語られない物語~異界の天使たちによる異聞禄~

憂いと依頼

 朱羅は静かに眠る紫依の顔を見つめていた。白い肌はいつもより青白く、本人は気づいていないが、明らかに体は疲弊している。

「少し力を分けておくか……」

 血の気が引いたかのような冷たい紫依の左手を朱羅は両手で包んだ。ゆっくりと力を同調させて流れを作る。手だけでなく冷えた全身を朱羅の力が包み込み熱を与えていく。

「……君はなにをしようとしているんだ?」

 眠っている紫依からの返事はない。力を分けた朱羅は紫依の体に体温が戻ったところで、そっと手を放して部屋から出て行った。

 朱羅が廊下に出ると壁に背をつけて立っていた蘭雪が声をかけてきた。

「紫依はなかなか寝なかったのかしら?」

「いや、すぐに寝た。あまりにも体力が下がっていたから力を分けていただけだ」

「そう。ところで、深層意識の中で何があったの?今まで紫依が表情を作るなんてなかったことよ?」

「紫依のプライバシーに関わることだ。俺からは何も言えない」

 想像通りの答えに蘭雪が頷く。

「今はラファエルの記憶が戻ったばかりだから、引きずられているところもあるとは思うけど、注意が必要よ」

「言われるまでもない」

「わかっているならいいわ」

 そう言うと蘭雪は片手をあげてあっさりとその場から離れていった。蘭雪の態度に拍子抜けしながらも朱羅は壁にもたれかかるように背をつけた。

「……わかっては、いる」

 それでも何か得体の知れない嫌な予感が足元を漂う。どれだけ注意していても手からすり抜けるような、気が付けば取返しがつかないことになっているような、そんな不安がよぎる。

「……らしくないな」

 朱羅は自分の気持ちを一蹴すると廊下を歩き出した。




 紫依がふと目を開けると、そこは部屋ではなかった。白を基調とした明るい場所で周囲には様々な形と色をしたモノが浮かんでいる。

「……ここは、電脳空間?」

 ラファエルの記憶で見たため、紫依はこの場所が電脳空間であることが、なんとなく分かった。

 周囲に浮かんでいるモノは、この世界のヒトが電脳空間内に作っている個人空間だった。丸や四角など単純な形の空間から、液体や表現しづらい形の空間など様々である。
 中心を覗き込むと、中にあるものが透けて見えた。この中には、この空間を作ったヒトが自分の作品や研究結果などを置いており、空間の外壁に触れると内部に入って詳しく見ることが出来る。

 ここは最近作られた空間が集まった場所らしく、全体的にキラキラと輝いていた。これが時間が経過した空間だと、持ち主の手入れによって風合いや味わいが出てくるが、放置していれば錆びれ朽ちて下層へとゆっくり落ちていく。

 紫依は現状を把握すると軽く頷いた。

「無意識に電脳空間に侵入してしまったようですね。体に戻らないと……」

 一歩を踏み出したところで大きな泡に包まれる。

「え?」

 周囲の景色が一転して目の前に海が広がった。紫依は砂浜の上に立っており、足元に触れそうで触れないところを波が行き来している。

 誰かが作った空間の中らしいが、先ほど紫依がいた場所からは、まったく見えなかった。このように普通には見えず、空間がどこにあるのか知っているヒトしかアクセスできないように設定しているヒトもいる。
 その場合はパスワードがなければ入れないようになっており、たとえ偶然触れたとしても入るどころか、覗くことも出来ない。

「とりあえず出ましょうか」

 紫依が空間から出ようとしたところで聞き覚えがある声が響いた。

「突然、連れ込んで悪かったな。ちょっと他のやつらには聞かれたくない話をしたかったんだ」

 紫依が振り返ると、そこには銀色の猫耳をピクピクと動かしているプアールがいた。突然の登場だが、紫依は穏やかに言葉を返した。

「いえ、私はかまいません。どうかされましたか?」

「少し頼みがあってな」

「頼み……ですか?」

 問題事があっても賢者が住む城の守護者である獅苑たちが対応するので、こうして外部のヒトに頼み事をすることなど普通はないことである。それどころか賢者の城の主であるプアールが外に出ること事態が珍しい。

 訝しむ紫依にプアールが心苦しそうに苦笑いを浮かべる。

「記憶が戻ったばかりで疲れが残っている時に悪いとは思うのだが、他に頼めるヤツがいなくてな」

「あ、いえ。そこは大丈夫です。しっかり休みましたので」

 紫依は自分でも驚くほど体が軽くなっていた。どれぐらい寝たのかは分からないが、体はしっかり休めたようだ。

 プアールは金色に輝く小さな鍵を懐から出した。

「神から逃げる時に現実空間にある賢者が住む城は誰も入れないように封印をした。しかし電脳空間の方は間に合わず、隠すだけで精一杯だったのだが……」

「誰かに見つかったのですか?」

「いや、その逆で隠す途中で見失ってしまったのだ。電脳空間の最下層のどこかにあるとは思うのだが、あそこは普通のヤツでは、たどり着くことさえ出来ない。だが、こういう時に限ってウォーターとブローディアは獅苑の最終調整で手が離せないんだ」

「そういうことですか。では、私が探してきます」

「すまないな。現実空間では神への最終攻撃の算段をしているのだが、賢者が住む城にある情報が必要になり中断している。できれば早く情報が欲しい」

「わかりました」

 プアールは金色の鍵を紫依に渡した。

「賢者が住む城を見つけたら、中心部にこの鍵を差し込んでくれ。それで浮上する」

「浮上?それだと様々なヒトに見られてしまいますが、よろしいのですか?」

 紫依の指摘にプアールが不敵に笑った。

「あぁ。そろそろ存在を見せつけないと忘れられてしまうからな。では頼んだ」

 プアールが姿を消すと同時に泡が弾けて海が消える。紫依は再び白い空間の中にいた。

「では行きましょう」

 紫依が静かに息を吸い込むと体が一気に急降下した。

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