語られない物語~異界の天使たちによる異聞禄~

未来

 誰もが動きたいのを我慢している中で、最初に堪忍袋の緒が切れたのは蘭雪だった。

「あー、もう面倒ね!」

 蘭雪が思いっきり叫ぶ。その言葉に対応して蘭雪の両手に黒い霧が集まり、そのまま黒い手袋となった。
 蘭雪が壁を半分突き抜けた右手の隣に左手を突き刺すと、そのまま結界をこじ開けるように左右に広げた。

「へっ!?」

 思わぬ光景にオーブが間抜けな声を出す。朱羅も声は出なかったものの翡翠の瞳が丸くしていた。

 本来、結界とは上下左右から常に圧力がかかっている。そのため左右に広げても、すぐに上下から圧力がかかって結界が閉じるのだ。簡単に言うと滝を素手で左右に裂き、そのまま維持している状態である。
 実際そのようなことは出来ないのだが、よく見ると蘭雪がこじ開けた場所の周囲には白い糸が絡みついており、結界の真ん中に開けた穴を維持していた。

 蘭雪は何でもないことのように開けた穴を潜ると、小さく俯いている紫依の前に来た。蘭雪が紫依の目前で立ち止まる。そのまま二人とも動かず、重い沈黙が部屋に流れる。

 そこでオーブがあることに気が付いて叫んだ。

「蘭雪!立ったまま気絶するな!」

 オーブの声に紫依が驚いたように顔を上げる。一方の蘭雪はピクリと体を動かした後、軽く頭を振った。

「大丈夫よ」

「全然、大丈夫じゃないだろ!」

「平気よ」

 そう断言すると蘭雪は顔を上げた紫依と視線を合わせるように屈んだ。そのことに紫依は反射的に後ろに下がりそうになったが壁に遮られた。

 小さく震える紫依に蘭雪が微笑みかける。

「これで、わかったでしょ?」

 突然の質問に紫依が声を漏らす。

「え?」

「あなたの力では私は壊せない。この中で一番力が弱い私でさえ、紫依の力では壊せない」

「ですが、それは……」

「全力ではなかったから?それとも意識がなかったから?もしかしたら次は壊すかもしれないって思っている?」

 思考を見抜かれて紫依が固まる。

「そうね。でも〝次〟はこないかもしれないわよ?」

「え?」

「確実にあるとは言えないでしょ?」

「確かに、その通りですが……」

「起きないかもしれない未来を心配するより、確実に来る未来のことを考えない?」

「確実な……未来、ですか?」

「そう……」

 蘭雪が頷くと同時に体のバランスを崩して倒れかかる。

「あっ……」

 紫依が反射的に手を伸ばして蘭雪の体を受け止める。

「大丈夫ですか?」

 蘭雪が紫依の肩に頭を乗せたまま軽く笑う。

「ほら、大丈夫でしょ?」

「……何がですか?」

「紫依は傷つけることなく人に触れることが出来るのよ。こうして支えることも出来る」

「あ……」

 紫依は蘭雪の肩を支えている自分の両手を見た。

「もし紫依が誰かを傷つけそうになったら私が止めるわ。今回だって、私が紫依を止めたのよ」

 思わぬ言葉に紫依がオーブと朱羅に視線を向けると、二人が同時に頷いた。それだけで、嘘が見抜ける紫依は蘭雪の言葉が事実だと理解した。

 紫依が驚きながら視線を戻すと、蘭雪は全身の力を抜いた。蘭雪の体温がほんのりと紫依を包む。

「ほら、温かいでしょ?私も紫依も同じなのよ。同じ人間で、同じ力を持っているわ。だから、紫依の力を受けとめることが出来る」

「おな……じ?」

「そう。だから、紫依は紫依のままでいて。家に明かりを付けて、私たちの帰りを待っていて。紫依が待っていてくれるなら、私たちは必ずあなたのところに帰るから」

 そう言うと蘭雪は顔を上げて微笑んだ。

「これが確実に来る未来よ」

 紫依が無言のまま呆然と蘭雪を見つめる。

「そこまでだ」

 いつの間にか結界内に入ってきていたオーブが二人の間に入った。

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