悪役令嬢を目指します!
第五十二話 【すべて燃やしてしまえば楽なのに】
ずっとずっと悪役らしさを優先させてきた。与えられる好意も悪意もどうせ消えるものとして扱ってきた。
仕方ない、どうしようもない、何度もそう考え、割り切り諦め、悪役としての言動、行動だけを考えた。
だからこそ、心構えや覚悟が足りていなかった。表面的なものにばかり気を取られ、抱いてはいけない情を抱いてしまった。
逃げることしかしない私に話しかけ、嘘ばかりつく私に呆れ、辛辣な言葉を吐く私に困った顔をする。たとえ王妃様のことがあったとしても、とっくの昔に見限られてもおかしくはなかったのに、辛抱強く接してくれた。優し人だと思わずにはいられなくて、悪役を目指していただけの心に陰りが生じた。
泣かせたくないと思ってしまい、怒らせたくないと怯え、優しい目が冷たく変わることに不安を抱いた。だけど悪役だからと、逃げては悪役として接して、支離滅裂な思考は支離滅裂な行動を取らせた。
そうして取り返しのつかないことを積み重ねているときに、私のしていることは無駄だと言われた。私の考えや行動が、他の人の目にどれだけ浅はかに映っているのかを思い知らされた。
だから目を向けろと言われたから目を向けて恋をした。ありえないと切り捨てるなと言われたからもしかしてと期待した。
だけど結局、抱いた恋心を持て余している。
王子様が私に執着していることはわかった。その執着を利用すれば、恋心を成就させることはできるだろう。だけど、それでどうする。その先には何もない。
執着はいずれ薄れ、何もできない私を見て落胆する。きっといつか私を見放して他の人を想うことになる。それがわかっていながら飛び込めるほど、私は強くない。
それにもう、疲れた。心が揺れることにも、感情が動くことにもついていけない。
王子様への恋心も、嫌なことも楽しいことも、全部全部、蓋をして鍵をかけて、しまいこんでしまおう。
そして今度こそ、甘えることなく、感情も心も動かされずにすむ悪役になろう。
「おいで」
声と同時に体が浮いた。温もりに包まれ、顔を上げるとリューゲが苦笑を浮かべていた。おいでも何も、抱えられてはこれ以上近づくことはできない。
「リューゲ?」
「さて、どこがいいかな」
こちらの困惑を無視して、リューゲは窓の外を見ている。どうしよう、まったく状況についていけない。どうして私は横向きに――俗にいうお姫様抱っこをされているのだろうか。
「ねえ、ちょっと――」
私の疑問は突然襲ってきた冷気に封殺された。室内にいたはずなのに、空に浮かぶ満点の星空が一望できる。わずかに視線を下にずらせば、民家の明かりが見えた。
どこかの屋根の上にいる。学園が見えるので、とりあえず学園都市の中だということはわかった。学園都市でこれほど高い場所はどこか。そこまで考えて、一つだけ該当するものがあることを思い出した。
芸術の教師が歌を披露していた際にいた塔だ。
「な、なんでこんなところに」
下から吹く風に思わずリューゲにしがみつく。手を離されたら地面まで真っ逆さまだ。
「少し話でもしようかと思ったからだけど?」
「話なら部屋でもできるじゃない」
むしろいつでも話をしている。わざわざこんな、危なっかしいところに来る意味はない。
「ボクたち――キミらでいう魔族は魔力の塊なんだよ」
私の意見は完全に無視された。
「魔力が人を象っているヒトガタ、それがボクらだ。だからね、そこらへんの人間が敵うような存在じゃない。魔力量の差ってのは、技術どうこうでどうにかできるものじゃないんだよ。まあ、何百人にも囲まれたらさすがに少しは危ないかもしれないけど……それでも簡単には死なないし、死んでもまた生まれる」
魔族が凄いのはよくわかったから、早く部屋に戻りたい。寒いし怖い。
おかしい、さっきまで私は悪役に戻ろうとか色々考えていたはずなのに、死の恐怖が私の感情と心を動かしている。動かしすぎてもはや眩暈までしてきた。
「ここにはどれだけの人間がいるんだろうね。魔物との戦いに身を置く冒険者もいれば、学園には魔法の使い方を学んでいる人間もたくさんいる」
ぐるりとリューゲが眼下を見回す。そして屋根の上にあぐらをかくように座り、私を膝の上に置いた。抱えられている状態よりは安定感が増したが、それでもえいやと押されたら簡単に落下する。
「それでもボクは朝日を迎えるまでにここを壊すことができる――キミが望むのなら、すべて壊しつくしてあげようか?」
「は?」
「キミが悪い魔女になりたいって言うなら、ボクは全力ですべて壊してあげるよ。キミを厭うものも、キミが厭うものも、全部ね」
「そ、それは……脅迫?」
学園都市を人質にとって私に悪役になるなと言いたいのだろうか。いや、私は悪役になるだなんて口に出していないはずだ。しかしリューゲの言動はそうとしか思えない。
「脅迫? ボクはキミの望みを叶えてあげるって言ってるだけだよ」
「いやいや、私そこまでは望んでないよ」
「同じことだよ」
絶対違う。全然違う。私はただ心の平穏を求めているだけだ。将来的には悠々とひきこもりたいだけだ。
「全部壊して殺せば、煩わしいものはなくなるよ」
「短絡的にもほどがある!」
とんだ脳筋だ。いや、これは脳筋というのか。使うのは魔力だから、筋肉ではない。いやしかし、あまりにも短絡的すぎる。邪魔なら全部殺すとか、私には無理だ。
「昔、勇者を殺したことで魔女と呼ばれるようになった子がいるから……大量に死者を出したキミはめでたく悪い魔女になれるね」
「私が殺すわけじゃないのに!?」
「そこはほら、ボクらの存在ってあんま知られてないから、キミの名前で大々的にやってあげる」
傍迷惑すぎる。私はただ悪評が立つぐらいの悪役で、疲れたからひっそりしたいだけだ。そこまでは、まったくこれっぽっちも望んでいない。
「いやいや、ちょっと落ち着こう? 冷静に考えよう?」
「ボクは十分冷静だし落ち着いてるよ。悩むぐらいなら殺せばいいのにって思うから、こうして提案してるだけだよ」
「いや、そんな簡単な問題じゃないと思うんだけど」
「どうして?」
「だって、ほら、色々な人に迷惑がかかるし」
「じゃあ迷惑に思うものも殺せばいいよ」
これは何を理由にしても殺せばいいと返ってきそうだ。そもそも迷惑どころの話じゃないのだが、この倫理観の破綻した魔族をなんといって説得すればいいのかわからない。
「で、どうする? 悪い魔女になりたいなら協力するよ」
「わ、私は……ならないです」
駄目だ。思いつかない。
悪役になりつつ、大量虐殺を止める手立てなんてない。
「なんだ、つまらないなぁ」
わずかに落胆した声を合図に、星のきらめく外から見慣れた部屋の中に戻った。いやもう、本当に、どうして外に出た。
「今の話って、あそこでしないといけなかったの?」
「わかりやすいかと思って」
つまり、どれだけの命がこの学園都市にあるのかをわかりやすくするためということか。じゃあやはり本気の提案ではなく、私を止めるためにした話かもしれない。
「それに外にいた方がやりやすいし」
何を、とは聞けなかった。
非道な魔族によって悪役計画を頓挫されてから二週間。驚くほど何もなく日々が過ぎていった。木の月の水の週ももう終わろうとしている。命の月には魔法学の合宿がはじまるので学園で過ごせるのは実質後二週間ほどしかない。
王太子についてはヒロイン曰く問題ないと言われたのでそこまで気にしていないし、廃品事件についてもヒロインが些事だと切り捨てているので何もできない。噂についてはいまだやむ気配がないが、こちらからどうこうできる問題ではない。
犯人をおびき出そうとして王子様をおびき出してしまったので、なるべく一人で行動しないように心掛けている。そのため噂は悪化こそしていないが、よくもなっていない。
宰相子息はたまに目が合えば微笑みを向けてくるが、話しかけてくるほどではない。王子様も何もしてこないし、隣国の王子も大人しく待つことにしたのか催促してこない。
いやはや、実に平和だ。
そして今日、最後の勉強会が開催されている。
次年度のための試験は木の月命の週光の日に行われる。そのため、来週は勉強会なしで各々の勉強にということになった。宰相子息の提案で。
それでも試験二週間前に勉強会――という名の王子様と隣国の王子と宰相子息の勉強時間を奪うだけの会を行うあたり、三人ともお人良しだ。
元々ヒロインが来年上級クラスに上がるためにはじめた勉強会だが、ヒロインの人となりを知ってからというもの、この勉強会は無駄なのではと思っていた。なにしろヒロインに上がる気がなかったら、手を抜くことがわかっている。ヒロインは間違いなくそういう子だ。
だけど、そろそろやめません? と誰も言わなかった。提案した私が何も言わないのだから当たり前だ。
ちなみについ先日、ヒロインにそれとなく来年どうするのかを聞いてみたことがある。
「魔法学が上級クラスの時点で、下級クラスに留まる理由はありません」
という、とても頼もしいことを言われた。そしてその言葉で、勉強会がまったくの無駄だったということも悟った。
いや、王子様と近づける目的もあった。王子様もヒロインを目にかけていたし、その点では意味があったはずだ。
「――聞いてる?」
「ええ、聞いてるわ」
聞いてなかったが、真面目な顔で頷く。最後の勉強会ということもあって、ついうっかり考えごとをしてしまった。
彼らの時間を無駄にしているのだから、せめて真剣に聞かないと。
「それで、魔道具制作の功績を一番残したのはこの国のパルテレミー家なんだよ」
「まあ、そうなの」
「元々パルテレミー家は研究を生業にしていたらしいから……まあ、詳しい話は直接本人に聞くといいかもね」
隣国の王子がちらりと宰相子息を見る。その視線に気付いたのか、焼き菓子ちゃんに勉強を教えていた宰相子息がわずかに顔を上げた。そして私と目が合うと、少しだけ首をかしげて緩やかに微笑んだ。
いやはや、なんともまあ、なんともしがたいというか。
「彼と何かあった?」
顔を寄せて囁かれ、言葉に詰まる。たしかに何かあったが、隣国の王子に言うような話ではない。
何度か断ろうかと話しかけようとして、その度に上手く躱されてしまった。それでいて目が合うと微笑むのだ。もはやどうしろと言うんだ。
「……いいえ、何もないわ」
「それにしては、ずいぶんと、ねぇ?」
「何もないわ」
隣国の王子もさすがにそれ以上追及することなく、勉強を再開した。
「何かありましたか?」
だが追及の手は隣国の王子だけではなかった。
休みの日に入り、遊びに来たヒロインがお茶を飲んで一息ついた後、ごく自然に聞いてきた。
「何もないわよ」
「少し前と比べて、パルテレミー様があなたを見ている時間が増えましたし、笑顔が増えています。何かありましたよね」
怖い。
「……あなた、彼がお好きなの?」
「まさか」
ありえないとばかりに鼻で笑われた。リューゲにはあれ呼ばわりだし、可哀相な宰相子息。
「えぇと……その、何もないわ」
告白されたの、きゃっ恥ずかしい、とか言いながら頬でも染めたら友人同士の恋の話みたいになるのだろうか。私には難易度が高すぎる。
それに宰相子息も言いふらされたくはないはずだ。
「好きだって言われたんだよね、あれに」
だが困ったことに私には口の軽い従者がついていた。あっさりとばらされた。
「好き? あれに? 本当ですか」
「え、ええ……その、お慕いしている、と」
ぐいと詰め寄られ、思わず口を滑らせる。剣呑な目つきに気圧された。
「こちらが狙いか、あのマッチポンプ眼鏡」
舌を打ちながら、ヒロインが剣を片手に乱暴に立ち上がった。
どこから剣を出したのかとか、マッチポンプってどういうこととか、色々言いたいことはあるけれど、とりあえず。
「武力行使はよくないと思うわ」
大量虐殺駄目絶対。
仕方ない、どうしようもない、何度もそう考え、割り切り諦め、悪役としての言動、行動だけを考えた。
だからこそ、心構えや覚悟が足りていなかった。表面的なものにばかり気を取られ、抱いてはいけない情を抱いてしまった。
逃げることしかしない私に話しかけ、嘘ばかりつく私に呆れ、辛辣な言葉を吐く私に困った顔をする。たとえ王妃様のことがあったとしても、とっくの昔に見限られてもおかしくはなかったのに、辛抱強く接してくれた。優し人だと思わずにはいられなくて、悪役を目指していただけの心に陰りが生じた。
泣かせたくないと思ってしまい、怒らせたくないと怯え、優しい目が冷たく変わることに不安を抱いた。だけど悪役だからと、逃げては悪役として接して、支離滅裂な思考は支離滅裂な行動を取らせた。
そうして取り返しのつかないことを積み重ねているときに、私のしていることは無駄だと言われた。私の考えや行動が、他の人の目にどれだけ浅はかに映っているのかを思い知らされた。
だから目を向けろと言われたから目を向けて恋をした。ありえないと切り捨てるなと言われたからもしかしてと期待した。
だけど結局、抱いた恋心を持て余している。
王子様が私に執着していることはわかった。その執着を利用すれば、恋心を成就させることはできるだろう。だけど、それでどうする。その先には何もない。
執着はいずれ薄れ、何もできない私を見て落胆する。きっといつか私を見放して他の人を想うことになる。それがわかっていながら飛び込めるほど、私は強くない。
それにもう、疲れた。心が揺れることにも、感情が動くことにもついていけない。
王子様への恋心も、嫌なことも楽しいことも、全部全部、蓋をして鍵をかけて、しまいこんでしまおう。
そして今度こそ、甘えることなく、感情も心も動かされずにすむ悪役になろう。
「おいで」
声と同時に体が浮いた。温もりに包まれ、顔を上げるとリューゲが苦笑を浮かべていた。おいでも何も、抱えられてはこれ以上近づくことはできない。
「リューゲ?」
「さて、どこがいいかな」
こちらの困惑を無視して、リューゲは窓の外を見ている。どうしよう、まったく状況についていけない。どうして私は横向きに――俗にいうお姫様抱っこをされているのだろうか。
「ねえ、ちょっと――」
私の疑問は突然襲ってきた冷気に封殺された。室内にいたはずなのに、空に浮かぶ満点の星空が一望できる。わずかに視線を下にずらせば、民家の明かりが見えた。
どこかの屋根の上にいる。学園が見えるので、とりあえず学園都市の中だということはわかった。学園都市でこれほど高い場所はどこか。そこまで考えて、一つだけ該当するものがあることを思い出した。
芸術の教師が歌を披露していた際にいた塔だ。
「な、なんでこんなところに」
下から吹く風に思わずリューゲにしがみつく。手を離されたら地面まで真っ逆さまだ。
「少し話でもしようかと思ったからだけど?」
「話なら部屋でもできるじゃない」
むしろいつでも話をしている。わざわざこんな、危なっかしいところに来る意味はない。
「ボクたち――キミらでいう魔族は魔力の塊なんだよ」
私の意見は完全に無視された。
「魔力が人を象っているヒトガタ、それがボクらだ。だからね、そこらへんの人間が敵うような存在じゃない。魔力量の差ってのは、技術どうこうでどうにかできるものじゃないんだよ。まあ、何百人にも囲まれたらさすがに少しは危ないかもしれないけど……それでも簡単には死なないし、死んでもまた生まれる」
魔族が凄いのはよくわかったから、早く部屋に戻りたい。寒いし怖い。
おかしい、さっきまで私は悪役に戻ろうとか色々考えていたはずなのに、死の恐怖が私の感情と心を動かしている。動かしすぎてもはや眩暈までしてきた。
「ここにはどれだけの人間がいるんだろうね。魔物との戦いに身を置く冒険者もいれば、学園には魔法の使い方を学んでいる人間もたくさんいる」
ぐるりとリューゲが眼下を見回す。そして屋根の上にあぐらをかくように座り、私を膝の上に置いた。抱えられている状態よりは安定感が増したが、それでもえいやと押されたら簡単に落下する。
「それでもボクは朝日を迎えるまでにここを壊すことができる――キミが望むのなら、すべて壊しつくしてあげようか?」
「は?」
「キミが悪い魔女になりたいって言うなら、ボクは全力ですべて壊してあげるよ。キミを厭うものも、キミが厭うものも、全部ね」
「そ、それは……脅迫?」
学園都市を人質にとって私に悪役になるなと言いたいのだろうか。いや、私は悪役になるだなんて口に出していないはずだ。しかしリューゲの言動はそうとしか思えない。
「脅迫? ボクはキミの望みを叶えてあげるって言ってるだけだよ」
「いやいや、私そこまでは望んでないよ」
「同じことだよ」
絶対違う。全然違う。私はただ心の平穏を求めているだけだ。将来的には悠々とひきこもりたいだけだ。
「全部壊して殺せば、煩わしいものはなくなるよ」
「短絡的にもほどがある!」
とんだ脳筋だ。いや、これは脳筋というのか。使うのは魔力だから、筋肉ではない。いやしかし、あまりにも短絡的すぎる。邪魔なら全部殺すとか、私には無理だ。
「昔、勇者を殺したことで魔女と呼ばれるようになった子がいるから……大量に死者を出したキミはめでたく悪い魔女になれるね」
「私が殺すわけじゃないのに!?」
「そこはほら、ボクらの存在ってあんま知られてないから、キミの名前で大々的にやってあげる」
傍迷惑すぎる。私はただ悪評が立つぐらいの悪役で、疲れたからひっそりしたいだけだ。そこまでは、まったくこれっぽっちも望んでいない。
「いやいや、ちょっと落ち着こう? 冷静に考えよう?」
「ボクは十分冷静だし落ち着いてるよ。悩むぐらいなら殺せばいいのにって思うから、こうして提案してるだけだよ」
「いや、そんな簡単な問題じゃないと思うんだけど」
「どうして?」
「だって、ほら、色々な人に迷惑がかかるし」
「じゃあ迷惑に思うものも殺せばいいよ」
これは何を理由にしても殺せばいいと返ってきそうだ。そもそも迷惑どころの話じゃないのだが、この倫理観の破綻した魔族をなんといって説得すればいいのかわからない。
「で、どうする? 悪い魔女になりたいなら協力するよ」
「わ、私は……ならないです」
駄目だ。思いつかない。
悪役になりつつ、大量虐殺を止める手立てなんてない。
「なんだ、つまらないなぁ」
わずかに落胆した声を合図に、星のきらめく外から見慣れた部屋の中に戻った。いやもう、本当に、どうして外に出た。
「今の話って、あそこでしないといけなかったの?」
「わかりやすいかと思って」
つまり、どれだけの命がこの学園都市にあるのかをわかりやすくするためということか。じゃあやはり本気の提案ではなく、私を止めるためにした話かもしれない。
「それに外にいた方がやりやすいし」
何を、とは聞けなかった。
非道な魔族によって悪役計画を頓挫されてから二週間。驚くほど何もなく日々が過ぎていった。木の月の水の週ももう終わろうとしている。命の月には魔法学の合宿がはじまるので学園で過ごせるのは実質後二週間ほどしかない。
王太子についてはヒロイン曰く問題ないと言われたのでそこまで気にしていないし、廃品事件についてもヒロインが些事だと切り捨てているので何もできない。噂についてはいまだやむ気配がないが、こちらからどうこうできる問題ではない。
犯人をおびき出そうとして王子様をおびき出してしまったので、なるべく一人で行動しないように心掛けている。そのため噂は悪化こそしていないが、よくもなっていない。
宰相子息はたまに目が合えば微笑みを向けてくるが、話しかけてくるほどではない。王子様も何もしてこないし、隣国の王子も大人しく待つことにしたのか催促してこない。
いやはや、実に平和だ。
そして今日、最後の勉強会が開催されている。
次年度のための試験は木の月命の週光の日に行われる。そのため、来週は勉強会なしで各々の勉強にということになった。宰相子息の提案で。
それでも試験二週間前に勉強会――という名の王子様と隣国の王子と宰相子息の勉強時間を奪うだけの会を行うあたり、三人ともお人良しだ。
元々ヒロインが来年上級クラスに上がるためにはじめた勉強会だが、ヒロインの人となりを知ってからというもの、この勉強会は無駄なのではと思っていた。なにしろヒロインに上がる気がなかったら、手を抜くことがわかっている。ヒロインは間違いなくそういう子だ。
だけど、そろそろやめません? と誰も言わなかった。提案した私が何も言わないのだから当たり前だ。
ちなみについ先日、ヒロインにそれとなく来年どうするのかを聞いてみたことがある。
「魔法学が上級クラスの時点で、下級クラスに留まる理由はありません」
という、とても頼もしいことを言われた。そしてその言葉で、勉強会がまったくの無駄だったということも悟った。
いや、王子様と近づける目的もあった。王子様もヒロインを目にかけていたし、その点では意味があったはずだ。
「――聞いてる?」
「ええ、聞いてるわ」
聞いてなかったが、真面目な顔で頷く。最後の勉強会ということもあって、ついうっかり考えごとをしてしまった。
彼らの時間を無駄にしているのだから、せめて真剣に聞かないと。
「それで、魔道具制作の功績を一番残したのはこの国のパルテレミー家なんだよ」
「まあ、そうなの」
「元々パルテレミー家は研究を生業にしていたらしいから……まあ、詳しい話は直接本人に聞くといいかもね」
隣国の王子がちらりと宰相子息を見る。その視線に気付いたのか、焼き菓子ちゃんに勉強を教えていた宰相子息がわずかに顔を上げた。そして私と目が合うと、少しだけ首をかしげて緩やかに微笑んだ。
いやはや、なんともまあ、なんともしがたいというか。
「彼と何かあった?」
顔を寄せて囁かれ、言葉に詰まる。たしかに何かあったが、隣国の王子に言うような話ではない。
何度か断ろうかと話しかけようとして、その度に上手く躱されてしまった。それでいて目が合うと微笑むのだ。もはやどうしろと言うんだ。
「……いいえ、何もないわ」
「それにしては、ずいぶんと、ねぇ?」
「何もないわ」
隣国の王子もさすがにそれ以上追及することなく、勉強を再開した。
「何かありましたか?」
だが追及の手は隣国の王子だけではなかった。
休みの日に入り、遊びに来たヒロインがお茶を飲んで一息ついた後、ごく自然に聞いてきた。
「何もないわよ」
「少し前と比べて、パルテレミー様があなたを見ている時間が増えましたし、笑顔が増えています。何かありましたよね」
怖い。
「……あなた、彼がお好きなの?」
「まさか」
ありえないとばかりに鼻で笑われた。リューゲにはあれ呼ばわりだし、可哀相な宰相子息。
「えぇと……その、何もないわ」
告白されたの、きゃっ恥ずかしい、とか言いながら頬でも染めたら友人同士の恋の話みたいになるのだろうか。私には難易度が高すぎる。
それに宰相子息も言いふらされたくはないはずだ。
「好きだって言われたんだよね、あれに」
だが困ったことに私には口の軽い従者がついていた。あっさりとばらされた。
「好き? あれに? 本当ですか」
「え、ええ……その、お慕いしている、と」
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