語られない物語~異界の天使たちによる異聞禄~

黒の決意

 鉛色の空を見上げたまま獅苑が深く息を吐く。

「他にもいろいろありましたが、ラファエル博士との出会いはこのような感じでした。私がこうしていられるのはラファエル博士の尽力のおかげでもあるのです」

 そう言って獅苑が言葉を切るが紫依からの返事はない。

「ミス龍神?」

 紫依の様子が気になるものの入浴中の女性の姿を覗き見るなど出来ない獅苑は、おろおろとしながら声をかけ続けた。

「どうかされましたか?」

 無言。

「あ、もしかして今の話で、どこか気分を害するようなことがありましたか?」

 反応なし。

「返事をして下さい、お願いしますから」

 獅苑の懇願も虚しく答えはない。

「どうするか……」

 戸惑う獅苑の前に橙色の光の輪が現れる。獅苑は顔を上げるとワラにもすがる思いで訴えた。

「ちょうど良かったです。ミス龍神が返事をされないのです。私が気に障るようなことを言ったのでなければいいのですが……」

 心配そうに黒い瞳を向けてきた獅苑に対して翡翠の瞳が呆れたように答える。

「紫依の様子は確認したのか?」

「あ、いえ、直接はしてないです」

「何故?」

 朱羅から平然と問われて獅苑が顔を少し赤くする。

「にゅ、入浴中のご婦人の姿を覗くなど……そんな恥知らずなこと……」

 ごもごもと言葉を濁す獅苑に朱羅がため息を吐く。

「騎士道精神か?俺には、よくわからないな。体など個体差は多少あれど、全て同じ形だろ。見ることに対して何を気にすることがある?」

「……そういう考え方は、この世界のヒトと同じですよね」

「そういう君の性格は向こうの世界の人間みたいだな。いや、ウォーターやブローディアもそうか。人間型ロボットの方がこの世界のヒトより感情が豊かで生き生きしているように見える」

「ラファエル博士とウリエル博士が向こうの世界の人間を知るために、そのような性格に設定しましたから」

「確かにそうだが、そこからどう生きて成長するかは君たち次第だ。それより、紫依だが……」

 獅苑が背を向けていた岩を朱羅が易々と超えて大きくため息を吐いた。

「やはり、のぼせていたか」

 何かを引き上げるような水音がする。獅苑は背を向けたまま訊ねた。

「ミス龍神は無事ですか?」

「あぁ。軽くのぼせているだけだ。オーブもオーブだ。いくら温泉に慣れた日本人だからといっても、この温度の湯に一時間も浸かっていたら、のぼせるに決まっているだろ。そもそもオーブに任せたのに、蘭雪が目覚めそうだから、と言って迎えを俺に押し付けるところが問題だな」

 歩いて近づいてくる朱羅に対して獅苑が慌てて目を逸らす。朱羅は体にバスタオルを巻いた紫依を横抱きにしたまま獅苑に声をかけた。

「体を修復する材料を集めている途中だろ?邪魔して悪かった」

 そう言うと橙色の光の輪が二人を包んで姿が消えた。

 獅苑はようやく自由になった視界で温泉を見ると、本来の目的を果たすために軽く岩を飛び越えて乳白色の湯を覗き込んだ。

「これでは見えないな」

 獅苑が指先だけを湯に浸ける。すると水面が揺れ、乳白色だった湯が透明に変化した。温泉の底には大小の黒い石が転がっている。

「あれ一つあれば十分だな」

 一番大きな石を取ろうとしたが、獅苑は水面に映った自分の顔に気付いて手を止めた。黒い瞳の奥が金色に輝いている。
 左眼には盾の中に剣と鷲が描かれた紋章が、右眼には盾の中に剣とライオンが描かれた紋章が。

 黒い瞳の中に刻まれた左眼の紋章を初めて見たウォーターは、反逆者グループの紋章として賢者の住む城に登録されていることを知っていたため、獅苑の処罰を連想して思わず泣き出しそうになっていた。そのことも今となっては遠い思い出である。

 左眼にしか紋章はなかったが、身体が金属となった時に獅苑が自分で右眼にも紋章を刻んだ。青も白もない。騎士団の最後の一人として生き抜いていく証のために。

 獅苑は自分の顔が映っている水面に手を伸ばし、底に転がっていた黒い石を掴んだ。

「さて、戻るか」

 立ち上がった獅苑を橙色の光の輪が包み、姿が消えた。

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