悪役令嬢を目指します!
第十四話 騎士の心情
「……レティシアは何か悪いものでも食べたのかな」
神妙な面もちでそう言われ、苦笑いしか浮かばない。殿下がそう思ってしまうのも無理からぬことだとわかってはいるが、降って沸いたような幸運を素直に喜べないという不憫さにいたたまれなくなる。
「話しかけても逃げられないし、誘えば応えてくれるし……」
――それは普通のことだ。
つい先日モイラ嬢の案内を学園から押し付けられたときには面倒だと思っていたが、結果としてはよい方向に転がった。何しろ、これまで逃げ回っていたレティシア嬢が殿下に歩み寄ったのだから。
ようやく報われたのだと目頭が熱くなったものだ。問題は、当人である殿下がその降って沸いたような幸運に対応できていないということか。
「……殿下に好意を抱いているのでしょう」
「いや、それは……そうなのか?」
殿下は本来他人の心の機微に疎い方ではない。レティシア嬢の好意が誰に向いているのかわかっているはずだ。
だがそれでも素直に受け入れられないのは、これまでがこれまでだからだろう。レティシア嬢が婚約の解消を望んだ話は聞いているので、不安がるのもわかる。
「傍から見ている分にはそうとしか思えないかと」
これまでのレティシア嬢は殿下に興味を示していなかった。しかしここ最近の彼女はそうではない。それに一緒にいられると嬉しいと語った頬が赤く染まっていた。殿下に対してそういう感情を抱いたのだろう。
どういった心境の変化があったのかまではわからないが。
レティシア嬢が殿下に好意を抱いたのは明白だ。それなのに殿下の浮かない顔は晴れなかった。
「……手放しで喜ぶべきではないのか?」
二年生になってもクリスとの鍛錬は続いていた。そして休憩中に殿下とレティシア嬢についてぼやくのも変わっていない。
「まったくお前という奴は、いくつになっても色恋沙汰に疎いな」
「お前にわかるのか?」
「当たり前だろう。私をなんだと思っている」
剣を傍らに置き、地面に座っている姿は、どうあがいても色事に聡いようには見えない。
「どうして好かれたのかわからないということは、その好意がどうやって失せるのかもわからないということだからな。不安になりもするだろう」
「不安がったところで何が変わるわけでもないのにか」
「感情というものはそう簡単に左右できるものではないのだよ。お前は剣よりも人を学んだほうがいいのではないか」
話は終わったとばかりに剣を構えはじめるクリスに、とやかく言われたくない。
「――そういえば」
こちらも剣を構えなおしたところで、ふと思い出したかのような口振りでクリスが話しはじめた。
「アドルフが学園に来たそうだな」
「……どうして知っている」
「私にも騎士の知り合いがいるということだよ」
内部情報を流したのはどこの馬鹿だ。クリスが知り合えそうな騎士の顔がいくつも浮かんでは消える。クリスを追求したところで口を割りはしないだろう。
王都に帰ったら誰が流したのかを調べるべきか。
「手合わせを頼んでみてはくれないか?」
「あいつは騎士として来ていない」
「騎士でなくとも剣は扱えるだろう?」
クロエ嬢だけでなくアドルフにまで手合わせを願うとは、クリスの欲は留まるところをしらない。毎日付き合ってやっているのだから、それで満足すればいいものを。
「自分の婚約者が他の男と会う手助けをするわけないだろう」
「ほう、お前ともあろうものが妬いているのか? ずいぶんと可愛いことを言うようになったな。ここは私も頬の一つでも染めてみるべきかな?」
揶揄するように笑う姿に思わず溜息が漏れる。どこが色事に聡いというのか。
たとえクリスが俺の婚約者でなくてもアドルフに頼むことはしなかっただろう。アドルフは騎士団の中でも貴重な人材だ。
騎士団に所属しておきながら素顔の割れていない騎士などそういるものではない、というかアドルフぐらいしかいない。
遠征時、しかも就寝時以外では兜を取らないあいつの素顔は、騎士団の中でも知らない者がいるほどだ。
幼少期を知る年代の者はともかくとして、学園に通う者で殿下の従者が騎士であると気付ける者はそういないだろう。
「俺からの手助けは諦めろ。アドルフが騎士であると吹聴するような真似もするな」
「わかっているとも。もう少し私を信用してくれてもよいのではないか?」
手合わせを願いでるような女のどこを信用しろと言うのか。
殿下とレティシア嬢の仲は順調に進んでいるように見えた。休みの日に遊びに誘っても逃げられることなく、頷いてくれるらしい。浮足立ちながらも不安そうな殿下を見る度に心が痛んだ。
今期のレティシア嬢はこれまでと様子が変わっている。茶会などにも出席するようになり、寮から出ることも増えた。何があってここまで様変わりしたのかわからないというのは、たしかに空恐ろしいものがある。
だがまあ、事態が好転しているのであれば素直に喜ぶべきだろう。これで殿下の心に平穏が訪れれば、俺の胃が痛むようなことも減る。
後はクリスのことが片付けば、俺の心にも平穏が訪れようというものだ。
「……最近のレティシアはよく笑うんだ」
殿下の惚気のような相談事は続いている。真剣な表情をしているので、相談なのは間違いないはずだが、聞いているこちらとしては惚気としか思えない内容だった。
「よいことではないですか」
「私の気持ちを捨てないと言ってはくれたけど、ここまで急変するなんて――やはり悪いものでも食べたのか、あるいは呪いでもかけられているのでは……」
レティシア嬢が眠りの呪いにかかったことは知っている。だが笑うようになる呪いは聞いたことがないし、万が一そんな呪いがあったとしても、一体どこの誰がかけるというのか。
「考えすぎでしょう。レティシア嬢も殿下の気持ちに応えようと頑張っているのだと思いますよ」
「だといいけど……」
殿下の表情は中々晴れない。
「……私はもうすぐ死ぬのかもしれない」
その日は少しだけ趣きが違った。
健康体そのものなのに何を言っているんだと思わなくもないが、殿下は真剣に話している。ならば俺も真剣に聞かなければいけない。
「この間出かけたとき……レティシアが手を握ってくれたんだ」
「それは……」
やはりこれは惚気なのだろうか。
「おかしいだろう。あのレティシアが私と手を繋ごうと思うなんて……!」
悲痛な叫びにもはや何を言えばいいのかわからない。口を開くと「いい加減にしろよ」と言ってしまいそうだ。
俺は神妙な表情を作って真剣に聞いている風を装うことにした。いや、装っているわけではなく、俺は真剣に聞いている。馬鹿らしくなってくるが、真剣に聞かないといけない。
「……殿下のことを好いているのでしょう」
「しかし、私は何も言われていない。その、そういった愛の言葉をレティシアから聞いたことはないんだよ」
「一緒にいられると嬉しいと言っていたではないですか」
「……それは、ほら、モイラ嬢を怖がっていたから、私を盾にしようとしたのかもしれないだろう?」
「それならさっさと帰っていたと思いますよ」
レティシア嬢はそういう人だ。嫌だと思ったらさっさと逃げる。
殿下もわかっているはずだ。はずなのだが、素直に受け入れることができないぐらい、これまでが酷かった。
殿下は平静を装うのが上手な人だ。逆に言えば、不安を吐露するのが苦手な人だ。もういっそ本人に気持ちを打ち明けて、相手の気持ちを問えばいいのにと思ってしまうが、色事というものはそう単純ではないのだろう。
「そもそも最初からおかしかったんだ。私の隣に他の女性が立つのが嫌だと言っていたし……それに、少々やりすぎなぐらいに予定を詰め込んだのに逃げなかった」
殿下が光の月の初日からレティシア嬢を連れ出したことは聞いている。レティシア嬢の性質を思えば、少々性急すぎるのではと思っていたが、殿下にもその自覚はあったようだ。
「逃げられたかったのですか?」
「いや、そういうわけでは……どのぐらいが限界なのかわかれば、その後の調整がしやすくなるかなと思っただけだよ」
限界を超えるだろうと予想されていた予定をレティシア嬢はこなした。ということはつまり、そういうことなのだろう。
「……殿下のお側にいられるように頑張っているのではないですか」
もうすぐ光の月も終わろうとしている。それでもレティシア嬢の態度は変わっていない。
去年からすれば変わりすぎているが、このひと月の間は一貫していた。
そして俺はこのひと月の間、殿下の惚気を聞き続けた。
「レティシア嬢の中で何があったのかはわかりませんが、殿下を好いているのは間違いないでしょう。幸福を噛みしめてレティシア嬢と戯れればいいと思いますよ」
だからもう、いい加減にしてほしい。
神妙な面もちでそう言われ、苦笑いしか浮かばない。殿下がそう思ってしまうのも無理からぬことだとわかってはいるが、降って沸いたような幸運を素直に喜べないという不憫さにいたたまれなくなる。
「話しかけても逃げられないし、誘えば応えてくれるし……」
――それは普通のことだ。
つい先日モイラ嬢の案内を学園から押し付けられたときには面倒だと思っていたが、結果としてはよい方向に転がった。何しろ、これまで逃げ回っていたレティシア嬢が殿下に歩み寄ったのだから。
ようやく報われたのだと目頭が熱くなったものだ。問題は、当人である殿下がその降って沸いたような幸運に対応できていないということか。
「……殿下に好意を抱いているのでしょう」
「いや、それは……そうなのか?」
殿下は本来他人の心の機微に疎い方ではない。レティシア嬢の好意が誰に向いているのかわかっているはずだ。
だがそれでも素直に受け入れられないのは、これまでがこれまでだからだろう。レティシア嬢が婚約の解消を望んだ話は聞いているので、不安がるのもわかる。
「傍から見ている分にはそうとしか思えないかと」
これまでのレティシア嬢は殿下に興味を示していなかった。しかしここ最近の彼女はそうではない。それに一緒にいられると嬉しいと語った頬が赤く染まっていた。殿下に対してそういう感情を抱いたのだろう。
どういった心境の変化があったのかまではわからないが。
レティシア嬢が殿下に好意を抱いたのは明白だ。それなのに殿下の浮かない顔は晴れなかった。
「……手放しで喜ぶべきではないのか?」
二年生になってもクリスとの鍛錬は続いていた。そして休憩中に殿下とレティシア嬢についてぼやくのも変わっていない。
「まったくお前という奴は、いくつになっても色恋沙汰に疎いな」
「お前にわかるのか?」
「当たり前だろう。私をなんだと思っている」
剣を傍らに置き、地面に座っている姿は、どうあがいても色事に聡いようには見えない。
「どうして好かれたのかわからないということは、その好意がどうやって失せるのかもわからないということだからな。不安になりもするだろう」
「不安がったところで何が変わるわけでもないのにか」
「感情というものはそう簡単に左右できるものではないのだよ。お前は剣よりも人を学んだほうがいいのではないか」
話は終わったとばかりに剣を構えはじめるクリスに、とやかく言われたくない。
「――そういえば」
こちらも剣を構えなおしたところで、ふと思い出したかのような口振りでクリスが話しはじめた。
「アドルフが学園に来たそうだな」
「……どうして知っている」
「私にも騎士の知り合いがいるということだよ」
内部情報を流したのはどこの馬鹿だ。クリスが知り合えそうな騎士の顔がいくつも浮かんでは消える。クリスを追求したところで口を割りはしないだろう。
王都に帰ったら誰が流したのかを調べるべきか。
「手合わせを頼んでみてはくれないか?」
「あいつは騎士として来ていない」
「騎士でなくとも剣は扱えるだろう?」
クロエ嬢だけでなくアドルフにまで手合わせを願うとは、クリスの欲は留まるところをしらない。毎日付き合ってやっているのだから、それで満足すればいいものを。
「自分の婚約者が他の男と会う手助けをするわけないだろう」
「ほう、お前ともあろうものが妬いているのか? ずいぶんと可愛いことを言うようになったな。ここは私も頬の一つでも染めてみるべきかな?」
揶揄するように笑う姿に思わず溜息が漏れる。どこが色事に聡いというのか。
たとえクリスが俺の婚約者でなくてもアドルフに頼むことはしなかっただろう。アドルフは騎士団の中でも貴重な人材だ。
騎士団に所属しておきながら素顔の割れていない騎士などそういるものではない、というかアドルフぐらいしかいない。
遠征時、しかも就寝時以外では兜を取らないあいつの素顔は、騎士団の中でも知らない者がいるほどだ。
幼少期を知る年代の者はともかくとして、学園に通う者で殿下の従者が騎士であると気付ける者はそういないだろう。
「俺からの手助けは諦めろ。アドルフが騎士であると吹聴するような真似もするな」
「わかっているとも。もう少し私を信用してくれてもよいのではないか?」
手合わせを願いでるような女のどこを信用しろと言うのか。
殿下とレティシア嬢の仲は順調に進んでいるように見えた。休みの日に遊びに誘っても逃げられることなく、頷いてくれるらしい。浮足立ちながらも不安そうな殿下を見る度に心が痛んだ。
今期のレティシア嬢はこれまでと様子が変わっている。茶会などにも出席するようになり、寮から出ることも増えた。何があってここまで様変わりしたのかわからないというのは、たしかに空恐ろしいものがある。
だがまあ、事態が好転しているのであれば素直に喜ぶべきだろう。これで殿下の心に平穏が訪れれば、俺の胃が痛むようなことも減る。
後はクリスのことが片付けば、俺の心にも平穏が訪れようというものだ。
「……最近のレティシアはよく笑うんだ」
殿下の惚気のような相談事は続いている。真剣な表情をしているので、相談なのは間違いないはずだが、聞いているこちらとしては惚気としか思えない内容だった。
「よいことではないですか」
「私の気持ちを捨てないと言ってはくれたけど、ここまで急変するなんて――やはり悪いものでも食べたのか、あるいは呪いでもかけられているのでは……」
レティシア嬢が眠りの呪いにかかったことは知っている。だが笑うようになる呪いは聞いたことがないし、万が一そんな呪いがあったとしても、一体どこの誰がかけるというのか。
「考えすぎでしょう。レティシア嬢も殿下の気持ちに応えようと頑張っているのだと思いますよ」
「だといいけど……」
殿下の表情は中々晴れない。
「……私はもうすぐ死ぬのかもしれない」
その日は少しだけ趣きが違った。
健康体そのものなのに何を言っているんだと思わなくもないが、殿下は真剣に話している。ならば俺も真剣に聞かなければいけない。
「この間出かけたとき……レティシアが手を握ってくれたんだ」
「それは……」
やはりこれは惚気なのだろうか。
「おかしいだろう。あのレティシアが私と手を繋ごうと思うなんて……!」
悲痛な叫びにもはや何を言えばいいのかわからない。口を開くと「いい加減にしろよ」と言ってしまいそうだ。
俺は神妙な表情を作って真剣に聞いている風を装うことにした。いや、装っているわけではなく、俺は真剣に聞いている。馬鹿らしくなってくるが、真剣に聞かないといけない。
「……殿下のことを好いているのでしょう」
「しかし、私は何も言われていない。その、そういった愛の言葉をレティシアから聞いたことはないんだよ」
「一緒にいられると嬉しいと言っていたではないですか」
「……それは、ほら、モイラ嬢を怖がっていたから、私を盾にしようとしたのかもしれないだろう?」
「それならさっさと帰っていたと思いますよ」
レティシア嬢はそういう人だ。嫌だと思ったらさっさと逃げる。
殿下もわかっているはずだ。はずなのだが、素直に受け入れることができないぐらい、これまでが酷かった。
殿下は平静を装うのが上手な人だ。逆に言えば、不安を吐露するのが苦手な人だ。もういっそ本人に気持ちを打ち明けて、相手の気持ちを問えばいいのにと思ってしまうが、色事というものはそう単純ではないのだろう。
「そもそも最初からおかしかったんだ。私の隣に他の女性が立つのが嫌だと言っていたし……それに、少々やりすぎなぐらいに予定を詰め込んだのに逃げなかった」
殿下が光の月の初日からレティシア嬢を連れ出したことは聞いている。レティシア嬢の性質を思えば、少々性急すぎるのではと思っていたが、殿下にもその自覚はあったようだ。
「逃げられたかったのですか?」
「いや、そういうわけでは……どのぐらいが限界なのかわかれば、その後の調整がしやすくなるかなと思っただけだよ」
限界を超えるだろうと予想されていた予定をレティシア嬢はこなした。ということはつまり、そういうことなのだろう。
「……殿下のお側にいられるように頑張っているのではないですか」
もうすぐ光の月も終わろうとしている。それでもレティシア嬢の態度は変わっていない。
去年からすれば変わりすぎているが、このひと月の間は一貫していた。
そして俺はこのひと月の間、殿下の惚気を聞き続けた。
「レティシア嬢の中で何があったのかはわかりませんが、殿下を好いているのは間違いないでしょう。幸福を噛みしめてレティシア嬢と戯れればいいと思いますよ」
だからもう、いい加減にしてほしい。
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