悪役令嬢を目指します!

木崎優

第五十五話 「大丈夫、ではなさそうに思うが……」

 合宿所は森がすぐ近くにある村だった。村とはいっても、結構前に人がいなくなり廃村となったため、暮らしている人はいない。
 だが毎年合宿所として利用しているからか、廃村という雰囲気はあまりない。定期的な手入れをしているようで、建物も綺麗で、地面なども変にでこぼことしていたり草が生えきっていたりせず整っている。


 そんな合宿所について早々、私は危機的状況に陥っていた。
 元が村ということもあってか、建物の数はそれほど多くはない。そのため、二人一組で家を使うことになったのだが――私の友人は焼き菓子ちゃんとクラリスの二人しかいない。


 焼き菓子ちゃんとクラリスがじっと私を見ている。二人には私以外の友人がいないわけではないので、どちらかが私を組んでもう一人は別の人と組めばいい。
 頭ではわかっているのだが、ならばどちらを選ぶのか。焼き菓子ちゃんと一緒だと延々宰相子息の話をされそうだし、クラリスと一緒だと小言を言われることは目に見えている。


 選択権は私にあるので、私が選ばない限り二人とも別の人を探すわけにはいかない。
 どちらを選ぶべきか、究極の選択だ。


「あ、あの!」


 究極の選択を前に怖気づいている私に救いの手が差し伸べられた。


「レティシア様、ご迷惑でなければ私と組んでいただけますか?」


 勇気を振り絞って声をかけた――という風に、ヒロインが上目遣いで私の前に立った。クラリスの目が細まり、小動物のように震えるヒロインを見下ろす。


「ずいぶんと図々しいお願いね」
「そ、それは、わかってるのですが……私、あまりお友達がいなくて」
「だからといってどうしてレティシアを? 噂を知らないわけではないのでしょう?」
「レティシア様がされているだなんて、私思っていません! レティシア様は、私に優しくしてくださいますから……その、ご迷惑だったでしょうか」


 恐る恐るといった感じでヒロインがちらりと私を見上げる。何これ可愛い。
 演技だとわかっているのに、守ってあげたくなる。矮小な人間を演じていると言っていたが、ヒロインの外見を考えたら逆効果なのではないか。男性の一人や二人、十人ぐらい、ころりと落ちそうなぐらい可愛い。


「いえ、そんなことないわ。クラリスはマドレーヌと一緒でいいかしら」
「……レティシアがそれでよろしいのでしたら」


 釈然としない顔をしていたが、引き下がってくれた。焼き菓子ちゃんはいつの間にかヒロインの手を取って「レティシアは優しいですわよね!」と熱っぽく語りはじめている。
 ヒロインの顔が少し引きつっているから、やめてあげてほしい。私の顔も引きつるから、本気でやめてほしい。




 焼き菓子ちゃんをヒロインから引き剥がして、教師に組んだ旨を伝えにいく。引率として来ているのは、魔法学の教師と芸術の教師と算術の教師の三人だ。歴史兼地理の教師は老体だからか来ていない。ダンスの教師も来ていないが、踊るわけではないから必要ないと判断されたのかもしれない。
 それから神父さまもいた。救護担当として来たらしく、目が合うと小さく微笑まれた。


「それではこちらの鍵をどうぞ」


 算術の教師から鍵を受け取り、建物の場所を教えてもらう。
 少し神経質そうな女性の教師で、何か困ったことがあれば相談するようにと言われているが、正直相談するには勇気がいる相手だ。


「男性と女性では区画で分かれてはいますが、寮とは違い行き来できないというわけではありません。万が一何があった際にはこちらを使っててください」


 差し出されたのはなんの飾りもついていない指輪だった。


「魔力をこめて押しつけると麻痺毒の塗られている針が出ます。悪用した場合、それ相応の代償を払っていただくことになるのでご注意ください」


 押しつける場所はどこでもいいし、角度とかも気にしなくていいらしい。魔物すらも麻痺させる毒なので取り扱いには注意を、と説明されたが物騒すぎて持ち歩きたくない。


 ヒロインにちゃんとつけるように注意されたので、渋々指に通す。内側に光石がはめこまれているようで、意識して魔力をこめない限り誤発動することはないとも言われたが、本当に大丈夫なのだろうか。
 うっかり転んだ拍子に自分に刺さったらと思うと、つけるのを躊躇ってしまう。


「光石は何も考えず魔力をこめたとしても発動しません。意思を持って触れて、ようやく効果が出ます」


 荷物を家の中に置いている最中、ヒロインからそんな説明を受けた。指輪を不安そうにいじっているのがばれたようだ。


「意識しすぎると発動してしまうかもしれませんから、あまり気にしない方がいいですよ」
「わかったわ」


 指輪のことは思考の外に追いやることにした。


 移動疲れもあることだろうからと、最初の三日間は各自自由に過ごしていいことになっている。村に馴染む目的もあるのだろう。使用人を連れて来てはいけないので、生活に慣れるのに時間がかかる人もいそうだ。


「そういえば今更なのですが」


 ヒロインにお茶を淹れてもらっていたら、ふと思い出したかのように声をかけられた。


「私はあなたをなんとお呼びすればいいのでしょう」
「私を?」


 湯気の立つお茶が私の前に置かれた。


「その体の名前はレティシアですが、呼んでほしい名前はありますか?」
「いえ、レティシアでいいわよ。……あなたは何かあるの?」


 そういえば、ヒロインはゲームのレティシアとの区別のためか私をあまり名前で呼ばない。私も昔、紛らわしいからゲームのレティシアをゲティシアと呼ぼうかと悩んだことがあるので、その気持ちはよくわかる。


「私もありませんね」
「まあ、そうよね」


 お茶を一口啜る。リューゲの淹れたものよりは少し劣るが、私が淹れるよりも格段に美味しい。私が淹れた場合、渋いか薄いかのどちらかになる。
 リューゲからは「キミって料理の才能ないよね」と馬鹿にされた。お茶を淹れる技術と料理は関係ないのに、ひどい話だ。


「それで、いつディートリヒ王子を呼び出せばいいのかしら」
「ある程度気が緩んだところがいいかもしれないので……本格的に授業がはじまる前日に呼び出しましょう。細かいことはその日にお伝えします」


 そうすると今日と明日は完全に自由時間か。しかしこの村で自由にするとしてもできることはあまりない。森は授業以外では立ち入り禁止と言われているし、あまり遠くに行ってはいけないとも言われている。
 徒歩圏内に町や他の村もないので、他の場所に行こうと思ったら馬車が必須になる。さすがにその距離は許可してくれないだろう。
 村でできる娯楽がまったく思いつかない。


「散歩でもされてみてはいかがですか。あなたはその、あまり外に出られないそうですから、十分楽しめると思いますよ」
「……ええ、そうね。そうするわ」


 私の出不精が噂にでもなっているのだろうか。ものすごく嫌だ。


 ヒロインは色々準備するとのことで、家でお留守番していることになった。さすがに皆旅疲れを癒しているのか、外を出歩いている人はあまりいない。
 村が見えないほど遠くに行かなければいいと言われているので、とりあえず村の外に向かうことにしよう。


 どこまでも広がっていそうな草原に白い花が咲き誇る花畑のような場所があった。白く小さな花は、リリアとフィーネのどちらだろう。あるいはまったく別の種類なのかもしれないが、見分けられるだけの知識が私にはない。
 せっかくだから葉を確認しようとしゃがもうとしたところで、体が拘束された。


「レティシア」


 小さく呼ぶ声は聞き慣れたものだった。振りかえらなくてもわかる、間違いなく王子様だ。
 どうして王子様が、と混乱しかけたが考えてみれば合宿には王子様も来ているし、散歩の一つぐらいしてもおかしくない。
 おかしいのはこの状況だ。どうして私はまたもや王子様に抱きしめられているのだろう。胴に腕が回されている状態に、魂が体から飛び出そうだ。


「レティシア」


 再度名前を呼ばれ、魂を体に押しとどめる。大丈夫だ、落ち着け。抱きしめられることぐらいどうということはない。それにリューゲにだって何度か抱きしめられたり、小脇に抱えられたりした。大人だって子どもを抱きしめるし、抱きしめることなんて日常茶飯事の普通のことだ。


「……どうされましたの?」


 ぐっと腕に力が入った。それ以上は魂ではなく内臓が飛び出るのでやめてほしい。圧殺されないように王子様の腕に手を添える。次潰されそうになったときは指輪を使おう。
 これは正当防衛だから、きっと許してくれるはず。


「……どこにも行かないで」
「え、ええ。行けませんわね」


 どうしよう、王子様の思考回路も発言も意味がわからない。潰される寸前だからどこかに行くことなんてできない。この状態ではあの世ぐらいしか逝けない。
 しかも王子様自身の手で逝くことになるのだから、私にはどうすることもできない。


「ひぅ」


 頭に何かが乗った。何か、というか位置的に王子様の頭だ。すりっと擦られる感覚に、体が硬直する。ばくばくと煩くて、顔に熱が――ああ、駄目だ、これ以上は駄目だ。


「私のそばに――」


 視界が暗転する。
 魂でも内臓でもなく、意識を飛ばすことに成功した。






「レティシア」


 女の子の声に意識が浮上する。目を開けると、こちらを覗き込むヒロインの顔があった。王子様とヒロインが入れ替わっている。手品か。


「……ここは?」
「家です」


 体を起こして周囲を見回すと部屋の中なのがわかった。ソファの上に寝かされていたようで、かけられていた毛布が床に落ちた。机の上には水の入ったコップが置かれている。


「ルシアン殿下が運ばれてきたのですが、何があったのか聞いても大丈夫ですか?」
「何もないわよ。散歩してたら殿下にお会いして、それだけだもの」
「そうですか。喉が渇かれているようでしたら、こちらをどうぞ」


 どうやら机の上の水は私用だったらしい。はい、と差し出されたので素直に受け取って喉を潤すことにした。清涼な水が五臓六腑に染み渡る。嘘だ、喉を通過したことしかわからない。
 実際に五臓六腑に染み渡った場合、どんな感じがするのだろう。経験がないので、まったく想像がつかない。


「とても慌てていらしたので、起きたことを伝えてきます」
「あら、そうなの。ええと、そうね……運んでくれてありがとうと伝えておいてくれるかしら」
「はい、わかりました」


 よくわからないが、王子様にいらない心労をかけてしまったようだ。いやはや申し訳ない。
 ヒロインが扉をくぐろうとして――こちらを振り返った。


「大丈夫ですか?」
「大丈夫よ」


 本当に心配されてばかりだ。どれだけ頼りないと思われているのだろう。だが普段が普段なので、頼りになる人間ですよと言えないところが辛い。
 これ以上心配をかけないためにも、決行日までは大人しく本でも読んで過ごすことにしよう。

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