悪役令嬢を目指します!
第一話 『今年もまた**の言葉を紡ごうではないか』
どうして、どうして、どうして――――。
頭の中で何度もその言葉を繰り返す。
記憶違いはなかったはずだ。なのに、私の覚えている通りのことが起きていない。
おかしい、ありえない。
信じられない光景を振り払おうとするが、目に焼きついてしまったものを消すことはできなかった。
話は朝まで遡る。
寝台から飛び起きて、体をぐっと伸ばす。昨日は学園都市にある宿に泊まったこともあって、中々寝つけなかった。原因は枕が変わったことだけではない。今日、これから向かう学園での生活を考えてしまったからだ。
遠足前日の子供のように、胸が高鳴ってしかたなかった。それでもなんとか予定時刻に起きられてよかった。
リューゲは荷解きとかがあるのですでに学園に向かっている。私は急いで制服に着替えて宿を飛び出した。
今日ばかりは遅刻するわけにはいかない。
宿に面した大通りはすでに制服姿に身を包んだ少年少女で溢れていた。大通りの両側には桜――よりも濃い桃色の花を咲かせた木が立ち並び、学園までの道を一直線に彩っている。
私は大通りを歩きながら、少しずつ近づいてくる学園を眺めた。
白く厳かな学び舎、滑らかな石材で建てられた優美な寮、美しい花が咲き誇る中庭。この目で見ていないというのに、その風景が脳裏に浮かぶ。私が覚えているのは一枚の絵だから、実際はもっと違うとは思うけど。
だがそれでも、顔がにやけてしまう。
ようやく、ようやくここまで来た。長かった努力の日々は終わりを告げ、私が悪役になるための舞台がこの先に待ち構えている。
大通りは学園を囲う塀の向こうにまで伸びている。この日のために開かれた門の両端には騎士が立ち、門をくぐる人に目を光らせていた。
私は堂々とした立ち振る舞いで門を抜け、待ち望んだ地に足を踏み入れた。
あまりの感慨深さに思わず足を止め――私の横をひとりの女子生徒が通り抜けた。
ふわりと風に靡く金の髪、透き通るような白い肌、前を見据える宝石のような青い瞳。
一瞬だけ見えた横顔に、私は呆気にとられる。
凛とした佇まいは否応なく人目を惹き、乱れることのない足取りは優雅で、誰もが足を止めて彼女を見ている。
「……さ、さすが学園ね。あんなに可愛い子がいるなんて」
頭では、わかっている。間違いなく、あれがヒロインだと。
ヒロインが描かれているものはそれほど多くはなかった。それでも、金髪青目の美少女として描かれていた。
あの女子生徒がヒロインでなくて、一体誰がヒロインになれるというのだろうか。
だけど、私はあれがヒロインだと思いたくなかった。
ヒロインは、この時間にこの場所にいるはずがないから。
細かい内容は覚えていないが、冒頭でもある初日だけはしっかりと覚えている。
遅刻してしまったヒロインは走っていたせいで転びかけ、王子様に助けられる。王子様との出会いが、ゲームのはじまりだった。
誰を攻略しようと、王子様とヒロインの縁だけは一番最初に作られている。
そしてその場面にレティシアは登場しない。
だから私は、遅刻しないようにと細心の注意を払ったはずだ。
「……なんで、ここに……いや、違うよね、違うって言って」
かぶりを振るが、誰も答えてくれない。当たり前だ。
私の挙動不審な行動に驚く人はいない。誰もが、目の前の光景を疑っているからだ。何度も視線を逸らしては女子生徒を恐々と見ている。
ヒロインがここにいるだけでもおかしいのに、彼女は浮いていた。
――物理的に。
優雅に動く足は、地上から少し上を歩いている。見間違えることが無理なほど、間違いなく、浮いている。
注目を浴びていることに気づいていないかのように、よどみなく、空中を歩いている。
「おかしい、でしょ。え、なんで……」
ヒロインに浮いている設定はなかった。もしもあったら製作者は何を考えているんだと頭を抱えたはずだ。
遅刻していないこともおかしいし、もはや何をおかしいと思えばいいのかすらわからなくなってくる。どうして遅刻していないのかとか、浮いているのかとか、混乱しすぎてわけがわからない。
彼女がヒロインだとは、思いたくない。それなのに、ヒロインだと認めてしまっている自分がいる。
浮いているのに。
「いや、でも、ちょっとした誤差で、大丈夫」
何が大丈夫なのか自分でもわからない。それでも必死に言い聞かせる。ヒロインが予定どおりに動いていないとか、ちょっと浮いているとか――そんなことで諦められるほど、私の悪役に対する思いは甘くない。
「遅刻、はどうしようもない……なら、私ができるのは」
ぶつぶつと呟きながら、悪役としての動きを模索する。
今から遅刻させることは無理だ。私が引き止めても、王子様との出会いを演出できない。いないはずの私がいる時点でおかしくなってしまう。
ならば、やれることはひとつだけ。
「目標地点は少し下、勢いは強めで――」
狙いを定めていく。滑るように動く足を睨みつける。
これまでの厳しく苦しかった練習の日々を、今この瞬間にすべてこめる。
「――吹き荒れろ、エッチな風さん」
ヒロインのスカートはめくれるもの、という私の偏見のもと練習し続けた魔法の風がヒロインの足元を狙う。
これではエッチな風さんではないが、ヒロインは転んだついでにスカートがめくれるものだからきっと問題ない。そう自分に言い聞かせる。
遅刻は今更どうにもできない。ならばせめて転ばせようと思って発動した風が一直線に吹き抜ける。
突風にヒロインとの間にいた生徒が思わずといった様子で目をつむる。
そして狙い通り、一歩前に踏み出そうとしていた足を風がすくい――。
「――は?」
――その背中に、羽を見た。
いや、実際には見ていない。風の勢いに乗るようにくるりと一回転したから、羽の幻覚を見てしまっただけだ。綺麗にバク転したヒロインは空中に着地した後、何事もなかったかのように歩きはじめてた。
スカートもめくれなかった。回転したというのに、靡くことすらせず足にぴたりと張りついたまま、その中身を頑なに守り続けていた。
優雅な所作で去っていくヒロインの何も生えていない背中を見送りながら、私は途方に暮れる。
――私はヒロインに、完敗した。
頭の中で何度もその言葉を繰り返す。
記憶違いはなかったはずだ。なのに、私の覚えている通りのことが起きていない。
おかしい、ありえない。
信じられない光景を振り払おうとするが、目に焼きついてしまったものを消すことはできなかった。
話は朝まで遡る。
寝台から飛び起きて、体をぐっと伸ばす。昨日は学園都市にある宿に泊まったこともあって、中々寝つけなかった。原因は枕が変わったことだけではない。今日、これから向かう学園での生活を考えてしまったからだ。
遠足前日の子供のように、胸が高鳴ってしかたなかった。それでもなんとか予定時刻に起きられてよかった。
リューゲは荷解きとかがあるのですでに学園に向かっている。私は急いで制服に着替えて宿を飛び出した。
今日ばかりは遅刻するわけにはいかない。
宿に面した大通りはすでに制服姿に身を包んだ少年少女で溢れていた。大通りの両側には桜――よりも濃い桃色の花を咲かせた木が立ち並び、学園までの道を一直線に彩っている。
私は大通りを歩きながら、少しずつ近づいてくる学園を眺めた。
白く厳かな学び舎、滑らかな石材で建てられた優美な寮、美しい花が咲き誇る中庭。この目で見ていないというのに、その風景が脳裏に浮かぶ。私が覚えているのは一枚の絵だから、実際はもっと違うとは思うけど。
だがそれでも、顔がにやけてしまう。
ようやく、ようやくここまで来た。長かった努力の日々は終わりを告げ、私が悪役になるための舞台がこの先に待ち構えている。
大通りは学園を囲う塀の向こうにまで伸びている。この日のために開かれた門の両端には騎士が立ち、門をくぐる人に目を光らせていた。
私は堂々とした立ち振る舞いで門を抜け、待ち望んだ地に足を踏み入れた。
あまりの感慨深さに思わず足を止め――私の横をひとりの女子生徒が通り抜けた。
ふわりと風に靡く金の髪、透き通るような白い肌、前を見据える宝石のような青い瞳。
一瞬だけ見えた横顔に、私は呆気にとられる。
凛とした佇まいは否応なく人目を惹き、乱れることのない足取りは優雅で、誰もが足を止めて彼女を見ている。
「……さ、さすが学園ね。あんなに可愛い子がいるなんて」
頭では、わかっている。間違いなく、あれがヒロインだと。
ヒロインが描かれているものはそれほど多くはなかった。それでも、金髪青目の美少女として描かれていた。
あの女子生徒がヒロインでなくて、一体誰がヒロインになれるというのだろうか。
だけど、私はあれがヒロインだと思いたくなかった。
ヒロインは、この時間にこの場所にいるはずがないから。
細かい内容は覚えていないが、冒頭でもある初日だけはしっかりと覚えている。
遅刻してしまったヒロインは走っていたせいで転びかけ、王子様に助けられる。王子様との出会いが、ゲームのはじまりだった。
誰を攻略しようと、王子様とヒロインの縁だけは一番最初に作られている。
そしてその場面にレティシアは登場しない。
だから私は、遅刻しないようにと細心の注意を払ったはずだ。
「……なんで、ここに……いや、違うよね、違うって言って」
かぶりを振るが、誰も答えてくれない。当たり前だ。
私の挙動不審な行動に驚く人はいない。誰もが、目の前の光景を疑っているからだ。何度も視線を逸らしては女子生徒を恐々と見ている。
ヒロインがここにいるだけでもおかしいのに、彼女は浮いていた。
――物理的に。
優雅に動く足は、地上から少し上を歩いている。見間違えることが無理なほど、間違いなく、浮いている。
注目を浴びていることに気づいていないかのように、よどみなく、空中を歩いている。
「おかしい、でしょ。え、なんで……」
ヒロインに浮いている設定はなかった。もしもあったら製作者は何を考えているんだと頭を抱えたはずだ。
遅刻していないこともおかしいし、もはや何をおかしいと思えばいいのかすらわからなくなってくる。どうして遅刻していないのかとか、浮いているのかとか、混乱しすぎてわけがわからない。
彼女がヒロインだとは、思いたくない。それなのに、ヒロインだと認めてしまっている自分がいる。
浮いているのに。
「いや、でも、ちょっとした誤差で、大丈夫」
何が大丈夫なのか自分でもわからない。それでも必死に言い聞かせる。ヒロインが予定どおりに動いていないとか、ちょっと浮いているとか――そんなことで諦められるほど、私の悪役に対する思いは甘くない。
「遅刻、はどうしようもない……なら、私ができるのは」
ぶつぶつと呟きながら、悪役としての動きを模索する。
今から遅刻させることは無理だ。私が引き止めても、王子様との出会いを演出できない。いないはずの私がいる時点でおかしくなってしまう。
ならば、やれることはひとつだけ。
「目標地点は少し下、勢いは強めで――」
狙いを定めていく。滑るように動く足を睨みつける。
これまでの厳しく苦しかった練習の日々を、今この瞬間にすべてこめる。
「――吹き荒れろ、エッチな風さん」
ヒロインのスカートはめくれるもの、という私の偏見のもと練習し続けた魔法の風がヒロインの足元を狙う。
これではエッチな風さんではないが、ヒロインは転んだついでにスカートがめくれるものだからきっと問題ない。そう自分に言い聞かせる。
遅刻は今更どうにもできない。ならばせめて転ばせようと思って発動した風が一直線に吹き抜ける。
突風にヒロインとの間にいた生徒が思わずといった様子で目をつむる。
そして狙い通り、一歩前に踏み出そうとしていた足を風がすくい――。
「――は?」
――その背中に、羽を見た。
いや、実際には見ていない。風の勢いに乗るようにくるりと一回転したから、羽の幻覚を見てしまっただけだ。綺麗にバク転したヒロインは空中に着地した後、何事もなかったかのように歩きはじめてた。
スカートもめくれなかった。回転したというのに、靡くことすらせず足にぴたりと張りついたまま、その中身を頑なに守り続けていた。
優雅な所作で去っていくヒロインの何も生えていない背中を見送りながら、私は途方に暮れる。
――私はヒロインに、完敗した。
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