悪役令嬢を目指します!

木崎優

第五十九話  「災厄に従っているのが不思議なほどだ」

「疲れたでしょう。お茶でも淹れるので、座っていてください」


 家に戻って早々、ヒロインに促されてソファに座る。隣国の王子は村に到着した時点で別れた。
 ヒロインがお茶の準備をしているのをぼんやりと眺めなら、止まる気配の見えない記憶の奔流をどうにかできないものかと頭を捻る。映像だけならまだしも、そのとき自分が何を考えて、何を思っていたかまでわかってしまう。
 今の自分の思考すら、いつのものなのかわからなくなりそうで、頭が痛いし気持ち悪い。


「大丈夫ですか?」


 カップが置かれ、盆を片手に持ったヒロインがすこし不安げな眼差しで私を見下ろした。正直大丈夫か大丈夫じゃないかなら、大丈夫じゃない方を選択したい。
 だけど魔族にされたことをヒロインに言ったところでどうしようもない。


「……大丈夫」


 記憶を整理しろと言っていたけど、どうやって整理すればいい。片っ端からしまいこもうとしても、ぽんぽんと出てくる。


「……今日はもうお休みになりますか? 明日の朝にでもまたお話しましょう」
「話すことがあるなら、今聞くよ」


 まだその方が気がまぎれる。新しく入ってきた記憶も目まぐるしく回ってくるから、今聞いても忘れることはないだろう。
 視界はちゃんと目の前の情景を見て頭に取りこんでいるのに、頭の中では別の記憶が錯綜して――気持ち悪い。


「……申し訳ございませんでした」


 そう言って、ヒロインが深々と頭を下げた。ぱちくりと目を瞬かせ、その光景に一瞬だけ記憶が飛ぶ。いや、飛んではいない。記憶の流れが一瞬止まった。


「え、えと、頭を上げて、それから座って、それで話そう?」




 立ったまま話されても委縮してしまう。記憶はまだ煩いけど、それでもちゃんとヒロインの話は聞ける。大丈夫。
 ぽんぽんと自分の横を叩くと、ヒロインは大人しく従ってくれた。そして難しい顔をしながら話しはじめる。


「存命中の災厄をあの場に呼び寄せたのは私です。ラストに伝言を頼みました。……ですので、災厄が到着するまでに退避させたかったのですが、間に合わず……己の力を過信しすぎた結果です」
「でも、あれはあなたのせいじゃなくて……足が動かなくなっただけだから、謝るようなことじゃ」
「口を縫い付けるべきでした」


 発想が怖い。そして魔族相手にそれができるなら、十分すぎるほどの力があると思う。


「勇者を手中に収めているということや、ラストから聞いた話で……私が以前戦った竜とは違い話のできる災厄だということはわかっていました。ですが、死ぬかもしれない危険をあなたに負わせてしまいました」
「だけど、生きてるよ」
「災厄は無尽蔵に食らい世界を壊します。森の惨状はご覧になったでしょう? 災厄がもう少しだけ長くあの場に留まっていたら、人命も失われていたことでしょう。あほみたいに魔力のある馬鹿が二人、人間が三人、そしてたくさんの草木があったからこそ生きていられたようなものです」


 次会ったら顔を拝んでみたいと思っていたが、二度と会わない方がいい気がしてきた。さすがは女神様が危惧するだけの存在だ。


「……それって、私たちが逃げてたらあなたはどうなるの」
「勘違いさせてしまったのなら申し訳ないのですが、自らの命を賭してまでといった崇高な意思は持ち合わせておりません。私は誰より自分の命が惜しい人間です。さっさと逃げてあの馬鹿を回収してもらう算段でした。幸い――と言うべきかはわかりませんが、私の魔力はそれなりにあるので、災厄が現れても少しの間は動けましたので」
「……災厄を見たの?」


 リューゲや極悪非道魔族や気にくわない魔族や万年発情期な魔族を従えている王様――どんな姿なのかとても興味がある。災厄は最初は木で、次が蛙、その次が竜だった。段々と進化しているような気がする。


「見はしましたが、ほんの一瞬です。あの災厄は……竜よりも厄介な存在かもしれません。食らう量も速度も、竜以上でした」
「竜以上……それって、どんな生き物だったの?」
「人間です。ああでも、竜以上に力をつけているのは、これまでのどの災厄よりも長く生きているからだと思いますよ。蓄えている魔力量が桁違いなのでしょう。ただ、人間は勇者と最も相性の悪い相手です。勇者は魔力を跳ねのけますが、逆に言えば魔力のない攻撃には無力です。竜は爪の先にまで魔力を帯びていたのでなんとかなりましたが、なんの変哲もない武器を使われたら対抗できません」


 それは、たしかに厄介な相手だ。もしかしたら夢に出てきた幼女勇者は自分が敵わない相手で、しかも殺したら自分が死ぬ相手だから討伐を諦めたのかもしれない。
 そして代わりに傍にいることで魔王の力を制御する――女神様の意向はともかくとして、とても理に適った方法な気がする。


「……私は災厄を竜基準で考えていました。私の読みが甘かったために、あなたの身を危険にさらしてしまいました」


 そしてまた、ヒロインが頭を下げた。
 しかし私がヒロインに手を貸したのは、償いたいという利己的なものだ。危険なのは重々承知で、それぐらいじゃないと償えないと思ったから首を突っ込んだ。ヒロインが謝るような謂れはどこにもない。
 ああ、そうだ、私はヒロインと――


「……私と友達になってくれる?」


 ヒロインが顔を上げて、きょとんとした顔で首をかしげた。何を言われたのかわからないというその表情に、息苦しくなる。
 ヒロインにしたこれまでの仕打ちがぐるぐると頭の中を回って、気持ち悪い。


「ええ、もちろん」


 少しの間を置いてから、ヒロインがゆるやかに微笑んだ。




 そしてその後、顔色が悪くなった私は友達の手によって寝台に押し込まれ、毛布の上からぽんぽんと叩かれ子守歌を歌われた。なんというかこれは、友達というよりお母さんだ。




 朝起きたとき、私の頭はだいぶすっきりとしていた。意識したら浮上してきそうだけど、勝手にぽんぽんと沸いてこなくなっった。
 そういえば眠ることによって記憶の整理を行っていると聞いたことがある。もしかしたらこれは、眠ったことによる効果なのかもしれない。


 寝室を出ると、ヒロインが朝食の準備をしていた。食事は村の中央に食堂のようなものがあるので、そこで食べたり、こうして持って帰ってくることができる。


「お、おはよう……クロエ」


 大丈夫、昨日友達になったのは夢ではないはず。だってこうして意識した瞬間に、昨日の記憶が蘇る。


「おはようございます、レティシア」


 ふんわりと微笑んで、ヒロイン――ではなく、クロエが私用の椅子を引いた。いそいそと椅子に座って、湯気の立ち上るスープに口をつける。クロエも向かい側に座って、朝食を食べはじめた。


「ああ、そういえば……残念なお知らせがあります」
「残念なお知らせ?」
「合宿が急遽中止になりました」


 一夜で森の半分が枯れたので、とんでもない魔物が来たのかもしれないと、教師陣が大慌てになっているらしい。
 さすがにそんな場所で合宿なんてできるはずがないので、魔物が森から出てくる前にさっさと帰ろう、すぐ帰ろうという勢いだそうだ。


「合宿自体は来年度改めて行うそうですよ。安全が確認出来次第ということですから、光の月には開催されるのではないでしょうか」
「……それって、授業進行とかはどうなるのかしら」
「元々、魔法学以外はなくてもいいようなものですからね。下級クラスや中級クラスの方は通常通り合宿を行っているでしょうし、問題ないと判断されたのでしょう」


 そのなくてもいいような授業で可もなく不可もなくな成績の私はどうすればいい。


「昨日のお話ですが……レティシアが私に責任を感じてほしくないことはわかりました。ですので、そのことについてはこれからは気にしないことにします。だけどあの馬鹿どもが今後もちょっかいをかけてくる可能性があるので、気を付けてください」
「え、それはちょっと、怖いのだけど」
「私は元勇者ですからね。その私と友達ともなれば、私を知っている者は興味を示すことでしょう。今ならまだやめることができますが、どうしますか?」


 魔族にちょっかいをかけられる道を選ぶか、ヒロイン、じゃなくてクロエと友達にならない道を選ぶか。そんなの、考えるまでもない。


「私はクロエと友達でいたいわ」
「そうですか。それは光栄ですね」


 クロエが食器を片付けはじめるのを見て、友達にしては私は何もしていないことに気付いた。


「ちょっと待って、私が片付けるわ」
「私は市井の出ですから、こういうことには慣れています。できる人ができることをやればいいんですよ」
「だって、それだと、私は何もできないわ」
「では、そうですね……帰宅命令が正式に出るまで、私の話を聞いていただけますか?」


 こくりと頷くと、クロエは食後のお茶の準備をはじめながらぽつりぽつりと話しはじめた。


「私は一度竜に破れています。死にはしないけれど、相手を傷つけることもできない……巨体に対抗する術が私にはありませんでした。だけど仲間を募ろうにも、竜と対峙できるような人間は勇者しかいません。……だから私は、人ではないものを探しました」


 ゲーム脳だったのでしょうね、と苦笑を浮かべながら言われたが、なんて返せばいいのかわからない。これは否定しても肯定しても失礼にならないだろうか。
 私の葛藤をよそに、クロエは話を続けてくれた。


「……生き物すら入り込まない場所で彼らを見つけたとき、私は喜びのあまり無理矢理に連れ出してしまいました。どうしてそこにいるのかとか、どういう存在なのかも考えずに」


 リューゲは魔族を魔力の塊だと言っていた。そして、私は魔族の生まれる瞬間を見た。何もない空間に、少しずつ人の形ができるその様を目撃した。


「彼らは一定の知識は持ち合わせていたのですよ。言葉も操れるし、物の名称も知っている。だけどそれを実際に見たこともなければ、使ったこともない――だから、そう、外の世界というものは、彼らにとって刺激が強すぎたのでしょう」
「刺激……?」
「……たとえば、あの煩い馬鹿ですが、闇属性の魔力を一番多く持っています。闇属性は視線や挙動、そして声――それらすべてに魔力がこもります。一番効果があるのは声ですが、視線や挙動でもある程度思考の誘導ができるようになっているんですよ。ですが、彼がいたのは光も差さない闇の中。生き物すら入り込まない場所で、見るものも、声を届ける相手も何もない、そんな場所にいました」


 クロエがここではないどこかを見るように、遠くを見つめている。


「火属性の者は溶岩地帯で、氷属性のものは溶けない氷の洞窟で、風属性の者は風の吹き荒れる丘で、地属性の者は地下の大空洞で、雷属性の者は雷鳴轟く草原で――状況に合わせた属性の魔力が集まりやすいことは知っていますか?」
「リューゲから聞いたわ」
「消費されることなく集まった魔力によって彼らは作られました。他の属性が使えることは使えますが、一番得意としているもの以外は半分ぐらいしか持ち合わせていないません。まあ、それでも人間とは比べられないほどの差がありますが」


 リューゲから聞いた、勇者の旅した道のり。あれは勇者が魔族たちと出会った軌跡を話していたのか。しかし私が聞いたのは氷の洞窟や火の噴き出る山の中、風の吹き荒れる丘、揺れる大地の地下だった。闇と雷が省かれているのは仲が悪かったからだろうか。


「……あれ? 水属性と光属性は?」
「私は見つけてません。光属性はそもそも光しかない場所が見つけられなかったのと、水属性は……その、泳ぎが苦手だったので」


 前人未踏どころではない場所を旅していたのに、水辺にだけは近づかなかった、ということか。ちょっと照れたように笑っているのが可愛いが、ものすごくなんとも言えない気分になってくる。


「……まあ、そんな感じで、彼らは自らの力を使ったところで意味のない場所で生きていました。そして私に連れ出され――自分たちの力がどれほどのものかを知ってしまいました」
「大量虐殺でもしたの?」
「いえ、そういうわけではないのですが……力を使うことをまったく厭いません。邪魔ならば殺せばいいし、欲しいのなら奪えばいいと、なまじ力があるから止めるのも難しく……そして根気よく諭すだけの時間が私にはありませんでした。他の生き物はとても弱いから無闇に殺さないようにと言い聞かせはしましたが、現状を考えると、あまり意味はなかったのでしょうね」


 クロエは本当に魔族が嫌いなようだ。乾いたような、嫌悪感の混じる笑い声を上げている。


「死ぬことのない彼らにとって、死はあまりにも遠い存在です。千年で多少は成長したかと期待もしたのですが……結局彼らは興味のあるものしか見ていない。それ以外はどうでもいいと思っています」


 じっと見つめられ、居心地の悪さに視線を彷徨わせてしまう。


「人間とよく似た見た目をしていますが、彼らは人間とは異なる存在です。寿命も思考も、価値観すらも違います。だから、あまり心を開きすぎないようにしてください」


 ヒロインが誰を指して、何を言いたいのかはわかった。
 適当なことしか言わなくて、嘘ばかりつく、大量虐殺を提案してくるような、倫理観の破綻した魔族。
 心を開くも何も、それ以前の問題だ。リューゲが何を考えて、何を思って従者をしているのか、私は知らない。




 クロエの心配は杞憂に終わることになる。
 帰り着いた屋敷に、リューゲの姿はなかった。

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