悪役令嬢を目指します!
第十八話 ダンスの時間
控え目で落ち着いた音を鳴らしていた楽団が、どこかロマンチックな音楽を弾きはじめる。
もうそんな時間か、と思うのと同時に目の前に手が差し出された。
「それじゃあ一曲踊らせてもらおうかな」
「お手柔らかにお願いしますわね」
手を重ねて、部屋の中央に向かう。音楽が変わったのと同時に、皆部屋の端に寄ったので踊るのに十分なスペースが空いている。空きすぎてると言ってもいいぐらいに。
この後何組も同時に踊ることになるのだから、当然といえば当然なのだけど。私と王子様ふたりだけだと広すぎる。
強張りそうな顔を必死に笑顔の形に留めて、自らに言い聞かせる。
絶対に失敗してはいけない。自分は悪役令嬢なのだ、と。
頭に浮かべるのは、ゲームの中のレティシア。私が目指し、理想とする悪役令嬢。やってることはみみっちいし、壮大なことは何ひとつしないし、嫌味だらけの小姑みたいな女性だけど、ダンスについては見惚れるほどだと書かれていた。
私はヒロインを苛めて婚約破棄される、ダンスの上手な悪役令嬢だ。そうなれるだけの要素は、私の中にあるはずだ。
ゲームのレティシアを私と重ねながら、深く息を吐く。
曲が半ばに差しかかったあたりで、王子様が驚くように息を吐いた。ぱちくりと瞬く目を見ながら、私はにっこりと笑う。
「驚いた、随分上達したね」
「あら、この程度ぐらいできて当然でしてよ」
今の私はゲームのレティシアだ。ダンスのひとつぐらいできなくては悪役令嬢の名が廃る。
「そう。まあ、踏まれないなら私はとしては喜ばしいけど」
「もちろん、そのような粗相はいたしませんわ。殿下の足を踏むだなんて、滅相もございませんもの」
くるりとターンして、曲が終わった。
やり遂げた。ありがとう、レティシア。
心の中で感謝の言葉を贈りながら、思案する。私もレティシアだから、何だかややこしい。まるで自画自賛してるみたいで、気恥ずかしい気もちになる。
ゲームのレティシアだから、ゲティシアとでも呼ぼうか。いや、ゲテモノみたいだから、これはないな。
今後もお世話になるかもしれないからいずれ名前をつけてあげよう。
拍手の音に包まれながら王子様と離れる。王子様と踊りたい人は大勢いるだろうから、独占しては申し訳ない。
「レティシア嬢、私と踊っていただけますか?」
琥珀色の目を細めながら手を差し出してきたのは、宰相子息だった。
「私でよろしければ、ぜひ」
王子様の誕生祝では誘いを断ったが、今回の私は完全無欠の令嬢だ。断る理由はない。
そっと手を重ねて、踊りはじめている人たちの輪に加わる。
「ルシアン殿下とは親しいのですか?」
「婚約者ですもの。親しくないわけがありませんわ」
これから先で仲が悪くなる予定だけど、今の段階では不仲ではないはずだ。だけど仲睦まじいというほどでもないので、親同士の決めた婚約者ならこんなものかな、という曖昧な表現で返す。
「思っていたよりも親しそうで、驚きましたよ」
「殿下は気さくな方ですからね。どなたでも親しくなれると思いますわ」
「それはそれは、素晴らしいお人柄ですね」
宰相子息がちらりと視線を横に流したので、私もつられてそちらを見る。
そこでは王子様が微笑みながらアドリーヌと踊っていた。
うっとりとした目で王子様を見上げるアドリーヌの頬が、朱色に染まっている。
さすが見た目は天使な王子様、ダンスだけでご令嬢のハートを掴んでいる。
王子様はいつもどおりだし、宰相子息は何を見ているのだろうかと目を凝らして──
「あら……」
王子様の向こうに、赤茶色の髪を見つける。一緒に踊っているのは、彼の婚約者だ。
最初のほうで挨拶に来たのでじっくりと観察する暇がなかった未来の女騎士様は、こんな幼いときから凛々しい。
金色の髪は高く結い上げて邪魔にならないようになっているし、茶色い目は力強く騎士様を見つめている。もはや睨みつけてると言ってもいいぐらいの目力だ。
彼女だけ、舞踏ではなく武闘をしているような顔つきになっている。
騎士様は苦笑を浮かべながら、女騎士の鬼気迫るダンスについていっている。すごい。
これは、確かに目を引く。
横でゆっくりと踊っていた子がぎょっとした表情を浮かべて、邪魔にならないように避けるし、あの二人だけ別世界だ。
「やはり気になりますか?」
不意にかけられた言葉に瞬く。騎士様と女騎士様のダンスは気にするなと言われても無理だ。
女騎士様の足さばきは重力などないかのように軽やかだし、騎士様もそんな彼女を支えながらしっかりと踊っている。
見事だと思うが、わざわざ指摘されるほどの何かがあるわけではない。
「見惚れはしますが、それ以外には特に……」
「あなたが気にされるかと心配していたのですが……どうやら取り越し苦労だったようですね」
「お心遣い感謝しますわ」
なるほど、私が王子様の誕生祝で足を踏んだことを悔いていると思ったのか。
だけど今日は足を踏んでいないし、あんな別次元のものを見て自分のダンスを省みようとは思えない。
そりゃあ彼女みたいに踊れたらと憧れる気もちはあるが、私には無理だと諦めている。
あれだけの身体さばきを覚えるための訓練を考えると、尻ごみしてしまう。
「……私に希望の芽はありますか?」
柔らかく微笑みながら紡がれた言葉に、私は少し考えてからゆっくりと首を横に振った。
目を見開いて悔しそうに下唇を噛む姿に、憐憫の情がわく。
宰相子息が騎士様や女騎士様みたいに踊るのは、まず無理だろう。剣よりも本のほうが好きそうな宰相子息の腕は細い。貴族の嗜み程度には体を鍛えてはいるとは思うが、騎士様には到底敵わない。
宰相子息の足さばきは優雅だけど、あの二人に追いつこうと思ったら脚力はもちろんのこと、体幹も鍛えないといけない。学力テストでヒロインに負けたことを根に持つ宰相子息が、特訓のために勉学の時間を捨てるとも思えない。
時間は有限だ。残酷だけど、下手に希望をもたせて宰相子息の時間を奪うよりは、今宣告されるほうがいいだろう。
「そうですか」
琥珀色の瞳から熱が失われた。
宰相子息の痛ましい姿に、私は目を伏せて俯くことしかできなかった。
もうそんな時間か、と思うのと同時に目の前に手が差し出された。
「それじゃあ一曲踊らせてもらおうかな」
「お手柔らかにお願いしますわね」
手を重ねて、部屋の中央に向かう。音楽が変わったのと同時に、皆部屋の端に寄ったので踊るのに十分なスペースが空いている。空きすぎてると言ってもいいぐらいに。
この後何組も同時に踊ることになるのだから、当然といえば当然なのだけど。私と王子様ふたりだけだと広すぎる。
強張りそうな顔を必死に笑顔の形に留めて、自らに言い聞かせる。
絶対に失敗してはいけない。自分は悪役令嬢なのだ、と。
頭に浮かべるのは、ゲームの中のレティシア。私が目指し、理想とする悪役令嬢。やってることはみみっちいし、壮大なことは何ひとつしないし、嫌味だらけの小姑みたいな女性だけど、ダンスについては見惚れるほどだと書かれていた。
私はヒロインを苛めて婚約破棄される、ダンスの上手な悪役令嬢だ。そうなれるだけの要素は、私の中にあるはずだ。
ゲームのレティシアを私と重ねながら、深く息を吐く。
曲が半ばに差しかかったあたりで、王子様が驚くように息を吐いた。ぱちくりと瞬く目を見ながら、私はにっこりと笑う。
「驚いた、随分上達したね」
「あら、この程度ぐらいできて当然でしてよ」
今の私はゲームのレティシアだ。ダンスのひとつぐらいできなくては悪役令嬢の名が廃る。
「そう。まあ、踏まれないなら私はとしては喜ばしいけど」
「もちろん、そのような粗相はいたしませんわ。殿下の足を踏むだなんて、滅相もございませんもの」
くるりとターンして、曲が終わった。
やり遂げた。ありがとう、レティシア。
心の中で感謝の言葉を贈りながら、思案する。私もレティシアだから、何だかややこしい。まるで自画自賛してるみたいで、気恥ずかしい気もちになる。
ゲームのレティシアだから、ゲティシアとでも呼ぼうか。いや、ゲテモノみたいだから、これはないな。
今後もお世話になるかもしれないからいずれ名前をつけてあげよう。
拍手の音に包まれながら王子様と離れる。王子様と踊りたい人は大勢いるだろうから、独占しては申し訳ない。
「レティシア嬢、私と踊っていただけますか?」
琥珀色の目を細めながら手を差し出してきたのは、宰相子息だった。
「私でよろしければ、ぜひ」
王子様の誕生祝では誘いを断ったが、今回の私は完全無欠の令嬢だ。断る理由はない。
そっと手を重ねて、踊りはじめている人たちの輪に加わる。
「ルシアン殿下とは親しいのですか?」
「婚約者ですもの。親しくないわけがありませんわ」
これから先で仲が悪くなる予定だけど、今の段階では不仲ではないはずだ。だけど仲睦まじいというほどでもないので、親同士の決めた婚約者ならこんなものかな、という曖昧な表現で返す。
「思っていたよりも親しそうで、驚きましたよ」
「殿下は気さくな方ですからね。どなたでも親しくなれると思いますわ」
「それはそれは、素晴らしいお人柄ですね」
宰相子息がちらりと視線を横に流したので、私もつられてそちらを見る。
そこでは王子様が微笑みながらアドリーヌと踊っていた。
うっとりとした目で王子様を見上げるアドリーヌの頬が、朱色に染まっている。
さすが見た目は天使な王子様、ダンスだけでご令嬢のハートを掴んでいる。
王子様はいつもどおりだし、宰相子息は何を見ているのだろうかと目を凝らして──
「あら……」
王子様の向こうに、赤茶色の髪を見つける。一緒に踊っているのは、彼の婚約者だ。
最初のほうで挨拶に来たのでじっくりと観察する暇がなかった未来の女騎士様は、こんな幼いときから凛々しい。
金色の髪は高く結い上げて邪魔にならないようになっているし、茶色い目は力強く騎士様を見つめている。もはや睨みつけてると言ってもいいぐらいの目力だ。
彼女だけ、舞踏ではなく武闘をしているような顔つきになっている。
騎士様は苦笑を浮かべながら、女騎士の鬼気迫るダンスについていっている。すごい。
これは、確かに目を引く。
横でゆっくりと踊っていた子がぎょっとした表情を浮かべて、邪魔にならないように避けるし、あの二人だけ別世界だ。
「やはり気になりますか?」
不意にかけられた言葉に瞬く。騎士様と女騎士様のダンスは気にするなと言われても無理だ。
女騎士様の足さばきは重力などないかのように軽やかだし、騎士様もそんな彼女を支えながらしっかりと踊っている。
見事だと思うが、わざわざ指摘されるほどの何かがあるわけではない。
「見惚れはしますが、それ以外には特に……」
「あなたが気にされるかと心配していたのですが……どうやら取り越し苦労だったようですね」
「お心遣い感謝しますわ」
なるほど、私が王子様の誕生祝で足を踏んだことを悔いていると思ったのか。
だけど今日は足を踏んでいないし、あんな別次元のものを見て自分のダンスを省みようとは思えない。
そりゃあ彼女みたいに踊れたらと憧れる気もちはあるが、私には無理だと諦めている。
あれだけの身体さばきを覚えるための訓練を考えると、尻ごみしてしまう。
「……私に希望の芽はありますか?」
柔らかく微笑みながら紡がれた言葉に、私は少し考えてからゆっくりと首を横に振った。
目を見開いて悔しそうに下唇を噛む姿に、憐憫の情がわく。
宰相子息が騎士様や女騎士様みたいに踊るのは、まず無理だろう。剣よりも本のほうが好きそうな宰相子息の腕は細い。貴族の嗜み程度には体を鍛えてはいるとは思うが、騎士様には到底敵わない。
宰相子息の足さばきは優雅だけど、あの二人に追いつこうと思ったら脚力はもちろんのこと、体幹も鍛えないといけない。学力テストでヒロインに負けたことを根に持つ宰相子息が、特訓のために勉学の時間を捨てるとも思えない。
時間は有限だ。残酷だけど、下手に希望をもたせて宰相子息の時間を奪うよりは、今宣告されるほうがいいだろう。
「そうですか」
琥珀色の瞳から熱が失われた。
宰相子息の痛ましい姿に、私は目を伏せて俯くことしかできなかった。
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