語られない物語~異界の天使たちによる異聞禄~

紫依の決意

 穴を抜けた先は青い光が降り注ぐ大きな八角形をした部屋だった。

 朱羅は壁から生えているように設置されている階段の途中に降り立った。天井と床の中間地点だったが、部屋全体が見渡せる。
 そこで最初に目に入ったものは床から生えている無数の黒い手だった。何かを求めるように、ゆらゆらと彷徨っている。その中の数本が朱羅の存在に気付いて伸びてきた。

「去れ」

 朱羅が右手を軽く振っただけで近づいてきていた黒い手が蒸発したように消える。朱羅は次に部屋の中央にある大きな黒い柱に注目した。

 床から天井までを貫いている黒い柱は一部がガラス張りになっており、その中は培養液で満たされている。そこに十歳ぐらいの少女が浮いていた。その柱にも幾重もの黒い手がへばり付いている。

「こんなところにヒトが?何者だ?」

 朱羅は階段を降りようとして足元に透明な壁があることに気がついた。よく見ると階段を下りた先に紫依の姿があるのだが、黒い手におおわれてほとんど見えない。

 黒い手を避けるために張った結界の中で、紫依はゴーグルを装着したまま空中に浮かぶ複数のスクリーンを操作していた。

「紫依」

 朱羅の声に紫依が顔を上げる。

「この壁は消せないのか?」

 紫依は再び視線をタッチパネルに戻して言った。

「もうすぐ電脳空間での処理が終わりますので、少しお待ちください。これが完了しないと電脳空間からウォーターと獅苑の支援を受けられませんから」

 作業を続ける紫依の指示に従って朱羅は黙って待つことにした。視線は自然と目の前にある黒い柱の中にいる少女に向けられる。

 長い髪はオレンジ色に輝いて培養液の中で浮かんでいた。瞳は薄く開いておりパロットグリーンからオレンジへと変わる不思議な色をしている。背中からは太い管が何本も生えており、翼ように広がって天井へと繋がっている。
 異様な光景だが何より気になったことは、少女の外見がラファエルにそっくりだということだ。

「これは何者だ?」

 朱羅の質問に紫依は手を止めることなく答える。

「それは、これを見たらわかります」

 紫依の言葉に応えるように朱羅の前にゴーグルが現れる。朱羅は警戒しながらもゴーグルを手にとった。

「どういうことだ?」

「私が口で説明するより見た方が早いと思います。直接脳に情報を送り込むので時間はかかりません」

 これ以上、紫依の作業の邪魔をしてもいけない判断した朱羅は、ゆっくりとゴーグルを装着した。そして数秒後、ゴーグルをはぎ取るように外した。

「これは……事実なのか!?」

 驚きとともに声を荒げる朱羅に対して紫依が淡々と頷く。

「はい」

「君は一体、何をしようとしている!?」

 紫依が振り返り、ゴーグル越しでも分かるほどの強い視線を真っ直ぐ朱羅に向けた。

「ごめんなさい」

 前触れもなく謝ってきた紫依の行動に朱羅は嫌な予感がしたが、なるべく平静を装って訊ねた。

「何がだ?」

「私は神を自由にします」

 そう言うと紫依は手を止めて黒い柱の中にいる少女に視線を向けた。

「神の体はこの船と完全に同化しています。無理に外そうとすれば体は死んでしまいますし、自爆プログラムが作動して本体が爆発します」

「どうするんだ?」

「神の精神を私の体に移します。神の体がこの船と繋がっていれば自爆プログラムも作動しませんから」

「どういうことだ?」

 なんとなく分かっているのだが、頭は理解することを拒否している。

 紫依は朱羅を見ることなく言った。

「私の体を神の器にします。私の精神は消えて、神の精神が私の体を使います。そして精神が抜けた神の体は、この船が地上に墜落する前に爆破します。それはウォーターと獅苑に依頼済みです」

「紫依の体を神の精神が使う?そんなことが出来るのか!?」

 叫ぶ朱羅に対して紫依は淡々と説明をした。

「もともとラファエルは神の新しい体として神の遺伝子を元に造られました。しかし、ここにたどり着いた時には体の損傷がひどくて、それが出来ませんでした。私にも神の遺伝子は引き継がれていますし、神の精神もラファエルと同様で精神を電脳言語に変換することが出来ます。この条件がそろっていれば私の体に神の精神を移すことは可能です」

「何故、君が神のために、そこまでしないといけないんだ!?神はずっと俺たちを殺そうとしていたんだぞ!」

「それは神の意思ではありません。防護プログラムによるものです。神はこの船を維持、管理するためだけに生かされ続けていたのです。自分の意思など、どこにもありませんでした」

「だからと言って君が犠牲になる必要はないだろ!」

 激高している朱羅の気をそらすように紫依は唐突に話題を変えた。

陰名かげな、というものをご存知ですか?」

 意表をつかれて朱羅が言葉に詰まる。

「……いや、知らない」

「陰名とは本名の裏にある本当の意味を表した名です。龍神家では代々、生まれた子どもに陰名をつけます。兄様はまことを封じる者、ふう。そして私は神のしろ神依しい。こうなることは生まれた時にすでに決まっていたことなのです」

「そんなこと……」

 そこまで言って朱羅はルシファーの言葉を思い出した。

 ルシファーは神を守るようにプログラムされ、自分達は神を落とすようにプログラムされている。なら、紫依は?

「もしかして、君は神の器になるようにプログラムされているのか?」

「……はい。ラファエルには新しい神の器となるようにプログラムが組み込まれていました。ですが、そんなことは関係ありません。これは私の意志であり、望みです」

 朱羅は少しずつ冷静になってきた頭で紫依に気付かれないように周囲を観察した。足元の壁を壊せば紫依のところまで一足飛びで行ける。そうすれば今なら止めることは可能だ。

 なるべく自然に立ち位置を変えて紫依から見えないように朱羅が刀を強く握り締める。

「自分を落とすようにプログラムされたヒトを神が造ったのか?それこそ神の中にある防護プログラムがそんなことはさせないはずだ」

「普通ならその通りです。ですが、他のプログラムが隙をついて私達にそのプログラムを組み込んだのです」

「それを神がしたというのか?」

「正しくは神の母親です。こうなってしまった我が子がいつか自由になれるように何百年、何千年という時間をかけて実行されるプログラムを忍ばせていたのです。その想いに答えるためにも、私はこの道を自分で選びました」

「俺は反対だ!」

 そう叫ぶと同時に朱羅は足元にある透明な壁に刀を突き刺した。だが、壁は壊れるどころか傷一つ付かない。

 壁に刀を叩きつけたまま固まった朱羅に紫依は寂しそうな表情を向けた。

「わかってもらえるとは思っていませんでした」

 紫依が右手を伸ばして手のひらを朱羅に向ける。少しだけ微笑みながらも、どこか申し訳なさそうに言った。

「頼れと言って下さった時、私は嬉しかったです」

 朱羅の足元から風が巻き上がる。

「紫依!」

 朱羅の真上にある天井に穴が開く。

「後のことはお願いしますね」

「待て!」

 叫び声とともに朱羅は強風によって穴に吸い込まれ、部屋から強制的に排出された。


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