語られない物語~異界の天使たちによる異聞禄~

電脳空間

 紫依の視線に先には見慣れた部屋の窓があった。

「え?」

 立っていたはずの紫依の体はベッドに寝ており、顔には大きなゴーグルが装着されている。突然の環境の変化に紫依はそのまま固まってしまった。

「大丈夫か?変な感じはないか?」

 心配そうにオーブが覗き込んでくる。紫依は体を起こして顔に装着されたゴーグルを外しながら答えた。

「大丈夫です」

 紫依はゴーグルを膝の上に置いて部屋の中を見回した。
 アンティークの机の上にパソコンが置いてあり、その足元にある機材と数本のケーブルで繋がっている。その前ではアンティークの椅子に座っている朱羅が気怠そうにゴーグルを外していた。

 紫依は安堵しているオーブに訊ねた。

「私はどうなっていたのですか?」

「この前、向こうの世界の電脳空間について話したけど覚えている?」

「はい」

「紫依はさっきまで、その電脳空間にいたんだよ」

「え?電脳空間とはこちらの世界でいうインターネットのようなもの……でしたよね?つまり向こうの世界のパソコンの中の世界……ですよね?」

「うん、そう」

「私はどうやって、その中に行ったのですか?そもそもパソコンの中の世界に行けるのですか?」

「普通は簡単には行けないんだけどね。紫依の場合は精神が特殊だから……」

「特殊なのですか?」

「そう。普通は専用のゴーグルを装着して、電脳空間の情報を脳波に変換して脳へ刺激して疑似体験をさせる程度だからね」

「では、私は違うのですか?」

「うん。紫依の前世であるラファエルは、自分の精神を電脳言語に変換して直接、電脳空間に侵入ダイブしていたんだ。今回のことで紫依もそれが出来るっていうことが分かったんだけど、無意識でしたみたいだから自分で侵入がコントロールできるように訓練しないといけないね」

「そうなのですか……オーブも電脳空間に侵入することが出来るのですか?」

「出来ないよ。むしろ、これが出来た人はラファエルだけってことになっているから」

「なっている?」

 首を傾げる紫依にオーブが苦笑いをする。

「公式的ではね。さっき電脳空間で黒髪の男に会っただろ?あれも同じように精神が特殊なんだけど、いろいろあってヒトじゃないことになっているんだ」

「ヒトではないということは、どういうことですか?」

 紫依の純粋な疑問にオーブが困ったように眉を寄せる。

「そこらへんの詳しいことは今度話すよ。もしかしたら、それより先に紫依が自分で思い出すかもしれないけど」

「……わかりました。ですが、どうしてラファエルさん……は、そのようなことが出来たのでしょうか?」

「どうして出来たのかは解明されていないんだよなぁ。とりあえず、この家にある機材と電脳空間との接続を切ったから、紫依の精神が侵入することはないよ」

「ですが、それだと向こうの世界と連絡が取れなくなるのではないのですか?」

「連絡を取る時だけ繋ぐから大丈夫。その間の紫依の様子も気にしとくから」

「すみません、余計な手間を取らせてしまいまして……」

「気にするなって」

「……はい。ところで朱羅さんは、どこか調子が悪いのですか?」

 ずっと黙ったままで顔色が優れない朱羅に紫依が声をかける。だが、朱羅は顔を背けながら素っ気なく言った。

「問題ない」

 オーブが朱羅に近づいて朱羅が外したゴーグルを手にとる。

「やせ我慢するなよ。体にだいぶん負担がかかっただろ」

「やはり、どこが悪いのですか?」

 心配する紫依に対して何も言わない朱羅を見てオーブが答えた。

「さっき電脳空間に侵入するのに、普通の人はゴーグルを装着しないといけないって説明しただろ?それをすると、どうしてもタイム・ラグが発生するんだ。電脳空間の情報を脳波に変換して脳へ刺激する一瞬の間なんだけどさ。それが精神を侵入させている紫依から見たら相手の行動がゆっくり、もしくは止まって見えるんだ」

 その説明に紫依が首を傾げる。

「ですが、朱羅さんは普通でしたよ」

「それは、オレの前世が造った特殊なゴーグルのおかげだ。タイム・ラグをなくす特別製のゴーグルで、朱羅はそれを装着して電脳空間に侵入したから普通に動けていたんだ。使用するには使用者の遺伝子情報の登録と特訓が必要で、使いこなせたのは朱羅の前世だけだったけど」

ルシファーあいつも使いこなしていた」

 朱羅が気だるそうに話す。その隣ではオーブが怒ったように腕を胸の前で組んだ。

「見ていた。あいつ人の技術を勝手に盗んで使っていやがった」

 明らかに不機嫌になったオーブに紫依が平然と声をかける。

「あいつとは、どなたですか?」

「電脳空間で白い髪をしたヤツがいただろ?あいつはルシファーっていって神の番犬だ」

 朱羅が脱力したように椅子に全体重をかけながら言った。

「前世では俺たち四人の力を合わせて、ようやく対等に戦えたぐらいの実力者だ。あいつを見たら戦わずに逃げることを考えろ」

「わかりました」

 素直に紫依が頷く。一方で、まったく回復する様子がない朱羅にオーブが声をかけた。

「やっぱり調子が悪いんだろ?今回は突然のことでゴーグルの微調整が出来なかったからな。そのぶん自力でカバーして電脳空間で動いていたから結構、体に負担がかかっただろ?」

 オーブの視線を避けるように朱羅が立ち上がる。

「気にするほどのことでもない。今回のデータをまとめといてくれ。改善点を出す」

「それより本格的な装置を揃えてデータを取り直した方がいい。これからも紫依のサポートは必要になるだろうし」

「任せる」

 部屋から出て行こうとする朱羅に紫依は立ち上がって声をかけた。

「ごめんなさい。私のせいで、ご迷惑をかけてしまいまして」

 朱羅はドアの前で止まって振り返らずに言った。

「気にするな」

 ドアが静かに閉まる。

「まったく、意地っ張りだな。紫依、朱羅の言う通り気にしなくていいぞ」

「ですが……」

 オーブが明るく紫依の言葉を切る。

「とりあえず休みなよ。電脳空間に侵入して精神に負担がかかったし、右手を怪我したんだろ?」

「右手の怪我は治していただきましたので、大丈夫です」

「そうは言っても完全じゃないんだから。怪我人は寝て休む。ほら、座って休んで」

「え?あ、はい」

 言われるがまま紫依がベッドに座る。
 オーブは細身の腕には似合わない腕力でパソコンや機材を抱えると言った。

「オレはゴーグルの調整とかデータの見直しのために地下にこもるから。何かあったら呼んで。あとお腹が空いたら冷蔵庫にご飯が入っているから適当に食べて。じゃあ、しっかり休むんだぞ」

「は、はい。分かりました」

「うん、素直が一番。じゃ、おやすみ」

 笑顔でオーブが部屋から出て行く。
 静かにドアが閉まると、紫依の中で張りつめていた糸が切れた。自然とベッドに倒れて、そのまま意識を手放していた。


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