語られない物語~異界の天使たちによる異聞禄~

蜘蛛

 巨大な黒い蜘蛛が紫依の前に悠然とそびえ立つ。

 黒い蜘蛛は六つの赤い瞳で紫依をひと睨みすると口を動かした。
 紫依が軽く飛ぶように下がると、先ほどまで紫依がいた場所に蜘蛛の口から吐き出された黒い糸が直撃した。何百本もの糸が絡まった黒い糸は大木ほどの太さがあり、直撃した床には衝撃でヒビが入っている。
 そのまま蜘蛛の口から出続ける黒い糸は、逃げる紫依をしつこく追いかけた。しかも粘り気がある黒い糸は這うように地面に広がり、紫依の逃げ場を無くしていく。

 紫依は額に汗をかきながら蜘蛛を見上げた。

「このままでは逃げ切れませんね。ここは私が知っている世界とは違うようですし……」

 紫依はここが、自分がいた世界と違うことに気がついていた。
 夢のように、どこか現実感がなく、重力はあるものの体が軽い。そして何よりも、いつも感じている風がどこにもないのだ。風を感じないことなど今まで一度もなかった。

「とりあえず、出来ることをしましょう。風花かざはな!」

 普段ならこの呼び声で風が対象物を花のように散らすのだが、風がないこの世界では何も起きない。風を感じない時点で何も起きないことも予想していたので、紫依は焦ることなく次の手をだした。

ハッ

 紫依は動く左手だけで印を結んだが、またしても何も起きない。龍神家では風や土地神の力を借りて攻撃する技が多いため、風も土地神もいないこの場では印が効力を発揮しないのだ。

「直接攻撃がどこまで効きますでしょうか……」

 戸惑いながらも蜘蛛の弱点を探す紫依は、いつも通りの無表情のため焦りや緊迫しているようには見えないが、こうしている間にも体力は削られていく。

 紫依は攻撃を避けながら頬を流れる汗を拭って呟いた。

「せめて札があれば……」

 その言葉に応えるように紫依の前に一枚の札が現れる。それは紫依が頭に浮かべたものと、まったく同じものであった。紫依が迷わずにその札を掴むと、そこに黒い糸が頭上から降ってきた。

 紫依は反射的にその札を黒い糸に投げつけながら叫んだ。

「悪しきモノを呑み込め!」

 言葉に反応して札が糸を吸収していく。蜘蛛が吐いた黒い糸を全て吸収すると、そのまま地面に広がっていた黒い糸まで吸い尽くして札は自然に破け散った。

「ここは想像したものが出せるのですね」

 納得しながら紫依が蜘蛛と対峙する。想像したものが出てくるなら勝機はある。

 紫依は自分が一番得意な武術の武器を想像した。

「これで戦えます」

 左手に現れた薙刀を握りしめて紫依がかまえる。自分の身長と同じぐらいの長さがある柄を背に回し、少し反った刃を下に向ける。

 独特のかまえの型をする紫依に蜘蛛が再び口を動かした。蜘蛛が攻撃を仕掛ける前に紫依が走り出す。

 蜘蛛の口から吐き出された黒い糸は紫依の残像を貫いて床にへばりついた。その間に蜘蛛の足元まで来た紫依が、左手だけで地面に並行するように薙刀を滑らせる。

 紫依が蜘蛛の足を斬りつけるが硬い外殻に弾かれた。それでも、すかさず関節や足のつけ根など次々に薙刀を突き刺す。だが、どの攻撃も傷一つ付けることなく終わった。

「こんなに硬いとは……」

 紫依は一度、蜘蛛と距離をとるために、その場から離れようとしたが足がふらついて体のバランスを崩した。その隙に蜘蛛が近くの足を紫依に向けて振り下ろす。
 硬い外殻に包まれ、先が尖った蜘蛛の足は立派な槍である。
 紫依は受け止めようと薙刀をかまえたが、このままだと薙刀を貫いて自分まで突き刺さることが容易に想像できた。

「どうすれば……」

 そこに、ふと朱羅の言葉が頭に流れた。

『力の流れを感じて、攻撃する先に力を集中させろ。まともに受けずに相手の力を横に流せ』

 紫依はとっさに薙刀の先を蜘蛛の足先に向けた。そのまま力を集中させて、蜘蛛の足の力の流れを読み取る。

「ここです!」

 眼前に迫っていた足先に薙刀の刃を滑らせ、そのまま横に流す。槍となっていた蜘蛛の足先が紫依の顔のすぐ横に突き刺さった。

 紫依はすぐに飛び起きて蜘蛛の足元から離れると札を想像した。

「貼り付け!」

 紫依の想像通り現れた六枚の札が蜘蛛の目に向かって飛んでいく。だが、その札は蜘蛛の鋭い足によって、あっさりと破られた。

 その光景に紫依が微かな違和感を感じる。

「……もしかして?」

 攻撃がまったく効かなかったが、紫依は再び札を想像して飛ばした。札は蜘蛛の足や胴体の周りと飛んだ後、目に近づこうとしたところで鋭い足に破かれた。

「やはり……」

 深紅の瞳を閉じると紫依は大量の札を想像した。

 紫依の周囲に小さな山一つできるぐらいの札が現れ、一斉に蜘蛛に飛びかかる。蜘蛛は黒い糸を吐いて札を絡めとりながら、鋭い足でも破いていく。それでも札は多く、蜘蛛の姿が白い札で見えないほどだ。

 それは蜘蛛から見ても同じで、紫依の姿を見失なうほどだった。

 音もなく飛び回っていた札が蜘蛛の頭上から消える。そのことに気が付いた蜘蛛が六つの赤い目を真上に向けると、薙刀を振り下ろす紫依がいた。

『キィシャァァァーーーーー』

 鳴き声とも叫び声とも言えない奇妙な声とともに蜘蛛の姿が消える。
 床に着地した紫依の足元には粉々に砕けた赤い石があった。

「足や胴体を斬られた時は無抵抗でしたのに、石を攻撃しようとした時だけ防御していては、そこが弱点だと教えているようなものですよ」

 平静に言いながらも紫依は肩で息をしながら、薙刀を杖のようにして立っていた。相変わらず表情がないため分かりにくいが紫依の疲労は大きい。

「さて、こちらですね」

 呼吸を整えた紫依は青年を見た。

「これで目覚めればいいのですが……」

 紫依が倒れたままの青年にゆっくりと近づいて声をかける。

「あの……」

 そこに聖歌隊のような清らかな声が上空から降ってきた。

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