたのかもしれない。
 だけど、私はリリアではない。


「冗談じゃないわ」
「ええ本当に」


 第三者の声と、私を抱えるようにして覆いかぶさるディートリヒと、降り注ぐようにして叩きつけられた水の音。
 呻くディートリヒの腕の隙間から路地の向こうを見ると、長い前髪で目元を隠した子爵家の男の子がそこにいた。



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