悪役令嬢を目指します!

木崎優

第七話 名前

 焼き菓子を食べてお茶を飲んで、ゆったりとした時間が過ぎる。時間だけが、過ぎていく。
 小動物のように焼き菓子を食べる教皇子息を見ながら話題を考えるけど、何ひとつとして浮かんでこない。


「お、おいしいかしら」


 絞りだしたのは、他愛もない言葉。
 だけどその程度のことでも、教皇子息は肩を震わせて申し訳なさそうに眉を下げる。美味しいと思うことすらも罪だというように。


「えーと、そうね、あー、そう、そうだわ。マティス様は将来教皇を継ぐのかしら」


 当たり障りのない話題は何かと必死に探して辿りついたのは――進路相談だった。


「……父上は、そうだと……」
「マティス様は何かしたいことはないの?」


 返ってきたのは沈黙。


「た、たとえばそうね。私は将来――」


 しまった、私も将来なりたいものがない。
 悪役になりますなんて言ったら正気を疑われる。しかもそれは途中経過であって将来の夢ではない。


「――立派な淑女になりたいわ」


 何かないかと考えた結果、将来の夢というよりも理想像が出てしまった。


「そう、ですか……」
「マティス様はこんな大人になりたいとかはないのかしら。まだ子どもだから、夢を見ることは自由よ」
「……これと、いっては……何も」
「えーと、ほら、たとえばマティス様のお父様のようになりたいとかは?」
「父上は……そう、ですね……立派だと……思います、けど……」


 教皇がどんな人間か知らないからどう返せばいいのかわからない。
 難のある人物なのだろうか。リューゲが何か知らないかと視線を向けたが、彼は穏やかに笑っているだけだった。多分これは知らないのだろう。


「じゃ、じゃあ、尊敬している方とかはいないの?」
「……女神様を……尊敬して、います」
「天上の方ではなく、こう、身近な人とかで。たとえば、えーと……私のお兄様とかはどうかしら。妹の私が言うのもどうかと思うけど、お兄様は素晴らしい人だと思うわよ」
「そう、ですね。アレクシス様は……いい人だと……思います」


 わずかに緩んだ口元に、突破口を見出す。


「そう、そうよね! お兄様はいい人よね。とても穏やかで、優しくて、私の自慢のお兄様なのよ」
「……アレクシス様は、えと……僕にも、実の兄ように思ってほしいと……言って、くれました」
「あら、そうなの? じゃあマティス様は私の弟になるのかしら。それってとても素敵ね」


 それから私はお兄様がいかに素晴らしいかを、数少ないお兄様の思い出と一緒に語った。
 あまり外に出ない私を心配してお散歩に連れていってくれた話――その後からはあまり連れていってくれなかったけど。
 私が欲しいとねだったお菓子を料理人と相談して作ってくれた話――その後からは取り合ってくれなかったけど。
 私の話を優しく聞いてくれた話――その後からは苦笑いと一緒に逃げられたけど。




 あれ、私お兄様に嫌われてる?




「あ、あの、えと……そ、そんなことは……アレクシス様は、あの」
「いいの、いいのよ。慰めなんていらないわ」


 話のオチがつくたびに教皇子息はなんとも言えない顔をして、私はどんどん気を落とし、最終的には机に突っ伏した。
 教皇子息はどう慰めたらいいのかわからないのだろう。そうだとも違うとも言えず、うろたえている。


「別にいいもの。問題児だっていう自覚はあるもの」
「そんな……あ、あの、えと……か、可愛い妹だと……言っていました」
「マティス様は優しいのね……。駄目ね、私ったら。弟に慰められるなんて」
「い、いえ……僕は……弟、では……」
「そうよね、姉になったんだから、こんなことで落ちこんでたら駄目よね!」


 がばっと顔を起こしたら教皇子息が目をまん丸くさせていた。


「ごめんなさいね、取り乱したりして。情けないところを見せちゃったわ」
「気にしないで……ください。えと……」
「気を取り直して、たくさんお話しましょうね。私としては、もう少し親しくなれると嬉しいもの」


 お兄様といるときの教皇子息は今よりも普通に話していた。そこまでどもってもいなかったし、あのぐらい仲よくなれると嬉しい。
 いや、ヒロインに近づけないためには唯一の親友、あるいはそれこそ姉弟のような間柄にならないといけない。


「……サミュエル、とお呼びしてもいいかしら?」


 教皇子息は教会の人間で、貴族ではない。
 つまり、私が婚約破棄されても彼との関係性は変わらない。従姉弟でもあるから、将来的にも関わることはあるだろう。
 通行人ではないなら、名前を呼んでも問題ない。


「えっ」


 信じられないとばかりに見開かれた目に、私は完全に硬直した。








 これでも結構悩んだのだ。リューゲはともかくとして、登場人物の名前を呼ぶかどうか。それによって私の中で少しずつ意識が変わっていってしまわないだろうかと。
 だけど教皇子息とは仲よくなりたいし、従姉弟だし、むしろ姉と弟だし、壁を作ってしまうのはどうだろうかと思って、決心した末だった。


 それなのに、まさかこんなあっさりと拒絶されるとは。




「そ、そうよね。まだ知り合ったばかりだものね……名前を呼ぶのは、時期尚早だったわね」


 いたたまれない。逃げ出したい。数分前に戻りたい。


「い、いえ、その……驚いて、しまって」
「ええ、そうよね。会ったばかりで親しく呼ぼうだなんて驚くわよね」
「そう、ではなく……え、と……」


 どう言えば傷つけずにすむのか言葉を探しているのだろう。でも手遅れだ。
 私の硝子で出来た心臓は粉々だ。


「いいのよ。マティス様が悪いわけじゃないから……名前を呼ぶのは、そうね、もっと仲よくなれたらにするわ」
「あの……本当に……呼びたいの、ですか?」


 おずおずと聞かれて、私は考える。
 本当にと言われたら、どうなのだろう。名前を呼びあうことで親しい仲だと誤認させたいから、本当は愛称で呼び合いたい。
 でも私の知っている愛称はさっちゃんとかあっくんとかのくだけた呼び方で、サミュエルかサムになったりする短縮形にはあまり馴染みがない。
 そのため避けたのだけど、こうして改めて聞かれるとやっぱり愛称のほうがよかっただろうかと悩んでしまう。


「……えと……無理に、呼ぶ必要は……その、ないかな、と」


 私の沈黙をどう受け取ったのか、教皇子息は俯きながら消えそうなほどか細い声で喋っている。


「いえ、無理に、ではないのよ。ただ名前と愛称どちらがいいかしらと悩んでいただけで」
「……愛称?」


 俯ていた顔を上げてきょとんとした表情で首を傾げている。もしかして教会に愛称はないのだろうか。
 教会なら「女神様の作られた命がつけた名前を短縮するなんてとんでもない」とか言い出してもおかしくなさそうだし、この可能性はありそうだ。


「……そうね、名前はぜひとも呼びたいわ」


 ならこの話はやめておこう。愛称については互いに馴染みがないということで、ぽぽいとどっかそこらへんに捨てる。


「ほん、とうに……?」
「ええ。そう思ってなかったら言わないわよ」
「でも……いえ……それなら、呼んでくれて、えと……」


 これはいいということなのだろうか。きっといいということだろう。
 前言撤回されないうちにさっさと呼んでしまおう。


「ありがとう、サミュエル。私のことも名前で呼んでくれると嬉しいわ」
「……はい、れ、レティシア、様」


 固いけど、とりあえずはこれでよしとしよう。



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