悪役令嬢を目指します!
閑話 それぞれの思惑1
「あの子は何を考えているのよ!」
苛々とした様子で部屋の中を歩き回る愛する妻を見つめる。妻の怒りの矛先は今年屋敷に帰ってきた息子だ。学園を無事卒業し、領地に赴いていた息子は本来褒められるべきなのだが、帰宅早々起こした騒動のせいで褒め言葉よりも先に叱責が飛び交った。
サミュエル・マティス――教皇の息子をこの家に連れこんだ。妻の甥でもあるので普通なら遊びに来てもおかしくない間柄ではある。だが親族であるよりも先に、サミュエルは教会関係者だ。妻と教皇の仲はあまりよくない――言葉を選ばないなら、血で血を洗うぐらいに悪い。
息子がサミュエルを連れてきた当日の夜は、発狂寸前の妻を宥めるのに尽力した。翌日詳しく話を聞こうと夜中に息子を呼び出したりもした。
息子の言い分としては「レティに色々な人に会う機会をあげたい」というもので、それ自体には異論を挟む余地はない。問題は、人選が悪すぎるということだ。
妻との出会いはかれこれ二十年以上前に遡る。学園で妻を一目見た瞬間、私は恋に落ちた。前教皇の娘である妻を娶るために、私は努力した。
教会の教えが合わなかった妻は、前教皇にとっても目の上のたんこぶだったようでむしろ貰ってくれと言わんばかりだったが、妻自身が私を娶るなら条件があると言って私に何度も試練を与えてきた。
そうしてなんとか婚姻の許可を貰えたのが学園を卒業を間近に控えたときだった。
そういった経緯があるため、前教皇は私には良くしてくれた。国と教会の間で軋轢が生まれたときには私が間に立つことによって、両者の言い分を汲み取ることができた。
現教皇――妻の弟も、私に対しては好感情を抱いてくれている。妻が教会に相応しくないと考えた彼は妻を排斥しようと画策していた。そんな折に私の存在が浮上し、これ幸いと私と妻の間を取りもってくれた。
まあ、そういうわけで私と教皇との間にはまったくと言っていいほど問題はない。だから個人的なことを言えば、サミュエルについても口出しするつもりはなかった。
だが、妻はそう思っていない。
「あの馬鹿に口を挟む余地を与えるなんて!」
終始この様子だ。サミュエルから我が家について教皇に伝わることを警戒しているのだろう。特にこれといって報告されて困るようなことはないが、妻は教皇を警戒しすぎるぐらいに警戒している。
「教会外のことだから、何か言ってくることはないだろう」
「絶対言ってくるわよ。あの堅物のことだもの」
「彼は柔軟な思考を持っている。お前の知る弟は、今や大人だ」
二十年以上前ですら実の姉を排斥しようと企てていたぐらいだ。当時十歳の子供が考えるようなことじゃない。
今は三十を超える大人で、昔ほど危険思想を表に出していないし、ずいぶんと成長している。
「あなたは甘すぎるのよ。殿下との婚約を決めたときだって、早すぎるんじゃないかってぼやいていたでしょう。早くしないとパルテレミーが口出ししてくるかもしれないっていうのに」
「アルフレッドはそれほど悪い男ではない。少々強引なところはあるが、情に厚い男だ。息子を道具にはしないだろう」
「婚約者がいる身で私に言い寄ってきた男よ。聖女の血を取り入れるためには何をするかわかったもんじゃないわ」
耳が痛い。当時私にも婚約者がいた。だが彼女にも他に想う相手がいたので、円満に解決した、つもりだ。
アルフレッド――現パルテレミー公爵は学園を卒業する時には婚約者と仲睦まじくなっていたし、奥方を亡くされた後は他の女性には目もくれない。私だって、愛する妻を亡くしたら、新しい妻を迎え入れる気にはならないだろう。
当時はともかくとしても、今のアルフレッドはそういった無茶をしないように思える。
「レティシアにはなんとしても殿下のところに嫁いでもらわないと困るわ。生半可な家だと、対抗できないもの」
「だが、王子妃には向いていないだろう」
それなりに殿下と懇意にしているようだが、娘を王子妃に添えるのにはいまだに不安しかない。教育係がついたとはいえ、足りない部分が多すぎる。
「そんなの第二夫人でも娶って外の仕事を任せればいいでしょう。レティシアが誰かのところに嫁ぐには、それぐらいしか方法がないわ」
「第二夫人を迎えないときはどうするつもりだ」
どうにも、もう一人妻を持つことに忌避感を抱いてしまう。教会の理念としても、法としても、何人でも妻を持つことはおかしくないのだが、新しく妻をと考えるだけで冷や汗が出てくる。
陛下も新しく妃を迎えるつもりはなさそうだし、あのおふたりを見ていた殿下が第二夫人を持つとは到底思えない。
「その場合も考えて、あの子に教育係をつけたんじゃない」
「そうだったのか……」
娘の教育係を選んだのは妻だ。教育係をつけることを決めたのも、もちろん妻だ。
私の知らないところで、話がどんどん進んでいる。
娘が殿下の婚約者となったのも、妻によるものだと知ったときは驚いたものだ。王妃陛下と妻は昔からの知り合いで、茶会の席で娘の話題を出したらしい。その結果、興味を抱いた王妃陛下が婚約の打診をする流れになったとか。
あの弟にしてこの姉ありといったところか。似たもの姉弟と揶揄しようものなら、口が裂かれる未来しか見えないので言わないが。
「それよりも、問題はアレクシスよ。これ以上何かされる前に家庭を持たせるべきかしら」
「だが、アレクシスには婚約者をつけていないだろう。誰か当てでもあるのか?」
「あら、そんなの一人しかいないじゃない。仲もよさそうだし、きっと大丈夫なはずよ」
息子と仲のよいご令嬢などいただろうか。貴婦人の集いに参加する息子は見たことがない。学園で懇意にしている者がいたとしても、妻が知っているとも思えない。
「マリーよ。あの子はよくできた子だし、下手な相手に捕まるよりはいいもの」
「だが……しかし、マリーは出自がはっきりしていないだろう。他家が許さないだろう」
新婚時代に妻がどこからか拾ってきたマリーは、確かに優秀だ。だが彼女の生まれとか他にも色々と問題がある。マリーとアレクシスがそういう仲だとはとても思えない。
「ラクロワ家の養子にするわ。あそこは私に借りがあるから、ふたつ返事で頷いてくれるでしょうし」
ラクロワ家という単語に目を見開く。あそこは私の元婚約者カミーユの家だ。
カミーユは子爵家の息子と恋仲になり、ラクロワ家を継いだ。子宝には恵まれなかったが、夫婦ふたりで仲よく暮らしている。
「借り……?」
カミーユと妻の間に接点があるとしたら、私ぐらいだ。互いに想う相手がいたとはいえ、婚約をなかったことにしてほしいと最初に切り出したのは私だ。結果、円満解決となったが、泥沼が展開されてもおかしくなかった。
こちらが借りがあるならともかく、妻が借りを作れるはずがない。
「意中の相手をどうやって射止めるか悩んでいた彼女に助言したのよ。彼女のご両親も説得したし、あの二人が結ばれたのは私のおかげよ」
「……いつの間に」
思わず頬が引きつる。カミーユは卒業してすぐ結婚していた。
学園にいる間、私に試練を課す傍らでカミーユに助力していたことになる。
「……なるほど、当時の私はそれほど嫌われていたのだな」
卒業間近でようやく婚姻の許可を貰えたが、それまでは刺々しい態度をとられていた。婚約者も愛する者も失った惨めさを味わわせようと画策していたわけだ。
だが妻を想ってしまった時点で、カミーユと結婚するつもりはなかった。つまり、惨めさを味わうこともなかっただろう。
「ち、違うわよ。あなたが嫌気が差して逃げ込む場所をなくしたかっただけで、嫌ってなかったわ」
「だが、私に試練を与えていただろう? あれは私を嫌っていたからではないのか」
魔物を倒して目玉を抉ってこいと言われ、火の噴き出る山から石を取ってこいと命じられ、氷で出来た洞窟から溶けない氷を持ってこいと無理難題を押しつけられたものだ。
そういえばあの頃に記していた手記はどこにしまったのだろうか。ここ数年見ていない気がするから、捨てられてしまったのかもしれない。
「あれは、その……あなたに軽い女だと思われたくなかっただけよ」
頬を赤くさせながら、恥ずかしがる妻。
方向性が色々おかしいと思うが、私の愛する妻は今日も可愛い。
苛々とした様子で部屋の中を歩き回る愛する妻を見つめる。妻の怒りの矛先は今年屋敷に帰ってきた息子だ。学園を無事卒業し、領地に赴いていた息子は本来褒められるべきなのだが、帰宅早々起こした騒動のせいで褒め言葉よりも先に叱責が飛び交った。
サミュエル・マティス――教皇の息子をこの家に連れこんだ。妻の甥でもあるので普通なら遊びに来てもおかしくない間柄ではある。だが親族であるよりも先に、サミュエルは教会関係者だ。妻と教皇の仲はあまりよくない――言葉を選ばないなら、血で血を洗うぐらいに悪い。
息子がサミュエルを連れてきた当日の夜は、発狂寸前の妻を宥めるのに尽力した。翌日詳しく話を聞こうと夜中に息子を呼び出したりもした。
息子の言い分としては「レティに色々な人に会う機会をあげたい」というもので、それ自体には異論を挟む余地はない。問題は、人選が悪すぎるということだ。
妻との出会いはかれこれ二十年以上前に遡る。学園で妻を一目見た瞬間、私は恋に落ちた。前教皇の娘である妻を娶るために、私は努力した。
教会の教えが合わなかった妻は、前教皇にとっても目の上のたんこぶだったようでむしろ貰ってくれと言わんばかりだったが、妻自身が私を娶るなら条件があると言って私に何度も試練を与えてきた。
そうしてなんとか婚姻の許可を貰えたのが学園を卒業を間近に控えたときだった。
そういった経緯があるため、前教皇は私には良くしてくれた。国と教会の間で軋轢が生まれたときには私が間に立つことによって、両者の言い分を汲み取ることができた。
現教皇――妻の弟も、私に対しては好感情を抱いてくれている。妻が教会に相応しくないと考えた彼は妻を排斥しようと画策していた。そんな折に私の存在が浮上し、これ幸いと私と妻の間を取りもってくれた。
まあ、そういうわけで私と教皇との間にはまったくと言っていいほど問題はない。だから個人的なことを言えば、サミュエルについても口出しするつもりはなかった。
だが、妻はそう思っていない。
「あの馬鹿に口を挟む余地を与えるなんて!」
終始この様子だ。サミュエルから我が家について教皇に伝わることを警戒しているのだろう。特にこれといって報告されて困るようなことはないが、妻は教皇を警戒しすぎるぐらいに警戒している。
「教会外のことだから、何か言ってくることはないだろう」
「絶対言ってくるわよ。あの堅物のことだもの」
「彼は柔軟な思考を持っている。お前の知る弟は、今や大人だ」
二十年以上前ですら実の姉を排斥しようと企てていたぐらいだ。当時十歳の子供が考えるようなことじゃない。
今は三十を超える大人で、昔ほど危険思想を表に出していないし、ずいぶんと成長している。
「あなたは甘すぎるのよ。殿下との婚約を決めたときだって、早すぎるんじゃないかってぼやいていたでしょう。早くしないとパルテレミーが口出ししてくるかもしれないっていうのに」
「アルフレッドはそれほど悪い男ではない。少々強引なところはあるが、情に厚い男だ。息子を道具にはしないだろう」
「婚約者がいる身で私に言い寄ってきた男よ。聖女の血を取り入れるためには何をするかわかったもんじゃないわ」
耳が痛い。当時私にも婚約者がいた。だが彼女にも他に想う相手がいたので、円満に解決した、つもりだ。
アルフレッド――現パルテレミー公爵は学園を卒業する時には婚約者と仲睦まじくなっていたし、奥方を亡くされた後は他の女性には目もくれない。私だって、愛する妻を亡くしたら、新しい妻を迎え入れる気にはならないだろう。
当時はともかくとしても、今のアルフレッドはそういった無茶をしないように思える。
「レティシアにはなんとしても殿下のところに嫁いでもらわないと困るわ。生半可な家だと、対抗できないもの」
「だが、王子妃には向いていないだろう」
それなりに殿下と懇意にしているようだが、娘を王子妃に添えるのにはいまだに不安しかない。教育係がついたとはいえ、足りない部分が多すぎる。
「そんなの第二夫人でも娶って外の仕事を任せればいいでしょう。レティシアが誰かのところに嫁ぐには、それぐらいしか方法がないわ」
「第二夫人を迎えないときはどうするつもりだ」
どうにも、もう一人妻を持つことに忌避感を抱いてしまう。教会の理念としても、法としても、何人でも妻を持つことはおかしくないのだが、新しく妻をと考えるだけで冷や汗が出てくる。
陛下も新しく妃を迎えるつもりはなさそうだし、あのおふたりを見ていた殿下が第二夫人を持つとは到底思えない。
「その場合も考えて、あの子に教育係をつけたんじゃない」
「そうだったのか……」
娘の教育係を選んだのは妻だ。教育係をつけることを決めたのも、もちろん妻だ。
私の知らないところで、話がどんどん進んでいる。
娘が殿下の婚約者となったのも、妻によるものだと知ったときは驚いたものだ。王妃陛下と妻は昔からの知り合いで、茶会の席で娘の話題を出したらしい。その結果、興味を抱いた王妃陛下が婚約の打診をする流れになったとか。
あの弟にしてこの姉ありといったところか。似たもの姉弟と揶揄しようものなら、口が裂かれる未来しか見えないので言わないが。
「それよりも、問題はアレクシスよ。これ以上何かされる前に家庭を持たせるべきかしら」
「だが、アレクシスには婚約者をつけていないだろう。誰か当てでもあるのか?」
「あら、そんなの一人しかいないじゃない。仲もよさそうだし、きっと大丈夫なはずよ」
息子と仲のよいご令嬢などいただろうか。貴婦人の集いに参加する息子は見たことがない。学園で懇意にしている者がいたとしても、妻が知っているとも思えない。
「マリーよ。あの子はよくできた子だし、下手な相手に捕まるよりはいいもの」
「だが……しかし、マリーは出自がはっきりしていないだろう。他家が許さないだろう」
新婚時代に妻がどこからか拾ってきたマリーは、確かに優秀だ。だが彼女の生まれとか他にも色々と問題がある。マリーとアレクシスがそういう仲だとはとても思えない。
「ラクロワ家の養子にするわ。あそこは私に借りがあるから、ふたつ返事で頷いてくれるでしょうし」
ラクロワ家という単語に目を見開く。あそこは私の元婚約者カミーユの家だ。
カミーユは子爵家の息子と恋仲になり、ラクロワ家を継いだ。子宝には恵まれなかったが、夫婦ふたりで仲よく暮らしている。
「借り……?」
カミーユと妻の間に接点があるとしたら、私ぐらいだ。互いに想う相手がいたとはいえ、婚約をなかったことにしてほしいと最初に切り出したのは私だ。結果、円満解決となったが、泥沼が展開されてもおかしくなかった。
こちらが借りがあるならともかく、妻が借りを作れるはずがない。
「意中の相手をどうやって射止めるか悩んでいた彼女に助言したのよ。彼女のご両親も説得したし、あの二人が結ばれたのは私のおかげよ」
「……いつの間に」
思わず頬が引きつる。カミーユは卒業してすぐ結婚していた。
学園にいる間、私に試練を課す傍らでカミーユに助力していたことになる。
「……なるほど、当時の私はそれほど嫌われていたのだな」
卒業間近でようやく婚姻の許可を貰えたが、それまでは刺々しい態度をとられていた。婚約者も愛する者も失った惨めさを味わわせようと画策していたわけだ。
だが妻を想ってしまった時点で、カミーユと結婚するつもりはなかった。つまり、惨めさを味わうこともなかっただろう。
「ち、違うわよ。あなたが嫌気が差して逃げ込む場所をなくしたかっただけで、嫌ってなかったわ」
「だが、私に試練を与えていただろう? あれは私を嫌っていたからではないのか」
魔物を倒して目玉を抉ってこいと言われ、火の噴き出る山から石を取ってこいと命じられ、氷で出来た洞窟から溶けない氷を持ってこいと無理難題を押しつけられたものだ。
そういえばあの頃に記していた手記はどこにしまったのだろうか。ここ数年見ていない気がするから、捨てられてしまったのかもしれない。
「あれは、その……あなたに軽い女だと思われたくなかっただけよ」
頬を赤くさせながら、恥ずかしがる妻。
方向性が色々おかしいと思うが、私の愛する妻は今日も可愛い。
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