悪役令嬢を目指します!

木崎優

第三話 王妃の命日

 寝て起きて朝食を食べて、それでも昨日見たルシアン様の顔が忘れられなかった。




 ゲームでの王妃様命日イベントは、ヒロインが少し落ち込んでいるような王子様を見かけるところからはじまる。
 いつも偉そうな王子様の珍しい顔に、ヒロインはつい後を追い、つい王子様が入った部屋の扉を叩いてしまった。そして傲岸不遜な態度で入室の許可をくれた王子様の誘いについ乗ってしまう。


 そこでぽつりぽつりと王妃様について語る王子様の話を聞くというのが一連の流れだ。


 そしてその中で、しがらみのない私だからこそ誘ってくれたのかも、というヒロインの独白が入っていた。
 だからしがらみしかない私は、王妃様の命日に一緒にいるべきではないと思ったのだが――もしかしたら違ったのかもしれない。


『実は今日がその日でね、一人でいたくないんだ。だから話だけでいいから一緒にいてほしいな』


 あの鋼鉄の精神を持つディートリヒですら家族の死んだ日に一人でいたくないと漏らしていた。


 もしかしたらルシアン様は一人でいたくなかったのでは、ということに思い至ったのは昼食を終えてからだった。


 そして私は今、遊戯棟のある一室の前にいる。


 去年までは王太子専用の部屋だった場所。今年からはルシアン様が使うようになったと聞いた。
 ゲームでの王子様は自分に与えられた部屋だと言っていた。当てはまるのはここしかない。


 だからもしかしたらゲームではなくてもここにいるのかもと思って来てみたものの、扉を叩くことができない。


「よく叩けたわね」


 王子様の後を追っていたとはいえ、王子様専用の部屋だとは知らなかったとはいえ、よくヒロインは叩けたものだ。鋼の心臓の持ち主ではないとおいそれと訪問できない。
 女神様は私がヒロインの体で産まれるはずだったとか言っていたけど、疑わしい。


 環境か、記憶の有無のせいなのか、私には真似できない。


「レティシア?」


 そもそも、どうして王族専用の部屋ということをヒロインは知らなかったのだろう。そういう設定とはいえ、学園事情に疎すぎないか。
 学年二位を取る学力がありながら、うっかりさんにもほどがある。普通は王族専用の部屋に入った王子様と話そうとは思わない。


「レティシア」


 だから私も今、どうしたものかと廊下をうろうろと歩いている。


「レティシア」


 すぐ近くで聞こえた声に肩が跳ねる。床に落としていた視線を恐る恐る上げると、間近に紫の瞳があった。危ない、このまま歩いていたらぶつかるところだった。


「あら、ルシアン様。どうされましたの?」
「それはこちらの台詞だよ」


 屈めていた背を戻して、ルシアン様が困ったように口元を歪めた。
 扉の開いた音は聞こえなかったはず、と記憶を再生してみると三回も名前を呼ばれていた。扉の開く音はしていなかったので、どうやらついさっきルシアン様はここに来たようだ。


「私は散歩中です」
「こんなところを?」


 王族専用の部屋は遊戯棟の隅の方にあって、隣接するような部屋はない。


「気の向くまま歩いておりました」
「こんなところまで足を延ばすなんて珍しいね」


 引きこもりの代名詞のような私は、去年は用がない限り遊戯棟に来なかった。
 ルシアン様に怪しまれるのも当然だ。正直に心配で、と言うべきなのだろうか。しかし思春期の男の子の中には、母親を思うのを恥ずかしいと考える人が一定数いるものだ。
 下手につついてルシアン様がその手の人だったら、恥をかかせてしまう。


「……ルシアン様はどうしてこちらに?」
「兄上が使っていた部屋をいただいたから、少し見てみようかと思って」
「お邪魔したことがありませんでしたの?」
「話すのはここじゃなくてもできるからね。兄上の私有空間に軽々しく邪魔できないよ」
「そうですか。でしたら私は帰らせていただきますので、どうぞ存分に堪能されてください」


 ルシアン様の顔に翳りはない。この分なら私が心配しなくても大丈夫だろう。
 それにヒロインを部屋に招き入れたのは偉そうな王子様だ。


「暇なら、少し話でもどうかな」
「いえ、私は――」


 断りかけて、やめる。いえ、と言ったところでルシアン様が少し寂しそうな顔をしたせいだ。


「……ルシアン様がよろしいのでしたら」
「ならお願いするよ」


 ルシアン様に案内されて、部屋の中に足を踏み入れる。
 机と四脚の椅子。そして本が敷き詰まった本棚と、暖炉の前に置かれた長椅子。長椅子の脇には小さな机が置かれていた。
 他にもティーセットの飾られた棚や湯を沸かすための設備とかも整っている。


「……ご自分で淹れるのかしら」
「どうしたの?」
「いえ、どうやってお茶を淹れるのかと思って」
「ああ、それなら頼めば使用人が持ってきてくれるよ」
「あの設備はなんのためにありますの?」
「……飾り?」


 ルシアン様も不思議そうな顔で首をかしげている。


 もしかしたら元々は王族専用の部屋ではなかったのかもしれない。学園が完成したのはリリアの死後のため、学園内部に関する情報は記憶の中にない。


 そもそも、リリアはこの学園を平民も貴族も通える場所にしようとしていた。全世界の人に魔法を広めるための、第一弾として作られたのがこの学園だ。
 学園が成功したら、他の国にも作って――そう考えていたのに、今では貴族しか通えないと言われているし、他の国にはこういった学園はない。
 リリアが死んでから、教育方針が大幅に変わったとしか思えない。


「せっかくだから淹れてみようか」
「……私が淹れるととんでもないお茶が仕上がりますわ」
「なら私が淹れてみるから、レティシアは横で見てるといいよ」


 ルシアン様に淹れてもらうのと、私の淹れたお茶を飲ませるのとどちらが不敬だろうか。
 本人がよいと言っているのだから、ここは甘えさせてもらおう。


 適当に座ってて、と言われたので長椅子に座ってちゃっちゃとお茶の準備をはじめているルシアン様の背を眺める。
 ずいぶんと手際よく見えるが、経験があるのだろうか。


 端に置かれている小さな机を真ん中に移動させて、持ってきていたものを膝の上に置く。室内灯を消すにはどうすればいいのかと辺りを見回していたら、もう淹れ終わったのかルシアン様がティーセットを机に並べはじめた。


「ありがとうございます」
「ちゃんと淹れられているといいけど」


 注がれたお茶は綺麗な紅色をしていた。私が淹れると薄いか濃いかするので、この時点で私よりも上手なことがわかる。


「ところで、このお部屋は明かりを消すことはできますか?」
「明かりを? ……ああ、うん、わかった」


 少し不思議そうな顔をした後、私の膝を見て頷いた。そして棚に置かれていた蓋のようなものを取ると、光石のはめられている壁にそれを被せた。


 真っ暗になった部屋で、持ってきたものにかけていた布を取り払うと、壁一面に星空が浮かんだ。


 戻って来たルシアン様は私の横に座り、背もたれに首を預けるようにして星空を眺めた。


「ありがとう」
「いえ」


 あの日見た星空だけど、ルシアン様はあの時のようには泣いていない。零さないように慎重にカップを持って口に運ぶ。濃すぎないし、薄すぎない、美味しいお茶だった。


 私は王妃様のことをよく知らないので、気の利いた台詞は言えない。 
 だからルシアン様に貰った、王妃様の母国の星空を持ってきた。王妃様大好きなルシアン様のことだから、これを見たら元気づけられるのではと思ってのことだったが、一緒に見るのは想定していなかった。渡して、そのまま自室に戻ろうと思っていたので、語るような話は用意していない。


「……レティシア」
「はい、なんでしょうか」
「手を繋いでもいい?」


 ぎょっとしてルシアン様の方を見ると、背もたれに頭を置いたまま私を見ていた。


「え、ええ、はい」


 手ぐらいならと差し出すと、ルシアン様の顔が綻んだ。
 指を絡み取られ、二人の間に置かれる。長椅子の柔らかさと、伝わってくる温かさにそわそわしてしまう。


「――母上の国には行かなかったんだ」


 なんの話だ。


「行こうと思えば行けたけど、あそこは反対している国ではなかったから」
「……そうですか」


 本当になんの話だ。


「それに、行くのなら君と一緒にと思って……」
「え、ええと、歓迎してくださるでしょうか」
「してくれるよ。母上の母国だからね」


 王妃様への信頼感がすごい。


「……一緒に来てくれる?」
「……機会があれば」


 秘儀、善処します。




 どのぐらいの時間が経ったのだろう。ルシアン様はあれから何も言うことなく星を眺めている。
 繋がれた手はそのままなので、お茶が飲めない。左手で取るには、机が少し遠い。


「少しそちらに寄ってもよろしいでしょうか」
「え、うん、いいよ」


 ルシアン様は躊躇するかのように瞬いて、でもすぐに頷いてくれた。繋いだままでは少し動きにくいので手を引き抜くと、少しだけルシアン様の指が追おうと動いて、すぐに長椅子の上に落ちた。


 長椅子の端から中央に移動して、ようやく届くようになったカップを口に運ぶ。温くなっていたが、渇いた喉を潤すには丁度よい。


「……また繋いでもいい?」


 横から声をかけられ、はい、と差し出した手が包まれた。さっきと違うなと思い横を向くと、やけに近い位置にルシアン様がいた。
 元々は端と端に座っていた。ほぼ三人掛けぐらいの大きさの長椅子のため、私が端から真ん中に移動したら、必然的に距離も近くなる。当然と言えば当然なのだが、近い。


「あ、あの……?」


 しかも両手で私の手を包んでいる。先ほどは長椅子の上に置かれたのに、今は持ったまま微動だにしていない。それに紫の瞳がじっと私を見ている。


「……レティシア」
「は、はい、なんでしょう」


 囁くように名を呼ばれ、どこを見ればいいのかわからなくなる。繋がれた、というよりも握りこまれた手を見ればいいのか、熱を帯びた紫の瞳を見ればいいのか、広がる星空を見ればいいのか、片方だけ空になった二つのカップを見ればいいのか。
 定まらない視線が右往左往と漂っている。


「ずっと私の隣にいてくれる?」
「ぜ、善処します」


 秘儀をまた発動させる。
 確約はできない。未来は誰にもわからない。


「あんなことをしてしまったけど、君のことを誰よりも大切にしたいと思ってる」
「はい、ええ、はい、わかってます」
「私の隣にいてくれたあの日から、ずっとそう思っているんだ」
「え、と、それは、その……あの日のことは、忘れた方がいいかと」


 あれは私が魔王を呼んでしまったから起きた悲劇だ。
 そして空いた警備の隙をついてルシアン様は抜け出した。それなのに、ルシアン様はあの日の思い出と大切に感じている。私のせいなのに。


「忘れられないよ」
「……でも、私、あれは……」


 こんなことならリューゲに教えてもらったときに謝っておけばよかった。魔物が増えたのは私のせいで、ルシアン様が抜け出せたのも私のせいで、ルシアン様が傷を負ったのも私のせいだ。


 だけどどう伝えればいい。魔族について話してもわかってくれないかもしれない。
 ディートリヒに魔族の所業を見せるために、クロエはわざわざ彼を呼び出した。魔族は秘匿されている存在で、誰かに話しても信じてくれないと、そう言っていた。


「……どうか、忘れてください」
「どうして?」
「私にとっては、ルシアン様に傷を負わせてしまった苦い記憶です」


 あの場にライアーが来てくれなかったら、私がリリアの魂じゃなかったら、ルシアン様は死んでいたかもしれない。


「……ルシアン様はこの国の王子です。私を守ろうとして怪我をされても、心苦しいだけなのです」


 どうしてそうなったのかは話せない。
 ルシアン様があの日の思い出を大切にしていればしているほど、私は申し訳なさでいっぱいになる。


「……ルシアン様がそのことで私に好意を寄せてくださっているのなら、どうか忘れてください。私はあなたをお守りすることもできなくて、それどころか御身を危険にさらしてしまった不甲斐ない娘です」
「あれは私が勝手にしたことだよ。それに君に傷を負わせていたらそれこそ……」


 ルシアン様の言葉はそこで終わった。だけど、その後に何が続くのかの見当はついた。


「聖女の子が怪我をしたら困りますの?」


 沈黙は肯定だ。
 聖女らしからぬリリアだけど、女神様の声を聞ける娘として扱われていた。だからかいまだに聖女様聖女様と崇められている。


 復讐の炎で自らを燃やしたただの女の子なのに。


「……ルシアン様に聖女の血を継ぐ者が必要なのは知っています」
「私は、そのために君と一緒にいたいわけではない」
「それは、わかっています」


 リリアは聖女らしからぬ女の子だった。
 色々なことを中途半端に投げ出して、どうにもできない感情に呑み込まれた。


「ルシアン様がただ聖女の血のみを必要とされるのでしたら、私も政略的なものだと考えて受け入れることができました。だけどあの日の思い出を糧として愛を育まれて、それで私と共にと望まれるのでしたら、私は受け入れることができません」
「……どうして」
「だって、たかが十歳のときの思い出ではありませんか。その後の交流なんて日記だけで、互いのことをほとんど知らないでしょう? ルシアン様は私の好きなものを何か知っていますの?」


 いつの間にか包まれていた手が離れていた。ルシアン様は考えるように腕を組んで、それから困ったように笑った。


「……好きな色は灰色で、甘いものは好きだけど、塩辛いお菓子も好きで、お茶よりもさっぱりとした飲み物の方が好きだよね。動物は猫が好きで、だけど猫以外の小動物も好きだし、それから――」


 え、怖い。


「え、ちょっとまって、なんで知ってるの? 私、灰色が好きとか言ってないと思うんだけど」
「レティシアは小物とかに灰色のものをよく使ってるよね。私服も落ち着いた色合いのものだったから、派手な色合いのものは好きじゃないんだろうなと思って」
「怖い」


 何これ、なんか真剣な感じで話していたのに一気に肩透かしを食らったような、なんかすごく馬鹿みたいじゃないか。


「お茶はゆっくり飲むけど、私の誕生祝で配られていた果実水はすぐに飲み干してたから、ああいう飲み物の方が好きなんだろうなと思ってた」
「怖い」


 あのとき、ルシアン様は広間にいなかった。

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