悪役令嬢を目指します!

木崎優

第二十六話 最後の三週間6

 私が星空を見たのは一瞬だった。開け放たれた扉から差しこむ光が部屋の中を照らしている。
 部屋の中央には王子様がうずくまり、その横には球体の石が置かれていた。足を抱えている腕の中に頭を落としている王子様はこちらに気づいていないのか、微動だにしない。


「殿下……?」


 まさか死んでないよねと不安になり声をかけると、ぴくりと王子様の肩が動いた。よかった、とりあえず生きているようだ。
 だけどその体勢から動こうとしない。傷心中の人間にかけるべき言葉が思いつかず、とりあえず扉を閉めることにした。


 そしてまた、星空が広がった。閉め切られた部屋の中を陽の光の代わりに、石からいくつも飛び出ている光が壁を照らす。小さな点が暗い壁を照らす様は、星空としか形容できなかった。


「プラネタリウムを作られたのですね」


 石を挟んで王子様の横に座るが、やはり反応はない。言葉を続けることができなかった私は、とりあえず星空を眺めることにした。よく見てみると、星の配置が私の知るものと違う。


 満点の星空というものが珍しかった私は、幼いときにこっそりと星を眺める事があった。すべてての違いを言い当てられるわけではないが、一際輝く星は少し下向きにあったのに、この星空では真上にあることだけはわかった。


 後何が違うか、間違い探しのように自分の記憶と照らし合わせていると何かが動く気配を感じた。何かと言っても、この部屋の中で動けるのは私か王子様しかいないけど。


 首を僅かに動かして視線だけを王子様に向ける。腕に隠れていた顔が姿を見せていた。とはいっても上げたわけではなく、腕に頭を預けているのはそのままに顔をこちらに向けていた。


 これは、向き合うべきなのだろうか。視線をとりあえず壁に戻して、どうしたものかと考える。落ちこんでいるときに声をかけて欲しくない人もいるだろう。だけど私はすでにかけたし、室内に留まっているのだから気にしなくていいんじゃないかとも思ってしまう。


「……母上は遠い国から来たから」


 私の苦悩を他所に王子様が普通に話しかけてきた。ならばと私は、王子様の方を向くことにした。


「そうなんですね」
「だから故郷の星を見せてあげようと思って色々調べて、母上からも話を聞いたりして作ってたんだよ」


 ぽつりぽつりと紡がれる言葉は独白のようで、私は相槌を打つだけに専念することにした。


「完成したのはつい最近で、来年になったら母上と兄上と、それから弟と一緒に見ようと思ってた」


 人数に含まれていない王様に同情する。忙しいから手を煩わせたくないとか、きっとそういう理由だと思いたい。


「だけど、見せてあげられなかった……」


 泣き出しそうな声に口を噤む。王子様のぼんやりとした瞳は、いつ涙が零れだしてもおかしくないほど潤んでいる。
 そっと手を伸ばして、銀色の髪を撫でた。子どもの慰め方を私はあまり知らない。撫でるか抱きしめるかの二択だった。
 頭に手を置いた瞬間にびくっと震えていたが、とりあえず振り払われることはなかったので安心する。抱きしめるほうを選んでいたら震えるどころではすまなかったかもしれない。


 私は近しい人を亡くしたことがない。それは前世でも今世でも同様だった。唯一あるとすれば私自身が死んだことだけど、それは近しいどころではないし、そもそも死んだときのことを覚えていない。
 王子様に何か言っても、結局は他人事になってしまうだろう。だから私は、頭を撫で続けることにした。


 満点の星空を作り出すのは大変だっただろう。実際に見たことのないものを情報だけで作るというのが大変なことぐらいはわかる。
 だから王子様はここで見ることにしたのかもしれない。誰にも邪魔されない場所で、誰にも見せることのできなかった星空をひとりだけで。


「……母上も弟も危なかったんだ。教会の人はひとりしかいなかったから、どちらかを選ぶことになって……母上が弟を選んだ」
「そう、ですか」
「あと一日遅ければ、呼びに行けたのに……。たった数時間でもよかったんだ。吹雪さえやんでいたらなんとかなったのに……別の人を呼びに行く間もなく、母上は息を引き取った」




 そのときのことを思い出してしまったのか、それとも我慢の限界がきてしまったのか、王子様の目から大粒の涙が零れた。
 思わず撫でている手を引っこめようとしたら、素早い動きで掴まれた。繋いだ手から伝わってくる体温に、先ほどの天使を思い出す。ふにふにで柔らかかった手と違って、王子様の手は少し硬い。後力強く握られているので痛い。
 王子様は小屋に入ったときと同じように膝に額を押し当てて、嗚咽を噛み殺しながら泣いている。泣き顔を見られたくないのだろう。そっと視線を外し、ついでに手も離そうとするが握り込まれている手は外れなかった。




 どれぐらいそうしていただろうか。どうすればいいのかわからず、手は握り続けたままだ。落ちついてきたのか、泣き声はもう聞こえない。顔を王子様の方に向けると、視線がかち合った。


「殿下……?」


 完全に顔を上げて、じっとこちらを見つめる。頬は濡れているが予想通り泣いてはいなかった。


「名を……名前を呼んで欲しい」


 紫色の瞳が私の目を覗きこむように見ている。
 私の青い目を。




「殿下、お戯れはおよしください」


 ぶんぶんと手を振るが放してくれない。ああ、そうだ。王子様はヒロインの青い瞳に、王妃様の面影をみて惹かれたんだ。
 この流れは非常にまずい。お母様と同じ色なのが嬉しかったけど、今だけは忌々しい。


「君は私の名を呼んでくれないよね」
「そんなことはございません」


 呼んだことはある。出会った日には確かに呼んだ。王子様が忘れていたとしても、呼んだ事実はある。


「君と出会って四年が経った……だけど呼ばれたのは最初のときだけだよ」


 濡れているのに力強い瞳。先ほどまでしおらしく泣いていた王子様はどこに消えたのか。目か、すべて目が悪いのか。
 もっと素晴らしい目の持ち主がいることを教えてあげたい。性格がよくて、芯のしっかりした子と出会うのだから私で妥協してはいけない。


「いつになったら呼んでくれるのかな」


 ぐいと引っ張られた。王子様に体を寄せる形になり、間にあった球体にぶつかる。押し出されるように転がっていった球体が壁に当たったのか鈍い音がした。
 王子様の胸に頭を預けるようにして抱えこまれたので、何も見えないし、ぶつかったところが痛い。


「殿下、ですからこのようなことをなさってはいけません」
「何故? 君は私の婚約者だろう」
「だからといって……私は王妃様の代わりにはなれません」


 王妃になりたくないのはもちろん、王妃様の代わりにもなりたくない。夢見る少女だった私はいまだに純真だ。




 ぎゅう、と私を閉じこめた腕に力が入った。

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