悪役令嬢を目指します!

木崎優

第六話 魔族の魔法

「あー、もう、無理! やだ! 誰にも会いたくない!」


 そして一週間で私は音を上げた。


「だからといって、どうして俺のところに来る。誰とも会いたくないというのなら、大人しく部屋にでも引きこもっていればいいだろうに、矛盾していることを不思議に思わないのか。いやはや、お前の珍妙な思考はどうにも理解しかねる」
「寮にいるとルシアン様が呼びにくるんだから仕方ないじゃない。もうやだー、無理ー、ここに隠れる」


 簡易ベッドの上でごろごろ転がる私に冷ややかな視線を投げつけてくるのは、この部屋の主である陰険魔族だ。
 どうせ学園に住み着いているのだろうと思って学舎に侵入した。そして案の定いた。


「騒ぐな喚くな煩い」
「あなたが私に煩いとか言うんだ。あんだけ言葉がどうとか対話がどうとか言っておきながら」
「対話をする気のないお前の言葉など、ただの雑音だ。そもそも愚痴るのならば他にいくらでも適任がいるだろう。即刻立ち去り二度と足を踏み入れるな」
「授業でどうせ来ることになるのに」


 他の科目と違って芸術にはこの教師しかいない。どうせ愛だなんだというのを振りまくために、他の教師はいらないとか洗脳していたのだろう。
 だから授業が始まれば、ここに来ることになる。


「それにあなたのせいだからここに来たのよ。人は色々なことを忘れる生き物なのに、あなたのせいで全部覚えたままなのよ」
「お前の塵ほどもない記憶力の助けになっているのだから、感謝されこそすれ恨まれる筋合いなどないというのに、まったく困ったものだ。精々苦しみあがけばいいとは思わないかね」
「悪意しかないじゃない。あなたが嫌いなのはリリアでしょう? 私はリリアじゃないんだから、さっさとこの魔法を解いてよ」


 寝台の上に座り直し、意地の悪い笑みを浮かべている悪魔をじっと見つめる。
 こいつが嫌っているのはリリアだ。だけど私はリリアの魂も記憶もあるけど、リリアそのものではない。


「思い出したのなら、なおのこと解くわけがないだろうにおかしなことを言う。愛を侮辱したことを後悔し、愛の前にひれ伏して許しを乞い泣き喚け」
「リリアはちゃんとその報いを受けたんだからいいじゃない。彼女はもう死んだの。もういないの。リリアに愛云々を説くんだったら生前にしなさい」
「俺は散々愛がいかに大切なもので素晴らしいものかを語ったというのに、聞く耳を持たなかったのはお前だろう」


 たしかに記憶の中にはこいつが愛がどうとかこうとか騒いでいるものがある。だけど、こいつの言葉に耳を傾けなかったのはリリアだけではない。
 魔族も人間も聞き流していた――たった一人を除いて。


「……アリエルの記憶を消したことを恨んでるの?」


 アリエル・パルテレミー。
 光石を使って何か作れないかを頼んだ、変わり者と呼ばれていた女の子。


「どうしてパルテレミーの名が出てくる」
「だって彼女だけはあなたの話を聞いていたでしょう?」


 他の魔族は煩い、黙れ、静かにしろ、囀るなと言い、人間はこいつの言葉に洗脳する力があると知ってからはあまり近づこうとしなかった。
 そんな中で、彼女だけはこいつと話をしていた。一触即発な雰囲気ではあったけど、こいつの望む対話とやらをしていたのは彼女だけだった。


「くだらんことを。あのような愛を理解しない女の記憶の一つや二つ消えたところで俺が気にするとでも? どうにもお前らは俺らに情を求めるようだが、たかが人間に情を抱くと本気で思っているのだとしたら実に滑稽なことだ。会話ができるからという理由だけなら、魔物だろうと人間だろうと変わらんというのに。いや、種によっては人間よりも丈夫な魔物もいる。脆弱な生き物にどうして情を寄せられるというのか」
「でもあなたが愛を説くのは人間相手にだけよね」
「愛が素晴らしいと語ったのが人間だからだ。ならば素晴らしい愛とやらを実際に見せてもらおうと思うのは、不思議なことではないだろう」
「あなたが人間に期待を寄せていることはわかったけど、私にまで求めないでよ。リリアはあれが最善だと思ったんだから……リリアはフィーネを愛していて、そのために行動したのよ。ちょっと間違えちゃったけど、家族愛も認めてあげていいんじゃないの」


 愛だなんだと騒いでいるくせに、こいつの中には友愛とか家族愛というものが存在しない。
 だからたった一人だけを愛しぬく魔法をかけた。子や親、それから兄弟を慈しむことも大切にすることもできるけど、愛することだけはできなくなる愛の呪い。


「家族愛だって、愛の一つでしょ」
「世迷言を」
「愛なんて人によって形が違うものなんだから、あなたの思う型にはめようとしないでよ。あなたの理想通りじゃないと受け付けないって言うなら、素晴らしい愛なんて絶対に見れないんだから」
「俺を納得させたいと言うのなら、実証してみせろ。言葉の上では誰でもなんとでも言えるものだ」
「いや、リリアがしたよね。フィーネのためを思ってマティスと結婚したじゃない。それじゃ駄目だって言うの?」
「リリアはもう死んだのだろう? 死者が何を思っていたかなど、確かめようのないことだ」
「都合の悪いときだけ殺さないでよ」


 いいから解きなさいよー、馬鹿ー、と駄々っ子のように喚く。


「一週間、毎日のように茶会だなんだで社交の場に連れ出されて、もう無理なのよ。限界なのよ。そんなことも知らないのって向けられる呆れた目や、気まずそうな苦笑い……忘れたくても忘れられないし、次の茶会でも思い出して何を言えばいいのかわからなくなるし、もう無理」
 

 意地の悪い魔族は冷ややかな視線を私に向けてから、布を投げてきた。大きな布が頭の上に落ちてきて視界が塞がれたので、慌てて取り除く。


「泣くな喚くな。見苦しい顔がより見苦しくなる」
「誰のせいだと思ってるのよ」


 せっかくなので、投げつけられた布で顔を拭う。これって石膏とか絵画とかにかかってた布か。無駄に大きい。


「愚痴を言うのであれば俺でなくてもいいだろう。どうせ俺は解く気がないのだからな」
「人にはね、慰められたくないときってのがあるものなのよ。励まされたくもないし、ましてや正論だって聞きたくない。その点、あなたなら私に優しくしようなんて思わないでしょう」
「ああ、そうだな。俺はお前が好きじゃない」
「私もあなたが嫌いよ」


 だからこそ、都合がいい。迷惑なんて微塵も考えなくていい相手なんて、そういるものじゃない。
 クロエは優しく聞いて慰めてくれる。アドリーヌとマドレーヌは励ましてくれる。クラリスは正論を説いてくる。だけど今の私はそのどれも望んでいない。
 ただ喚きたいだけだ。


「ルシアン様が私のためにしてくれてるのはわかっているのよ。だから思う存分喚いて、それで気持ちを切り替えて、また頑張ろうって気になりたいの」
「俺からしてみればいい迷惑だ」
「迷惑だからあなたのところに来たんだもの。当然でしょう」
「まったく、こんな奴のどこがいいのか……俺の友の気もしれんが、彼女の気もしれん。付き合う相手はよく選べと言いたくもなる」


 頭を振って深い溜息を落とす魔族をまじまじと眺める。
 魔族同士は基本的に仲が悪い。得意属性以外の魔法も使えるのに使わないのは、他の奴の力を借りているみたいで虫唾が走るという理由からだ。


「ライアーは相容れないだろうけど、ルースレスとあなたは似てるんだから仲良くすればいいのに」
「対話をする気のない者と俺が似ているだと? 寝言は寝てから言うものだ。それとも泣きすぎて夢心地にでもなったか」


 そしてこいつも、友と呼んでおきながら他の魔族を嫌っている。


「すぐに毒を吐くところとか、そっくりよ。似てるって言われたくないならもっと私に優しくしなさい」
「優しくされたくはないのではなかったか。一瞬前に言った自分の言葉すらも忘れたというのなら、より強固な魔法をかけるべきか。そうすればお前の記憶力も塵程度にはなるかもしれない」
「冗談じゃないわよ。そんなことしたらクロエに泣きついてやる」


 クロエの名前に魔族の顔がしかめっ面に変わる。
 三代目勇者、クロエの前々世を魔族たちは慕っている。
 桃色の魔族は何かにつけシチューを作っていたし、リューゲはクロエから攻撃を受けても反撃には出なかった。そしてこいつも、剣で殴られていたのに抵抗しなかった。


「だが生憎ながら俺はあまり魔法を使わないようにと約束した身だからな。お前にかけたいと思っても、約束を守るためにはかけるわけにはいかないのだよ」
「正直に言いつけないでって言いなさいよ」


 魔族はどいつもこいつも素直じゃない。しかも負けず嫌いで、我慢も嫌いで、自分勝手だ。


「おかしなことを言う。どうして俺がたかが人間の機嫌など気にしなければいけない。俺が気にするべきは愛だけだというのに、そんなこともわからないのか」
「はいはい、わかったわよ。あー、もう。愚痴る感じじゃなくなっちゃったじゃない」


 気が抜けた、というのとは少し違うけど、愚痴を言う気分ではなくなった。


「そもそも、俺に愚痴を言うことが間違っているとは思わないのか。不満があるのならば、本人に直接言うべきだろう」
「言えたら苦労しないわよ」


 陰険魔族の口角が上がり、ゆっくりとした足取りで部屋の中を歩きはじめた。


「少し素直になればいいだけだ。実に簡単なことだろう」


 そして魔族が備品置き場になっている続き部屋に姿を消すのと、廊下に面している扉が叩かれたのは同時だった。


 コンコンと鳴る音に、慌てて寝台から飛び降りる。部屋の主は備品置き場に消えた。つまり、あいつが顔を合わせたくない人がこの扉の向こうにいる。
 私になんの忠告もせず去ったということは、続き部屋に避難することを許してはくれないだろう。


 コンコン、とまた音が鳴る。


「あ、あの、すいません。しばしお待ちを」


 外にも聞こえるようにできるだけ声を張り上げる。待ってもらっている間に部屋の主を引っ張り出そうと一歩踏み出し――扉が開いた。


「レティシア?」
「……ルシアン様?」


 不思議そうな顔で立つルシアン様と目が合う。開かれた扉の先にはルシアン様しかない。あの魔族はルシアン様に会いたくなかったのか?


「……どうしてここに?」
「ルシアン様の方こそ、どうしてこちらに?」


 ルシアン様が扉を閉めて、ぐるりと部屋の中を見回し、床に落ちている布に首をかしげたかと思うと、簡易ベッドを見て顔をしかめた。
 簡易ベッドは私が思いっきりごろごろ転がっていたので、乱れに乱れている。


「……レティシア」
「誤解です」


 咎めるような声色に全力で首を振る。そういう誤解はやめてほしい。あの魔族と、とか冗談でも言わないでほしい。言われた日にはありったけの魔族の名前を呼んであいつの首を取らないといけなくなる。
 達成した暁には私自身も無事では済まないだろうけど、死なばもろともだ。


「これは愚痴を言いに来て、それで転がってたせいで、やましいことはありません」
「愚痴を……?」
「ここ一週間ほどについてを」


 すらすらと出てくる言葉に冷や汗が流れでてくる。
 あの陰険魔族、何が魔法をかけないだ。思いっきり使ってるじゃないか。


「限界なんです。無理なんです。元々人付き合いが得意ではないのに、ああいう場での立ち回りなんて、私には荷が重いんです」


 ルシアン様が微動だにせず、ただじっと私を見つめている。口を閉ざしたいのに、勝手に言葉を紡ぐ。


「だからそれを愚痴ろうと思って、それだけです」
「どうしてアーロン先生に?」
「気を遣わなくてもいい相手だからです」
「愚痴なら、私がいくらでも聞くのに」


 悲しげに伏せられた目に、言葉に詰ま――らせてくれない。


「言えるわけがないじゃないですか。私のためにしてくださっているのに、そんな我儘みたいなこと」
「我儘だなんて思わないよ」
「でも、毎度毎度愚痴を言われてはルシアン様も嫌気が差すでしょう?」
「差さないよ。レティシアの話ならいくらでも聞くし、なんでも聞くから、だからすべて話して?」


 慈愛に満ちた眼差しを向けられて、ぽろぽろと涙が零れる。あの陰険魔族、涙腺すらも弱めたのか。


「……私、流行に疎いんです。だから新作がどうとか、そういう話をされても何もわからなくて……それ以外にも、最近あった面白い話が一体どなたの話をされているのかもわからないし、話についていけないんです」
「うん、それで?」
「最初は何度か尋ねたんですが、呆れられたり会話が止まったり、少し困ったように笑われたりで……尋ねることもできなくなって。だから、もう限界なんです」


 一緒にお茶をした人たちも悪気があったわけではない。ただ私が何も知らなかっただけだ。貴族として知っていて当然のことを、私は知らない。


「……君の涙を拭う許可をくれる?」
「一々聞かなくてもいいです」


 ルシアン様の指が目尻に触れる。その優しい動きに顔を上げると、何故か熱を帯びた瞳と目が合った。


「……ルシアン様?」
「レティシアが私のために頑張ってくれていることは知っているよ。だから言いたいことがあるときはいつでも言ってほしい」


 優しい声色はいつも通りで、頬に触れる手も優しいもので。


 だから、どこか嬉しそうに見えるのはきっと気のせいですよね?

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