語られない物語~異界の天使たちによる異聞禄~

海上に咲く花

 紫依が土地神と話していた頃、三人は着々と作業を進めていた。

「獅苑、ゴホッ、培養液の温度をあと七度下げて。ゴホッ」

 いつからか蘭雪が咳込むようになっていたが、本人は手を止めることなく次々と指示を出していた。

 そんな蘭雪にオーブがたまらず声をかける。

「大丈夫か?」

「あと少しで、ゴホッ。仮死状態に出来るわ。ゴホッ。そっちは?ゴホッゴホッ」

「蘭雪の体調のことを聞いたんだけどな。こっちは、これからこの船との接続部の取り外しにかかる。けど、いい感じに目がかすれてきたし、体も重くなってきた。このままだと、オレが倒れるのが先か、作業が終わるのが先か分からないぞ」

 オーブが視線をスクリーンから黒い柱へ移す。培養液の中に複数の細いロボットアームが現れて少女の背中から生えている太い管を外し始めた。

「朱羅はどうだ?」

「生命維持に必要な代用臓器の用意が出来たところだ。これから接続するが、手先が痺れてきている」

 朱羅がスクリーンを操作すると新しいロボットアームが現れて、少女の背中に丸い部品のようなものを接続し始めた。

 全員の症状を聞いて蘭雪は咳き込みながら言った。

「みんな、ゴホッ、症状が違う、ゴホッ。是非、データを、ゴホッ」

 咳の連続にオーブが蘭雪を止める。

「蘭雪は話すな。データは後で好きなだけとればいいから」

 そう言いながらオーブが瞳をこする。

「クソ!あと少しなのに……」

 オーブが焦点の合わないムーンライトブルーの瞳を蘭雪に向ける。

「あと、一つ外したら終わりなんだけ……」

 そこまで言いかけてオーブは口から泡を吹いて倒れた。

「ゴホッ、ゴホッ。私も、ゴホッ、限界らし、ゴホッ、ゴホッ」

 蘭雪が咳とともに血を吐きながら倒れていく。

「オーブ!蘭雪!」

 朱羅は手を止めかけたが、視線をスクリーンに戻して自分に言い聞かせるように呟いた。

「地下の基地に戻れば治療ができる。まだ間に合う」

 朱羅はオーブの代わりに少女の背中から生えている太い管の取り外しにかかった。細いロボットアームが最後の管を外し、朱羅が準備した代用臓器を装着する。

「これで、この船と体の分離は完了だ。あとは背中を人口皮膚でおおえば……終わりだ」

 いつの間にか朱羅の全身から汗が滝のように流れていた。顔も真っ青で今にも倒れそうである。

 その姿に今まで無言で補助をしていた獅苑が口を出した。

『これ以上はあなた方の体が危険です。毒が体に回らないよう休んで下さい』

「あと少しだ。向こうの世界に戻ったら、すぐにアークのところに戻れるよう……転送装置の準備をしていてくれ」

『ですが……』

「これが紫依の望みだ!途中で止めていいのか!?」

 手から全身に広がった痺れと戦いながら作業を進める朱羅の気迫に獅苑は言葉をのんだ。

『……承知しました』

 朱羅は痺れすぎて感覚がなくなった手でスクリーンの操作を続けた。

 培養液の中で少女の背中に人工皮膚が装着される。

「これで……完成だ」

 その言葉とともに朱羅の体が崩れ落ちる。そこで紫依たちが下りた穴から光の柱が現れ、結界に張り付いていた黒い手がうめき声と共に一斉に霧散した。

『乗っ取られていたシステムを取り返しました。転移します』

 一瞬、浮遊感を感じただけで周囲に変化はない。獅苑が次々と状況を報告する。

『墜落予定地との誤差、0.001。想定範囲内です。設置していた衝撃緩和網を展開。落下速度の減速を確認』

 朱羅は閉じそうになる目をどうにか開け、床の穴に向けて体を動かそうとしたが、力が入らなかった。

「……紫依」

「無様ですね」

 朱羅がかろうじて顔を上げると気絶した紫依を小脇に抱えたルシファーが目の前に立っていた。

「毒の痛みで体は限界を超えていたのに力を使った結果ですよ」

 ルシファーが説明しながら紫依を朱羅の前に転がす。自力で動くことのない紫依の体は床の上で微かに痙攣をしていた。

 朱羅がゆっくりと紫依に手を伸ばしながらルシファーに説明をする。

「俺たちがしたのは、応急処置だ……柱から出てきたら、治療カプセルに……入れろ」

 主語はなかったがルシファーは朱羅が誰のことを言っているのか、すぐに理解した。

 ルシファーが振り返ると、培養液が排出されて黒い柱の一部が開いた。少女の体が倒れるように出てきたところを受け止める。

 必要最低限の筋肉しか付いていない体は軽く、すっぽりと右腕の中に収まった。ルシファーがもう一度朱羅を見ると、右手を紫依の左手の上に添えてゆっくりと口を動かした。

「やっと、約束を……果たせ……」

 朱羅が静かに翡翠の瞳を伏せる。その表情はどこか満足そうに見えた。

『衝撃吸収材を展開。予定地に墜落します。念のため、衝撃に備えて下さい』

 獅苑の言葉に返事はなかった。




 緩やかな登り坂に草原が広がり、その先には雲一つない青空がある。強い風に草がなびき、温かい太陽の光が全てを平等に照らす。

 永遠に続きそうな光景だが突如、寸断される。
 足元には地面がなくなり、碧い海が眼下に広がる。遥か下では海面が崖にぶつかり、白い波へと変化している。そんな断崖絶壁が永遠と続く中、人影があった。

 亜麻色に近い柔らかな茶髪が海風を受けて揺れている。何をするでもなく、景色を眺めていると背後から声をかけられた。

「死に損ねたな」

 声だけで誰かわかったアークは、海を見たまま振り返らずに答えた。

「こんな結末になるとは思いもしませんでした」

「確かに。まさか仮死状態にして、神の体と船を分離させるとはな」

「神の体が船に組み込まれた当時は、分離は不可能と言われていましたのに。科学の進歩と四人の技術がなければ実行できなかったことです」

 強い海風に白銀の瞳が細くなる。

「それを時間も体力も極限の状態で、やったんだからな。恐れ入る」

「私がこうして、ここにいられるのも、ここにいない四人のおかげですね」

 そこに清らかな少女の声が響いた。

「こちらにいましたか」

 プアールが振り返るとルシファーが少女を抱えて、こちらに向かって歩いてきていた。オレンジ色に輝く少女の髪が海風に乗ってなびく。

「調子はどうだ?」

 素っ気ないプアールの言葉に少女が微笑みながら答える。

「ずっと培養液の中にいましたので、まだ歩けるほどの筋力はありませんが、重力には慣れてきました」

「ルシファーが足代わりをするから問題ないだろうが、甘やかしすぎるなよ」

 最後の言葉はルシファーに向けて言ったのだが、ルシファーは平然としたまま無言でいる。変わりにアークが口を開いた。

「少しずつでいいじゃないですか。時間は十分ありますし」

「時間だけはあるな」

 アークとプアールが頷いていると、遠くから二人を呼ぶ声がした。

「あぁ、見つかってしまいましたね」

 アークの視線の先には、こちらに走ってきているブローディアの姿がある。その後ろを獅苑が速足で追いかけている。

「アーク!後処理が山積みだぞ。さっさと帰れ」

「プアールも勝手に出歩かないで下さい。仕事が溜まっていますよ」

「わかった」

 プアールが面倒そうに返事をして歩き出す。

 アークも歩き出そうとして、ふと足を止めた。ルシファーの腕の上に乗っている神と呼ばれていた少女を見る。

「神はこれからどうするのですか?」

 その言葉を少女はやんわりと訂正した。

「私はもう神ではありません。名前はアーク・スウ・リャン・フローラです」

 両親が残してくれた名前を少女は誇らしげに言ったが、その名前にアークは驚いた。

「もしかして、私の名前は……」

 少女は少し困ったように微笑んだ。

「私の代わりに世界を見て欲しいと思って、私の名前をあなたに付けたのです。が、このようなことになってしまって」

 苦笑いをし合う二人にルシファーは海上を指さして言った。

「末名のフローラを名乗るのは、いかがでしょう?ちょうど、あれの姿と同じ名前です」

 少女はルシファーが指さした海上を見て満足そうに頷いた。

フローラ。いいですね」

 アークも海上を見て納得したように頷いた。

「では、フローラはこれからどうするのですか?」

「時間はたくさんあるようですし、ゆっくり考えていきます」

「そうですね」

 頷いているアークにブローディアが叫ぶ。

「アーク!早く来い!」

「はい、すぐに行きます」

 そう言ってアークもブローディアに急かされて立ち去った。

 フローラは強い海風を感じながら地平線の先まで続いている碧い海を見た。

「こうして、自分の瞳で外の世界を見られる日がくるとは思っていませんでした」

 二人の視線の先には球体だった船の外壁が花びらのように開き、中にあった建物がむき出しとなっている元宇宙船の姿がある。

 その光景は海上に咲いた花のようだった。

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