悪役令嬢を目指します!

木崎優

第二十五話 最後の三週間5

 声がしたと思ったら青年が脱兎の如く走り去った。あっという間に遠ざかっていく背中をぼんやりと眺めながら、足早いの羨ましいという場違いなことを考える。ただでさえ雪が積もっているというのに、あれだけの勢いで走れるのはもはや芸術だ。


「大丈夫?」


 ひょいと路地の隙間から顔を出したのは、天使だった。


 王子様に会った時にも天使だと思ったけど、目の前にいる少女はそれ以上だった。艶やかな金の髪にぱっちりとした青い目。絵画から抜け出してきたとしか思えない。




「変なことされたの? お家はどこ?」


 黙りこむ私を少女は不安そうに見上げてきた。背は大体私と同じぐらい。背中に羽はない。でも光が髪に反射して輪っかのように輝いている。


「とりあえず歩ける? 詰め所まで連れて行ってあげるよ」


 はい、と差し出された手を握る。ふにふにして柔らかい。伝わってくる体温から、少女が天使ではなく人間なのだということに気づく。流石ファンタジー世界。ただの幼女まで可愛い。


「あ、いえ、ちょっと展開についていけなくて。えーと、特に何もされてはいないです」
「そうなの?」
「はい。道に迷ってたから案内してもらってたんですけど……」


 青年はどうして走り出したのやら。


「……うーん、あなたっていいところの子でしょ」


 どうしてばれたのだろう。
 私は今華美な格好をしているわけではない。少女と同じようにワンピースを着ている。


「いい服着てるし、世間知らずそうな顔してるからそうかなって」


 言われて少女の服をよく見る。もこもことした厚手のワンピースに毛皮でできた襟巻、そして耳あて付きの毛糸の帽子。暖かそうなそれは、何度も着ていることがわかるぐらいには所々ほつれている。
 対して私が着ているのは厚手でもこもこしているという点は同じだが、少女のものと違って柔らかい素材を使っているし、使用頻度が少ないため新品のように綺麗だった。確かにこれでは一目瞭然だ。


「とりあえず、迷子でいいのかな? 大人の人とはぐれちゃったの?」
「いえ、私ひとりです。北の門に向かってたんですけど、道を間違えてしまったみたいです」
「今の時期は人の出入りが少ないとはいえ、危ないよ。今だって連れ去られそうになってたんだから」


 少女の言葉に私は目を見開く。人の好さそうな好青年が人さらいだったなんて、思いもしなかった。
 だから青年は衛兵という言葉で逃げ出したのか。


 そして、私の親が何かしているのか聞いてきたのはそのためだったのだろう。売るかゆするか、どちらが目的だったのかはわからないが、なんとも危ない状況だったようだ。


 衛兵が来る気配がないことを考えると、少女の方便だったに違いない。
 本物の天使じゃないみたいだけど、この少女を天使と崇めてもいいだろうか。


「出かけるなら誰かと一緒に来たほうがいいよ。家の場所はわかる?」


 どうやら貴族だということはばれていないらしい。そういえば青年も、商会の子だと思っていたみたいだった。服装のせいか、貴族の子がひとりで出歩くわけがないと思っているのか。令嬢オーラが出ていないという可能性は、考えたくない。


「いえ、それだと駄目なんです。どうしても今すぐ北門に行きたいんです」
「北門に何かあるの?」
「森に、ちょっと用事があって」


 王子様を探しに行きますとはさすがに言えない。
 少女は天を仰ぐようにしながらうーんと何度か唸った。


「じゃあ、一緒について行ってあげる。私も森に行くところだったし……でも、魔物も出るから気をつけるんだよ?」
「はい! ありがとうございます」


 天使と崇めようと心に決めた。






 天使に案内されて向かったのは、私が青年と出会った住居通りだった。この先に北門があるらしい。許すまじ人さらい。




「それでなんのために森に行くの? 薪拾い……はさすがにないよね。そういうのって召使いとかがするものだろうし」
「えーと……家の人が全員病に臥せってしまったので、少しでも暖かくしてあげたくて、だから薪を取りに行こうって」


 苦し紛れの大嘘に天使の瞳が潤む。


「今年は本当に寒かったもんね……。私の家でもお母さんがちょっと体調崩しちゃって、私が薪を取りに行こうって決めたの」


 どうやら天使の境遇と一致してしまったらしい。天使はよい子すぎる。口の上手い人に騙されないか心配だ。


 天使を騙している真っ最中の私は、少しだけ良心の呵責に苛まれた。






「おじさーん。門開けてー」


 悶々としていたらいつの間にやら到着していたらしい。天使は寒いからと言って私に帽子をかぶせた後、門番をしている男性に声をかけていた。


「おや、どうしたんだい?」
「なくなる前に薪を取りに行きたいの。お母さんが風邪引いちゃったから、私が代わりに来ただけだよ」
「なるほど。それで、そっちの子は?」


 ちらりと門番の視線が私に向けられる。天使とは親しい間柄なのか、警戒しているというよりは不思議そうに私を見ている。


「西地区の家の子。ほら、体が弱い子いたでしょ? でもいつまでも家にこもりっきりにさせてあげられないから、一緒に薪を拾いに行こうって誘ったの。おばさんってば心配しちゃって、風邪引かないようにっていいものを着せたりしてね。森なんて行ったらすぐ汚れちゃうのに」


 ぺらぺらと出てくる大嘘に私は目を丸くした。純粋無垢だと思っていた天使は、結構世渡り上手なのかもしれない。


「西地区はあまり知り合いがいないんだよなぁ。まあそういうことなら……でも日が落ちる前に戻るんだよ。騎士の方々が対応してくれているとはいえ、夜には魔物が活性化するからね」
「わかってるよー。おじさんも心配性なんだから」




 そして難なく私たちは門を抜けた。大丈夫かこの国。


「さっき言われたとおり、夜までには戻るんだよ? 私は薪を集めないといけないから一緒にいられないけど、気をつけてね」
「はい、大丈夫です。すぐに戻るつもりですから」


 森まで案内してもらったところで、天使は何度も念を押すように早く帰るんだよと言ってきた。どうやら世間知らずに思われているようだ。


「本当に、ほんっとうに気をつけてね。魔物に会ったらすぐに逃げるんだよ」
「大丈夫ですよ。あなたこそ気をつけてくださいね」
「そういえばあなたって……まあいいや。じゃあまた会えるといいね」
 言いよどまれて首を傾げたが、私は追求することなく帽子を返して別れを告げた。日が暮れる前に帰らないといけないのは天使も同じだ。時間を無駄にさせては申し訳ない。


 道中小屋についてそれとなく聞いてみたら、天使は小屋を見たことがあったようで、森を入ってすぐのところにあるのに今まで使っている人を見たことないと、不思議そうに首を傾げていた。
 それに乗っかって見てみたいと言ったら、快く場所を教えてくれた。


 天使に言われたとおりに歩くと小屋はすぐに見つかった。物置小屋と言われても納得しそうなほど小さな家には、窓と扉がひとつずつついている。
 中の様子を見ようとしたが、残念なことにカーテンが引かれていた。


 中に誰かいるかどうかは分からない。気配を探ろうにも、人の気配ってなんぞやな私には無理だ。石造りの建物だから呼吸音が聞こえるわけでもない。


 ならばとひとつだけついている扉に目を向ける。中に立ち入るって確かめるしかない。鍵がかかっていたら、まあなんとかして壊そう。


 ゆっくりと扉を引っ張ると、鍵はかかっていなかった。なんの抵抗も感じられない扉を一気に開ける。




 視界いっぱいに満点の星空が飛びこんできた。

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