語られない物語~異界の天使たちによる異聞禄~

黒の回想1

 世界を見たかった。
 文章だけではない実際の世界を、この目で見たかった。
 永遠と広がる青い空と青い海。
 緑に輝く森林に、風に揺れる草原。
 そして燦々さんさんと降りそそぐ太陽。

 その太陽を求めるように手を伸ばすが、砂塵で霞んで見えない。
 力尽きたように手が砂の上に落ちる。
 周囲にあるのは望んだ光景ではなく、どこまでも続く砂のみ。オアシスさえもない。
 動かなくなった体を砂が包み込み、砂漠と同化していく。

 静かに空を見ていた黒い瞳が閉じられた。



 ヒンヤリとした液体が唇を濡らす。瞳を開けると、見慣れた天井が目の前に広がっていた。

「夢……?」

 そう考えたが、服の中に入り込んだ砂が現実であったことを物語っている。

「どうやって、ここまで……」

 と、そこまで考えたところで自分の体が誰かに支えられていることに気がついた。

「私がここまで連れてきました。あなたは砂漠の中で倒れていましたのよ」

 穏やかな優しい声。顔は深く被ったフードで隠れて見えないが、左手はしっかりと体を支えている。右手には先ほど唇を濡らした液体が入っていたのであろう筒を持っている。

 黒い瞳で観察していると再び声をかけられた。

「大丈夫ですか?」

 フードを取りながら、心配そうな声で顔を覗き込んでくる。フードの下から現れた顔を見て、思わず息をのんだ。

 大理石のような乳白色の肌にトルコ石のような髪と、その隙間から出ている白い羽根の耳。そして不思議な輝きを放つ紫水晶の瞳。
 まるで宝石で出来た彫像のような姿だ。

「……あなたが助けてくれたのですか?」

 戸惑いを含んだ声に、彫像は綺麗な微笑みを浮かべた。

「ええ。でも、どうして砂漠の中にいましたの?」

「……世界を見ようとして……」

「世界を?」

 支えられていた手から離れて立ち上がり、自分の背よりもはるかに高い本棚に囲まれた周囲を見渡した。

「私はここ以外の世界を知りません。ですから、他の世界が見たかったのです。ここの本に書いてあるような世界を」

「ここの本はどれだけ読みました?」

「全部、読みました」

 その言葉に彫像は少し驚いた表情をしたが、再び綺麗に微笑んだ。

「私はラファエルといいます。あなたのお名前は?」

 その言葉に不揃いな黒髪が横に揺れる。

「知りません。私はここの本に書いてあること以外を知りません」

「そうなのですか。でも、名前がないのは不便ですね」

 ラファエルは腕を組んで少し考えた後、まっすぐ黒い瞳を見た。

「……シオン。如月きさらぎ 獅苑しおんという名は、いかがでしょう?異世界の小さな島国で使われている名前ですので、この世界で同じ名前のヒトはあまりいないと思います」

「獅苑……その名前はここの本にはありませんでした」

 無表情のため感情が読めない。

 ラファエルは少し不安そうに訊ねた。

「確かに、ここにある本は異世界の一部の地域の本が集中的に集められていますので、この名前はないでしょうね。気に入りませんでしたか?」

「いえ。そもそも名前は他人がつけるものです。使わせて頂きます」

 どこかトゲのあるような言い方だが、ラファエルは気にすることなく満足そうに頷いた。

「では、もう一つお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

 獅苑が無言で頷くとラファエルはここに来た目的を話した。




 芝生の上にテーブルとイスが並び、各個人が食事をしていたり、情報端末を操作しながら眼前にあるスクリーンと睨めっこをしていたり、あるいは優雅にお茶を飲んでいたりしていた。
 天井には映し出された青い空と白い雲、そして太陽が程よい光で室内を照らしており、ここが室内であることを忘れさせる。

 その中でラファエルは、これまでの経過を話していた。

「と、いうことですの。ウリエル、聞いてます?」

 ラファエルの確認する言葉に、呆れたような声が返ってきた。

「ああ、聞いてる。けど、それで連れ帰ったのは、どうかと思うぞ」

「あら、ちゃんと正規の検査はパスしましたのよ」

 テーブルを挟んだ反対側に座る少年が紅茶を飲みながら言った。

「確かに検査は問題なかったみたいだけど、お前があのガキを連れ帰ってから、いい噂を聞かない。特にルシファーあたりからな」

 ウリエルのサンセット色の瞳が軽く周囲を見回す。その夕陽のような色をした大きな瞳は、一見少女のような印象を与える。髪は燃えるようなカメリア色をしており、その隙間からは馬のような耳が生えている。

 ウリエルが視線を戻すと、ラファエルが反論した。

「でも、あの子をあそこに置いておくのはもったいないですわ。私の聞いた本の位置を全て把握していましたのよ。もちろん、本の内容も」

「たまたま知っていたんじゃないのか?」

「たまたまで、何万冊もある本の中から、まったく違う場所にある十八冊の本の位置を知ってると思います?」

「確かに、たまたまって数じゃあないな」

 そう言って、ウリエルが視線を向けた先には、十歳ぐらいの黒髪、黒瞳の少年が、十代前半の少女に情報端末の操作方法を教えてもらっていた。

 少女は清水のような水色の髪に、海のようなアクアブルーの大きな瞳をしており、清々しく爽やかな雰囲気に包まれている。一方の少年は漆黒の闇のような暗さをまとっている。
 どちらも綺麗な顔立ちをしているが光と闇のように対照的だった。

「ウォーターにも懐いていますし。まるで本当の姉弟みたいでしょ?」

 ラファエルの言葉に答えたのは、目の前にいるウリエルではなく背後からだった。

「あれでは姉弟というより師弟のように見えるが?それより、まずいことになった」

 一つ三つ編みに結んだ長いオパールグリーンの髪がラファエルの肩に触れる。

「どういうことですか?ミカエル」

 ラファエルは振り返りながら視線を上に向ける。すぐ目の前に、アイスブルーの鋭い瞳をした青年が立っていた。

「報告書だ」

 ミカエルから渡された情報端末のスイッチを入れる。すると手の中に半透明の書類が現れた。

 文章を読んでいるラファエルの表情が険しくなる。その反対側ではウリエルが満面の笑顔を浮かべてイスから立ち上がり手を振った。

「こっち、こっち」

 ウリエルが声をかけた先には、紅葉した銀杏の葉のような枯緑クーリュー色の瞳に、光の角度で色の変わる孔雀藍コンチュラン色の髪をした少女がいた。耳からは翼竜の翼のような形をした羽が生えている。

 少女は笑顔で迎えたウリエルを真っ直ぐ無視してラファエルの隣に座った。

「これから、どうするの?」

 少女の言葉にラファエルの返事はない。代わりにウリエルが口を開いた。

「なにがあったの?ガブリエル」

 ウリエルの質問にガブリエルは答えない。代わりにラファエルは書類をウリエルに渡した。

 そしてラファエルはガブリエルに紫水晶の瞳を向けて訊ねた。

「自分の意思で体を変化させることができる特異細胞、どんな傷でも数分で完治する超回復。この能力を持つあの子は、あなたから見て実験動物かしら?」

「私は興味ないけど、ミカエルは欲しいんじゃないの?」

 その言葉に全員の視線がミカエルに集まる。三色の瞳にミカエルは身動き一つせず、感情のない声で言った。

「確かに俺の専門だが、欲しくはない」

「本当ですか?」

 ラファエルの疑うような声に、ミカエルはウリエルの読み終えた書類を手に取った。

「研究室にいる。何かあったら連絡してくれ」

 その言葉にラファエルは何故か嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとうございます。こちらも頑張ってみますね」

「ああ」

 そう言うとミカエルはあっさりと歩き出した。一瞬、アイスブルーの瞳と黒い瞳が交わったが、そのことに気付いた者は誰もいなかった。

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